第39話:綺麗な切り口と、脚からの逆襲
旦那が、崩れ落ちるように地面に転がった。
太腿の断面から血が噴き出して、乾いたコンクリートに赤黒い水たまりが広がっていく。
「旦那ァッ!!」 「ケント様!!」
レナが目を見開いて駆け出そうとした。
「――待ちな!!」
ザラは、咄嗟にその腕を掴んで引き止めていた。自分でも、なぜそうしたのか一瞬分からなかった。
「何すんのよザラ! ケント様が――」 「いいから待てって言ってんだよ!」
「ひ、ひぃっ……た、助けてくれ……」
情けない悲鳴が聞こえた。
旦那は、残った右足と両手で地面を掻いて、無様に這いずりながら、あの餓鬼から距離を取ろうとしていた。血と土にまみれて、顔を涙でぐしゃぐしゃにして。
「金なら、いくらでも払う! 組織も畳む! だから……だから、殺さないでくれ……!」
レナが、息を呑んだのが分かった。セリーナが、焼けた腕を押さえたまま凍りついている。
ザラの腹の底が、冷たくなった。
(……違う)
この男とは、なんだかんだと長い間、同じ戦場に立ってきた。
腹を槍で貫かれても、腕が使い物にならなくなっても、味方が目の前で焼け死んでも。この男は、ただの一度だって、あんな声を出したことがない。
痛みで呻いたことはある。悔しさで吠えたこともある。だが、命乞いだけは絶対にしない。あの人は、そういう男だ。
それは、ザラが誰よりもよく知っていることだった。
「ザラ、離して! ケント様が殺されちゃう!」 「……落ち着きな、レナ」
ザラは、レナの腕を掴む手に力を込めたまま、視線だけは旦那から一瞬も離さなかった。
血の跡が、地面に長い筋を引いている。
旦那は真っ直ぐ逃げていない。あの餓鬼から離れるでもなく、わずかに横へ、横へと這っている。まるで――切り口を、相手によく見えるように晒しながら。
(……ああ、そうか)
ザラの口の端が、ゆっくりと吊り上がった。
「アンタ、今あの人が何やってるか分かるかい」
「え?」
「――狩りだよ」
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無様なものだ、とパミルは思った。
東洋の神。まがい物の魔王。日本という国を屈服させ、我が国の資産を焼き払い、あろうことか合衆国に啖呵を切った男。
その正体が、これだ。
片足を失っただけで、泣きながら地べたを這いずり、金で命を買おうとする、ただの中年。
「なんだ。東洋の神とは、この程度のものか」
パミルは、ゆっくりと歩き出した。急ぐ必要などない。逃げるというなら、追う楽しみをくれてやろう。
背後の女たちは動かない。動けないのだろう。当然だ。主が地面を這っているのだから。
「金など要らん。組織も要らん」
パミルは、這いずる背中に語りかけた。
「私が求めるのは、秩序だ。神を理解した者が世界を正しく導き、それ以外は従う。ただそれだけの、美しい構造だよ。……お前のような不純物は、そこにあってはならない」
男は答えない。ただ、ひゅうひゅうと喉を鳴らして、血の跡を引きずっている。
そして、パミルの視線は、自然とそこへ引き寄せられていった。
断たれた太腿の、断面。
「……止まれ」
追いつき、しゃがみ込む。
近くで見ると、それは実に見事なものだった。
骨も、肉も、血管も、寸分の乱れもない。鏡のように平滑な断面。刃物では絶対に生まれない。次元ごと切り取られた傷にしか存在しない、完璧な仕事の跡。
これこそが、自分が神を理解した証だ。
「……ほう」
パミルは、うっとりと目を細めた。
「実に、綺麗な切り口だ」
そして、笑った。
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地面に這いつくばりながら、俺の頭は氷のように冷えていた。
(もっと引きつけろ。もっと惨めに、もっと弱く見せろ)
あいつが消せるのは、危険だと認識したものだけだ。逆に言えば、脅威だと思われなければ、目の前にあっても消されない。
だから俺は、片足を失った瞬間から、二つの作業を同時にやっていた。
一つは、演技。世界一無様な、命乞いをする中年男の演技だ。
もう一つは――俺が這いずって遠ざかることで、ポツンと地面に取り残された『切断された左足』への仕込み。
足の内部に残された血液や水分を遠隔で電気分解し、水素と酸素を抽出。生成した爆鳴気を、限界まで圧縮して切断面のすぐ下にぎっちりと詰め込んでいく。
俺自身が助かるには、起爆地点から距離を取る必要があった。
こいつは自分の作品を眺めたがるタイプだ。だから俺は無様に這って逃げた。あいつの意識が、芸術品のように切り落とされた『地面の足』へ自然と向かうように誘導しながら。
(――来い)
「……フム」
足音が止まり、影が止まる。
かがんだ気配。視線が、地面に立つ右足の断面に吸い寄せられているのが分かる。
「……ほう。実に、綺麗な切り口だ」
そして、こいつは笑った。
――ありがとよ。
俺は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、少し離れた地面からニヤリと笑ってやった。
「遺言は、それでいいか?」
「――え」
パミルの目が、初めて俺の表情の変化に気づき、見開かれた瞬間。
地面に残された俺の右足が、爆ぜた。
ゴォォォォォォォッ!!!
限界まで圧縮された爆鳴気が、切断面という唯一の出口から一気に解放される。超高温の白いジェットが、数千度の炎の槍となって上空へ噴き出した。
狙う必要すらなかった。標的は、地面の断面を至近距離で覗き込むように顔を近づけていたのだから。
火炎の奔流が下から顔面を貫き、口内から内側を焼きながら背中へと突き抜ける。
「ぎィィ、!!!!!!!!!?」
権能は発動しなかった。できるはずがない。
こいつが消せるのは、危険だと認識できた座標だけだ。勝ち誇って覗き込んだ、ただの肉塊の中身までは、最後の最後まで認識の外にあった。
灼熱に飲まれて、神を理解したはずの少年は、悲鳴の余韻すら残さず塵になった。
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静寂が戻った廃工場跡地に、俺の荒い呼吸だけが響く。
「ケント様ァッ!!」
真っ先に駆け寄ってきたレナに続いて、姿を消していたスーが飛び出してきた。
「もう、無茶ばっかり! 死ぬかと思ったんだからね!」
淡い光が断面を包み込み、見る間に骨が伸び、血管が走り、肉と皮膚が覆っていく。数十秒後には、俺の左足は何事もなかったかのように生えそろっていた。
「……お、おお。ちゃんと生えてきた」
呆然と自分の足を撫でていると、スーが腰に手を当てて胸を張った。
「当たり前でしょ。ケントたちの身体、もう真龍のリソースで出来てるんだから。材料の魔力さえあれば、大体なんでも戻せるよー?」
「……それ、もっと早く言っといてくれよ。俺、割と覚悟決めてたんだぞ」
「あはは! 旦那が泣き喚いてんの、初めて見たよ!」
ザラが腹を抱えて笑っている。焼けた腕を押さえたセリーナが、呆れたように微笑んだ。
スーがセリーナに治癒魔法をかけて直していく。
「本当に。途中から演技だと分かっていても、あれは心臓に悪かったわ」
「いや、半分くらい本気で痛かったからな?」
生えたばかりの左足を踏みしめて、俺はゆっくりと立ち上がった。
そして、パミルが消滅した空間をしばらく眺めた。
魔法も、物理も、座標指定も通らない相手。あんなものが、ポンと出てきた。しかも口ぶりからして、二年前から飼われていた。
「……俺たち、地球を舐めてたな」
異世界から戻ってきた時、正直なところ、この星を平和で退屈な田舎だと思っていた。魔法もなければ怪物もいない、ただ飯が美味いだけの星だと。
その星で、俺は片足を持っていかれた。
アイツが俺達を舐めないで、最初から殺す気の攻撃をされたり、罠の脚に見向きもしないで来られてたら、ヤバかったよな。
ミソルたちやアイツに、実戦経験が足りてなくて助かったよ。
「そうだねぇ。こっちの世界にも、まだまだ面白いのがいるみたいだ」
ザラが獰猛に笑う。こいつは本当にブレない。
「で、だ」
俺は、首をコキリと鳴らした。
「二年も隠し玉を飼ってた国が、一体でやめてると思うか?」
「……思わないわね」
「だろ」
スーツの埃を払って、俺は西の空を見上げた。
「――さて」
「ホワイトハウス、吹き飛ばしに行くか」




