第16話:機密費100億円の確約と、教習所の惨事
抜けるような青空の下、宮内庁の広大な敷地内に設けられた裏の教習所。
そこには、これから初めて地球の自動車の運転に挑もうと目を輝かせる嫁たちの姿があった。
付き添いとしてやってきた第二課の安倍課長と沙織の二人は、その青空とは対極にあるような、今にも死にそうな顔をして胃薬を噛み砕いていた。
「いやー、広いねぇ! これなら思いっきり走らせても問題なさそうじゃないか!」
ザラがコースを見渡して大きく伸びをする。
その直後だった。ザラと、隣にいたセリーナの視線がスッと細められた。
二人は顔を見合わせると、わざとらしくニコニコと笑いながら俺の両脇にピタリと寄り添い、耳元でヒソヒソと囁いた。
「ねえ旦那。あそこの重機用の砂山の裏と、奥のトラックの中。隠蔽の御業を使ってる神子が数人隠れてるわよ」
「しかも、明らかにこっちの三木ちゃんたちに殺気を向けてるね。どうする?」
俺は表情を一切崩さず、「フーン」と小さく鼻を鳴らした。
そして、胃を痛めてうずくまっている安倍課長に、極めて自然な営業スマイルで話しかけた。
「そういえば安倍さん。この間くらいの戦闘力の神子を倒したら、報酬は三桁億って話でしたよね? 反体制派で、普通にテロとか起こそうとする奴らを鎮圧した場合はどんな感じですかね?」
「え? はあ……」
いきなり金の話を振られ、安倍は困惑しながらも答える。
「そうですねぇ……個別案件は一億から五億くらいですかね。集団テロや要人暗殺を未然に防いでくれた時は、また個別に報酬が出ます」
「ほうほう。ちなみにお幾らくらい?」
「最低でも十億くらいからでしょうか……」
その言葉を聞いた瞬間、俺は背手に隠して嫁たちとイェーイと無音のハイタッチを交わした。
「松本さん……?」
「あ、いえいえ。ちょっとお聞きしたいんですが。例えば今ここでテロがあって、安倍さんご自身が狙われたとかだと、どうなります?」
「怖いこと言わないでくださいよ……」
安倍は青ざめながらも、生真面目に答えた。
「そうですね、ここは国会も近いですし、何より皇居のすぐ横です。ここで何かあったら国家の一大事ですから、百億は出ますよ」
「税抜きで?」
「ええ。宮内庁の機密費から出ますし、非課税扱いにできます」
「……松本さん!?」
横で聞いていた沙織が、俺たちの異様な空気にピンときて声を上げた。
だが、遅い。完璧な言質は取った。
次の瞬間、セリーナが砂山の横に向かって視線を向けた。
「ボッ!!」と空気が爆ぜる音と共に、隠蔽の御業を使っていた神子と、その護衛らしき神子の身体がいきなり炎に包まれた。
「ぎゃああっ!?」
隠蔽が強制的に解け、火ダルマになって転げ回る二人。
優雅な足取りで近づいていくセリーナに対し、護衛の神子が激痛に耐えながら右腕を向けた。その腕そのものが変形し、銃口のような形状になっている。
しかし、神子の右腕から弾丸が放たれることはなかった。
「えっ……」
神子の右腕は、すでに肘から先がポーンと宙を舞っていたのだ。
セリーナの右手には、いつの間にか空間収納から取り出された愛刀――『鬼椿』と銘打たれた禍々しい日本刀が握りしめられていた。
「あ、ああああっ!!」
わめき散らす神子を見下ろし、セリーナは氷のような微笑みを浮かべた。
「静かになさいな」
閃刃。
血飛沫が舞い、護衛の首がゴロリと地面に転がる。
「ふふっ。燃やすのもいいけれど、やっぱり『斬る』のもたまらないわね」
美しく刀の血振るいをするセリーナを見て、もう一人の隠蔽の神子が恐怖でガチガチと震え上がった。
「あら。大丈夫よ、痛くないようにしてあげる」
ヒィッと悲鳴を上げ、神子が背を向けて逃げ出そうとした。だが、全力で駆け出そうと身体が反転したにも関わらず、彼の『首から上』だけはその場にピタリと残されていた。
数秒遅れて、首無しの胴体がドサリと崩れ落ちる。あまりにも鋭利で神速の斬撃だった。
その惨劇の横で、レナが大型の教習車の群れに向かってトコトコと歩いていった。
隠蔽が解け、完全に動揺している気配に向け、レナは歩きながら空間収納へと手を突っ込む。そして引きずり出したのは、彼女の身長ほどもある、もはやメイスとも呼べないような『巨大な鉄柱の塊』だった。
それを見た隠蔽の神子は、パニックに陥ったのか、横に停まっていた十トントラックと自身の肉体を強引に融合させた。
ブォォォォォンッ!!
神子の異能を取り込んだトラックが、化け物のような咆哮を上げて急発進し、距離を取ってからレナに向けて一直線に突っ込んでくる。
「ふふーん!」
レナは迫り来る十トントラックを前に、巨大な鉄柱を構えて『左打席』に入った。
最近、俺のスマホで動画を見てすっかりお気に入りになった、某メジャーリーガーのスイングフォームである。
右足のかかとを上げ、タイミングを計る。
そして、トラックがレナを轢き潰そうと迫ったその瞬間――レナは、全身の魔力と筋力を乗せて、全力で鉄柱を振り抜いた。
ガァァァァァァンッ!!!!
爆弾が落ちたかのような凄まじい衝撃音が教習所に響き渡った。
数十トンの質量を持つトラックのフロント部分が、紙くずのようにひしゃげ、浮き上がる。そのままトラックは放物線を描いて教習所の高いフェンスを飛び越え、遥か彼方の敷地外の空き地へとカッ飛んでいった。
「よしっ! 完璧なホームランですぅ!」
レナは綺麗にバットフリップ(鉄柱投げ)をキメると、両手を突き上げお尻をひねるお決まりのセレブレーションをして、一人で悦に入っていた。
そして最後は、ザラだ。
「ふふふーん♪」
ザラは肩に愛用の大剣を乗せ、ご機嫌な鼻歌を歌いながら、コースの隅に停められていたショベルローダーへと歩いていく。
そして、大きなバケットに向かって声をかけた。
「おい。そこに入ってんだろ? 出てきなよ」
バケットの中からは何の応答もない。
ザラが呆れたようにため息をつき、バケットの中に手を突っ込んで神子を引きずり降ろそうとした、その時だ。
ガコンッ!!
バケットの中に隠れていた男が、突如としてザラに向けて右腕を突き出した。
男の掌から、太い鋼鉄の杭が爆発的な推進力で射出される。男の異能で作り出された浪漫武器、パイルバンカーだ。
「おっ!?」
流石のザラも少し驚いたようだが、あくまで『少し』だ。
ザラは顔面に迫るその鋼鉄の杭を、素手でガシッと掴み止めた。そしてそのまま杭ごと男の身体を強引に引きずり下ろす。
しかし、男も手練れだった。
空中に引きずり出された体勢のまま、男は左の脛をザラに向けた。パカッと足の裏が開き、足首そのものが巨大な銃身へと変形する。
ゼロ距離からの、死角を突いた足裏銃の発射。
「ザラァァァッ!!」
俺が思わず叫ぶのと、轟音が響いたのは同時だった。
もうもうと土煙が舞い上がる。
しかし、土煙が晴れた後に立っていたのは、大剣の広い腹を盾のように使って銃弾を完璧に防ぎ切ったザラの姿だった。
「ちぃっ……!」
舌打ちをする男に対し、ザラは盾にしていた大剣をそのまま滑らせるように突き出し、男の肺を容赦なく貫いた。
「ガハッ……!」
男が血を吐いて地面に倒れ伏す。
その凄惨な光景を見て、ようやく硬直から解けた沙織が慌てて駆け寄ってきた。
そして、血まみれで倒れている男の顔を見て、沙織は息を呑んだ。
「……あなた、久保さん……!?」
どうやら、沙織たちの顔見知りの神子らしかった。
「畜生……。これで届かんか。……殺せよ」
久保と呼ばれた男は、ザラを見上げて自嘲気味に笑い、静かに目を閉じた。
ザラは、大剣を構えたまま俺の方を振り返った。
「……旦那?」
ザラの中では、この男はただのテロリストではなく『良い戦士』として認定されたらしい。介錯していいかという確認の視線だった。
だが、俺は少し違和感を覚えていた。
この男からは、他の狂った神子たちとは違う、何か重い執念のようなものを感じたのだ。
俺は、ゆっくりと久保の傍へと歩み寄った。




