第81話 ショタ皇帝と、護り手のエルフ
コネグ領の片隅にある小さな家で、皇帝とルーメルも、白龍が空に映す地球の様子を見ていた。
猫耳の獣人を見て泣き出す地球の人々。エルフの歓楽街の値段で大騒ぎする街頭。特区の建設現場で、昼も夜も動き続ける重機。
窓の外では、移住の準備に奔走する人々の姿があった。獣人とドワーフが一緒に荷物を運び、エルフと人間が名簿を囲んで言い合っている。昔の皇国では、決して見られなかった光景だった。
皇帝は、窓の外をじっと見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……朕は、何も見ていなかったのだな」
隣に座っていたルーメルが、小さく頷いた。
「私もよ。先代に恩があるからって、この子の周りだけ守って、外で何が起きてるのか、見ようともしなかった」
ルーメルは、手首から先のない自分の両腕を見下ろした。
「エルフだって、人間を攫ってたしね。自分たちのことを棚に上げて、人間ばっかり見下してた。……偉そうなこと、言えないわ」
二人は、それきり黙って、窓の外を眺めていた。
◇
その日から、皇帝はルーメルの世話を焼くようになった。
朝は、ルーメルの髪を梳かした。食事の時は、匙ですくって口に運んだ。着替えも、ぎこちない手つきで手伝った。皇城で暮らしていた頃は、自分で服を着たことすらなかった少年だった。
最初のうち、ルーメルは嫌がっていた。
「ちょっと、やめなさいよ。人間の皇帝が、エルフの世話なんて何やってるのよ」
「朕のせいで、そなたは手をなくしたのだ。これくらいはさせてくれ」
皇帝は、匙を差し出したまま引かなかった。ルーメルはしばらく皇帝を睨んでいたが、やがて溜め息をついて、黙って口を開けた。
それから、ルーメルは何も言わずに、皇帝に世話をされるようになった。
皇帝は、慣れない手つきで、毎日ルーメルの世話を続けた。時々スープをこぼしてルーメルに怒られ、髪を梳かしすぎて引っ張ってしまい、また怒られた。それでも、皇帝は一日も休まなかった。
◇
その様子を、ケントは遠くから何度か見ていた。
ある日の昼、皇帝がルーメルに食事を食べさせているところへ、ケントがふらりとやってきた。後ろには、ザラとスーがついてきている。
皇帝は慌てて立ち上がり、ルーメルを庇うように前に出た。
「ヴォ、ヴォルガン卿……! 朕は、何も言い訳はしておらぬぞ……!」
ケントは、しばらく皇帝とルーメルを交互に眺めて、頭をかいた。
「……まあいいか。スー?」
「はーい」
スーがふわりと飛んできた。ケントはルーメルの前に立つと、短く言った。
「手を出せ」
ルーメルは戸惑いながら、手首から先のない両腕をおずおずと差し出した。
次の瞬間、ザラの大剣が一閃した。塞がっていた手首の切り口が、薄く斬り落とされた。
「ひっ……!」
ルーメルが息を呑んだのと同時に、スーが両手をかざした。温かな光が、ルーメルの腕を包み込んでいく。
光の中で、骨が伸び、肉が盛り上がり、指の一本一本が形を取り戻していった。
光が消えると、ルーメルの両腕の先には、元通りの手がついていた。
ルーメルは、戻った両手を何度も握ったり開いたりした。指が、ちゃんと思い通りに動いた。
「……どうして」
ルーメルが顔を上げると、ケントはもう背中を向けていた。
「礼なら、そこのガキに言え」
それだけ言うと、ケントはザラとスーを連れて、さっさと歩いていった。
皇帝は、その場に崩れ落ちるようにして、ルーメルの手を両手で握りしめた。
「よかった……よかった……!」
泣きじゃくる皇帝の頭を、ルーメルは戻ったばかりの手で、ぎこちなく撫でた。
「……泣くんじゃないわよ。皇帝でしょ」
そう言ったルーメルの目にも、涙が浮かんでいた。
その夜、騒ぎを聞きつけたシューメルが、家に駆け込んできた。
「婆ちゃん! 手、治ったって本当!?」
ルーメルは、戻った手をひらひらと振ってみせた。シューメルはその手に飛びつくと、ぎゅっと握りしめて、わんわん泣き出した。
「よかった……ごめんね、婆ちゃん、私がケントたちを連れて行ったから……」
「何言ってるのよ。あんたが頼んでくれなきゃ、この子はとっくに殺されてたわ」
ルーメルは、孫の頭をそっと撫でた。それから、少し離れたところで照れくさそうにしている皇帝を見て、小さく笑った。
数日後、ルーメルはケントのもとを訪ねてきた。
「礼を言いに来たわ。……それと、一つ頼みがあるの」
「なんだ?」
「私も、この子と一緒に地球へ行くわ。向こうでも、鍛冶と薬の仕事はできるでしょう? それに、この子一人じゃ、まだ危なっかしくて見てられないもの」
ルーメルの後ろで、皇帝がぺこりと頭を下げた。
「朕も……いや、私も行かせてください。向こうで、自分の足りないところを学びたいのです」
ケントはしばらく二人を眺めてから、面倒くさそうに頷いた。
「好きにしろ。ただし、向こうじゃお前はただのガキだからな」
「はい!」
皇帝は、嬉しそうに返事をした。
二人が帰っていった後、ザラがにやにやしながらケントの肩をつついた。
「旦那、ずいぶん甘くなったねえ。あの婆さんの手、治さないって言ってたじゃないか」
「うるせえ。あのガキが毎日スープこぼしてるの見てたら、こっちがイライラしてきたんだよ」
ケントはそっぽを向いた。セリーナとレナが、顔を見合わせてくすくすと笑った。
◇
後日、この話は白龍を通じて、地球のちえの耳にも入った。
「何それ、最高じゃないですか!」
ちえはその日のうちに映画会社に電話をかけ、あっという間に企画を通してしまった。
映画のタイトルは、『ショタ皇帝と護り手のエルフ』。
移住が始まる頃には、映画は世界中で公開され、記録的な大ヒットになった。
こうして皇帝は、本人の知らないところで、地球中から「ショタ皇帝」と呼ばれて大人気になってしまったのだった。




