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第12話 残像の悪夢




 ん……。

 眩しい……。


 光に包まれてる……?

 何も見えない。


 確かあのブタに命じられて、買い出しに行って、兵士に焦らされて、殴られて……。

 今何が起きてるんだ……?


 あれ、光が消えた。


 すぐ近くで兵士がしゃがみこんでいる。

 ピクリとも動いていない。

 気絶してる……?


 ――バサリ。


 鳥の翼みたいな音がして、とっさに振り返る。


「誰!?」


 そこにいたのは、いや浮いていたのは、短い茶髪の女の子。

 白い翼もあって、ハローもある。


「なーんだシュリか」


「シュリって誰?」


 誰って、それは……。

 あれ、誰だっけ。


 なんでボクは知らない名前を言ったんだ……?


 君はシュリなんて名前じゃなくて。

 君の名前は。


「シトリン」


 その言葉を発して、気づく。


 シトリンは死んだ。

 床に広がる、赤、赤、赤。

 ドロリとした何か。


 ボクの目の前で、ボクのせいで、ボクの……。


 じゃあ目の前のは何?

 翼に、ハロー。

 天使……?


 いやそんなことはどうでもいい。


「シトリン、生きてたの!? ずっと心配してたんだよ!? ボクのせいで死なせちゃったって……。

 それにその恰好はどうしたの? まるで天使――」


「君は見捨てた」


「え……?」


 頭が真っ白になる。

 それまで話したいことがあったのに、何も話せなくなってしまった。

 何もできない。


 その時、はじめてシトリンの顔が見えた。

 いや、ずっとシトリンのことを見ていたはずなのに、はじめて見たという気がした。


 シトリンは驚くほど無表情だった。

 青白い顔だった。


「君はわたしのことを見捨てた」


「君はみんなのことを見捨てた」


 違う、違うんだよ!

 そう叫びたいのに、声は出ない。


「君はわたしたちのことを見捨てた」


 一瞬、シトリンの声が何重にも重なって聞こえた。


 そんな、見捨てたつもりなんて……。


「君は楽しそうだね」


「シュリとアイリスとダリアと」


「おままごと?」


「楽しそうだね」


「わたしのことを忘れて」


「楽しそうだね」


 ――ザザッ。


 宙に浮かんでいたその子が崩れ落ちる。


 ボクは心が空っぽになりながらふらふらとその子に駆け寄り、腕の中に抱きしめる。

 腕の中のその子はとても冷たくて、生暖かくて。

 気持ち悪かった。


 ボクは知っている。

 ボクはこの感触を、何度か味わっている。


 生命を終える、あの瞬間だ。


 ボクの心は凍るように冷たくなり、体が熱を持ちはじめる。


「君はいいね」


「楽しそうで」


「わたしもそんなふうに」


「楽しいことがしたかった」


 腕の中で、どろりと溶ける感覚。

 溶けてしまったのは、その子自身。

 その子はもはや人としての原型のない、泥のようなものになっていた。


「楽しそうだね」


「君は裏切った」


「君がわたしを殺した」


 違う違う違う違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう。


「ねえ」


「どんな気持ちで」


「そこにいるの」


 腕の中の泥が溶けてなくなる。


 そして真っ白な頭蓋骨が、目の前に広がった。


「ゆるさない」




「ハァッ」


 ボクは飛び起きた。

 この家唯一の寝室で。


「ハァ、ハァ、はぁ、はぁ、はぁ」


 手の中に、あの感触が残っている。

 あの冷たくて、生暖かい感触が。


 ふと、横を見る。

 そこには短い茶髪があった。

 夢で出てきたあの子と、全く同じ顔があった。


「ヒィッ」


『君は見捨てた』


『楽しそうだね』


 違う違う違う……。


「いやっ……」


 扉を開けて、トイレへ。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


「ハァ、はぁ、はぁ」


 嘔吐はすることはない。

 ボク達が天使である限り、それはない。


 この気持ち悪さを吐き出してしまえば、楽になれたかもしれない。

 でもそれは叶わない。


 ボクがなんでトイレに来たか分からない。

 ただ1つ言えることは。


 あそこに居たくなかった。

 シュリの顔を見たくなかった。


 腰を下ろして気づく。


 鼓動がありえないほど速い。

 体中が汗でぐっしょり濡れている。

 気持ち悪い。


 髪も数本抜けている。


 髪が抜ける。

 それは天使としてあってはならない。


 天使は精神生命体。

 髪の一本すら、普通は抜けることはない。

 髪が伸びることもない。


 じゃあなんで、髪が抜けているのか。

 ボクの精神が弱ってるからだ。


 精神生命体にとって、精神が弱るというのは致命的だ。

 精神が弱れば、無限に再生する完全無敵の体も、こんなふうになることだってある。


 ……ねえシトリン。

 なんで君が、こんな時に出てくるんだよ……。

 初出勤を控えた、その当日に。

 なんで今更。


 ごめん。

 ごめん。

 ごめんごめんごめんごめん。

 本当にごめん。


『ゆるさない』


 そうだね、謝って許されることじゃない。

 当然だよ。

 許さなくていい。


 違う?

 違わないよ。


 ボクが君を殺したんだ。

 その通りだよ。


 ボクが見捨てたんだよ。

 君のことも、みんなのことも。

 ボクが。


 全部ボクが殺したんだよ。


 けど。

 けどさ。

 こんなのまるで呪いじゃないか……。


 シトリンが夢に出てきたっていうだけで辛いのにさ。

 なんでそんなこと言うんだよ……。

 そんな酷いことを……。


 ボクはどうすれば良いんだよ……。

 どうすれば良かったんだよ……。


 誰か、教えてくれよ……。

 なあ……。


 はぁ。

 辛い……。


 トイレを出て、時計を見る。

 まだ寅の刻。

 外は夜中だ。


 寝室に戻って、もう1回寝よう。


 扉を開けて、布団に戻ろうとする。

 ……と。


「プリムラちゃん、大丈夫?」


「ヒッ」


 夢の中の、あの声が聞こえた。


 布団の中。

 しっとり湿って光る双眸が見えた。


 それはシトリンにそっくりな女の子。

 シュリだ。


「顔色悪いよ? 何か悪い夢でも見た?」


 布団の中にいるまま、俯いたボクの顔を覗き込んでくる。

 夢と全く同じ声で、心配そうに聞いてくる。


 ――怖い。


「ごめん。おやすみ」


「あ……」


 ボクはまともにシトリンの顔を見れなかった。

 まともに返事をすることもできなかった。


 ボクはシトリンに、ボクの感情がバレてしまうんじゃないかと。

 酷いことを言ってしまうんじゃないかと。


 怖かった。


 ボクはその後、一睡もできなかった。




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