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記憶の記録  作者: とも
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14/23

第14話 佐伯

 火曜日。


「黒瀬」


「何」


「それ」


 朝。


 西野大地が、黒瀬湊の鞄から少しだけ見えている箱を指差した。


「何」


「スパイク」


「……」


「持ってきたんじゃん」


「買ったからな」


「昨日まであんなに文句言ってたのに」


「今日も文句ある」


「いくら?」


「一万二千」


「また言ってる」


「高い」


「でも買った」


「必要だから」


「陸上好きだから」


「違う」


「一万二千円」


「お前までそれ使うな」


 西野が笑う。


「今日履く?」


「先生に聞く」


「走る?」


「たぶん」


「楽しみ?」


「別に」


「顔」


「普通」


「ちょっと嬉しそう」


「朝からうるさい」


「十二秒二」


「まだ出してない」


「今日」


「昨日十二秒三だったろ」


「今日」


「毎日同じこと言うな」


     *


 一時間目。


 現代文。


 雨ではない。


 晴れ。


 窓から入る風が、教科書の端を少し揺らしている。


「黒瀬くん」


 小声。


 左。


 佐伯美咲。


「何」


「消しゴム」


「あるよ」


「貸して」


「持ってないの?」


「落とした」


「どこ」


「分かってたら拾う」


「確かに」


 湊は消しゴムを半分に割ろうとして。


「やめて」


 佐伯が止めた。


「何」


「普通に貸して」


「なくされたら困る」


「信用なさすぎ」


「今日知り合って何日目?」


「もう一週間くらい」


「じゃあまだ」


「西野くんには貸すの?」


「貸さない」


「平等だ」


「そう」


 消しゴムを渡す。


「ありがと」


「返して」


「まだ使ってない」


「予約」


「はいはい」


 教師が黒板を向く。


「そこ、静かに」


「すみません」


 二人。


 前を見る。


 三十秒後。


「黒瀬くん」


「何」


「これ漢字何て読むの」


「自分で考えろ」


「冷た」


「授業聞け」


「分からないから聞いてる」


「……」


 湊は教科書を見る。


「『逡巡』」


「何て読むの?」


「しゅんじゅん」


「意味」


「ためらう」


「黒瀬くん詳しいね」


「教科書に書いてある」


「どこ」


「下」


「あ」


「……」


「ありがとう」


「今度こそ静かにして」


「黒瀬くんも喋ってるじゃん」


「お前が話しかけるからだよ」


     *


 休み時間。


「黒瀬」


 西野。


「何」


「佐伯と仲良くなった?」


「なってない」


「喋ってた」


「消しゴム」


「何それ」


「貸しただけ」


「優しい」


「普通」


「俺には貸してくれないのに」


「お前は返さないから」


「返すよ」


「前、シャー芯返してない」


「シャー芯は返すものじゃないだろ」


「じゃあ補充しろ」


「細かい」


「だから貸さない」


 佐伯が振り返る。


「西野くん」


「何?」


「黒瀬くん、私には貸してくれたよ」


「え」


「消しゴム」


「黒瀬」


「何」


「差別」


「お前と佐伯なら佐伯」


「即答!?」


「信用度」


「何で!」


「日頃の行い」


「俺、親友だぞ」


「違う」


 佐伯が笑う。


「まだ認めてないんだ」


「友達は認めた」


 西野が固まる。


「もう一回言って」


「言わない」


「録音する」


「やめろ」


「佐伯、証人」


「はい」


「余計なことすんな」


 三人で笑う。


     *


 昼休み。


「今日さ」


 佐伯が言った。


「何」


 湊。


「部活?」


「うん」


「何時まで?」


「六時くらい」


「長」


「そんなもんじゃない?」


「私、帰宅部だから分かんない」


「そうなんだ」


「うん」


「何してんの放課後」


「友達と遊んだり、帰ったり、バイト探したり」


「バイト?」


「しようかなって」


「何」


「映画館」


 湊の箸が止まる。


「映画館?」


「そう」


「何で」


「映画タダで見られるらしいから」


「……」


 湊が少し前のめりになる。


「本当に?」


「たぶん」


「どこの?」


「駅前」


「シフトは?」


「まだ応募してないよ」


「上映作品選べる?」


「知らないって」


「映画館バイトいいな」


「黒瀬くん、食いつきすぎ」


「映画好きだから」


「知ってる」


「何で」


「この前西野くんが言ってた」


 湊が西野を見る。


「お前」


「何」


「情報流しすぎ」


「映画好きくらいいいだろ」


「まあいいけど」


「じゃあ怒るな」


「気分」


 佐伯が笑った。


「この前も行ってたんでしょ?」


「誰に聞いた」


「西野くん」


「こいつ口軽いな」


「みんなで?」


「部活の人と」


「へえ」


「何」


「陸上部、結構仲いいんだね」


「……」


 湊は少し考える。


「まあ」


「まあ?」


「まだ入ったばっかだから知らないけど」


「黒瀬くん、毎日その人たちといるじゃん」


「部活だから」


「映画も?」


「……」


「ゲームセンターも?」


「……」


 西野が笑いを堪えている。


「お前笑うな」


「何も言ってない」


「顔」


「陸上部楽しい?」


 佐伯が聞く。


「……」


 湊は少し黙る。


「走るのは嫌い」


「それは知ってる」


「でも」


「でも?」


「それ以外は、まあ」


「楽しい?」


「……普通」


 西野が吹き出した。


「一ノ瀬先輩!」


「何でそこで先輩出すんだよ!」


     *


 放課後。


 グラウンド。


「新しいスパイク?」


 一ノ瀬澪奈。


「はい」


「買ったんだ」


「一万二千円」


「値段から入る人初めて見た」


「高いんですよ」


「長距離用なら普通じゃない?」


「普通じゃない」


「バッシュは?」


「もっと高いの履いてました」


「じゃあいいじゃん」


「よくないです」


「何が違うの」


「好きなものに払う金と、走るために払う金は違う」


「まだ言ってる」


 一ノ瀬が笑う。


「履いてみなよ」


「先生に聞いてから」


「真面目」


「怪我したくないんで」


「そこはちゃんとしてるんだ」


「俺を何だと思ってるんですか」


「負けず嫌い」


「人間性が一個しかないみたいに言わないでください」


     *


「今日は軽く流しで感覚見るだけ」


 久米先生。


「いきなり追い込むなよ」


「はい」


「黒瀬」


「はい」


「特にお前」


「何で」


「新しい道具持つと試したくなるタイプだろ」


「……」


「当たった?」


「別に」


「顔」


「また顔」


 スパイクを履く。


 紐。


 地面。


「変」


 やっぱり。


 軽い。


 足の裏。


 地面を掴むような感覚。


「歩きにく」


「そりゃそうだ」


 藤原。


「走る靴だから」


「普段履きできないんですね」


「するなよ」


「一万二千円なのに」


「まだ言う」


     *


 百メートル。


 軽く。


 流す。


 はずだった。


「……」


 スタート。


 五十。


 六十。


 湊の身体が少し前へ出る。


「黒瀬!」


 久米先生。


「抑えろ!」


「はい!」


 返事。


 さらに少し速くなる。


「お前!」


 ゴール。


「……」


 湊は止まる。


「速い」


「当たり前だろ」


 久米先生が近づく。


「だから流しだって言ったろ」


「いや」


「いや?」


「勝手に」


「身体が?」


「はい」


「便利な言い訳だな」


 一ノ瀬が横で笑っている。


「どう?」


「いいです」


「速い?」


「分かんない」


「何それ」


「でも」


 湊は足元を見る。


「気持ちいい」


 一ノ瀬が一瞬黙る。


「今何て?」


「何」


「もう一回」


「嫌です」


「気持ちいいって」


「靴が」


「走るの」


「靴が」


「はいはい」


「本当に違いますから」


     *


 その後。


 千メートル。


 一本。


 軽め。


 今日は追い込まない。


 大会前。


 少しずつ調整。


「三分十五くらい」


 藤原。


「ゆっくり」


「それゆっくりなんですか」


「今のお前なら」


「基準変わってません?」


「変わるよ」


 走る。


 一ノ瀬。


 藤原。


 二年生。


 湊。


 最初。


 軽い。


 スパイク。


 地面。


 今までより前へ進む気がする。


「……」


 気のせいかもしれない。


 でも。


 悪くない。


 五百。


「黒瀬」


 一ノ瀬。


「前出ない」


「出てません」


「顔」


「顔で全部判断しないでください」


 八百。


 残り二百。


「ここから上げる?」


 藤原。


「はい」


 少しだけ。


 速度。


 湊。


 前。


 一ノ瀬。


 ついてくる。


「……!」


 ゴール。


「三分〇七」


 久米先生。


「速い!」


 藤原。


「誰だ上げたの」


 一ノ瀬が湊を見る。


「藤原先輩」


「俺は上げるって言った」


「黒瀬が一番行ったでしょ!」


「靴のせいです」


「また靴!」


 息を整えながら。


 一ノ瀬が笑う。


 けれど。


 少し遅れて。


 その笑顔が消える。


 ほんの一瞬。


 湊は気づかなかった。


     *


 練習後。


「黒瀬」


 夏目葵。


「はい」


「これ」


 タオル。


「何ですか」


「顔」


「また顔?」


「汗」


「あ」


「今日は顔の日?」


「知りませんよ」


 タオルを受け取る。


「ありがとうございます」


「新しいスパイクどうだった?」


「よかったです」


「へえ」


「何ですか」


「普通に褒めた」


「俺も普通に答えました」


「一万二千円って言わないんだ」


「もう十分言いました」


「成長」


「何の」


 夏目が笑う。


「そういえば」


「はい」


「今度、大会の前日に荷物準備あるから」


「荷物?」


「テントとか、シートとか、ゼッケン関係とか」


「前日も?」


「うん」


「大会って走るだけじゃないんですか」


「走るまでが長いよ」


「最悪」


「朝早いし」


「最悪」


「待ち時間も長いし」


「最悪」


「雨でもあるし」


「最悪」


「でも売店あるかも」


「行きます」


「単純」


     *


 部室。


 着替え。


「黒瀬」


 西野。


「何」


「今日どうだった?」


「何が」


「スパイク」


「よかった」


「速くなった?」


「分からん」


「百やろう」


「今日は無理」


「明日」


「先生に聞け」


「十二秒二」


「まだ言う」


「大会までに」


「出せる?」


「出す」


「じゃあ俺も四分十八」


「この前十九だろ」


「だから十八」


「俺が先に二出す」


「じゃあ俺が先」


「競技違う!」


「知るか」


     *


 校門。


 外。


「黒瀬くん」


 声。


「ん?」


 佐伯美咲。


「まだいた」


「そっちこそ」


「友達待ってた」


 前にも。


 同じことを言っていた。


「バレー部?」


「そう」


「毎回長いね」


「今日は特に」


「帰らないの?」


「一緒に帰る約束だから」


「へえ」


「黒瀬くんは?」


「帰る」


「西野くんは?」


「靴紐結び直してる」


「待たないの?」


「来るだろ」


「雑」


「いつもだから」


 佐伯が湊の足元を見る。


「それ?」


「何」


「一万二千円」


「何で知ってるの」


「西野くん」


「本当にあいつ」


「いいじゃん」


「何が」


「嬉しかったんでしょ」


「何で」


「買ったってすぐ言いたかったんじゃない?」


「俺が?」


「西野くんが」


「ああ」


「黒瀬くん買った!って」


「小学生かよ」


「嬉しそうだったよ」


「本人が買ったわけでもないのに」


「友達だからじゃない?」


「……」


「何」


「最近それ多いな」


「何が?」


「友達判定」


「違うの?」


「違わないけど」


「じゃあいいじゃん」


「まあ」


     *


「そういえば」


 佐伯。


「映画館」


「うん」


「応募した」


 湊が止まる。


「マジ?」


「反応早」


「受かった?」


「まだ」


「いつ面接?」


「来週」


「何聞かれるんだろ」


「知らない」


「映画好きですか、とか?」


「それだけで受かるなら楽」


「受かったら」


「うん」


「映画タダ?」


「そこしか興味ないでしょ」


「ある」


「何」


「……」


 少し考える。


「ポップコーン余ったらもらえる?」


「最低」


「冗談」


「半分本気だったでしょ」


「三割」


「高い」


 佐伯が笑う。


「受かったら教える」


「うん」


「何か見たい映画あったら来て」


「普通に行く」


「お金払ってね」


「無料じゃないの?」


「何で黒瀬くんまで無料なの」


「友達特典」


 言ってから。


 二人とも。


 少し止まる。


「……」


 佐伯が笑う。


「自分で言った」


「今のなし」


「無理」


「最近この流れ多いな」


「証人いないけど覚えとく」


「忘れて」


「嫌」


     *


 その時。


「黒瀬ー!」


 西野が走ってくる。


「待てよ!」


「遅い」


「誰と話して……佐伯?」


「うん」


「何してんの」


「喋ってた」


「何を」


「映画館」


 佐伯。


「バイト応募したって」


「マジ?」


「うん」


「映画無料?」


「西野くんもそこ?」


「え」


「二人とも同じこと聞くんだね」


 佐伯が笑う。


「似てる」


「似てない」


 湊。


「似てない」


 西野。


 同時。


「ほら」


「……」


「……」


 二人で顔を見合わせる。


「最悪」


 湊。


「こっちの台詞」


 西野。


     *


 帰り道。


 二人。


「黒瀬」


「何」


「佐伯と仲いいじゃん」


「普通」


「普通?」


「またその言葉使うな」


「何話してた?」


「映画」


「だけ?」


「だけ」


「ふーん」


「何」


「別に」


「お前」


「何」


「そういうのやめろ」


「何が」


「ニヤニヤ」


「してない」


「してる」


「佐伯かわいいよな」


「急だな」


「そう思わない?」


「……」


「黒瀬?」


「普通にかわいいんじゃない」


「お」


「何」


「ちゃんと答えた」


「聞かれたから」


「タイプ?」


「知らん」


「眼鏡じゃないぞ」


「何で眼鏡基準なんだよ」


「黒瀬、眼鏡好きそう」


「偏見」


「違う?」


「……」


「間」


「うるさい」


 西野が笑う。


     *


 駅。


「じゃあな」


「おう」


「明日十二秒二」


「はいはい」


「黒瀬は十八」


「出す」


「本気じゃん」


「お前が言ったんだろ」


「じゃ」


「うん」


     *


 家。


 夕飯。


 風呂。


 部屋。


 机の横。


 新しいスパイク。


「……」


 湊は数学の問題集を開く。


 五分。


 スマホ。


 西野。


『佐伯かわいいよな』


「まだ言ってんのか」


『寝ろ』


 送信。


 返事。


『逃げた』


「……」


 無視。


 また。


 通知。


 今度は。


 佐伯。


『今日話してた映画館これ』


 求人ページ。


「……」


 開く。


 仕事内容。


 チケット。


 売店。


 清掃。


 上映案内。


 福利厚生。


 映画鑑賞制度。


「本当に見れるんだ」


 返信。


『いいな』


 佐伯。


『そこ?』


『そこ』


『受かったら自慢する』


『落ちたら?』


『慰めて』


『映画一本』


『奢り?』


『自腹で』


『最低』


 湊は笑った。


 スマホを置く。


 数学。


 また五分。


 今度は。


 机の横のスパイクが目に入る。


 四分十九秒。


 一万二千円。


 大会。


 映画館。


 佐伯。


 西野。


 明日の授業。


 全部。


 同じ頭の中にある。


 どれか一つだけが、


 高校生活ではなかった。


「……」


 問題集を見る。


「分かんね」


 結局。


 西野に送る。


『数学ここ分かる?』


 十秒。


『俺に聞くな』


「それもそうだ」


 湊は笑った。


 明日も。


 たぶん、


 特別な一日ではない。


 でも。


 最近。


 そういう日の方が、


 少しだけ忙しかった。

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