第10話:ワケアリ事故物件と、聖なる(物理)除霊劇
休日の度に行われる、絶望的なお部屋探し。
俺の希望する『家賃十万~二十万円』というリアルすぎる手取り事情と、嫁たちが希望する『タワマン、プール付き、最低でも3LDK以上』という夢のような条件。これらが交わる物件など、当然ながら日本の首都たる東京に存在するはずもなかった。
何十件目かもわからない不動産屋のカウンター席で、俺は出された冷めたお茶をすすりながら、ハイライトの消えた目でぼそりと呟いた。
「あー……。もういっそ、事故物件とかで、とにかく安くて広いところ無いかなぁ……」
半ば自暴自棄になってこぼしたその独り言。
しかし、目の前で図面をめくっていた恰幅の良いベテラン担当者が、ピクッと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げたのだ。
「……お客様。今の言葉、本気ですか?」
「え? ああ、まあ。俺たち、そういう霊的なものは全く気にしないタチなんで」
俺が適当に答えると、担当者はゴクリと生唾を飲み込み、隣に座っていた若い女性社員と顔を見合わせた。女性社員はブルブルと首を横に振っているが、担当者は何かを決意したように、デスクの一番奥の鍵付き引き出しから、一枚の分厚いクリアファイルを取り出してきた。
「お客様が本気なら……紹介、いえ、むしろ『是非お願いしたい』物件が一つ、ございます」
担当者が恐る恐る提示してきた間取り図を見て、俺たち五人(俺、ザラ、セリーナ、レナ、そして頭の上のスー)は目を丸くした。
場所は港区と品川区の境界に建つ、誰もが知る高級タワーマンション。広々とした3LDKで、共有スペースにはプールやジム、コンシェルジュサービスまで完備されている。本来ならば、月の家賃が七十万円を軽く超える超絶VIP物件だ。
それがなんと、月額『十万円』。しかも管理費、修繕積立金、駐車場一台分まで全て込みという、頭のおかしい破格の設定になっていた。
「……おいおい、いくら事故物件でも安すぎだろ。何があったんだよ、ここ」
俺が呆れ半分で尋ねると、担当者はハンカチで額の汗を拭いながら、その芳ばしすぎる曰くを語り始めた。
数年前、この部屋を借りていたIT企業のワンマン経営者がいた。彼はここに愛人を住まわせていたのだが、会社が突然倒産し、多額の負債を抱えて発狂。自暴自棄になった男は、たまたまエレベーターに乗り合わせて降りてきた見ず知らずの女性を、無理やりこの部屋に引きずり込んだのだという。
女性は必死に抵抗したが、逆上した男にナイフで刺され惨殺。その後、通報によって駆けつけ、部屋を包囲した警察を前に、男は自ら命を絶った。
「……と、そこまでは、まあ、大都市の事故物件としては稀にある話なのですが……」
担当者の顔が、さらに青ざめる。
「問題はその後です。普通、事故物件というのは、家賃を半額などに下げて一度誰かに入居してもらい、次の更新時に少しずつ元の家賃に戻していく……という手法をとるのですが、この部屋は『全く定着しなかった』のです」
事情を知って入居した肝試しのYouTuberや、霊感ゼロを自称する強面の男たち。彼らは皆、入居して二週間も持たずに、発狂したように部屋を飛び出していった。
夜な夜な部屋を歩き回る女のすすり泣き。壁から滲み出す血。そして極めつけは、錯乱した住人が別の階の住人を包丁で刺して逃走するという二次被害まで発生し、警察沙汰の大騒ぎになってしまったのだ。
その結果、SNSやXでは『港区最凶の呪われタワマン』として完全に名が知れ渡ってしまった。
周囲で淀んでいた悪霊たちもその負のエネルギーに引き寄せられて吹き溜まりとなり、今や部屋そのものが特級の心霊スポットと化している。その風評被害のせいでマンション全体の価値まで下落し、管理会社とオーナーは毎日頭を抱えているのだという。
「――ぜひ! 今すぐ内見したいです!!」
俺たち四人は、カウンターから身を乗り出して即答した。
タワマン、3LDK、プールとジム付きで、家賃十万。異世界ノキアの貴族の館なんて、地下牢での拷問や暗殺による死体が転がっているのが日常茶飯事である。俺たちにとって、過去に人間が数人死んだ程度の呪いなど、道端の石ころ以下の些事であった。
「ひっ、ひぃぃ……どうして私がこんな目に……っ」
「我慢しろ高橋くん。これを乗り切れば、ウチの会社は助かるんだ……!」
担当者の男性と、半泣きでついてきた女性社員・高橋さんに案内され、俺たちはそのタワーマンションへと足を踏み入れた。
エントランスは大理石張りで豪華絢爛だが、当該フロアに到着してエレベーターを降りた瞬間、空気が一変した。
「随分と、静かなマンションだねぇ」
ザラが周囲を見渡して呟くと、担当者がひきつった笑いで答える。
「あ、はい……。皆様、気持ち悪がって引っ越してしまいまして。今はあっちの端の角部屋以外、このフロアは全て空室なんですよ……」
足音だけが響く廊下を進み、問題の部屋の前に到着する。
担当者が震える手で鍵を開け、重厚なドアを押し開いた。
――途端に、生温かく、ドブのように臭くて重い空気が全身にのしかかってきた。
部屋の中は、昼間だというのに厚いカーテンが閉め切られており、真っ暗だ。
バチッ、バチッ……と、点けてもいないはずの廊下のダウンライトが不気味に点滅し、どこからともなく『ポタッ……ポタッ……』と、水が滴るような音が響き渡る。
「……フーン」
俺は鼻を鳴らし、部屋の中を見渡した。
「ねえケント。こいつら、ウジャウジャいて目障りだしムカつくから消していい?」
俺の頭の上で、妖精のスーが小さな指をパチンと鳴らして魔法陣を展開しかける。
「まあ、ちょっと待てよ。……まずは契約が先だ」
俺は、パニック寸前でドアノブにしがみついている担当者に振り返り、ニッコリと微笑んだ。
「ここ、気に入りました。契約したいんですが、一つ条件があります」
「えっ!? け、契約!? ほ、本当ですか!?」
「ええ。普通、賃貸の契約期間って二年ごとの更新ですよね。でも、今回は『俺たちが住み続ける限り、永遠にこの月額十万円(管理費・駐車場込み)で更新し続ける』という特約を、そちらのオーナー権限で一筆書いてもらえませんか?」
いくら事故物件とはいえ、ここまでグレードの高い部屋を永久に十万で貸し出せば、大赤字もいいところだ。
だが、担当者は迷わなかった。この一戸の利益を度外視してでも、マンション全体にこびりついた『最凶のお化け屋敷』のレッテルを引っ剥がせるのなら、不動産屋にとってもオーナーにとっても万々歳なのだ。
バチィンッ!!
その時、リビングの扉が勝手に勢いよく開閉し、壁にかかっていた絵画がガシャアンと床に落ちて粉々に砕け散った。
「ひいいいぃぃぃっ!?」
強烈なポルターガイスト現象に悲鳴を上げる担当者と女性社員。
「す、住み続けてくださいよ!? 絶対に逃げないでくださいね!? また貸しとか、民泊への利用は一切禁止ですからね!?」
「OK、OK! 約束は守るよ。俺たち、ここにずっと住むから」
俺は、担当者が震える手で差し出してきた契約書と特約事項の用紙に、その場でサインをし、実印をバンバンと押した。
「じゃあ、これで契約は締結。契約の有効日時は、今この瞬間からということで」
「わ、わかりました……! 契約は成立です! だからもう、帰っていいですかぁっ!?」
腰を抜かして泣き叫ぶ女性社員と、拝むように手を合わせる担当者。
「まあまあ、せっかく契約も終わったんだから、俺たちの『お掃除』を見ていきなよ?」
俺がそう言って部屋の奥へと顎をしゃくった瞬間だった。
「よっしゃ、契約完了だな! オラァッ!!」
ザラが獰猛な笑みを浮かべ、何もない空間に向かって、魔力を限界まで練り込んだ右ストレートを叩き込んだ。
ゴォォォォンッ!!! という爆発音と共に、魔力による衝撃波が部屋中の淀んだ空気を一瞬にして吹き飛ばす。
不動産屋の二人の目には、ザラの拳が『神々しいほどのまばゆい光(聖なる光)』に包まれているように見えたはずだ。
「な、なんですかあの光は……っ!?」
「ま、まさか、聖女様……!?」
ただの暴力的な魔力なのだが、圧倒的な出力すぎるせいで、彼らには神の奇跡による除霊にしか見えないらしい。
「キエエエエエエエエエエエエエッ!!!!」
空気が浄化されたことに危機感を覚えたのか。リビングの奥から、手足が異様に長く、顔の右目に深々とナイフが突き刺さった、恐ろしい形相の大女の悪霊が這い出てきた。
その怨念の塊のような姿に、担当者たちは泡を吹いて気絶しそうになる。
しかし。
「うっさいバカ女。そんな隙だらけだから殺されんのよ」
レナが身も蓋もない暴言を吐きながら、空間収納から取り出した巨大なメイス(戦棍)を構えた。
レナのメイスにも、膨大な魔力が『神々しいオーラ(聖なる光)』となって纏わされている。
ドゴォォォォォンッ!!!
「ゲプッ!?」
レナのフルスイングが、大女の悪霊の顔面にクリーンヒットした。恐ろしい形相だった女の顔がひしゃげ、ゴム毬のように壁まで吹っ飛んでいく。
「てりゃあッ!」
レナは倒れた女の悪霊に向かって、トドメとばかりに巨大なメイスを振り下ろそうとした。
「あ、レナ! ストップ! もうここ俺たちの家なんだから、床や壁を傷つけないでね!?」
慌てて俺が制止すると、レナはハッとして動きを止めた。
「あ、そうね! お掃除が大変になっちゃうもの! テヘッ!」
レナは舌を出して可愛らしくウインクすると、メイスを空間収納に仕舞い、代わりに悪霊の胸ぐらを両手でガシッと掴み上げた。
そして。
ドゴッ! バキッ! メキィッ!!
「ひぶっ!? ぎゃんっ!? あべっ!?」
レナはマウントを取り、魔力(聖なる光)を纏った素の拳で、怨霊の顔面をボコボコにタコ殴りにし始めた。
最初は「キエエエ!」と叫んでいた悪霊だったが、顔の形が変わるほど物理的に殴られ続けた結果、徐々にそのトーンが変わっていく。
「キエ……や、やめろ……」
ドゴォッ!
「やめてください……」
バキィッ!
「お、お願い、止めて……ごめんなさい……」
数分後。
右目にナイフが刺さったままの女性の悪霊は、すっかり憑き物が落ちた(物理)ようなスッキリとした顔になり、リビングのど真ん中で綺麗な正座をさせられていた。
「で、アンタなんなの?」
腕を組んで見下ろすレナに凄まれ、悪霊はビクッと肩を震わせて語り始めた。
「わ、私はヨーコと言います……。あの、この隣の部屋に婚約者と住むことになっていて。荷物を運びに来たら、あの男に無理やり引きずり込まれて、レイプされそうになったから必死に対抗したんです。そしたら、生きたまま目にナイフを刺されて……」
シクシクと泣き始めるヨーコ。
あの男。それは間違いなく、元凶である社長の怨霊のことだろう。
バキボキィッ!!
「あぎゃあぁぁぁぁっ!?」
「うるさいわね。少し静かにしていなさい」
ヨーコの悲しい身の上話の背景で、セリーナが社長の怨霊の首根っこを掴み、その手足をパキパキと小枝のように折っては、魔力(聖なる光)を纏った拳で優雅に殴り飛ばしていた。社長の霊は、すでに原型をとどめないボロ雑巾のようになっている。
「うわぁ……」
俺たち一同は、ドン引きしながらその光景を見つめた。
壁際で縮こまっている不動産屋ペアのHPは、とっくにゼロを振り切っている。彼らの目には、大天使のごとき美女たちが、聖なる光の拳で悪魔を嬉々として拷問している宗教画のような光景に映っていることだろう。
「それで……私は成仏できないのに、アイツは満足してさっさと成仏しそうだったから……絶対に許せないと思って、アイツの足を掴んで邪魔をしてるうちに、どんどん物が考えられなくなってしまって……」
ヨーコが恨めしそうに、ボコボコにされている社長の霊を見つめる。
「じゃあ、アイツを殺したら成仏できるのかい?」
ザラが尋ねると、ヨーコはハッとして頷いた。
「え? こ、殺す……?」
「ザラ、何かナイフ無いか?」
俺が手を差し出すと、ザラは「あいよ」と、空間収納から一本の短剣を取り出して渡してくれた。
俺はその短剣に、俺自身の魔力(純白に輝く聖なる光)をたっぷりと纏わせる。
「ほら、持ってみな」
「……あっ! 持てます……!」
幽霊であるヨーコの手が、光り輝く短剣の柄をしっかりと握りしめた。
「じゃあ、アイツを刺せばいい」
俺に促され、ヨーコは震える足で立ち上がり、社長の霊へと近づいていく。
「ギ、ギギギ……ッ!!」
社長の霊がヨーコを見て威嚇しようとするが、その度にセリーナに「動かないで」と聖なる拳で殴られ、地面に沈んでいく。
いざ社長を前にすると、ヨーコの手がガタガタと震え出した。
「復讐、したくないわけじゃないんだよな?」
俺が横から声をかけると、ヨーコは涙ぐみながら首を振った。
「は、はい……。殺してやりたいんですけど、私、生きてる時も人を殴ったことすらないものですから……いざとなると、ビビっちゃって……」
「よし。じゃあ、一緒にやろうか」
俺はそう言うと、短剣を握るヨーコの両手を、俺の大きな手で上からしっかりと包み込んだ。
「え……?」
「狙うのは目だ。行くぞ」
「あ、はい……っ!」
俺の力強い誘導に導かれ、ヨーコの握る短剣が、真っ直ぐに社長の霊の眼球へと突き刺さった。
「消えちまえ」
短剣を通して、俺の魔力を社長の霊の内部へと直接注ぎ込む。
ドォォォォォンッ!!!!
社長の霊は、内側から膨張した凄まじい光の奔流に飲み込まれ、悲鳴を上げる間もなくチリ一つ残さず爆散・四散した。
「…………う、うあああああああああんんっ!」
恨みを晴らしたヨーコが、その場にへたり込み、大声を上げて泣きじゃくった。
俺たちは、彼女の涙が枯れるまで、静かにそれを見守っていた。
やがて。
すっかり落ち着きを取り戻し、憑き物が落ちたように穏やかな表情になったヨーコが、俺たちに向かって深々と頭を下げた。
「皆さん、本当にありがとうございました。おかげで、未練も恨みも無くなりました」
「そうか。良かったな」
俺が微笑むと、壁際で縮こまっていた不動産屋ペアも、開き直ったのかウンウンと一緒に頷いて感動している。
しかし、ヨーコは申し訳なさそうに指をもじもじと合わせ、とんでもないことを口走った。
「あの……皆さんにお知らせがあります」
「ん? なんだなんだ?」
「私……成仏の仕方が、分かりません。というか、さっきの社長みたいにドカンと爆発して成仏するのは、痛そうで勘弁なんですけど……」
「「「「えっ?」」」」
ズッコケる俺たち。
恨みが消えれば光に包まれてスッと消えるのが相場じゃないのか。
悩む俺たちをよそに、レナがケロッとした顔でヨーコに尋ねた。
「ヨーコちゃん、誰かに何か危害を加えたいの?」
「いえいえいえ! あの時は恨みでいっぱいでしたけど、今はもう未練も何もないですから! 誰かを呪う気なんて全然ないです!」
ヨーコが全力で首を振ると、レナはポンと手を打った。
「じゃあ、ここにいればいいんじゃない? そのうち、痛くない成仏の方法もわかるでしょ!」
「えっ!? いいんですか!?」
「うん! お部屋も広いし、大歓迎よ!」
セリーナも優雅に微笑み、ザラも「賑やかになるのはいい事だ」と笑っている。
こうして。
俺たちは、タワマン、3LDK、プール・ジム付き、家賃十万円(管理費・駐車場込み)という超優良物件に加え、『気のいい地縛霊のヨーコちゃん』という新たな同居人(?)を手に入れ、無事に引っ越しを完了させるのだった。
ちなみに。
今回の顛末を最初から最後まで見ていた不動産屋ペアによって、「松本さん一家は、素手から聖なる光を放って悪霊を浄化する、バチカンのエクソシストも真っ青の聖人一族である」という噂が、不動産業界の裏で瞬く間に広まることになる。
のちに俺たちが、各社の抱える『ヤバい事故物件』の物理お祓いビジネスに駆り出され、何千万円という報酬を荒稼ぎして懐を潤わせることになるのだが……それはまた、別の話である。




