第75話 復讐は燃料だ
領都が消えた翌日、国中の空に、またケントの顔が映し出された。
『よう。昨日のは見たな?』
ケントは、いつもの軽い調子で話し始めた。
『次はお前らの番だ。国中の獣人、エルフ、ドワーフを解放しろ。首輪を外して、閉じ込めてる奴は出してやれ。やらなかった街は、昨日の領都と同じことになる』
そこで、ケントは指を一本立てた。
『それと、もう一個。バーデン侯爵は、お前らが生きたまま連れて来い。殺すなよ? 死んだら皆殺しだ』
放送が終わると、皇国中で奴隷の解放が始まった。
昨日まで奴隷を手放そうとしなかった主人たちが、青い顔で獣人たちの首輪を外していった。鍵を探す時間も惜しいのか、首輪を斧で叩き割る者までいた。
皇都では、バーデン侯爵の屋敷が、侯爵自身の家臣と私兵たちに取り囲まれていた。「侯爵を生かして差し出さなければ、皇都が消える」と気づいた者たちが、侯爵を捕らえようと屋敷に押しかけたのだ。侯爵は屋敷の奥に立てこもって、門を閉ざしていた。
屋敷の中では、使用人たちが次々と裏口から逃げ出していた。侯爵は誰もいなくなった廊下で、「戻れ! 誰のおかげで食えていると思っている!」と怒鳴り散らしていたが、返事をする者は一人もいなかった。門の外からは、昨日まで侯爵に頭を下げていた家臣たちの怒鳴り声が、絶え間なく聞こえてきていた。
「侯爵を出せ! 皇都ごと消されたいのか!」
侯爵は自分の書斎に駆け込むと、扉に鍵をかけ、震える手で机の下に潜り込んだ。
◇
そして、解放された獣人たちの多くは、黙って立ち去りはしなかった。
とある街の大きな屋敷の前に、首輪を外されたばかりの猫獣人の男が立っていた。男の背中には、何本もの鞭の痕が残っていた。手には、畑から持ってきた鍬が握られている。
屋敷の扉が開いて、太った主人が顔を出した。主人は男の顔を見ると、引きつった笑みを浮かべた。
「お、お前か。首輪は外してやっただろう。もう自由なんだから、どこへでも行け」
「娘はどこだ」
男は低い声で言った。
「三年前、お前が売り飛ばした俺の娘は、どこへ行った」
主人の顔から、笑みが消えた。主人は扉を閉めようとしたが、男の鍬がそれより早く振り下ろされた。
同じような光景が、国中で起きていた。売られた家族の行方を吐かせるために、奴隷商の屋敷を取り囲む者たちがいた。自分を何年も殴り続けた主人を、村の広場に引きずり出す者たちがいた。夜になると、あちこちの街で火の手が上がった。
もちろん、人間の側も黙ってはいなかった。剣を持ち出して獣人たちに斬りかかる者もいれば、屋敷に立てこもって獣人を撃つ者もいた。国中のあちこちで、血が流れ始めた。
◇
その夜、コネグ領の領主館では、ヴァルター辺境伯が顔色を変えてケントのもとへやってきた。
「ヴォルガン卿! 各地で、解放された獣人たちが人間を襲っております! このままでは、国中が血の海に……!」
ケントは、窓の外を眺めたまま答えた。
「だから?」
「だ、だからとは……」
ケントは振り返ると、辺境伯の顔をしばらく眺めてから、窓を開け放った。
「ちょうどいいや。国中に言っとくか。……おい、トカゲ! 放送だ!」
「は、はいっ! ただいま!」
夜空いっぱいに光の膜が広がり、国中の空に、ケントの顔が映し出された。燃える街で武器を振るっていた者も、屋敷に立てこもっていた者も、手を止めて空を見上げた。
『よう。今、あちこちで獣人が人間に復讐してるな』
ケントは、窓枠に腰をかけたまま話し始めた。
『復讐は何も生まないなんて、嘘っぱちだ。復讐は正当な権利で、前に進むための燃料だ。何年も殴られて、家族を売られて、それを黙って飲み込めって方がおかしいだろ』
辺境伯は、ケントの後ろで言葉を失って立ち尽くしていた。
『される方も、復讐されるからって黙って殺されてないで、抵抗すりゃいい。……じゃなきゃ、つまんねえだろ』
ケントはそこで、空の上の白龍に向かって顎をしゃくった。
「やれ」
白龍の体が、青白く光った。その光は国中の空へと広がり、地上にいる人間たちの体を、上から押さえつけるように包み込んでいった。
街道で獣人に斬りかかろうとしていた男が、急に剣の重さに耐えきれなくなって、膝をついた。屋敷の門を押さえていた兵士たちの腕から、すっと力が抜けていった。
『人間に告ぐ。お前らの身体強化は、もうない』
ケントの声が、国中に響いた。
『身体強化がなけりゃ、獣人たちの方が強いぞ。さあ、抗え。今まで抗うことすら許されなかった獣人に……命をかけて抗え』
それから、ケントは少しだけ声の調子を変えた。
『それと、復讐する奴らにも言っとく。人の命を取ろうって言うんだ。返り討ちに遭って死んでも、文句言うなよ。以上』
放送が切れると、国中のあちこちから、獣人たちの遠吠えが上がった。それは、コネグ領の城壁の上まで聞こえてきた。
部屋の隅で話を聞いていたニールは、何も言えずに目を伏せていた。セリーナは紅茶を飲みながら、当然のような顔をしていた。
辺境伯が肩を落として出ていった後、ニールがぽつりと言った。
「……ヴォルガン卿。私の屋敷で匿っていた子供たちも、いつか大人になったら、人間を恨むのでしょうか」
「さあな」
ケントは窓の外の暗闇を見たまま答えた。
「けど、アンタのことは恨まねえだろ。アンタはずっと、あいつらを守ってきたんだから」
ニールは、黙って頭を下げた。
◇
それから数日のうちに、皇国はガタガタになっていった。
奴隷の手を失った畑は荒れ、鉱山は止まり、街の商売も回らなくなった。獣人に追われて家を捨てる人間が街道にあふれ、逆に人間に追われて逃げる獣人もいた。皇都では、新しい皇帝を立てようとする貴族たちが、誰を立てるかで揉めていた。
そんな中でも、皇国騎士団だけは、侯爵の勅命を掲げたままコネグ領を目指して進軍を続けていた。
「……あいつら、まだ来るのか」
城壁の上で、ケントは白龍が空に映す騎士団の姿を見て、呆れたように言った。
「勅命を盾にしないと、自分たちが反逆者になっちまうからねえ」
ザラが大剣を肩に担いで、嬉しそうに言った。
「旦那、アタシらで行こうか? エリンたちも、腕が鳴るって言ってたよ」
「いや、いい。面倒くせえ」
ケントは空を見上げて、声を張った。
「おい、トカゲ!」
「は、はいっ! 皆様の僕、下賤なトカゲでございます!」
空の上から、白龍が慌てて降りてきた。
「騎士団、吹っ飛ばしてこい」
「よ、喜んで!」
白龍は勢いよく飛び立つと、あっという間に地平線の向こうへ消えていった。
しばらくして、騎士団が進軍していた街道の上空に、白龍の姿が映し出された。白龍は大きく息を吸い込むと、街道を埋め尽くす騎士団に向かって、真っ白なブレスを吐き出した。
光が収まった後には、黒く焼けた街道だけが残っていた。
城壁の上で、ザラががっくりと肩を落とした。
「……アタシの出番」
「レナにいじめられた分、ストレス溜まってたんだろ」
ケントはそう言って、大きなあくびをした。




