第57話 コネグ子爵領と一触即発
半日ほど街道を進み、一行は目的の地――コネグ子爵領の城下町へと辿り着いた。
堅固な石造りの門を潜り、街へと一歩足を踏み入れた瞬間、ケントたちの視界に飛び込んできたのは、不快な熱気と貧困、そしてあからさまな格差の空気だった。
「ひぃっ、申し訳ありません! 申し訳ありませんっ!」
「チッ、汚ねえ獣人が! 俺様の服にかすっただろうが!」
街道の脇で、豪華な衣服を纏った人間貴族の男が、小さく丸まる幼い犬耳の少年を容赦なく蹴り飛ばしている。周囲の兵士や住人たちも、それを咎めるどころか娯楽を見るような蔑みの視線を向けていた。
「……胸糞悪い街ね」
セリーナが蔑むような低い声で呟く。ザラも大剣を抜こうと手を伸ばしかけたが、ケントが手でそれを制した。
「今は目立つな。まずは拠点と旅の資金だ」
ケントたちは門を通る際、兵士から「山賊から保護した奴隷」としてミーナの仮登録手続きを済ませていた。街の道具屋へと足を運ぶと、ノキアへの土産用に収納魔法へ溜め込んでいた地球産の人工宝石や高品質な精巧なガラス細工をいくつか取り出した。
「こ、これは……!? こんな歪みのない美しく透き通ったガラス、それにこの輝く宝石は一体……!」
道具屋の店主は目を剥き出し、提示された品々に驚愕した。地球では安価に手に入るガラス細工や合成宝石だが、この地では極上の逸品として通用するらしい。提示された金貨の山をそっくり回収し、一行は街で最も高級な宿の一室を確保した。
その夜――。
高級宿の広い浴場で、ケントが一人お湯に浸かって旅の疲れを癒やしていた時のことだ。
ガラガラ、と浴場の扉が開き、湯気の中からパタパタと小さな足音が近づいてきた。
「ご主人様〜、お背中お流ししますね♡」
湯船の縁に立っていたのは、タオル一枚を巻きつけただけのミーナだった。黒い猫耳をピコピコと動かし、濡れた尻尾をくねらせながら、あざとさ満点の笑みを浮かべている。
「なっ……! ミーナ!? お前、なんでここに――」
「だーめ」
ケントがデレデレと鼻の下を伸ばし伸ばしかけた瞬間、浴場の扉が勢いよく開かれ、着替えを抱えたセリーナ、ザラ、レナの三人が仁王立ちで立ちふさがった。
「ケント君、鼻の下伸びてるわよ。はい退場」
「えっ、いや、俺は別に頼んだわけじゃ――」
「問答無用! ほら、さっさと上がりなさい!」
セリーナに容赦なく脱衣所へと追い出され、ケントは無念の溜め息をつきながら姿を消した。
バタンと扉が閉まり、残されたのは四人の女性陣(+猫耳少女)。
お湯に浸かりながら、セリーナがじとーっとした視線をミーナに向けた。
「……あなた、なかなか腹黒いわね?」
その問いかけに、ミーナは怯える様子もなく、自慢の黒い尻尾をゆらゆらと揺らしながら平然と言い放った。
「生きるためでしたから。でも、ケント様は私を道具ではなく一人の存在として尊重してくれますし、絶対に守ってくださいますでしょ? ……18歳になりましたし、番を見つけた私はもうすぐ大人になります。そしたら、ちゃんと抱いてもらって、皆さんと同じようにケント様の妻にしてもらいますから」
あまりにも堂々とした正妻(仮)宣言。
一瞬の静寂の後、ポカンとしていたザラが「あーはっは!」と豪快に爆笑した。
「いいねぇ! そこまで腹が据わって覚悟が決まってりゃ、一緒に死ねるってもんだよ!」
「……猫か、ケント様耳は何がお好きかしら……うさ耳でと尻尾つけて…あぁん、イケるかも……!」
「アンタ達ねぇ……ていうかあなた18歳なの?!…はあ、また増えるのかしら……」
頭を押さえて深々と溜め息をつくセリーナをよそに、ミーナはニンマリと満足げな笑みを浮かべるのだった。
◇
翌日。
一行は情報収集と街の散策を兼ねて、市場へと繰り出していた。
「収納の中の物を売っていけばしばらくは贅沢に生きていけるけど、この国にも冒険者ギルドみたいなのはあるのかね?」
ザラの問いかけに、歩幅を合わせて隣を歩いていたミーナが即座に答える。
「はい。こちらでは『傭兵ギルド』と呼ばれています。冒険者よりもっと殺伐としていて、貴族の護衛や私兵の募集、裏仕事なんかが主流ですね」
「へえ、傭兵ギルドか……」
この世界の常識や仕組みをテキパキと解説してくれるミーナは、すっかり一行の優秀なガイド役として定着していた。
だが――そんな平穏な時間は長く続かなかった。
「お前たち、止まれ」
背後から掛けられた下劣な声。振り返ると、豪奢な甲冑を着た男を中央に、十数人の領兵たちが一行を取り囲んでいた。
「……何か用か?」
ケントが冷ややかな視線を向けると、身なりの良い男――コネグ子爵の親衛隊長らしき男が、ミーナを下品な目つきで舐め回すように見つめた。
「その黒猫の奴隷だ。子爵閣下が目をおつけになった。金は払ってやる、今すぐ俺たちに売り渡せ」
「断る。売るつもりはない」
ケントが即座に一蹴すると、隊長は蔑むような下衆な笑みを浮かべた。
「ふん、交渉は終わりだ。……おい、お前たちが門を潜る際『山賊を殺して手に入れた野良奴隷』として登録していたそうだな? その報告をコネグ子爵閣下に注進したところ……素晴らしいご見識を賜ったぞ」
隊長は意地悪く口端を歪めた。
「お前たちが山賊を退治したというのは嘘だ。お前たち自身が山賊であり、正当な商人を殺害してその奴隷を強奪し、山賊のせいに仕立て上げた容疑がある! よって、その奴隷は押収、お前たち全員を商人殺しの罪で捕縛する!」
あまりにも破綻した、横暴すぎる難癖。ミーナを取り上げるためだけに捏造された言いがかりだった。
ミーナが怯えたようにケントの服の裾をぎゅっと掴む。
「……ふーん」
ケントは表情一つ変えず、ただ短く呟いた。
「おい、その小娘を寄越せ」
ニヤニヤと不快な笑みを浮かべた兵士の一人が、ミーナの腕を掴もうと強引に手を伸ばす。
その手がミーナに触れようとした、まさにその瞬間――。
ズドンッッ!!
「っ……!?」
けたたましい破裂音とともに、手を伸ばした兵士の『上半身』が、まるで内側から巨大な圧力を受けたかのように、頭頂部に向けて派手に破裂し、爆ぜ散った。
首から上が肉塊となって天井へと吹き飛び、血と内臓の雨が周囲の兵士たちに降り注ぐ。
「ヒッ……!? な、なんだ!? 何が起きた――」
阿鼻叫喚に包まれる兵士たちの中、ケントは冷たい、どこまでも漆黒の瞳で彼らを見下ろしていた。
「とりあえず……お前らは死ね」
静かな殺意が、コネグ子爵領の街頭に吹き荒れようとしていた。




