第68話 皇帝に忠などない
翌朝、食堂に一番乗りで現れたのはケントだった。
目はギンギンに冴えていて、肌はやけにつやつやしている。それなのに、目の下にはくっきりとクマができていた。
「……おはよう」
その声だけが、妙にかすれていた。
続いて、ミーナが軽い足取りで階段を降りてきた。黒い尻尾をご機嫌に揺らしながらケントの隣にすとんと座ると、甘えた声で言った。
「おはようございます、ご主人様♡……ニャ」
食堂の空気が凍りついた。
先に席に着いていたセリーナとザラ、それに朝飯のパンをかじっていたエリンまでが、無言でケントに冷たい目を向けた。
「……いや、俺が言わせてるわけじゃねえからな!?」
ケントは慌てて弁解したが、誰も返事をしなかった。ミーナだけが、満足そうに尻尾をくねらせている。
しばらくして、ザラが気を取り直したように、にやにやしながら身を乗り出した。
「で、旦那。エルフの薬はどうだったんだい?」
ケントは遠い目をして、天井を見上げた。
「……効きすぎた。朝まで一睡もできてねえ。なんなら今も、全身から力が湧いてきて止まらねえんだよ」
そこへ、子供の姿のシューメルが果物をかじりながら通りかかった。
「だから言ったでしょ、効き目は保証するって」
「保証しすぎなんだよ!」
ケントの抗議を、シューメルは楽しそうに聞き流していった。
ちなみにレナは、今日もまだ部屋で寝込んでいる。エリンがパンを飲み込みながら、「あれはもう一日はかかるな」と肩をすくめた。
和やかな空気を切るように、セリーナが紅茶のカップを静かに置いた。
「さて、ふざけるのはここまでよ。昨日の傭兵たちから聞き出したことを話すわ」
ケントの顔つきが変わった。ザラとエリンも口を閉じて、セリーナの方へ向き直る。
「まず一つ目。傭兵たちが侯爵から受けた仕事は、『黒猫の娘を生け捕りにして、ノキアの伯爵を名乗る男を殺せ』というものだったわ」
ミーナの耳が、ぴくりと伏せられた。ケントは黙って、その頭に手を置いた。
「二つ目。あの親衛隊長がこれまで王都に流してきた獣人の娘たちは、侯爵の屋敷の離れや、奴隷商ギルドの倉に囲われているそうよ。……中には、薬で無理やり変化させられた子もいるらしいわ」
ミーナが小さく息を呑んだ。ナルが話していたことは、本当だったのだ。
セリーナの声が、一段低くなった。
「そして三つ目。侯爵は、自分の派閥の判事を使って、『コネグ子爵が獣人を集めて反乱を企てている』という罪をでっち上げる準備をしているそうよ。傭兵が失敗した時のための、二の矢ね」
食堂が静まり返った。
「反乱って……ニールのおっさんがかい?」
ザラが眉をひそめると、ケントが低く唸った。
「特区の放送を逆手に取るつもりだな。獣人を集めてるのは本当だから、言い逃れがしにくい」
◇
ケントたちはすぐに領主館へ向かい、ニールとジョーンズに事情を話した。
ニールは青ざめたが、取り乱しはしなかった。
「……覚悟はしておりました。侯爵閣下が、黙っているはずがありません」
「なら、話は早え」
ケントは身を乗り出した。
「隊長の自白と、傭兵どもの証言がある。それを持って、アンタが皇帝の前で侯爵の悪事を暴けばいい」
だが、ニールは力なく首を横に振った。
「それが……できないのです」
「できない?」
「皇帝陛下は、まだお若い方です。政のほとんどは、侯爵閣下が取り仕切っておられます。陛下のお耳に入る話は、すべて侯爵閣下を通ったものだけなのです」
ジョーンズが、静かに言葉を継いだ。
「反逆の罪となれば、皇国騎士団が差し向けられます。陛下は、侯爵閣下の申し上げるまま、出動の勅命を下されるでしょう」
応接間が静まり返った。
その沈黙を破ったのは、ザラだった。
「そんな馬鹿に操られてる皇帝なら、殺せばいいんじゃねえか?」
「ザ、ザラ様!?」
ニールが目を剥いた。それから、すがるようにセリーナの方を見た。この中で一番落ち着いていて、品のある彼女なら、きっと止めてくれるはずだった。
セリーナは少し首を傾げて、にっこりと微笑んだ。
「あら、それ良いわね」
ニールは、がっくりと肩を落とした。
ケントは頭をかきながら、ニールに向き直った。
「前に、アンタは表で真っ当にやれって言ったけどな。上まで腐ってるなら、話は別だ」
そう言って、ケントはニヤリと笑った。
「ニールさんよ、こう宣言しようぜ。『侯爵に操られて、法を守る私を討つというなら、皇帝に忠などない!』ってな」
「な、なにを……!」
「いやさ、それをあの竜に国中に放送させるんだよ。獣人やエルフやドワーフたち、それにひょっとしたら、アンタと同じように思ってる人間の貴族もいるかもしれねえ。そういう連中を、全部こっちに集めようぜ」
「し、しかし!」
ニールは慌てて身を乗り出した。
「そんなことをしても、人数も軍事力も、向こうが圧倒的に上です!」
「いやあ、その放送をする時に、『こっちに来てない人間は、軍だろうが市民だろうが死ぬ。死にたくなきゃ軍は抜けろ、街から逃げろ』って言っとくから大丈夫」
「イヤイヤイヤ! そんなことを言ったところで、こちらが皆殺しにされ……」
「うん。後は皆殺しにするから大丈夫」
ケントはそう言って、にっこりと笑った。
ニールとジョーンズは、言葉を失って固まった。
その後ろで、ザラとエリンが顔を見合わせて、目を輝かせていた。
「旦那、今回は暴れていいんだね!?」
「皇国の騎士団か。傭兵よりは骨がありそうだ」
この街に来てから、ろくに暴れられていなかった脳筋の二人は、嬉しそうに拳を鳴らしている。
セリーナは紅茶をひと口飲んで、「まあ、そうなるわよね」と言いながら、膝の上に置いた双剣の鞘を嬉しそうに撫でていた。
ケントの袖を握っていたミーナが、小さく呟いた。
「ご主人様たち、やっぱり怖い人たちですニャ……」
◇
同じ頃、王都。
バーデン侯爵の屋敷に、傭兵団全滅の報せが届いた。
侯爵は手にしていたワイングラスを、壁に叩きつけた。赤いワインが、高価な壁紙に飛び散る。
「小物ではなかったのか!」
報告に来た部下は、震えながら床にひれ伏した。
侯爵はしばらく荒い息をついていたが、やがて乱れた髪を撫でつけて、冷たく笑った。
「……まあいい。判事に伝えろ。コネグ子爵に反逆の疑いありとして、皇国騎士団の出動を陛下に奏上するとな」




