第63話: 間違っちゃうでしょ!?
ニールの慟哭と、上空で白竜が流し続ける『我が主の深謀遠慮であります!』という大音量の中継に挟まれて、ケントたちは庭の隅で固まったまま動けずにいた。
「どうするのよ、これ」
セリーナが小声で言いながら、ケントの脇腹を肘でつついた。
「……とりあえず話を聞く。全部聞く」
ケントは腹をくくると、地面に額をつけたままのニールの前にしゃがみ込んだ。
「顔を上げてくれ、ニールさん。首はいらねえよ。それより一個だけ教えてくれ。昨日、うちのミーナを寄越せって言ってきた親衛隊長がいたんだが、あれはアンタの命令か?」
ニールは涙で濡れた顔を上げ、きょとんとした様子で家令のジョーンズと顔を見合わせた。答えたのはジョーンズの方だった。
「あの男は、王都のバーデン侯爵閣下から『監視役』として押し付けられた者でございます。旦那様には、あの男を解任する権限がございませんでした。旦那様の名を使って好き勝手をしていたことは、街の者なら皆知っております」
「私は奴隷など一人も求めておりません」
ニールは悔しそうに唇を噛んだ。
「あの男は獣人の娘を見つけては私の名で取り上げ、王都へ流していたのです。止めようにも、私が逆らえば侯爵閣下が黙っておりません……」
それを聞いたケントの顔が、みるみるうちに明るくなっていった。
「……つまりアレか? 俺たちは、アンタの名前を使って悪さしてた奴に因縁をつけられて、アンタが黒幕だと思い込んだってわけだ」
「旦那、顔がすげえ嬉しそうだよ」
ザラが呆れたように言うと、白竜を握りしめたままのレナもうんうんと頷いた。
「言い訳の材料を見つけた顔ですねぇ」
「うるせえ。行くぞ」
ケントは立ち上がると、そのまま早足で広場へ引き返した。
広場の中央には、昨日ケントが子爵の石像に縛りつけておいた親衛隊長が、まだ生きていた。両足の甲を失い、股間を血で汚したまま、ぐったりとうなだれて呻いている。
ケントはレナの手から白竜を受け取ると、その小さな顔を覗き込んだ。
「おい、今度はちゃんと全部流せ。一言も漏らすなよ」
「しょ、承知であります!」
ケントは隊長の髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「お前、誰の命令で動いてた?」
隊長は血走った目でケントを睨み、黙って唾を吐こうとした。ケントは何も言わずに、隊長の残った指先へ小さな爆鳴気をちょんと置いてみせた。指先の空気がチリチリと鳴ると、隊長の顔から一気に血の気が引いた。
「い、言う! 言うからやめてくれ!」
そこから先は早かった。自分がバーデン侯爵の手先だったこと。ニールの名を騙って獣人の娘をさらい、王都へ売り払っていたこと。昨日ミーナを奪おうとしたのも、黒猫の娘を侯爵に献上するためだったこと。隊長が泣きながら吐いた言葉は、白竜の拡声魔法に乗って街の隅々にまで響き渡った。
街のあちこちから、ざわざわとどよめきが起こる。ケントはひとつ咳払いをして、白竜に向かって声を張った。
『――と、いうわけだ。な? 聞いたろ? こいつが子爵の名前を使って好き放題やってたんだよ。だからさ、ほ、ほら……間違っちゃうでしょ!? 普通、間違っちゃうでしょ!?』
ここで止めておけばよかったのだが、ケントは止まらなかった。
『いや、俺だってな、最初から怪しいとは思ってたんだよ? 思ってたけど、確認のためにあえて乗り込んだっていうか……。だいたい、領主の名前で兵士が来たら、誰だって領主の命令だと思うだろ!? 俺じゃなくても思う! 百人いたら百人思う!』
ケントはぐるりと広場を見回すと、遠巻きに見ていた獣人の一人を指差した。
『なあ、思うよな!? そこの犬耳のおっちゃん、思うよな!?』
いきなり名指しされた犬耳の中年男は、わけも分からないまま、とりあえずコクコクと頷いた。
『ほら見ろ! 思うって! だから俺は悪くない! 紛らわしいことをしてたこいつが全部悪い! ニールさんにはちゃんと後で謝るけど、それはそれとして悪いのはこいつ! はい、この件は終わり! 解散!』
一息にまくし立てて、ケントは肩で息をした。
その背後では、セリーナが額を押さえて「……長い」と呟いていた。ザラは腹を抱えて、声を出さないように必死で笑いをこらえている。レナは白竜の代わりに自分の頬に手を当てて、しみじみと言った。
「ケント様、ちっちゃいですねぇ」
「ちっちゃくねえよ!」
「……ご主人様」
ケントの袖を握っていたミーナまで、黒い耳をぺたんと伏せて、気まずそうに目を逸らしている。肩の上のスーにいたっては、もう何も言わずに首を横に振っていた。
上空では、白竜が気を利かせたつもりで声を張り上げた。
『ご安心ください、街の皆々様! 間違えたフリをして敵を炙り出す、これもまた我が主の深謀遠慮であります!』
だが、もう誰もその言葉を信じてはいなかった。
広場はしんと静まり返った。
ついさっきまで「救世主様だ」と目を潤ませていた獣人たちが、気まずそうに互いの顔を見合わせている。誰も何も言わない。風が吹いて、石像に縛られた隊長の呻き声だけが小さく聞こえていた。
その沈黙の中で、母親に手を引かれた小さな犬耳の子供が、母親の袖をくいくいと引っぱった。
「……ねえ、お母さん。あの人にまかせて、だいじょうぶなの?」
母親は答えに困って、黙って子供の頭を撫でた。
そして、白竜はその小さな一言まで、律儀に拾って街中に流してしまったのだった。




