第54話:バグと権能と『ノピア』
「温泉! 温泉がいい。 日頃疲れた体を癒やしてエステを…」
「わたしは美味い肉が食べたいです! 出来れば肉汁が飛び散るような分厚い奴!」
「あたしも温泉に一票かねぇ。旦那とゆっくり浸かりたいね」
「スーも、美味しいお肉と温泉があるところがいいです!」
「まてまて、それならいっそ北海道行けば海鮮だってな……」
神子神社の縁側で、ケント、セリーナ、ザラ、レナ、そしてスーたちがどこへ旅行に行くかでワイワイと盛り上がっていた。
その様子を、ナミに頭を撫でられながら微笑ましそうに眺めていたヘルパンギーナ——ケントたちの信仰と権能によって完全に元の肉体を取り戻し、息をのむほどの完全体たる美女の姿となった真龍が、ふと思いついたように口を開いた。
「お主ら、ノキアに里帰りするか?」
一瞬で、縁場の喧騒がピタリと止まった。
「……は? ノキア……って、俺たちの元の世界にか?」
「そうじゃ。里帰りじゃ」
驚くケントに、ヘルパンギーナはこともなげに頷く。
「本来、世界を渡るなど真龍たる我が身であっても不可能な領域。だがな……地球というこの星は、色々とバグっておる」
「バグ?」
「真龍への信仰が根付いておる星など、せいぜい人口1億程度の世界が関の山。しかも人口が増えるほど民は信仰を捨て、理屈に走るでの。故に、これまでの世界では我らの力などたかだか知れておった」
ヘルパンギーナは膝立ちになり、豊満な胸を張りながら続ける。
「だが、ここはなんだ? 六十億もの人間が、我が威光と『大粛清』の恐怖により、残らず我らを畏れ、狂おしいほどの信仰を捧げておる。真龍の歴史上、一度も起きなかった『全人類ガチ信仰』という異常事態じゃ。おかげで力が溜まりすぎて溢れかえっておる」
このまま溜め込んでも爆発するだけなので、亜空間にでも棄てようかと考えたヘルパンギーナだったが、ふと権能をこねくり回して試行錯誤の末に『世界転移』の権能が芽生えたのだという。
「本来なら莫大な魔力が必要じゃが、この膨大な信仰のリソースを燃料にすれば、お主らをノキアへ送るくらいは造作もない」
「マジかよ……ノキアに戻れるのか……」
ケントたちが顔を見合わせ、歓喜の色を浮かべた。
だが、ヘルパンギーナ自身は首を振る。
「ただし、我は行かんぞ。ナミが心配じゃし、この星の管理もあるからの。代わりに、我が分体である『白竜』を道案内として連れていくが良い。白竜はノキアでそのまま暮らさせればよい」
そこに、空から手のひらサイズの可愛らしい白い幼龍——白竜が「きゅー!」と飛んできて、ケントの肩にちょこんと乗った。
「ノキアに行ったら、また信仰が溜まるのを待つことになる。再び世界を渡るだけの信仰が溜まれば白竜に念話を送るゆえ、地球に戻るか向こうに残るかはその時に決めれば良い」
「なるほどな……! すげえよヘル!」
「戻れるなんて、夢みたいね……!」
歓声をあげるケント、セリーナ、ザラ、レナ、スー。
だが、その輪から少し離れた場所で、ただ一人浮かない顔をしている人物がいた。
ちえだった。
彼女はケントと結ばれ、互いに愛し合っている。
しかし同時に、この『真龍神子国』の行政トップとして、世界や国家を相手に舵取りをする現在の仕事に、これまでにない充実感と満足感を抱いていた。
(ケントさんのことは大好き……一緒に行きたい。でも……私はこの国を動かす仕事が好き。だけど、好きな人と離れて仕事を選ぶなんて、ケントさんにも、仕事にも不誠実なんじゃないのかな……)
葛藤に押し潰されそうになり、俯くちえ。
そんな彼女の前に、すっと人影が立った。
見上げると、ケントが優しく笑っていた。
ケントは、かつて地球で会社員だった頃——下請け業者との大きなトラブルに巻き込まれ、震えていた部下のちえにそうしたように、彼女の頭の上にぽん、と大きな手を置いた。
「誰かに何か言われたら、全部『俺にやれと言われた』と言え。責任は俺が持つ。お前は自分の力を信じて走れ」
「っ……!」
それは、ちえがずっと心に刻んでいた、大好きな課長——ケントの言葉だった。
「ケント、さん……」
「お前がこの仕事を楽しんでることくらい、見てりゃ分かるよ。俺のためにやりたいことを諦める必要なんてない。お前の生き方は、お前が決めろ。俺はいつだって、お前の味方だ」
ぽろぽろと、ちえの目から涙が溢れ出した。
ちえは乱暴に袖で涙を拭うと、とびきりの笑顔でケントにしがみついた。
「大好き……! こっちは私に任せて、行っていらっしゃい! ちゃんと世界を平和にして待ってますから!」
「ああ、頼んだぞ、ちえ」
——そして。
社務所の庭に、ヘルパンギーナの権能によって生み出された、光り輝く幻想的な『船』が浮かび上がっていた。
乗り込んだのは、ケント、セリーナ、ザラ、レナ、スー。そして水先案内人となる白竜だ。
「よし、準備はいいな! 白竜、頼むぞ!」
ケントが胸を張り、肩に乗った白竜に指示を出す。
「行き先はノキアの王都! 時間は、俺たちが死んだあの瞬間だ!」
白竜は「きゅぴーん!」と胸を張り、眩しい光を放ちながら可愛らしい声で叫んだ。
「りょーかーい! じゃあみんなが死んだ時間の『ノピア』にいっくよー!」
「……え?」
ケントが瞬きをした次の瞬間。
白竜の発動させた転移の光が最高潮に達した。
「おい! 『ノピア』じゃなくて『ノキ……』」
ケントのツッコミが言い終わるより早く、船は空間ごと掻き消えるように消滅した。
あとに残されたのは、静まり返る神社の中庭。
「……………………」
「……………………」
無言で空を見上げるちえと、完全体美女の姿のまま、額から冷や汗をだらだらと流しているヘルパンギーナ。
「……ねえ、ヘル?」
ちえが、静かな、しかし恐ろしい声で尋ねた。
「……いま『ノピア』って聞こえたんだけど、大丈夫よね?」
「な、なあに……白竜も付いておるし……あ奴等なら、再び信仰が溜まって我が迎えに行けるまで、生き延びるじゃろ……たぶん」
「たぶんって何よ!?」
「じゃって! 念話が繋がるまでどこに行ったかも分からんし、念話ができるほど信仰が溜まるには、最低でも半年はかかるからのう……!」
「半年の間、どこかも分からない場所に飛ばされたの!?」
呆然とするヘルパンギーナの横で、ちえは頭を抱え、空に向かって絶叫した。
「ケントさーーーん!!!」
地球最強の国家を置き去りにし、一行は謎の『ノピア』へと旅立ったのであった。




