第71話 触れ書きと、婆ちゃん
バーデン侯爵の触れは、早馬に乗って皇国中へと広がっていった。
『コネグ子爵の差し向けた刺客が、皇帝陛下に毒を盛った。陛下は今も生死の境をさまよっておられる。反逆者コネグに与する者は、皇国の敵とみなす』
コネグ領にその知らせが届いたのは、ヴァルター辺境伯たちが到着した翌日だった。皇都から逃げてきた行商人が、触れ書きの写しを握りしめて門に駆け込んできたのだ。
領主館の会議室で触れ書きを読んだニールは、真っ青になって震え出した。
「わ、私は刺客など……! 陛下に毒など、そんな……!」
ヴァルター辺境伯と一緒に来た地方貴族たちも、顔を見合わせてざわつき始めた。
「これは……まずいことになりましたな」
「陛下を手にかけたとなれば、我々はただの反逆者ではない。大逆の罪人だ」
中には、もう椅子から腰を浮かせかけている者もいた。
ケントは触れ書きをテーブルに放り出すと、鼻で笑った。
「毒盛ったの、どう見ても侯爵だろ。皇帝に真相がバレかけたその晩に毒って、分かりやすすぎるわ」
セリーナも頷いたが、すぐに顔を曇らせた。
「でも、街の人たちはそうは思わないわ。もし皇帝が死んだら、全部こっちのせいにされるわよ」
「だよなあ」
ケントは頭をかくと、窓の外に向かって声をかけた。
「スー、ちょっと皇都まで飛んで、皇帝の様子を見てきてくれ」
「えー、遠いよー」
窓辺で日向ぼっこをしていたスーが、口をとがらせた。すると、ザラが横から口を挟んだ。
「帰ってきたら、エリンたちが獲ってきた熊の一番いいとこを食わせてやるよ」
「行ってくる!」
スーは返事と同時に、窓から飛び出していった。
◇
スーが戻ってきたのは、翌日の夜だった。
テーブルの上にへたり込んだスーは、ザラが焼いてくれた熊肉にかぶりつきながら、皇都で見てきたことを話し始めた。
皇帝は生きていた。まだ熱が高くて寝込んでいるが、命は助かりそうだという。皇帝の寝室の前には近衛兵が何重にも立っていて、侯爵もその手下も、中に入れないでいるらしい。
「それでね、寝室の真ん中に、見た目が子供のエルフがいるの。銃を抱えて、ずっと皇帝の枕元に座ってたよ」
さらにスーは、皇城のメイドたちのひそひそ話も拾ってきていた。
毒を運んだメイドには、病気の妹がいたこと。その妹を、侯爵の手下に人質に取られていたこと。「お茶を運べば妹に薬をやる」と言われていたらしいこと。メイドたちはみんな薄々気づいているが、侯爵が怖くて、誰も口には出せないでいること。
話を聞き終えたセリーナが、静かにカップを置いた。
「……最低ね」
その声には、はっきりとした怒りがこもっていた。
ケントはスーの頭を指先で撫でながら聞いた。
「その皇帝のそばにいるエルフ、なんて名前だ?」
スーは熊肉を頬張ったまま答えた。
「ルーメルって呼ばれてたよ」
その瞬間、部屋の隅で果物をかじっていたシューメルが、盛大にむせた。
「げほっ、げほっ……! る、ルーメル!? 婆ちゃん!?」
部屋にいた全員が、一斉にシューメルを見た。
「……お前の婆ちゃん?」
ケントが聞くと、シューメルは真っ赤な顔で頷いた。
「先代の皇帝に気に入られて、宮廷でお抱えの鍛冶をやってるって聞いてたけど……まさか、まだいたなんて……」
レナが首を傾げた。
「おばあちゃんも、子供の見た目なんですかぁ?」
「当たり前でしょ、エルフなんだから」
シューメルが口をとがらせると、ザラが腹を抱えて笑った。
「エルフの家族ってのは、絵面がややこしいねえ」
ケントは顎をさすりながら、しばらく考え込んでいた。
「……つまり、皇帝の命を握ってるのは、シューメルの婆ちゃんってことか。こいつは使えるかもしれねえな」
シューメルは、心底嫌そうな顔をした。
「婆ちゃん、すっごく怖いのよ? 私、子供の頃に森で人間を攫いそこねて、婆ちゃんに一晩中木から吊るされたことあるんだから」
「……攫いそこねたことを怒られたのか?」
「そうよ。『やるならちゃんとやりなさい』って」
ケントたちは、黙って顔を見合わせた。
いや、まず攫うなよ…
というか、エルフたちになら、たいていの男は、誘われたら自分からホイホイついて行くだろうに。
と顔に出てるケントの顔をじっと見てる女性陣だった。
◇
同じ頃、皇都のバーデン侯爵の屋敷。
侯爵は苛立たしげに、部屋の中を行ったり来たりしていた。
皇帝は死ななかった。しかも、あの忌々しいエルフのせいで、寝室に近づくことすらできない。このまま皇帝が目を覚ませば、メイドの妹のことも、皇都に流してきた獣人の娘たちのことも、何もかもが明るみに出てしまう。
侯爵はぴたりと足を止めると、机の引き出しから小さな箱を取り出した。
蓋を開けると、中には皇帝の玉璽が収められていた。皇帝が倒れた夜の混乱に紛れて、侯爵が密かに持ち出していたものだった。
侯爵は白紙の勅書を机に広げると、口元を歪めた。
「陛下は、反逆者を討てとご命じになった。……そういうことにすればよい」
侯爵は勅書に、皇帝の玉璽をゆっくりと押し当てた。




