再燃
カードキーをかざし、重いドアを開ける。リホが静かに部屋の中へ入ってきた。
「へぇ、広い部屋やんか」
「会社が取ったから、俺もよくわかんないんだけどな」
買い込んできた缶チューハイや缶ハイボールをテーブルに並べ、プルタブを引く。小さな金属音が部屋に響いた。
「乾杯」
「乾杯」
カチンと缶を合わせ、ベッドの腰掛けと椅子に分かれて座る。
二人きりになると、居酒屋のバカ騒ぎとはまったく違う、少し低くて濃密な時間が流れ始めた。自然と会話は、あの頃の二人にしか分からない「秘密の思い出」へと向かっていく。
「あの時さ……ナナミにバレないかヒヤヒヤしたよな」
俺が苦笑いしながら呟くと、リホは缶を両手で包み込みながら、懐かしそうに目を細めた。
「ほんまにな。うち、ナナミと会うたびに申し訳なくて……心臓破裂しそうやったわ」
「そうだよな……。でもさ」
俺はリホの目をじっと見つめ、ずっと胸の奥に仕舞い込んでいた本音を口にした。
「俺、本当はリホと付き合いたかったんだ」
リホの手がピタリと止まる。少し驚いたように目を見開いた後、リホはおっとりと、でもどこか切ない眼差しで俺を見返してきた。
「……あの時、私もそうやったよ。でも……ナナミがいたから」
言葉の裏にあった互いの惹かれ合いを、何年越しかで答え合わせするように確かめ合う。
「そうだよな。タイミングが悪かったよな……」
俺が呟くと、リホは「ほんま、タイミング悪かったなぁ……」と静かに頷き、どこか寂しげに笑った。部屋の灯りの下、あの頃と変わらない――いや、大人になっていっそう色気を増したリホの姿に、俺の胸のざわつきは抑えきれなくなっていた。
缶ハイボールを少しずつ口に運びながら、リホがふと思い出したように首をかしげた。
「そういえば……さっきナナミが言ってた、あのサークルの年下の子とも、ほんまに付き合ったん?」
探るような、どこか悪戯っぽい瞳が俺に向けられる。俺は少し照れくさそうに頭をかきながら、白状するように頷いた。
「まぁ……そうだな」
それを聞いたリホは、ふーっと大げさに溜め息をつくと、眉をひそめて俺を睨んだ。
「最低やん……。うちもおったのに」
言葉の端々に滲む小さな棘。俺は思わず口角を上げ、リホの顔を覗き込んだ。
「ヤキモチかよ」
「……なんでやねん」
リホはパシッと俺の肩を軽く叩き、照れ隠しのように缶チューハイに口を付けた。だが、その頬はほんのりと赤く染まり、伏せられた長いまつ毛が揺れていた。
「ヤキモチちゃうわ……ただ、当時のうちがちょっと可哀想になっただけ」
強がるような言葉とは裏腹に、二人の距離は、居酒屋にいた頃よりも確実に縮まっていた。
リホは缶のフチを指先でなぞりながら、どこか遠くを見るような目をしてぽつりと漏らした。
「当時はなぁ……恭介とナナミ、早く別れへんかなぁって、ずっと思っててん」
意外な告白に俺は驚き、手元のグラスを止めてリホを見た。
「そうなん? でも……もしあの時俺たちが別れてたら、リホは俺と付き合ってくれたか?」
俺が真顔で尋ねると、リホはおっとりとした苦笑いを浮かべ、ゆっくりと首を振った。
「そこやねん……。冷静に考えたら、親友の彼氏やった男の人と付き合うとか無理やん? しかも恭介、ナナミと別れた後、普通に違う年下の子にいってるし」
そう言ってクスッと笑うリホ。言葉では俺を責めながらも、その柔らかい関西弁のトーンには刺がなく、どこか愛おしそうに過去を懐かしむ響きが含まれていた。
俺は手元の缶をテーブルに置き、ベッドの端に腰掛けたまま、隣のリホをじっと見つめた。
「でもさ……昔よりも綺麗になったな」
唐突に投げかけた本音に、リホは持っていた缶をピタリと止め、目をごしごしと擦るような仕草をしてから俺を振り返った。
「はぁ? 何言うてるん……?」
「いや、ほんとに。昔も可愛かったけど、今のほうが全然いいと思う」
お世辞でも何でもなく、大人の色香を纏った今の彼女は魅力的だった。まっすぐに目をそらさずに告げると、リホのふんわりとした瞳が泳ぎ、頬が一気に朱色に染まっていく。
「え? ……やめてよ。そんなん言われたら、ドキドキするやん……」
部屋の中に流れる空気が、一気に甘く濃密なものへと変わっていった。
照れたように視線を泳がせるリホの横顔を、俺は見逃さなかった。静かに距離を詰め、吸い寄せられるように自然と唇を重ねる。
柔らかい感触と、リホの微かな吐息が口内に広がっていく。
一度離れた唇を惜しむように、リホは少し潤んだ瞳で俺を見上げ、吐き捨てるように、でも甘く呟いた。
「もう……部屋に入った時に、こうなる予感がしてたわ」
「それでも、ついてきたんだろ?」
「それは……だって……」
言い訳を探すような口元を塞ぐ代わりに、俺は彼女の薄着のブラウスの上から、その豊満な胸に手を伸ばした。吸い付くような柔らかさと重みが手に伝わる。
「……昔と変わらず、大きいな」
「……昔よりは小さくなったけど……」
手のひらから伝わる熱と背徳感に、リホの息が急速に荒くなっていく。胸元を優しく揉みほぐしながら首筋に口づけを落とすと、リホは小さな悲鳴を上げ、俺の肩をぎゅっと掴んできた。
「ちょっと……待って……っ」
「……ん?」
「先に、シャワー浴びてもいい……?」
少し上目遣いで、赤くなった顔を伏せながらリホが囁く。俺は一度手を離し、深呼吸をして荒くなりかけた息を整えた。
「あぁ……そうしよう」
リホは立ち上がり、ブラウスの乱れをサッと整えると、胸の高鳴りを抑えるように手元を握りしめ、パタパタとバスルームへと向かっていった。
ドアが閉まり、水の流れる音が部屋に響き始める。一人残された俺はベッドの上に腰掛け、これから始まる濃密な夜を想いながら、静かに喉を鳴らした。
カチャリと音がしてバスルームのドアが開き、白いバスタオルを胸元でしっかりと巻いたリホが出てきた。湿った髪から甘いシャンプーの香りが漂い、風呂上がりで火照った肌がほんのりと桜色に染まっている。タオルの上からでも隠しきれない胸のボリュームが、歩くたびにゆらりと揺れていた。
「俺もシャワー浴びてくる」
俺はリホの濡れたうなじから視線を外し、すれ違いざまに肩を軽く叩いてバスルームへと向かった。
熱いシャワーで頭を冷やそうとしたが、火照った身体は一向に落ち着かない。素早く身繕いを済ませて部屋に戻ると、照明が少し落とされていた。リホはベッドに入り、シーツを胸元まで引き上げて静かに横になっていた。
俺はそのまま、吸い寄せられるようにベッドの隣へと滑り込んだ。
ふわりと広がるリホの体温と甘い匂い。シーツの中で互いの肌が触れ合った瞬間、リホは小さな吐息を漏らし、おっとりとした声で呟いた。
「……こういうことは、あかんよ」
「うん、あかんな」
リホのイントネーションを真似て返すと、リホは「もう……」と困ったように眉を下げた。俺は思わず笑いをこぼす。
「ふふふ……」
「……どうしてくれるん?」
リホがシーツの中から少しだけ顔を出し、上目遣いで俺をじっと見つめてくる。
「ん? どういうこと?」
「……好きになってしまうやん」
今にも消えてしまいそうなほど柔らかく、切ない声。俺はシーツの中でリホの腰を引き寄せ、その濡れた唇のすぐ近くで静かに笑った。
「いいじゃん。俺も好きなんだから」
「ほんま、ずるいわ……」
リホの甘い掠れ声が唇の間から漏れ出た瞬間、シーツの中で交わる熱量が跳ね上がった。
バスタオルが滑り落ち、むき出しになった彼女の肌に手を伸ばす。吸い付くようなしっとりとした質感と、手のひらから溢れんばかりの圧倒的な胸の質量。昔、ナナミの目を盗んで密かに触れたあの夜の記憶が、濁流のように頭の中に押し寄せてきた。
首筋から鎖骨、そして豊満な膨らみへと口づけを落としていくと、リホは俺の髪に指を絡め、背中を小さく反らせた。指先が背骨をなぞるたび、彼女の口から零れるのは、おっとりとした普段の口調からは想像もつかないほど切ない吐息だ。
十数年の月日は、互いの立場や環境を大きく変えた。互いの薬指の重みも、自宅で待つ誰かの存在も、この一瞬だけは完全に部屋の外へと締め出される。
リホの吐息が俺の耳元をくすぐる。シーツの海の中で互いの体を強く求め合い、重なり合う肌と肌の間からあふれる熱に、二人はただどこまでも深く沈み込んでいった。
◇
静寂の中、かすかに聞こえるエアコンの稼働音だけが部屋を満たしていた。
ベッドの上、シーツを胸元まで引き上げたリホが、俺の腕に頭を預けながらぽつりと呟いた。
「ねぇ……また会える?」
少し不安げな、でもどこか甘えるような上目遣い。俺は彼女の肩を抱き寄せ、優しく髪を撫でた。
「俺がこっちに来た時はな」
「……私、仕事でそっちに行くことがたまにあるねん」
リホの言葉に、俺は少し驚いて彼女の顔を見た。距離という壁が、少しだけ低くなったような気がした。
「じゃあ、その時は俺が案内するよ」
「ほんと? ……でも、他の女の子とも相変わらず遊んでるんでしょ?」
リホはおっとりとしたトーンの中に、少しだけ意地悪な探るような視線を混ぜてくる。過去のサークルの話を引きずっているのだろう。
「そんなわけないだろ」
「私、そういうの嫌やから……」
真顔で釘を刺してくるリホの唇に、俺は軽く口づけを落として笑った。
「そんなわけないだろ」
俺のまっすぐな言葉に、リホはホッと安堵したように胸を撫でおろし、柔らかく微笑んだ。
「うん……信じてる」
そう言って、リホは俺の胸元にそっと顔をうずめた。
関西出張の終わりに訪れた、あまりにも濃密で背徳的な一夜。朝の光が薄カーテン越しに部屋を照らし始める中、俺たちは互いの体温を感じながら、静かにまどろみの中へと落ちていった。
続く




