第69話 皇帝に届いた声
作戦が決まった翌日。
領主館の中庭には、ケントたち一行のほかに、ニールとジョーンズ、屋敷の使用人たち、それに獣人の衛兵たちが集まっていた。屋敷で匿われていた獣人の子供たちも、使用人の後ろから不安そうに顔を出している。
ニールの顔は真っ青だった。手に持った原稿が、小刻みに震えている。
「……本当に、これを国中に流すのですか」
「今さら何言ってんだよ」
ケントは笑ったが、ニールの肩に手を置くと、少しだけ声を落とした。
「怖いなら、俺が全部言ってもいい。けどな、アンタの口から言うから意味があるんだ。獣人のために、ずっと一人で耐えてきた領主の言葉だからな」
ニールはしばらく目を閉じていた。やがて目を開けると、手の中の原稿をくしゃりと握りつぶして、上着のポケットにしまった。
「……原稿は要りません。自分の言葉で話します」
「よし」
ケントは頷くと、空に向かって声を張った。
「おい白竜! 降りてこい!」
屋根の上で日向ぼっこをしていた白竜が、ぱたぱたと降りてきた。
「お呼びでありますか、我が主!」
「今度は国中に声を流す。できるな?」
白竜は得意げに胸を張りかけたが、その時、ケントの後ろからぬっと現れた人影を見て、びくりと固まった。
ようやく腰が治ったレナが、にこにこと笑いながら両手をわきわきさせていた。
「できますよねぇ? 白竜ちゃん」
「も、もちろんであります! ただ、国中となりますと、かなり高く飛ばねばなりませんので、我が主の魔力を少々お借りしたいであります!」
ケントが白竜の小さな背中に手を当てて魔力を流し込むと、白竜の白い鱗がまぶしく光り始めた。白竜はそのまま空高く舞い上がり、豆粒のように小さくなったところで、皇国全土を覆うほどの光の波紋を広げていった。
「ご主人様、繋がったみたいですニャ」
猫耳をぴんと立てたミーナが、空を見上げて言った。
ニールが一歩前に出た。大きく息を吸い込んで、口を開く。
『皇国の民よ。私は、コネグ領を預かる、ニール・コネグである』
最初の一声は、少しかすれていた。それでもニールは、言葉を止めなかった。
『私の領地では、長い間、獣人たちが虐げられてきた。皇都から送り込まれた者が、私の名を騙って獣人の娘たちをさらい、皇都へ流していた。私はそれを知りながら、何もできなかった。中央に逆らえば、屋敷で匿っている子供たちまで奪われる。そう自分に言い聞かせて、目を逸らし続けてきた』
ニールの拳が、白くなるほど強く握りしめられていた。
『皇国には、奴隷にも最低限の暮らしを保障するという法がある。だが、その法を守らせるはずの役人も判事も、法を破る者の側に立っている。そして今、その者たちの頂に立つバーデン侯爵が、法を守ろうとする私に、反逆の罪を着せようとしている』
最初は震えていた声が、話すうちにだんだんと強くなっていった。
『私は、皇国の法を守ってきた。その私を、侯爵に操られた勅命で討つというのなら……私は、皇帝陛下に忠などない!』
言い切ったニールの膝が、がくがくと震えていた。ジョーンズが静かに歩み寄って、その背中をそっと支えた。
中庭の獣人の衛兵たちが、泣きそうな顔でニールを見つめていた。使用人の後ろにいた獣人の子供が、「コネグ様、かっこいい……」と小さく呟いた。
続いて、ケントが前に出た。こちらは、ニールとは正反対の軽い調子だった。
『えー、ノキア王国のケント・フォン・ヴォルガン伯爵だ。今の話、聞いたな? 獣人、エルフ、ドワーフ、それに今の話に腹が立った人間。こっちに来たい奴は、コネグ領に来い。歓迎する』
そこで一拍置くと、ケントの声が冷たくなった。
『で、それ以外の人間な。騎士団だろうが、兵士だろうが、街の市民だろうが、侯爵の側に残ってる奴は全員死ぬ。死にたくなきゃ、軍は抜けろ。皇都に住んでる奴は、街から逃げろ。……期限は来月一杯。それからは、こちら側だとはっきりしない領地や都市の人間は、見たら殺す。それまでに向かってくる奴も殺す。めんどくさくなったら、皇都も他の街も消す。以上』
放送が切れると、中庭はしんと静まり返った。
最初に口を開いたのは、ザラだった。
「旦那、最後の言い方、魔王そのものだよ」
「分かりやすくていいじゃない」
セリーナは涼しい顔で頷いている。エリンは腕を組んで、「消すと言ったら本当に消すのだろうな、この男は」と感心したように呟いた。
ニールはまだ膝を震わせたまま、空を見上げていた。
「……言ってしまいました」
「おう。言ったな」
ケントはニールの背中をばんと叩いて、ニヤリと笑った。
◇
放送は、皇国の隅々にまで届いていた。
山奥にある獣人の村では、畑仕事の手を止めた年寄りたちが、空を見上げたまま立ち尽くしていた。やがて一人の老婆が、その場に膝をついて泣き崩れた。
「コネグ様が……あのコネグ様が……」
周りの若い獣人たちは顔を見合わせると、黙って家に駆け戻り、荷物をまとめ始めた。
深い森の中では、エルフたちが手入れをしていた銃から顔を上げていた。見た目は子供ばかりの集落に、くすくすと笑い声が広がっていく。
「人間同士で殺し合うの? 面白そうじゃない」
長い銃身を肩に担いだエルフが、楽しそうに言った。
「それに、良い匂いのする人間がいそうね」
別のエルフは鍛冶場の炉の火を落とすと、作りかけの銃をまとめて袋に詰め始めた。
さらに険しい山の奥では、ドワーフたちが、仕留めたばかりの大熊を素手で担いだまま空を見上げていた。
「エリンの奴が向こうにいるらしいぞ」
「人間の騎士団と殴り合えるのか」
「鉄の鎧を着た連中だろう? 鎧ごと潰せばいい」
ドワーフたちは顔を見合わせてニヤリと笑うと、獲物をその場に放り出し、地響きを立てて山を下り始めた。
そして、皇国の辺境にあるとある人間の貴族の屋敷では、白髪の老伯爵が、窓の外をじっと見つめていた。
「……ようやく、言う者が現れたか」
老伯爵は、しわだらけの手で窓枠を強く握りしめた。
◇
皇城。
広い謁見の間で、若い皇帝が玉座に座ったまま固まっていた。まだ少年と言ってもいい年頃の皇帝は、青ざめた顔で、何もない宙を見つめている。
放送は国中に流れたのだから、皇城の中にも当然届いていた。侯爵を通さない言葉が、初めて皇帝の耳に直接入ったのだ。
謁見の間の扉が乱暴に開いて、バーデン侯爵が息を切らせて駆け込んできた。
「陛下! 今のは反逆者の戯言にございます! 惑わされてはなりません! すぐに騎士団の出動を――」
皇帝は、ゆっくりと侯爵の方へ顔を向けた。
「……侯爵」
その声は、小さく震えていた。
「獣人の娘たちが皇都に流されていたというのは、本当か?」
バーデン侯爵の顔から、すっと血の気が引いた。




