第64話 :番と熱と、黒猫の行方
親衛隊長の自白と、ケントの長すぎる言い訳の放送から一夜が明けた。
ケントたちは改めて領主館を訪ね、応接間でニールと向かい合っていた。ソファに腰を下ろすなり、ケントは膝に手をついて深々と頭を下げた。
「昨日は悪かった。言い訳はもう街中に流れちまったから、ここではしねえ」
「とんでもない! どうか頭を上げてください」
ニールは慌てて首を横に振った。
「あなた方のおかげで、あの男の悪事がすべて明るみに出たのです。お礼を申し上げるのは、私の方です」
その後ろで、家令のジョーンズが口元を押さえて小さく肩を震わせていた。セリーナはそれを見逃さず、気の毒そうにケントの方へ目をやった。
ケントは咳払いをひとつして、顔を上げた。
「で、本題だ。昨日ぶち上げた獣人特区の話、真面目にやりたいと思ってる」
ケントは指を折りながら説明した。不当な扱いは一切認めないこと。獣人にちゃんとした仕事を与えて、給料を払うこと。今いる奴隷は公定の奴隷商に査定させて、働いた年数の分だけ値引きした額を、本人が働いて少しずつ元の主人に返していく仕組みにすること。
「主人側だって金を払って買ってるんだ。タダで手放せって言ったら、街の商売が死んじまう。だから、こういうやり方にする」
ニールは驚いたように聞き入っていたが、やがて真剣な顔で頷いた。
「……理にかなっております。ですが、これほどのことを、私の一存で進めてよいものかどうか」
「俺がやるより、この街をよく知ってるアンタがやった方がいい。中央が何か言ってきたら、全部『ヴォルガンにやれと言われた』って言え。責任は俺が持つ」
ニールは目を見開いた。
「……なぜ、そこまでしてくださるのですか」
ケントは少しの間黙っていた。それから、膝の上で組んだ自分の手に目を落として答えた。
「あの地下室の女の人、俺が楽にした。ああいうのは、もう見たくねえんだよ」
ニールはしばらく何も言えなかった。やがて立ち上がると、黙ってケントに向かって深く頭を下げた。
◇
話し合いを終えてホテルに戻ってきたところで、ザラが首を傾げた。
「あれ、ミーナは?」
ケントは自分の袖を見た。朝、領主館へ向かう時には、たしかにミーナがそこを握っていたはずだった。だが、いつの間にかいなくなっている。
最初は誰も気にしていなかった。部屋で休んでいるのだろうと思って覗いてみたが、いなかった。浴場にも、厨房にも、ロビーにも、獣人たちが寝泊まりしている広間にも、ミーナの姿はなかった。
「散歩じゃないのかい?」
ザラはのんきに言ったが、ケントの顔色はみるみる変わっていった。
「……あの隊長、侯爵に黒猫の娘を献上するって言ってたよな」
その一言で、全員の表情が強張った。
セリーナは無言で双剣の柄に手をかけた。レナはテーブルの上で寝ていた白竜を鷲掴みにすると、窓を開けて外へ放り投げた。
「お前、空から探しなさい! 見つけるまで戻ってこないでくださいね!」
「ひぃぃ! 承知であります!」
スーも何も言わずに窓から飛び出して、上空へ舞い上がっていった。
ケントは上着をひっ掴んで、ホテルの玄関へ向かった。
「街中ひっくり返してでも探す。邪魔する奴がいたら、そいつごと吹っ飛ばす」
「待ちなさいケント、闇雲に動いても――」
セリーナが止めようとした時、ロビーの隅から遠慮がちな声がかかった。
「あ、あの……ヴォルガン様」
声の主は、犬耳のナルだった。保護した獣人たちのためにスープの鍋をかき混ぜていた手を止めて、娘のネルを膝の上に乗せたまま、少し困ったような顔をしている。
「ミーナちゃんなら、たぶん大丈夫だと思います」
「……は?」
「昨日、あの子、ヴォルガン様のことを『番』だって言ってましたから」
ケントは玄関の手前で足を止めて、振り返った。
「つがい?」
ナルは頷いて、ゆっくりと説明を始めた。
獣人は、生涯の相手である番を見つけると、子供の姿から大人の姿へと『変化』する。変化の間は、三日ほど高い熱が出て寝込んでしまう。犬獣人なら家族のいる家で看病してもらいながら寝ているが、猫獣人はその三日間、誰にも見られない場所に一人で隠れてしまうことが多いのだという。
「弱っている姿を、人に見られたくないんです。猫の子は、昔からそうなんですよ」
それを聞いた瞬間、ケントたちの全身から一気に力が抜けた。
「……なんだよ、驚かせやがって」
ザラは近くの椅子にどかっと腰を下ろして、天井を仰いで笑った。
「ネコちゃんって面倒くさいですねぇ」
レナは窓から身を乗り出して、空に向かって「もういいですよー! 戻ってきなさーい!」と白竜を呼び戻している。
セリーナだけは、ほっとした顔のまま双剣から手を離すと、小さく呟いた。
「……番、ね」
そう言って、ケントの横顔をちらりと見た。
だが、ナルの話はそれで終わりではなかった。ナルは急に声を落とすと、膝の上のネルの耳を、両手でそっと塞いだ。
「……だから、愛玩用の奴隷にされる獣人は、もう相手がいて変化を終えた者か……そうでなければ、薬を使って無理やり変化させられるんです」
ロビーの空気が、すっと冷えた。
「無理やり変化させられた子は、たいてい心が壊れてしまいます。番もいないのに、体だけ大人にされるんですから」
ケントの顔から、さっきまでの安堵が消えていた。セリーナの目も、冷たく細まっていく。
「……黒猫の娘を献上しろ、か」
ケントは低い声で言った。
「つまり侯爵は、ミーナにその薬を使うつもりだったってことだな」
誰も答えなかった。ケントは窓の外、遠く王都があるという方角を、黙ってじっと見つめていた。
◇
同じ頃、王都。
贅を尽くした屋敷の一室で、バーデン侯爵は部下からの報告を受けていた。
「コネグ領で、監視役が捕らえられました。ノキアなどという聞いたこともない国の、伯爵を名乗る男の仕業です」
「ほう」
「……ただ、街に流れた放送を聞く限りでは、少々、小物の男のようでして」
部下が言いにくそうに付け加えると、侯爵はワイングラスを揺らしながら、薄く笑った。
「辺境の小物が、少し調子に乗っているだけだろう。傭兵ギルドに声をかけておけ」
侯爵はグラスを傾けて、ゆっくりとワインを飲み干した。
「……それと、黒猫の娘は、まだ手に入るのだろうな?」




