第8話:魔王と家賃、そして裏路地の凶弾
「……というわけでですね、近隣の入居者から『松本さんの部屋に、頻繁に複数の外国人女性が出入りしている』とクレームが入りまして。当マンションは単身者専用ですので、契約違反として退去をお願いしたいのですが」
管理会社からの非情な通告を受け、俺は重い足取りで休日の不動産屋巡りを余儀なくされていた。
嫁たちを放置して出かけるわけにもいかず、俺の後ろにはセリーナ、ザラ、レナの三人がぞろぞろとついてきている。一応、頭の上に乗ったスーが周囲に『認識阻害』の魔法をかけてくれているため、パニックになるほど目立ってはいないはずなのだが、それでも三人が集まればとにかく姦しい。
「ねえ旦那! この家とかどうだい? 見晴らしも良さそうだし、お風呂も広くて最高だよ!」
「あら、こちらの窓がたくさんあるお家も素敵ね。これなら四人で住んでも窮屈じゃないわ」
「ケント様! ここなんてプールまでついてますよ!」
三人が目をキラキラさせながら持ってくる間取り図を見て、俺は完全にハイライトの消えた死んだ魚の目で答えた。
「ザラ……お前が持ってきたそれは『タワマンの最上階』で家賃が月百二十万だ。セリーナのそれは『軽井沢の別荘』で通勤に三時間かかる。レナに至っては『リゾートホテルの一棟貸し』だ」
「えー? ダメなのかい?」
「俺の毎月の給料の手取りは四十五万円だ。そして、光熱費や食費、お前たちの美容代や雑費を考えたら、家賃に出せるのは十八万から、ギリギリ出して二十万が限界だ。……無理なんだよ」
「えっ」
「異世界で暴君だの魔王だのと呼ばれた俺の火力でも、都内の家賃相場と敷金礼金の壁だけは、どうやっても打ち破れないんだよ」
結局、俺の予算と彼女たちの夢が折り合うはずもなく、その日は新居を見つけられないまま、皆で食事をして帰ることになった。
夜の帳が下り、人気の絶えたオフィス街の裏道を歩いていた時のことだ。
「――っ! いやぁぁぁっ!!」
遠くから、女性の悲鳴が聞こえた。
その瞬間、俺の横を歩いていたザラとセリーナの姿がフッとかき消えた。
「あっ、おいお前ら!」
俺が止める間もなく、二人は常時発動しているインナーバフを全開にし、時速百キロを超えるスピードで悲鳴の方向へと駆け出していたのだ。
慌てて俺も後を追うが、すぐには追いつくわけにはいかない。俺の後ろからは、遅れてレナが走ってくるのだ。
レナはザラたちほどの圧倒的な身体能力はない。とはいえ、百メートルを7秒台で走り抜け、車に撥ねられた程度では傷もつかず、ヘビー級のプロボクサーやレスラーどころか、某地上最強の父親を瞬殺できる程度のスペックはあるのだが、このパーティーの中ではどうしても最後尾になってしまう。
一方、現場に到着したザラたちの目の前では、数人の男たちが必死に抵抗する女性を無理やりワンボックスカーに引きずり込もうとしていた。
「随分な口説き方じゃないか」
女性の口を塞いでいた男の背後に音もなく忍び寄ったザラは、そのまま男の手首をガシッと掴むと、ゴキァッ! と無造作に握り潰した。
「ぎゃあっ!? ――ひっ」
男が悲鳴を上げかけた瞬間、ザラのもう片方の手が男の顎を下から鷲掴みにする。
「こんな口説き方しかしないんじゃ、口はいらないねぇ」
メキメキメキッ!! と嫌な音を立てて顎の骨を粉砕された男は、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「な、なんだテメェ!? 誰だお前ら!」
運転席にいた男が慌てて飛び出そうとするが、ガチャリとドアが開けられ、そこには優雅に微笑む絶世の美女――セリーナが立っていた。
「こんばんは。……寝てなさい」
セリーナの細い手が男の首根っこを掴んだかと思うと、次の瞬間には男は完全に意識を刈り取られ、ハンドルに突っ伏した。
残るは、指揮を執っていたリーダーらしき男だけだ。
男はザラを鋭く睨みつけると、構えた右手を異様な形へと変形させた。肉が波打ち、金属のような光沢を放つ『剣状の刃』へと姿を変えたのだ。
「お。何だそれ? まあ何でもいいか」
ザラは獰猛な笑みを浮かべ、バキバキと首を鳴らした。
「良いねぇ。久しぶりに人に刃を向けられたよ。少しは遊べるのかい?」
「チッ……!」
男が懐から何かを取り出し、ザラに向けて放り投げた。
ヒュッ、と風を切って飛んできたそれは、梵字のような奇妙な文字が書かれた『お札』だった。お札はザラの肩口にピタリと張り付く。
男はニヤリと口角を上げた。
「お前もどこの『神子』か知らねえが、その札は破れないぜ!」
勝利を確信した男が、剣となった右腕を振りかぶってザラに肉薄する。
ザラは鼻で笑い、迎え撃とうとした。
――しかし、その時だった。
「危ない! 逃げて!!」
攫われそうになっていた女性が、男の腕に必死にしがみつき、ザラを庇うように立ち塞がったのだ。
「えっ……?」
ザラは、虚を突かれたように完全に動きを止めてしまった。
無理もない。ケントやセリーナ以外の誰かに自分を庇ってもらうことなど、一度もなかったのだ。ましてやそれが、自分より明らかに弱く、震えている一般人の女性からの庇護だとは夢にも思わなかった。
その事態に、ザラの反応が一瞬遅れた。
「邪魔だアマァッ!!」
男はしがみつく女性を乱暴に突き飛ばし、そのままの勢いで刃を振り下ろそうとした。
だが、その刃が女性に届くより早く。
横から伸びてきたセリーナの手が、男の『剣の腕』を刃ごとガシッと掴み止めた。
「ザラ、あなた何してるの!」
セリーナが叱責と同時に、冷酷に力を込める。
パァンッ!! と、金属が拉げるような音と肉が潰れる音が裏路地に響き渡った。
「あ……ああ、あああぁぁぁっ!?」
男は自分の右腕を見て、絶叫した。セリーナのえげつない握力によって、手は原形をとどめないほどに握り潰され、曲がりくねった刃がぐちゃぐちゃの腕から無惨に突き出している。
その光景を見て、我に返ったザラの中で、かつてないほどの激しい怒りが爆発した。
ザラは一歩踏み込み、男の潰れた腕を反対の手でガッチリと掴み上げた。
「お前……アタシを庇おうとしてくれた人を殺そうとしやがったな。死ねよ」
底冷えのするような低い声。
ザラは、男の腕から突き出している歪な刃を、そのまま男自身の眼球に向かって躊躇なく突き刺そうとした。
「セイセイセーイ!!! ダメダメー!!!」
某芸人張りにその場に駆け込んできた俺が、全力のタックルでザラの腕を弾き飛ばした。
「……あのね。この国じゃ殺すと色々面倒なの。……俺、言わなかったっけ?」
息を切らしながら窘める俺を見て、ザラとセリーナは「あー。そういえば聞いたっけー」と、完全に忘れていたような顔を見合わせた。
「はぁ……頼むよホント。お前らに前科ついたら、マジで日本に戸籍作れなくなるんだからな」
俺はため息をつきながら、痛みに呻く男の顔面に無慈悲なストレートを叩き込み、完全に気絶させた。
「ふぅ……」
とりあえず、死人は出さずに済んだ。
俺はほっと胸を撫で下ろし、地面にへたり込んでいる女性へと振り返った。
「怪我はないか? 大丈夫だった?」
俺が手を差し伸べ、優しく声をかけると。
女性は、ブルブルと震える手でゆっくりとこちらを見上げた。
「……ありがとう」
そして。
感謝の言葉を紡ぎながら――彼女は懐から黒光りする銃を抜き、真っ直ぐに俺の眉間へと銃口を向けてきたのだった。




