第28話:切断の概念と、呪われた神子
セリーナやレナが担当する区画から遠く離れた、県庁舎跡地からほど近い市街地。
神子神社の実働部隊を率いる『災厄の女帝』ザラは、百名の神子部隊と共に、順調に敵対勢力の掃討を続けていた。
投降を拒否して襲いかかってくる半グレや野良神子たちを、ザラは抜刀すら手間に感じ、大剣の鞘で殴り飛ばすだけで次々と沈めていく。圧倒的な力の差に、同行している神子部隊も完全に士気を取り戻し、制圧は時間の問題かと思われた。
だが、その『異変』は唐突に訪れた。
「ぐわあああああああああっ!?」
最前線を警戒しながら進んでいた神子部隊の一人が、突如として絶叫を上げた。
ザラが視線を向けると、その男の右腕が、肩の根元からボトリとアスファルトに転がり落ちていた。大量の血が噴き出す。
斬られた男は『硬化』の権能を持つレベルBの能力者だった。常時発動しているその皮膚は鋼鉄以上の硬度を誇り、並の刃物や銃弾など傷一つつけられないはずだった。
「……何が、起きた……?」
神子部隊が戦慄して足を止める中、路地の奥から、のそりと一つの影が姿を現した。
女だった。
手足が異様に長く、身長は優に百九十センチを超えているだろう。まるで枯れ木のような痩せこけた体躯。虚ろで焦点の合っていない双眸。
その手には、どこかの死体から奪ったであろう、血まみれで刃こぼれだらけのマチェット(山刀)が力なく握られていた。
「……アンタが、神子神社の巫女って女かい」
女は、ひどく掠れた、生気のない声で呟いた。
「誰だ、お前」
ザラは部下たちを背後に下がらせながら、静かに問う。
「誰でもないさぁ……。急に神子になって、こんな気味の悪い体になって。家族にも彼氏にもバケモノ扱いされて……怒って、気が付いたら全員殺してた、ただのクソ女だよぉ……」
ヘラヘラと笑いながらも、女の目には一切の光がない。完全な狂気、あるいは絶望の底に沈みきった者の瞳だった。
「……で? アタシが巫女なら、どうしたのさ」
「あんた、そこの宮司とデキてるんだってねぇ?」
女は首を傾げ、口の端を歪めた。
「股を開いて巫女になれるならさ。アンタを殺して、アタシがその宮司と寝たら……アタシがそこに座れるのかねぇ?」
その下劣な挑発に、後ろにいた神子たちは息を呑んだ。
しかし、ザラの表情は微塵も動かなかった。怒りすら湧かないというように、ただ冷ややかに女を見下ろす。
「……怒る気にもならんね。旦那はあたしにメロメロさ。お前みたいなゴボウは、ハナからお呼びじゃないってさ」
「ふーん……。じゃあ、宮司も殺そうかなぁ」
「やらせるわけないだろ。……来な」
ザラは背中から漆黒の大剣をゆっくりと引き抜いた。
駆け引きなど必要ない。ただあるがままに、自身の絶大な膂力と剣技をもって叩き斬る。それが災厄の女帝の絶対の戦闘スタイルだった。
女が無造作に、ふらふらとした足取りで間合いに入ってくる。
その瞬間、ザラは踏み込み、大剣を袈裟懸けに全力で振り下ろした。
空気を裂く豪音。女は手に持った刃こぼれだらけのマチェットを、まるで木の枝でも掲げるように無造作に合わせてきた。
大剣の質量とザラの筋力。普通に考えれば、マチェットごと女の身体は両断されるか、弾き飛ばされてミンチになるはずだった。
だが。
スゥッ、と。
何の抵抗も、金属が打ち合う音すらもなく――『斬れた』のは、ザラの振るった大剣の方だった。
「ッ!?」
異世界の超常の金属で鍛え上げられた分厚い大剣が、まるで豆腐のように斜めに切断され、刃先が宙を舞う。
勢いそのままに、女のマチェットがザラの首元へと迫る。
ザラは常人離れした反応速度で咄嗟に上体をのけぞらせ、同時に女の腕を蹴り上げて刃の軌道を逸らした。
チリッ。
ザラの美しい頬に、一筋の赤い線が走り、血が滴り落ちた。
あと数ミリ遅れていれば、首を刎ねられていたのはザラの方だった。
「……こりゃ驚いた。さしずめ『切断』の権能かい?」
ザラは折れた大剣を構え直し、油断なく女を睨みつけた。鋼鉄の硬化を無視し、大剣すらもバターのように両断する力。純粋な物理法則を無視している。
「よく躱したねぇ。でも、ちがうよ?」
女はマチェットを放り捨てると、今度は自身の懐から、先端に小さな重りのついた長さ三メートルほどの細いワイヤーを取り出した。
「私の権能はね、『私が切れると思ったものは何でも切れるし、刃物だと認識したものは刃物になる』って力さ」
「概念の付与……!」
「そう。私の腕が刀だと思えば、腕で何でも切れる。そこに落ちてる鉄骨だって、私が刀だと定義すれば名刀になる。そして、何でも切れるのさ。物理的な硬さなんて関係ない。受けることも、防ぐこともできないんだから……大人しく死になッ!!」
女が狂ったように叫び、ワイヤーを振り回した。
ヒュンッ! という風切り音と共に、ただの細いワイヤーが『絶対切断の刃』となって周囲を薙ぎ払う。
周囲の街灯が、コンクリートの塀が、そして背後にいた神子たち数人の胴体が、一切の抵抗なく一瞬にしてスパスパと両断され、血の雨が降った。
三メートルの絶対切断領域。防ぐことが不可能な不可視の斬撃が、ザラを細切れにしようと襲いかかる。
「さあ行くよぉッ!! しになッ!!」
女が再びワイヤーを振りかぶった、その瞬間。
「ゴホッ!? ガハッ、ゲボォッ……!?」
突如、女が喉を掻きむしり、ワイヤーを取り落としてその場に倒れ込んだ。
肺から大量の水を吐き出し、陸の上にいながら溺れるように激しくむせ返っている。
「……旦那に教わった魔法も、たまには役に立つね」
ザラは冷ややかな目で倒れる女を見下ろした。
賢人がザラたちに教え込んだ、魔法の極致の一つ『座標指定』。ザラは、女の肺の内部の座標を直接指定し、そこに中級の水魔法を展開して大量の水を発生させたのだ。
どれだけ絶対的な切断能力を持っていようと、体内に直接干渉する魔法を切り裂くことはできない。
「ガハッ……ヒューッ、ヒューッ……!」
呼吸ができず、白目を剥いて痙攣する女。
ザラは瞬時に女の背後へ回り込むと、トドメを刺すべく、その細い首に腕を回してへし折ろうとした。
だが。
「グッ……!?」
ザラは小さく呻き声を上げ、大きく後ろへ飛び退いた。
女の首に回していたザラの腕が、まるで鋭利なスコップで深く抉られたように切り裂かれ、大量の血が噴き出していた。
「……厄介だねぇ」
ザラは傷口を押さえながら舌打ちした。
女は、背後に回られた瞬間、自身の『顎の骨』を刃物だと定義したのだ。ザラの腕は、女の顎に触れただけで深く切り裂かれてしまった。
「ゴホッ、ゲハッ……強い、ねぇ……。じゃあ、仕切り直……」
肺の水を吐き出し、体勢を立て直そうと女が顔を上げた、その刹那だった。
「ぐあああああああああああああああっ!?」
女の絶叫が、市街地に響き渡った。
女の右目に、先ほど自身が取り落とした『ワイヤー』が深々と突き刺さっていた。ザラが飛び退く瞬間に足先でワイヤーを拾い上げ、一瞬の隙を突いて女の眼球へと正確に投擲したのだ。
防御不能の絶対切断の武器も、能力者本人の目を貫けばただの凶器に過ぎない。
ザラは瞬時に距離を詰めると、女の左目にも容赦なく指を突き入れ、残った眼球を完全に抉り取った。
「あぎゃあああああああああっ!! み、見えない、目が、目があぁぁッ!!」
両目を潰された女は、狂乱して地面を転げ回った。権能を発動しようにも、視界がなければ対象を「刃物」と認識することも、狙いをつけることもできない。
勝負は、完全に決した。
ザラは、息も絶え絶えになり、仰向けに倒れ込んだ女を見下ろした。
「……やっぱり、人の場所を取るのは、だめかぁ……」
女は、血の涙を流しながら、何も見えない虚ろな眼窩で空を仰ぎ見た。
その顔に、先ほどまでの狂気はもうなかった。ただ、果てしない疲労と絶望だけが張り付いていた。
「……アンタ、最初から死にたかったのかい」
ザラが静かに問いかけると、女は自嘲するように口の端を歪めた。
「……急に、神子になってさ。こんな化け物みたいな体になって……気持ち悪いって、私を罵った彼氏を、思わず叩いたんだよ。そしたら、アイツの身体が半分にズレて、死んだ……」
女の目から、再び血の混じった涙がこぼれ落ちる。
「……パニックになって、駆けつけてきた家族を振り払ったら、お母さんもお父さんも、バラバラになった。……これで、生きてたいと思う方がおかしいさ」
女の告白に、周囲の神子たちは言葉を失い、押し黙った。
それは、神子という異能に選ばれてしまったがゆえの、あまりにも理不尽で凄惨な悲劇だった。
「……知ってるかい? 神子ってのはね、自死できないんだよ」
女は、ぽつりぽつりと呟いた。
「どれだけ死にたくても、本能がそれを許さない。自分を傷つけようとしても、権能が勝手に防御しちまう……。何が選ばれし神子だ。こんなもの……ただの呪いじゃないか……」
ザラは、何も言わずに女の言葉を聞いていた。
異世界で数多の悲劇を見てきた彼女には、この女が抱える絶望の重さが痛いほど理解できた。自らの力で愛する者を壊してしまい、死ぬことすら許されない永遠の地獄。
この女が、ザラという圧倒的な強者に挑み、そしてわざわざ「宮司と寝る」などという下劣な挑発をしたのも。すべてはザラを本気にさせ、自分を殺させるための哀しい自殺願望だったのだ。
「……そうか。じゃあ、終わらせてやるよ」
ザラは、足元に落ちていた女のマチェットを拾い上げた。
自分の大剣は折れてしまったが、今の女の首を刎ねるには、この刃こぼれした山刀で十分だった。
ザラが、静かに刃を振りかぶる。
「……孝文さん、ごめんなさい。……お父さん、お母さん、ごめんね……」
女の口から、消え入るような声で、本当に愛していた者たちへの謝罪が紡がれた。
その小さく、震えるような声を聴いたザラは。
まるで、眠りにつく赤子を撫でるかのように――いっそ優しく、慈愛を込めて、静かにその刃を振り下ろした。




