第29話:真龍の誇りと、爆誕ヘルパンギーナ
それは、異世界最強の生物である『真龍』にとって、あまりにも屈辱的で過酷なサバイバル生活の始まりだった。
事の発端は、賢人たちが「神子神社」の立ち上げやマネタイズで忙殺され、タワーマンションの自室に彼を完全に放置したことだった。
何日も主が帰らず、与えられていた高級和牛も尽きた。飢えに耐えかねた真龍は、わずかな隙間から窓の外へと脱出したのである。
何とか地上への着地に成功し、獲物を探したものの、手のひらサイズのトカゲの身体では鳩一羽すら狩ることができなかった。
誇りを捨ててゴミ捨て場を漁れば、その辺のボス猫に凄惨な暴行を受けて這う這うの体で逃げ出す羽目になり。
結局、真龍は公園の茂みでセミやバッタを捕食して、細々と命を繋いでいた。
(我は……異世界を統べる真龍ぞ……。なぜ、このような惨めな姿で……)
空腹と孤独で震えながら、公園の隅でうずくまっていた時のことだ。
「……あ、トカゲさんだ」
公園で一人、ぽつんとブランコに乗っていた少女が、真龍を見つけてしゃがみ込んだ。
ナミ、という名のその小さな女の子は、泥だらけで震える真龍の前に、自分のポケットから出した小さなビスケットをそっと置いた。
さらに彼女は、空き缶に水を入れて傍らに置き、捨てられていた小さな段ボールを茂みの奥に設置してくれた。
「ここなら、雨が降っても濡れないよ。……明日も来るね、トカゲさん」
ナミはそう言って、笑って帰っていった。
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翌日。
ナミは本当にまたやってきた。その手には、子供の小さな手で不格好に握られたおにぎりと、食パンの耳が握られていた。
「食べてね、トカゲさん」
パンをかじる真龍の横で、ナミはぽつりぽつりと話し始めた。
最近この街に引っ越してきて、まだお友達が一人もいないこと。
お父さんが重い病気で病院にいて、お母さんは毎日遅くまで仕事をしていて忙しいこと。
本当はお家で一人でお留守番をしていなきゃいけないんだけど、どうしても寂しくて、毎日この公園に来てしまうこと。
「でもね、トカゲさんが、この街でできた初めてのお友達だよ。えへへ」
嬉しそうに笑うナミを見て、真龍は食パンを咀嚼しながら心の中で毒づいた。
(我はトカゲではない。気高き真龍である。このような人間の幼子と馴れ合うなど……)
そう思いながらも。
その小さな手から貰う不格好なおにぎりは、タワマンで食った高級和牛よりも、なぜかほんの少しだけ温かく感じられた。
だから真龍は、逃げもせず、毎日ナミの話を黙って聞いてやった。
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それから、何日か経ったある日の夕暮れ。
いつものように、ナミからパンを貰い、膝の上でくつろいでいた時だった。
一人の男が、公園の入り口からゆっくりと近づいてきた。
くたびれたサラリーマン風の男。しかし、真龍の直感が激しく警鐘を鳴らした。男の全身から、どす黒く濁った欲望と、神子特有の魔力が漏れ出していたからだ。
(こやつ、ただならぬ気配……!)
男がナミに向かって、薄気味悪い笑みを浮かべて手を伸ばした瞬間。
真龍はナミの膝から弾かれたように飛び出し、男の手首に全力で噛み付いた。
「いてえなコラッ!!」
男の腕が、異能の『硬化』によって一瞬で鋼鉄のように変質する。
真龍の牙は弾かれ、そのまま男の硬化した裏拳が、小さなトカゲの身体を容赦なく撥ね飛ばした。
「ガァッ……!?」
数十メートルも吹き飛ばされ、地面をバウンドして血を吐く真龍。肋骨が何本も折れ、身体が言うことを聞かない。
「チッ、汚ぇトカゲが。……おじさんと、あっちで良いことしようねぇ?」
男が、泣き叫ぶナミの腕を無理やり掴もうとする。
「いやっ! 離してっ! トカゲさぁぁんっ!!」
ナミの悲痛な叫び声に、真龍の意識がハッと覚醒した。
(……ふざけるな。下衆めが……ッ!!)
真龍は、折れた足で無理やり立ち上がった。
ブレスを吹いて男を消し炭にしようとするが、バッタやセミしか食べていなかった身体には、魔力が一ミリも残っていなかった。
(ならば……我の全部を、持っていけッ!!)
気高き真龍の誇り。
彼は、自身の存在そのものを構成する『生命の魔力』を無理やり削り取り、それを炎へと変換した。放てば間違いなく自身は消滅する、文字通りの命を懸けた一撃。
「ゴオォォォォォォォォォォッ!!!」
トカゲの小さな口から、かつての異世界を焼き尽くした『真龍のブレス』が、一条の閃光となって放たれた。
「ぎゃあああああああああっ!?」
油断していた男の顔面の右半分が、炎に包まれて炭化する。
しかし、命を削ったブレスも、魔力不足のせいで威力が足りなかった。
「て、てめえぇぇぇッ!! よくも俺の顔をォォッ!!」
顔を焼かれた男は狂乱し、硬化した足で動けない真龍の身体を容赦なく蹴り飛ばした。
ボロ雑巾のように宙を舞う真龍。
「ナ、ミ……! 今の、うちに……逃げるのだ……ッ!」
血まみれになりながらも叫ぶ真龍の声に、ナミはボロボロと涙を流し、男から背を向けて必死に走り出した。
ガンッ! ゴスッ!!
執拗に蹴られ、踏みつけられながら、真龍は薄れゆく意識の中で夜空を見上げた。
(……まあ、こういう死に方も……悪くはないのう……)
あの小さな友人が逃げる時間を稼げたのなら。真龍の誇りにかけて、決して無駄な命の使い道ではなかった。
真龍が、静かに目を閉じ、死を受け入れた。
その、瞬間だった。
ドッゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!
凄まじい轟音が響き渡り、真龍を踏みつけていた男の『上半身』が、腰から上を残して完全に消し飛んだ。
血の雨が降る中、ポツンと残された男の下半身が、ドサリと崩れ落ちる。
「……よう。カッコいいじゃん、『真龍』」
現れたのは、見慣れたスーツ姿の魔王《賢人》だった。
マンションにトカゲを置きっぱなしにしていたことにようやく気付いた賢人たちが、探し回っている最中に、微弱な真龍のブレスの魔力反応を察知して駆けつけてきたのだ。
「旦那、コイツもう魔力が空っぽで死にかけだよ!」
ザラが慌てて真龍を拾い上げる。
「スー! 魔力分けてやってくれ!」
「オッケー! えいっ!」
賢人の肩から見えない妖精のスーが飛び立ち、干からびて死にかけていた真龍の身体に、膨大な魔力を直接流し込んだ。
「おお……おおおっ! 力が、力が満ちてくるぞ! さすが魔王の眷属よ!」
傷が癒え、全身の鱗がツヤツヤに輝きを取り戻す真龍。元の巨大な姿には戻れないままだが、生命の危機は完全に脱した。
「トカゲさんっ……!」
遠くから、駆けつけた警察のサイレンの音と共に、泣き腫らした顔のナミが戻ってきた。彼女は真龍が無事だと知ると、その小さな身体を両手で包み込み、わあっと声を上げて泣きじゃくった。
「アンタ、結局トカゲって呼ばれてんのね(笑)」
ザラがクスクスと笑う。
「いや」
賢人は、命懸けで少女を守り抜いた小さな誇り高きトカゲの頭を、優しく撫でた。
「コイツは根性あるよ。ただのトカゲじゃない。……でも、『真龍』って呼ぶのも味気ないからさ。ナミちゃん、トカゲさんに名前つけてあげてくれない?」
「えっ……! な、ナミがつけていいの?」
「ああ。この子はナミちゃんのお友達だからな」
ナミは、涙を拭い、真剣な顔で真龍を見つめた。
「お、おい、人間よ。我は気高き真龍ぞ? 変な名前をつけたら承知せぬからな……?」
「うーんとね。……ヘルパンギーナ!」
「…………は?」
賢人が思わず間抜けな声をだした。
「ヘルパンギーナ! ナミね、この間そのお熱が出たの! すっごく強そうな名前で、カッコいいって思ったの!」
「……ヘルパンギーナって? 旦那、なんだいそれ?」
異世界出身のザラが不思議そうに小首を傾げる横で。
「夏風邪のウイルスの名前じゃねえか!!wwww!」
賢人は腹を抱えて吹き出した。
「へるぱんぎーな……。ふむ、響きは悪くないな。我の真の力に相応しい、恐ろしい名やもしれん」
何も知らない真龍は、満更でもない顔でふんすと鼻を鳴らした。
「アハハハ! トカゲさん、今日からヘルパンギーナね!」
ナミが嬉しそうに笑い、真龍――いや、ヘルパンギーナも得意げに尻尾を振った。
こうして。
神子神社の新たなペット『夏風邪のヘルパンギーナ』には、生涯の小さな友人ができたのだった。




