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記憶の記録  作者: とも
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4/21

第4話 入部届け

 翌朝。


 黒瀬湊が教室に入ると、自分の席に知らない男子が座っていた。


「……」


 教室を間違えたかと思った。


 廊下へ戻る。


 一年三組。


 合っている。


 もう一度入る。


 やはりいる。


 湊の椅子に座り、湊の机に肘をつき、隣の男子と楽しそうに話している。


「おい」


「ん?」


「そこ俺の席」


「あ、ごめん」


 男子が振り返った。


「あ!」


 嫌な予感がした。


「四分二十六!」


「何でお前までそれなんだよ!」


 西野大地だった。


「同じクラスじゃん!」


「昨日、一ノ瀬先輩が言ってたな」


「全然気づかなかった!」


「俺も」


「入学して一週間以上経ってるのに?」


「お前もだろ」


「確かに!」


 西野が笑った。


 朝から声が大きい。


「で、何で俺の席にいるの」


「こいつと話してた」


 西野が隣の席を指差す。


 湊が普段何となく話している男子だった。


「西野と知り合い?」


「中学同じ」


「腐れ縁」


「お前が勝手についてきてるだけだろ」


「ひどくね?」


 湊は鞄を机の横に置いた。


「どいて」


「あ、ごめん」


 西野が立つ。


 自分の席へ戻るのかと思った。


 戻らない。


 湊の机の前に立っている。


「何」


「今日来る?」


「どこに」


「部活」


「行かない」


「何で?」


「逆に何で行くと思ったの?」


「二日連続来たから」


「一日目は散歩。二日目は暇だっただけ」


「今日は?」


「帰る」


「明日は?」


「帰る」


「明後日は?」


「しつこい」


 予鈴が鳴った。


「ほら、席戻れ」


「昼飯一緒に食おうぜ」


「何で?」


「同じクラスだし」


「理由になってない」


「じゃあ陸上部だから」


「俺は違う」


「あ、そうだった」


「忘れんな」


 西野は笑いながら自分の席へ戻った。


 窓際の後ろから二番目。


 意外と近い。


 湊は頬杖をついた。


 入学して一週間以上。


 昨日まで名前すら知らなかった。


 そんなやつと、放課後に百メートルを二本走った。


 学校とは妙なところだと思った。


     *


「ここ、過去形だから」


「分かってる」


「じゃあ何で現在形で書いたの?」


「手が勝手に」


「お前の右手、英語苦手なんだな」


「たぶん日本育ちだから」


「お前もだろ」


 三時間目。


 英語。


 二人一組で答えを確認しろと言われ、湊は隣の男子とプリントを見比べていた。


「黒瀬、五番何?」


 後ろから声。


「自分でやれ」


「分かんない」


「教科書見ろ」


「教科書忘れた」


「隣に見せてもらえ」


「寝てる」


 見る。


 西野の隣の男子は机に突っ伏していた。


「起こせよ」


「かわいそうじゃん」


「俺はかわいそうじゃないの?」


「黒瀬は起きてるから」


「意味分かんねえ」


 教師がこちらを見る。


「そこ、静かに」


「すみません」


 湊が答える。


「西野のせいです」


「売るなよ!」


「西野」


「はい!」


「廊下でやるか?」


「やりません!」


 教室に笑いが起こった。


 湊も笑った。


 陸上の話は、一度もしていなかった。


     *


 昼休み。


「来た」


 湊は購買の袋を持ったまま立ち止まった。


 自分の席。


 また西野がいる。


「そこ俺の席なんだけど」


「知ってる」


「じゃあどけよ」


「一緒に食おうぜ」


「何で俺の席を占領する必要があるんだよ」


「あ」


 西野が立った。


「頭いいな」


「お前が馬鹿なだけだろ」


 椅子を戻す。


 湊は座った。


 焼きそばパン。


 牛乳。


 それだけ。


「それだけ?」


「朝食ったから」


「俺これ」


 西野が弁当箱を開く。


 白米。


 唐揚げ。


 卵焼き。


 ブロッコリー。


「普通だな」


「何を期待してたんだよ」


「短距離選手だから肉だけとか」


「偏見ひどくね?」


「城戸先輩は肉だけ食ってそう」


「あの人めっちゃ野菜食うぞ」


「知ってんの?」


「昨日、部室でサラダ食ってた」


「部室で?」


「練習前に」


「何でサラダ持ってきてんだよ」


 二人で笑う。


「黒瀬」


「ん?」


「一ノ瀬先輩ってかわいくね?」


 湊が焼きそばパンを噛む。


「急だな」


「二年で一番かわいいと思う」


「二年の女子ほとんど知らないだろ」


「だから今のところ一位」


「それ一位って言わねえよ」


「黒瀬は?」


「何が」


「かわいいと思う?」


「普通」


「嘘だ」


「何で」


「男はみんなああいう先輩好きだろ」


「主語でかすぎ」


「じゃあ橘は?」


「昨日初めて見た」


「かわいくね?」


「お前、陸上しに行ってんの?」


「もちろん」


 西野は真顔で言った。


「かわいい子を見るために」


「帰れ」


「嘘だって!」


 また笑う。


 くだらない。


 本当にどうでもいい話だった。


 誰が速いとか。


 何秒を目指すとか。


 大会がどうとか。


 そんな話はしなかった。


「映画とか見る?」


 西野が唐揚げを食べながら聞いた。


「見る」


「何系?」


「何でも」


「ホラーは?」


「見る」


「俺無理」


「意外」


「びっくりするやつ嫌い」


「短距離やってるくせに」


「関係ある?」


「逃げるの速いだろ」


「幽霊から?」


「そう」


「黒瀬って結構変なこと言うよな」


「お前には言われたくない」


 予鈴が鳴った。


「あー」


 西野が残った白米を急いで口に入れる。


「午後数学だ」


「小テストあるぞ」


「え?」


 西野の動きが止まった。


「聞いてない」


「昨日言ってた」


「終わった」


「陸上より先に数学頑張れよ」


「黒瀬」


「嫌だ」


「まだ何も言ってない」


「ノートは見せない」


「親友だろ!」


「昨日知り合ったばっかだろ!」


     *


 数学の小テスト。


 湊、八点。


 西野、三点。


 十点満点だった。


「勝った」


「競技が違う」


「同じテストだよ」


「俺、短距離だから」


「数学に種目あるのかよ」


「黒瀬は長距離」


「まだ陸上部じゃねえ!」


 教師に二人とも怒られた。


     *


 六時間目が終わった。


 湊は鞄に教科書を入れる。


「黒瀬!」


「行かない」


「まだ何も言ってない!」


「どうせ部活だろ」


「コンビニ」


「え?」


「練習前に飲み物買う」


「一人で行けよ」


「いいじゃん」


「俺帰るんだけど」


「途中まで」


「……」


 帰る方向は同じだった。


「分かった」


「よし!」


「何でそんな嬉しそうなんだよ」


 二人で教室を出た。


 昇降口。


 靴を履く。


 校門を出る。


 学校から数分のコンビニ。


 西野はスポーツドリンクを一本買った。


 湊は何も買わなかった。


「黒瀬、本当に帰るの?」


「帰る」


「そっか」


「何だよ」


「いや」


 西野がペットボトルを袋に入れる。


「じゃ、また明日」


「おう」


 それだけだった。


 引き止められなかった。


 湊はコンビニを出る。


 右へ行けば家。


 左へ行けば学校。


 右へ曲がる。


 歩く。


 十メートル。


 二十メートル。


「……」


 止まった。


 何か忘れている。


 財布。


 ある。


 スマホ。


 ある。


 教科書。


 たぶんある。


「……あ」


 机の引き出し。


 入部届。


 家に置いたままだ。


「いや、別にいいか」


 必要ない。


 入るつもりはないのだから。


 歩き出す。


 また止まる。


「……」


 昨日。


 十二秒七。


 西野との差、〇・二秒ほど。


 今日、西野はまた百メートルを測ると言っていた。


 別に気にならない。


 本当に。


 全然。


「……十二秒六とか出してたら腹立つな」


 湊は振り返った。


     *


「黒瀬えええ!」


 西野の声がグラウンドに響いた。


「来たあああ!」


「うるせえ!」


「帰ったんじゃなかったの?」


 一ノ瀬もいる。


「忘れ物です」


「体操着で?」


「……」


 湊は体操着だった。


「忘れ物取りに来たついでに着替えました」


「何で?」


「暑かったから」


「四月だけど」


「俺、暑がりなんで」


 一ノ瀬がにやにやする。


「その顔やめてください」


「何も言ってないよ?」


「だから顔が言ってるんですよ」


「黒瀬!」


 西野が走ってくる。


「十二秒六!」


「は?」


「今日出た!」


 嬉しそうにストップウォッチの表示を見せてくる。


 湊の眉が動いた。


「もう一本」


「え?」


「俺も測る」


「お前、走るの嫌いじゃなかった?」


「嫌いだよ」


「じゃあ何で?」


「お前に負けたまま帰る方が嫌だから」


 西野が笑った。


「やろうぜ!」


     *


 十二秒八。


「くそ!」


「勝ったあああ!」


「もう一本!」


「先生がダメだって!」


「何でだよ!」


「俺に言うなよ!」


「明日!」


「いいよ!」


 一ノ瀬が近くで腹を抱えていた。


「走るの嫌いなんで」


「うるさい!」


「入部しません」


「うるさい!」


「帰ります」


「うるさい!」


「それしか言えなくなった?」


「誰のせいですか!」


 笑い声。


 その向こうで、橘美琴が跳んでいた。


 バーを越える。


 落ちる。


 マットの上で大の字になる。


「先生ー」


「何だ」


「漫画」


「練習終わってから」


「鬼」


「跳べ」


「鬼!」


 城戸は砲丸を拾っている。


 夏目葵は記録用紙に何かを書いている。


 昨日と同じ。


 特別なことは何もなかった。


 全国大会を目指す決意もない。


 仲間と呼べるほど親しくもない。


 陸上が好きになったわけでもない。


 ただ、昨日より少しだけ、この場所にいることが普通になっていた。


     *


 練習後。


 部室の前。


「黒瀬」


 夏目が呼んだ。


「はい」


「入部届は?」


「家です」


「捨てた?」


「捨ててません」


「書いた?」


「書いてません」


「じゃあ明日?」


「……」


 湊は靴紐を結び直した。


「別に、入っても毎日来なくていいんですよね」


 夏目が少しだけ目を丸くした。


「まあ、事情があるなら」


「大会全部出ないとダメとか」


「そんなことない」


「途中で辞めても?」


「それは自由でしょ」


「長距離しかやっちゃダメとか」


「顧問と相談じゃない?」


「ふーん」


 靴紐を結び終える。


 立ち上がる。


「じゃあ」


「うん」


「考えます」


「まだ考えるんだ」


「悪いですか」


「悪くないよ」


 夏目は笑った。


 引き止めなかった。


「黒瀬ー! 帰ろうぜ!」


 西野が校門の方から叫んでいる。


「先行ってろ!」


「待ってる!」


「先行けって!」


「聞こえなーい!」


「聞こえてんじゃねえか!」


 湊は走った。


「走るの嫌いなのに」


 後ろから一ノ瀬の声。


「これは移動です!」


     *


「腹減った」


 西野が言った。


「俺も」


「コンビニ寄ろうぜ」


「さっき行っただろ」


「あれ練習前」


「何が違うんだよ」


「今は練習後」


「時間だよ」


 結局、寄った。


 西野は肉まん。


 湊はアイス。


「またアイス?」


「好きなんだよ」


「四月だぞ」


「アイスに季節関係ないだろ」


 二人で店の前に座った。


「黒瀬」


「ん?」


「部活入んの?」


 アイスをかじる。


「知らん」


「入れよ」


「何で」


「いた方が面白い」


 湊は西野を見る。


 西野は肉まんを食べていた。


 それだけ。


 才能があるから。


 速いから。


 戦力になるから。


 そんな言葉ではなかった。


「……考えとく」


「明日?」


「考えるだけ」


「明後日?」


「しつこい」


「来週?」


「肉まん口に突っ込むぞ」


「もう入ってる」


「じゃあもう一個」


「それご褒美じゃん」


 湊は笑った。


     *


 家に帰る。


 夕飯。


 風呂。


 宿題。


 数学の小テストを母親に見つかり、「八点ならいいじゃない」と言われた。


「十点満点だけど」


「あら」


 それだけだった。


 部屋へ戻る。


 机に座る。


 一番上の引き出しを開けた。


 入部届。


 昨日と同じ場所にある。


 取り出す。


 机に置く。


 ボールペンを持つ。


 名前。


 黒瀬湊。


 クラス。


 一年三組。


 出席番号。


 書く。


 希望する部活動。


 陸上競技部。


 そこで手が止まった。


「……」


 本当に入るのか。


 三年間続けるつもりなんてない。


 陸上が好きなわけでもない。


 全国大会を目指したいわけでもない。


 将来、陸上選手になりたいわけでもない。


 ただ。


 十二秒六が少し腹立つ。


 四分二十六がどこまで伸びるのかは、少し気になる。


 西野はうるさい。


 一ノ瀬は面倒くさい。


 橘は変だ。


 城戸はよく分からない。


 夏目は何でも見透かしたような顔をする。


 そして。


 昨日も今日も。


 思っていたより早く放課後が終わった。


「……まあ」


 ペンを動かす。


「嫌になったら辞めればいいか」


     *


 翌日の放課後。


「これ」


 湊は久米先生に紙を差し出した。


「何だ」


「見れば分かるでしょ」


「入部届」


「はい」


 久米先生は紙を見る。


 湊を見る。


 また紙を見る。


「本当に?」


「返してください」


「いやいや」


「今なら間に合います」


「出したら受け取る」


「じゃあ出してません」


「もう俺の手にある」


「強盗じゃん」


「顧問だ」


 久米先生が笑った。


 少し離れたところで、西野がこちらを見ていた。


 目が合う。


「入った?」


「……」


「黒瀬!」


 湊はため息をついた。


「入ったよ」


「よっしゃああああ!」


「何でお前が喜ぶんだよ!」


 一ノ瀬が拍手する。


 城戸も笑っている。


 橘は走高跳のマットに寝転がりながら片手を上げた。


「よろしくー」


「寝ながら言うな」


「黒瀬くん」


 夏目が記録用紙を持ってやってくる。


「これでスポドリ飲んでもいいね」


「そこだったんですか」


「重要でしょ」


 湊は笑った。


 その日。


 黒瀬湊は陸上競技部に入った。


 理由は、最後までよく分からなかった。


 走るのは、相変わらず嫌いだった。

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