静寂と熱
話に花が咲き、楽しみにしていた日本酒のボトルはあっという間に空になってしまった。恭介は買っておいた缶チューハイをプシュッとあけ、二人はさらにグラスを重ねる。
心地よいアルコールと温泉の余熱で、二人とも少しだけ酔いが回ってきた。
まったりとした空気が流れる中、カナが突然立ち上がると、恭介の目の前でゆっくりと浴衣の帯をゆるめた。
「……これ?」
少し頬を赤らめ、照れくさそうにゆっくりと羽織を開く。
そこに現れたのは、さっきの素肌ではなく、繊細なレースで包まれた勝負下着だった。柔らかな胸の輪郭と肌が贅沢に透けて見え、息をのむほど艶やかな表情を見せている。
「あ……う、うん、それ」
思わぬ不意打ちに、恭介は素で返事に詰まってしまった。さっき「何もつけてない」と見せかけてからのこの仕込みに、完全に一本取られた形だ。
「どう?」
カナは上目遣いで恭介の反応を窺う。
「……似合ってる」
恭介が照れを隠すように短く答えると、カナは満足そうに表情をほころばせた。
「ふふ、嬉しい♡」
浴衣を直し、何事もなかったかのように座り直してお酒を飲むカナ。
畳の上で膝を抱え、体育座りをしながらテレビを眺めている。
(っ…!これだ……これがカナのあざといところなんだよな……)
恭介はグラスを傾けながら、内心で頭を抱えた。
体育座りをしている浴衣の股の隙間から、さっきの艶やかなレースと肌がちらりと覗いている。いや、無意識のふりをして絶対に見せてきている。自分の魅力を知り尽くした上で、シレっと気付いていないフリをして煽ってくる計算深さ。
男として、否が応でも視線を引き寄せられてしまう。
カナの顔を見て普通に雑談をしながらも、ふとした瞬間に一瞬だけ目線を下に向けてしまう恭介。
すると、カナがニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを覗き込んできた。
「さっきから見てるよね?」
「は? なにが?」
「いや、見てるでしょ? 気付いてるんだからね」
「いやいや、全然見てないし。なんのことだよ」
恭介が素っ気なく返すと、カナは意地悪そうに口元を歪め、少しずつ、少しずつ足をひらいていく。隙間がさらに広がり、視線を引きずり込もうとしてくる。
「決めつけるなよ」
そう言いながら、またしても反射的に一瞬だけ目線が落ちてしまった。
「ほら、見た! 今見たでしょ!」
カナは楽しそうに声をあげてパッと足を閉じる。
「い、いや、違う違う!」
「何が違うのよ?」
観念した恭介は、開き直るように吐き捨てた。
「カナが見せてるんだろ!」
「はー? 見なきゃ済む話でしょ。見たいんでしょ? ……うふふ、可愛いなぁ」
「見たくないわ。はぁー……温泉入ろ」
カナの小悪魔的な笑みに完全に負かされた恭介は、照れ隠しと熱を冷ますために、そそくさと湯殿の石風呂へと逃げ出した。
石風呂に浸かって少し息を吐いていると、すぐに追ってきたカナが湯船に入ってきた。
そのまま躊躇なく恭介の膝の上にちょこんと乗り、しなやかに身体を寄せてくる。完全にスイッチが入っている表情だ。
「今日の下着、どうだった?」
耳元でささやかれる甘い声に、恭介の肩がびくっと跳ねる。
「え、うーん……いいんじゃない?」
「全部レースで可愛かったでしょ?」
「よくわかんないけど、まぁ……うん」
「透けてて、全部見えてたでしょ」
「よく見てないからわかんないけど……」
素っ気なく返してみるものの、膝に触れるカナの体温と湯気で、一向に冷静になれない。
「嘘ばっかり。見てたじゃん……興奮した?」
「いや、まぁ……」
問いただすような上目遣いに見つめられ、恭介の体温は温泉の熱さとは違う意味でどんどん上がっていく。
「ちょ……俺、出るわ」
「えー、もうちょっと入ろうよぉ」
「いや、出るわ……!」
これ以上は危険だと判断した恭介は、すがるカナの手をやんわり解き、さっさと湯船から上がった。
「待ってよー!」
後ろで上がる不満そうな声を背に受けながら、脱衣所で勢いよく浴衣を羽織る。
部屋のテーブルに戻り、火照った身体を冷ますように、再び冷えた酒をぐっと喉に流し込んだ。
脱衣所から出てきたカナも浴衣を羽織り、恭介の隣に腰を下ろしてお酒を口に含んだ。
「暑くなってきたねー」
はだけかけた胸元をパタパタと手で扇ぎながら、カナが吐息を漏らす。
「あぁ、暑いな。温泉入り過ぎたわ」
恭介が冷えたグラスを頬に当てて熱を逃がしていると、カナがゆっくりとグラスをテーブルに置いた。
そして、少しだけトーンを落とした、甘く誘うような声で恭介の顔を覗き込む。
「そろそろ寝る? ……それとも、まだ寝ない?」
上目遣いの瞳には、隠しようもない色気が宿っていた。
「……うん、そろそろ寝ようかな」
「そろそろ寝る?」と口にしながらも、もちろんこのまま素直に眠りにつくはずがないことは、お互いに重々承知していた。
「うん、そうしよっか♡」
カナは心得たように小さく微笑むと、リモコンを取ってテレビの電源を落とした。パッと部屋の灯りが消え、周囲が深い静寂に包まれる。
二人で並んでベッドの上に横になる。
窓越しに見える外の露天風呂の間接照明が、静かに揺れながら薄暗い室内を柔らかな光で照らしていた。
ふと隣を見ると、カナはすでに浴衣を脱ぎ捨てており、先ほど部屋で見せたあの艶やかな勝負下着姿でベッドにペタンと座っていた。仄暗い光の中で透けるレースと、白く浮かび上がる体の曲線が、嫌応なしに恭介の視線を惹きつける。
部屋の外からは、絶え間なく注がれる掛け流しの湯の音だけが、トクトクと心地よく響いている。
どちらからともなく手を伸ばし、引き寄せ合うようにしてお互いの体を強く密着させた。
肌から伝わる熱と、耳元で重なる吐息。形式や約束事に縛られない二人だけの、濃密で深い夜が静かに始まっていった。
♡
窓から差し込む眩しい朝日と小鳥のさえずりで、恭介は目を覚ました。
隣を見ると、カナは布団をしっかり抱え込んだまま、すやすやと心地よさそうに眠っている。
恭介は静かにベッドを抜け出すと、軽くシャワーを浴びてから、そのまま朝日が差し込む露天風呂へと身体を沈めた。
これが露天風呂付き客室の、一番贅沢で最高なところだ。
湯気の中に朝の澄んだ光がキラキラと差し込み、遠くの山の緑が鮮やかに映える。
「ふぅーーーーーーーーー……」
湯船に深く浸かりながら両手を大きく上に伸ばし、思い切り欠伸をひとつ。
昨夜の熱っぽさを優しく洗い流してくれるような爽やかな湯の温もりに、全身の細胞がじわじわと目覚めていくのを感じていた。
湯船の中で腰に手を当ててすっと立ち上がり、恭介は澄み渡る朝の景色を眺めた。
山々の木々が朝日に照らされ、清々しい風が肌を撫でていく。
「いいなぁ……こういうところに住みたいな……」
心から漏れた独り言に浸っていると、ガラガラと引き戸が開く音がした。
「何やってんの? 湯船の中で全裸で立ち尽くして。変だよw」
目をこすりながら出てきたカナが、呆れたように笑いながら湯船に歩み寄ってくる。
「いや、いいとこだな、と思って眺めてた」
「ふふ、うん。本当にいいところだね」
カナも恭介の隣に並んで立ち、一緒になって湯船から朝の景色を眺め始めた。
恭介はそのままお湯の中に腰を下ろし、すっと背中の岩に体を預ける。
ふと目の前に視線をやると、目の前に立っているカナの、丸みを帯びた綺麗なラインのお尻がどーんと構えていた。
「おい、でかい尻が邪魔で見えないぞ」
恭介が冗談めかして声をかけると、カナはくるりと振り向き、恭介を睨んだ。
「いい景色でしょ! なかなか目の前で見れないよ!?」
「はいはい。絶景ですね」
恭介が半目になりながら棒読みで返すと、カナは満足そうに頷くと、バシャリとお湯を跳ねさせながら恭介の隣に腰を下ろした。
「感謝してよね」
「そーですね」
朝の爽やかな光と温かい湯気の中で、二人の他愛もない軽口が心地よく響いていた。
お腹が空いた二人は着替えを済ませ、朝食の会場へと向かった。
昨日のうちに朝食のスタイルを選べたため、恭介が気を利かせて洋食を選んでおいたのだ。
案内されたテーブルには、焼き立てのクロワッサンが香ばしい香りを漂わせ、ツヤツヤとしたオムレツや新鮮な野菜サラダ、カラフルなフルーツが所狭しと並んでいた。さらに、搾りたてのオレンジジュースやフレッシュミルクなど、ドリンクも充実している。
「なんか豪華な朝食だな」
「ほんとだね! いつも旅館だと和食が多いから、洋食にして正解だったかも」
カナは嬉しそうに目を輝かせ、さっそくクロワッサンに手を伸びしかけたところへ、女将の三田が柔らかい笑みをたたえてやってきた。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたでしょうか?」
「はい、何度も温泉に入って、すごくゆっくり出来ました」
カナが笑顔で答えると、女将は嬉しそうに目を細めた。
「それは何よりでございます。この後はどちらかに行かれるご予定ですか?」
「うーん、実はノープランなんです。どこかおすすめの場所ってありますか?」
「それでしたら、ここから車で十五分ほどのところに綺麗な展望台がございますよ。お天気が良い日には山々が一望できますので、ドライブにはうってつけかと」
「へぇ、展望台! 恭介さん、行ってみたい」
「そうだな、天気も良いし寄ってみるか。ありがとうございます、女将さん」
「いえいえ、どうぞごゆっくりお召し上がりくださいね」
女将が見送ったあと、二人は焼きたてのパンや出来立てのオムレツを味わい、朝から大満足の時間を過ごした。
部屋に戻ると、チェックアウトまでの時間が少し残っている。
「最後にもう一回入ろっと!」
カナはそう言うと、迷わず露天風呂へと向かった。
「そうだな」と呟き、恭介も湯殿へ続く扉を開けた。
朝の光が差し込む湯船の中でぼんやりしていると、カナがスルスルっと恭介の股の間に入り込んできた。
抱きかかえるようにしながら、自分の腕にお湯をすくってはパシャリと染み込ませている。
恭介は後ろからカナの細い首筋にそっと唇を寄せ、静かにキスをした。
「もう……くすぐったいよぉ」
そう言いながらも、カナは湯の中でくるりと向き直り、恭介の腰をキュッと自分の足で挟み込んできた。
「最後にもう1回」
上目遣いで甘くねだる顔に、恭介は苦笑いを浮かべる。
「そんな時間ないだろ」
「あるよ!」
「ないって」
「あるのっ!」
「もう少ししたらチェックアウトだぞ?」
「ある! あるのっ!」
きかない子供のように意地をはるカナに、恭介は念を押すように言った。
「お湯の中だし。ダメだろ」
するとカナは、濡れた手で恭介の腕を力強く引っ張り、湯船の横にあるデッキチェアへと強引に座らせた。
「ここならいいでしょ」
言い切るやいなや、カナは準備をして恭介の上にすっと跨り、ゆっくりと腰を押し下ろしていく。
濡れた肌と肌が重なり合い、朝の清々しい空気の中で一気に熱が跳ね上がった。
◇
「……ほら、もう時間だぞ。用意しなきゃ」
少し息を整えた恭介が、カナの腰をトントンと叩いて声をかける。
「えー、うん……もう……?」
カナは頬を真っ赤に染めたまま、不満足そうに小さく頷いた。
「よし、あがるぞ」
まだ名残り惜しそうにしているカナを宥めながら急いで身支度を整え、二人は秋晴れの澄んだ空気の中、チェックアウトへと向かった。
「誠にありがとうございました。どうぞお気をつけてお帰りくださいませ」
玄関先で女将の三田に見送られ、二人は宿をあとにした。
「ありがとうございました! 絶対また来ます!」
カナは笑顔で大きく手を振っていたが、いざ車に乗り込んでエンジンをかけると、助手席でぷいっと窓の外を向き、あからさまに不機嫌なオーラを出し始めた。
恭介は車をゆっくりと発進させながら、隣の様子を窺う。
「ん? どうした?」
「別に」
「え、怒ってる? なんだよ?」
「さっき、さっさと出たよね?」
口を尖らせて睨んでくるカナの様子で、恭介はピンときた。どうやらさっきのデッキチェアでの時間が、途中で打ち切られて不完全燃焼で終わったことに納得がいっていないらしい。
「時間なかっただろ? 仕方ないじゃん。怒るようなことか?」
「怒るよっ!」
「ったく……なんだよ…。あ、女将さんが言ってた展望台どうする?」
「行かない」
「え? 行かないのか?」
即答したカナは、恭介の顔をジッと見つめて平然と言い放った。
「帰って続きやるから」
「は? そんなに根に持つことか?」
「今からでもいいけど?」
そう言ってカナが怪しく手を伸ばしかけてきたため、恭介は慌ててハンドルを握り直した。
「わかったわかった! 帰ってからな!」
「うんうん♪」
約束を取り付けると、カナは現金なもので一瞬でいつものご機嫌な笑顔を取り戻した。
道中、山あいの道の駅に立ち寄り、獲れたての秋の味覚や地元の特産品を冷やかしながら買い込んでいく。ソフトクリームを半分こにして頬張り、他愛もない会話で笑い合う二人の時間は、行きよりもどこか距離が縮まったように温かい。
車内には、買ったばかりの野菜と温泉の残香が優しく漂っていた。
秋晴れの澄んだ空の下、愛車はゆったりとした速度で帰路を進む。宿での濃密な時間と、この後に待っている“続き”への期待をのせて、秋の旅は最高の余韻とともに締めくくられようとしていた。




