第30話:真理の目覚めと、コモドドラゴン
神子神社の本殿、その広縁。
ポカポカとしたうららかな午後の陽光の中、賢人は縁側に腰掛け、庭石の上で日向ぼっこをしている一匹のトカゲ――『真龍』ことヘルパンギーナを眺めていた。
先日の事件で命を落としかけたヘルパンギーナだったが、妖精のスーから莫大な魔力を譲渡されたおかげで、その鱗はツヤツヤと輝き、すっかり元気を取り戻していた。
平和な午後のお茶を啜りながら、賢人はふと疑問に思っていたことを口にした。
「なぁ、ヘルよ。最近、俺もようやくこの地球の魔力を少しずつ使えるようになってきたんだけどさ。お前はまだ自力じゃダメなのか?」
「む? 地球の魔力か……」
ヘルパンギーナは、短い尻尾をパタパタと揺らしながら渋い顔をした。
「うむ……。ここに来た当初、あの金髪の小娘も言っておったであろう。『同じ小麦でも、小麦そのものと、挽き終わった小麦粉って感じ』だと」
賢人は頷いた。
確かに、地球に来たばかりの第二話の頃、レナがそんな直感的な表現をしていた。
その時、妖精のスーも深く同意して、こう解説してくれたのだ。
『レナの言う事は合ってるわ。さっきから私も魔力を集めてるけど、硬い殻に入ってるみたいな感じで、そのままじゃ十分の一も魔法に変換できないわね。魔力を覆ってる器に、器と同じ波長を合わせて吸い上げれば、ヴェレツケール(元の世界)より濃いくらいだわ』
地球の魔力は、硬い殻に覆われている。
人間である賢人は、静かな環境でじっくりと波長を合わせる練習を重ねて、ようやく少しずつ魔力を引き出せるようになっていた。
だが、ヘルパンギーナはこの『波長の変換』が絶望的に下手くそで、いまだにスーや賢人のお情けで魔力を分けてもらわなければ、ブレス一つ満足に吹けない状態だったのだ。
「ヘルさあ」
賢人は、湯呑みを置いて首を傾げた。
「お前、前に自分で言ってなかったか? 『我輩は真理。かりそめの肉体が滅びようと、次元を超えて再誕を繰り返す、高貴にして誇り高きメスであるぞ』って」
「うむ? 確かに言ったが、それがどうした?」
「いや、俺たち人間やスーは、地球の殻の波長に合わせないと魔力を吸えないけどさ。『真理そのもの』なお前なら、そんな概念いらなくないか? 波長を合わせるんじゃなくて、どんな波長だろうが殻ごと噛み砕いて食えばいいじゃん。真の龍なんだし」
ピタッ、と。
ヘルパンギーナの動きが止まった。
瞬膜がパチパチと瞬き、やがて、その小さな身体がブルブルと震え始めた。
「……おおおおおおおおおおっ!!」
「うおっ、急に大声出すなよ」
「そうじゃ! なんでそんな単純なことに気が付かなかったのじゃ! 我は真理! 我にかかれば、地球の魔力の硬い小麦の殻すら、そのままバリバリと噛み砕いて己の魔力に変換できるではないかぁ!!」
目から鱗が落ちたように歓喜するヘルパンギーナ。
「おー。じゃあ、早速やってみなよ」
「うむ! 天才的な助言じゃ! それでは早速……」
意気揚々と魔力を集めようとしたヘルパンギーナだったが、ふと動きを止め、胡乱な目で賢人を見上げた。
「……待て。なんでヌシが我に助言をする? 我を殺して、この見知らぬ世界に飛ばした元凶は我のせいぞ?」
「あー……。いや、それなんだけどさ」
賢人は、後頭部をポリポリと掻いた。
「最初はムカついたし、殺されたし、絶対コイツ殺してやろうって思ってたんだけど……」
「だけど? なんじゃ?」
「どう考えてもさ。素材としての価値があるからって、向こうで平和に暮らしてたお前に、いきなり剣や魔法で総攻撃を仕掛けた俺たちが悪いよなって。逆の立場なら絶対ムカつくよなって、客観的に思ってさぁ(笑)」
「…………」
ヘルパンギーナは、絶句した。
「……そうじゃ。いつの間にか、我を殺そうとした挙句に返り討ちに遭ったお前らの巻き添えで、我までこんな世界に落とされた『我が悪い』ような空気になっておったが……。よく考えたら、百パーセントお前らが悪いんじゃァァァァァァァッ!!」
今更すぎる事実に気付き、激怒するヘルパンギーナ。
「何が(笑)じゃ! この悪党どもめ! おいレナ、お主もそこで聞いておったか! お前らが悪いんじゃ、今後は我に対する態度を改めるがよい!!」
広縁の奥で、お菓子を食べながらスマホをいじっていたレナが、ピクッと反応した。
彼女は無言のまま立ち上がり、ズンズンと縁側へ歩み寄ってくる。
「……なんじゃ。我の真理にひれ伏して、謝罪でも……ひぐぇっ!?」
レナはおもむろに手を伸ばすと、ヘルパンギーナの首根っこをガシッと鷲掴みにし、そのまま目線の高さまで持ち上げた。
「……申し訳ございませんでしたねぇ、真龍ヘルパンギーナさまぁ?」
言葉とは裏腹に、レナの目は全く笑っていなかった。完全にスラムのチンピラの目である。
「……で? 今はただのトカゲの分際で、私らに賠償でもしろって言うわけ?」
「き、貴様ぁ……! 先ほどのケントの助言で、すでに我の魔力は不足なしじゃ! この至近距離で喰らえ! ドラゴンブレ……ッ!」
ヘルパンギーナの口の中に、膨大な炎の魔力が収束していく。
しかし、レナは鼻で嗤った。
「あんたさ、私たちが死んだら、あんたのその命も『自死扱い』になって、二度と蘇れないって分かってる?」
「……ぐっ!?」
ヘルパンギーナの口の中で膨らみかけていた炎が、シュウゥゥと情けない音を立てて消滅した。
現在のヘルパンギーナの存在(魂)は、賢人たちの魂の繋がりやリソースと紐付いてしまっている。ここで賢人やレナを殺せば、システム上「自死」として判定され、真龍の誇る無限の再誕が封じられてしまうのだ。
「ひ、卑怯な……ッ!」
「あーら、どうしたのぉ? ほら、やってみなさいよ! ホラホラ、さっきの威勢はどうしたアァン!?」
ボコッ! バキッ! ギュウゥゥ!
反撃できないと悟ったレナは、鷲掴みにしたヘルパンギーナを容赦なく揉みくちゃにし、デコピンの嵐を浴びせた。
「ぎゃああああああっ! 暴力反対! コンプラ違反じゃぁぁぁぁっ!」
「レナ、やめてやれよ」
見るに見かねて止めに入ったのは、ザラだった。
「あんまりいじめるんじゃない。私たちはコイツのおかげで地球に来られたんだ。感謝こそすれ、殴る理由はないだろう?」
戦闘狂で一番物騒に見えるザラだが、実は三人の中で最も優しく、常識的だった。
それに彼女は、地球に来たことで賢人と結婚(実質)できたため、心の底ではヘルパンギーナに深く感謝すらしていたのだ。
「ふえぇぇぇんっ、ケントぉぉっ……!」
ザラに解放されたヘルパンギーナは、涙目になりながら賢人の足元へと逃げ込んできた。
賢人は苦笑しながら、トカゲの頭を撫でてやる。
「でさ、どうだい? 殻ごと魔力を吸うコツは掴めたみたいだけど、真龍の姿に戻れそうか?」
「う、うーん……。主らに存在のリソースを割かれておるからのう。完全な姿は無理かもしれんが、とりあえず、今できる目一杯でやってみるぞ」
ヘルパンギーナは気合を入れ直し、庭石の中央に立った。
賢人の助言通り、地球の魔力を殻ごと強引に噛み砕き、己の内に取り込んでいく。
ゴゴゴゴゴ……と、周囲の空気が震え始めた。
トカゲの小さな身体から、圧倒的な『真龍』の魔力が膨れ上がり、やがて眩い真っ白な光がヘルパンギーナを包み込んだ。
「おおっ、ついに……!」
賢人も、レナも、ザラも、息を呑んでその光の収束を見守る。
かつての異世界を恐怖に陥れた、あの巨大で荘厳な真龍の姿が、ついにこの地球に顕現するのか。
カッ! と光が弾け、そして消え去った。
そこには。
体長一・五メートルほどに巨大化し、ダラーンと舌を出しながら四つん這いになっている、ただの『デカいトカゲ』の姿があった。
「……………………」
しばしの、沈黙。
真龍の威厳など微塵もない、あまりにも中途半端なフォルム。
地球のテレビ番組が大好きで、すっかり現代っ子に染まっていたレナが、ポツリと呟いた。
「あ、コモドドラゴン」
「誰がコモドドラゴンじゃァァァァァァァッ!!!」
神子神社の平和な昼下がり。
本殿の庭には、少しだけ大きくなった夏風邪の、悲しき咆哮が響き渡っていた。




