母と娘
晴れた休日の朝。 リビングには、二人だけのまったりとした時間が流れていた。
恭介は上半身裸のままソファに深々と腰掛け、淹れたてのコーヒーを傾けてまどろんでいる。その隣では、ノーブラに大きめのゆるいTシャツを羽織っただけのカナが、ふにゃりと恭介の肩に頭を乗せてボーッとしていた。
昨夜の甘い余韻と、休日の開放感。二人とも完全に油断しきっていた、その時だった。
――ピンポーン。
静かな部屋に、無機質なインターホンが響き渡る。
「え、だれ……?」
カナがハッと体を起こし、焦ったようにモニターへ駆け寄る。画面に映っていた人物を見た瞬間、カナの顔から一気に血の気が引いた。
「え! やばい!」
画面の中で、野菜の詰まった大きな袋を手にしたカナの母親が立ち尽くしていた。
――ピンポーン。
二度目のチャイムが鳴る。カナは慌てて通話ボタンを押した。
「は、はーい……!」
『あら、いたのね。近所の人から野菜たくさんもらったから、持ってきたの』
「う、うん……今開けるね」
オートロックの解除ボタンを押す。 エントランスからエレベーターに乗り、この部屋の玄関前に到着するまで――制限時間、およそ三分。
「恭介さん、やばい! お母さん来た!」
「うおっ……マジかよ」
そこからはまさに怒涛の嵐だった。 カナは脱ぎ捨ててあった下着を引っつかむと寝室へダッシュし、急いでブラをつけて普段着のニットに着替える。ボサボサの髪を手ぐしで適当に整る。
恭介もソファから飛び起きると、転がっていたTシャツを頭から被り、洗面所へ駆け込んで水で髪を引っ詰めて寝癖を誤魔化す。
トントン、と軽やかなドアのノック音。 二人ともハァハァと荒い息を整え、何事もなかったかのような顔を作って玄関に向かった。
カナがガチャリとドアを開ける。
「来る時は連絡してよ!」
開口一番、カナがプンプンと怒った声を上げる。 だが、お母さんは手に持った重そうな野菜の袋を抱え直し、カナの顔と、後ろで立っている恭介の姿をじろじろと見比べた。髪の毛が少し湿っている恭介と、どこか服の襟元が乱れているカナ。
「なに? 今起きたの?」
一瞬で見抜いたお母さんの言葉に、カナの体がピクッと固まる。
「こんにちは。お邪魔してます。」
恭介がすかさず一歩前に出て、何食わぬ顔で挨拶をした。
「あら、こんにちは。恭介さんもいたのね」
お母さんはそう言いながら、口元を隠してニヤニヤとカナを見つめてきた。その目には完全に「察した」光が宿っている。
「な、なに……?」
カナが居心地悪そうに身を縮めると、お母さんは楽しそうに目を細めた。
「仲良くていいわね」
「はぁ!? な、何言ってるのよ!」
真っ赤になって声を裏返らせるカナに、お母さんは上品に笑いながら肩をすくめた。
「もう大人なんだから何も言わないわよ、うふふ」
「だから、変な勘違いしないでよっ……! まったく……何か冷たいものでも飲む!?」
必死に話題を逸らそうと台所へ向かうカナの背中を追いかけながら、お母さんはリビングへ上がり、恭介に向かって申し訳なさそうに微笑んだ。
「お邪魔してごめんなさいね、恭介さん」
「いえいえ、ゆっくりしてください」
カナが少し赤くなった顔のまま、氷の浮かんだアイスコーヒーを三人分運んできた。
お母さんは「ありがとう」と受け取ると、ゆったりとソファに深々と腰掛けた。 恭介はといえば、お母さんのすぐ近くに座るのがどうにも緊張したため、あえて少し離れたダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。
「でね、近所の山田さんのところのお孫さんがさ……」
そこからは、お母さんの独壇場だった。 近所の奥さんたちの噂話から、カナの地元の同級生の近況まで、話はポンポンと跳んでいく。恭介も愛想良く相槌を打っていた。
「そういえばカナ、小学生の頃、好きだった佐藤くんっていたじゃない? あの子がね――」
「ちょっと!! 余計なこと言わないでよ!」
カナが飛び上がるようにしてお母さんを制止する。顔を真っ赤にして必死に口を挟むカナに対し、お母さんは涼しい顔で恭介に助けを求めた。
「いいじゃない? ねぇ、恭介さん?」
「ははは……はい」
恭介は苦笑いしながら、カナの殺気立った視線を受け流すしかなかった。
――と、その時。
楽しそうに喋っていたお母さんの視線が、ふとソファの陰、部屋の隅のフローリングの上に止まった。
(……ん?)
違和感を覚えた恭介が、お母さんの視線の先をそっと辿る。 次の瞬間、恭介の背筋に冷や汗が吹き出した。
――そこには、昨晩カナが脱ぎ捨てた、色鮮やかでド派手なレースの下着が転がっていた。
(やばいぞ……!!)
急いで片付けたはずが、ベッドから飛び出していたのか、それとも着替えるときにすっ飛ばしたのか。バッチリとお母さんの視界に入っている。
お母さんは呆れたような、けれどどこかニヤニヤとした表情で溜息をついた。
「下着はちゃんと洗濯機に入れなさいよ。」
「は? なに?」
わけが分からず首をかしげるカナ。お母さんの視線を追いかけ、その先にある「ブツ」を認識した瞬間――
「あ!!」
カナは絶叫に近い声を上げると、弾かれたようにダッシュして下着を鷲掴みにし、そのまま奥の部屋へと消えていった。
「もう……うちの子はほんとズボラで。恭介さん、ごめんなさいね?」
お母さんが呆れ顔でコーヒーを口に運ぶ。
「い、いえいえ……」
数秒後、真っ赤な顔をしたカナが猛スピードで戻ってくる。
「な、何言ってるのよっ!!」
「その辺に下着を脱ぎ捨てて。ちゃんとしなさいよ。しかも派手なのを…」
お母さんが母親らしい顔で注意すると、カナは顔から火が出そうなほど耳まで真っ赤になる。
「わ、わかってるから!!」
「昔からこの子はそうなのよ。恭介さんも注意してあげてね」
お母さんが呆れ半分、苦笑い半分で恭介に話しかける。
「ははは……はい」
恭介は苦笑いしながら頷くしかない。とてもじゃないが「注意する」側として偉そうなことは言えなかった。
「ちょっと! 普段はちゃんとしてるから!」
カナが、腕を組んでぷんぷんと怒る。必死に自分の尊厳を守ろうとする姿に、お母さんはじーっとカナの胸元へ視線を注いだ。
そして、ふっと呆れたように息を吐く。
「今着てるニットだって、前と後ろが逆じゃないの」
「え!」
カナがハッとして自分の胸元を見下ろす。
急いで着替えたせいで、本来は背中側にあるはずの服のタグが、喉元の真っ只中にしっかりと主張するように飛び出していた。
「あ……」
完全に言い逃れのできない証拠を突きつけられ、カナの顔が今日一番の赤さに染まる。
「……っ!!」
声も出ないカナは、そのまま旋風のような勢いで再び寝室へと消えていく。
服を直し終え、寝室から戻ってきたカナを横目に、お母さんはアイスコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「ふう……二人の邪魔になるから、そろそろ買い物に行ってくるわ」
「今度来る時は事前に連絡してよね!」
すかさずカナがトゲのある声で言い返す。お母さんは靴を履きながら、振り返ってカナをじっと見つめた。
「ちゃんと掃除もしなさいよ」
「してるから!」
むっと顔を膨らませるカナをスルーし、お母さんは玄関で頭を下げる恭介に向き直った。少し柔らかい表情になり、優しく語りかける。
「恭介さん、この子が迷惑かけるかもしれないけど、よろしくお願いしますね」
「は、はい」
恭介が恐縮しながら頷くと、カナが痺れを切らしたように背中を押した。
「もういいから! 買い物行くんでしょ!?」
「はいはい、帰るわよ。……恭介さん、お邪魔しました」
「あ、わざわざありがとうございました。お気をつけて」
恭介が挨拶を返すと、お母さんは満足そうに微笑んで玄関のドアを開けた。
「下まで送ってくるね」
カナはそう言うと、お母さんのあとに続いて廊下へと出て行ったのだった。
ガチャリと玄関のドアが開き、お母さんを下まで送っていったカナが戻ってきた。
「はぁ〜……ほんとうるさいんだから」
ドアを閉めるなり、カナは疲れたように大きな溜息をついて、リビングのソファへ倒れ込むように腰掛けた。
「お疲れ。……何か言われた?」
テーブル越しに恭介が尋ねると、カナはソファのクッションに顔を埋めたまま、くもった声で吐き捨てるように言った。
「片付けをしなさい、とか……そんなことばかりだよ」
「まあ、親心だろ」
「もう、恭介さんまでお母さんの味方しないでよ……」
それからしばらく経った、ある日の夕方のこと。
どうやらカナのお母さんは、この部屋から目と鼻の先にある文化センターで新しい習い事を始めたらしい。そのため、これからは習い事のついでにフラッと立ち寄る機会が増えそうだとカナから聞かされていた。
リビングで二人で過ごしていると、カナのスマホが賑やかに鳴り響く。画面には『お母さん』の文字。
「あ、ママだ。……はい、もしもし?」
カナが電話に出ると、受話器の向こうからお母さんのマシンガントークが漏れ聞こえてくる。カナは楽しそうに相槌を打っていた。
「うんうん、ちょっと待って」
カナが首だけをこちらに向け、小声で恭介に話しかけてくる。
「恭介さん、ママが一緒に夕食食べようって言ってるんだけど、どうする?」
「え、うん、まあ……いいけど」
前回のドタバタの件もあるし、一緒に飯を食べるくらいは問題ない。そう思って頷きかけた恭介だったが、カナが続けて放った一言に固まった。
「ちなみに、パパもいるみたい」
「え!」
恭介の目が見開かれる。
「いや、俺はいいわ。用事があるとか言ってくれよ」
即答だった。お母さんだけでも肝が冷えるのに、彼女の父親まで同席するとなれば緊張感が違いすぎる。
「そうだよね。わかった」
カナは特に気にした様子もなく、あっさりと電話へ戻っていった。
「恭介さんは用事があるみたいだから、私だけ行くよ。……うん、はいはーい。後でね」
電話を切ると、カナはスマホをテーブルに置き、少しつまんのなさそうに唇を尖らせた。
「……来ればいいのに」
「行けるわけないだろ!」
心底からの恭介のツッコミに、カナはクスッと笑いながら「着替えてくるね」と立ち上がった。
身支度を整えたカナが、静かに恭介の元へ歩み寄ってくる。
そして、不意にギュッと恭介の身体に抱きついてきた。
「それじゃ、行ってくるね」
そう言うと、カナはぎゅっと目を瞑り、甘えるように唇をちょこんと尖らせた。あからさまな「いってらっしゃいのチュー」のおねだりだ。
その無防備で可愛らしい姿に、恭介の口元に意地悪な笑みが浮かぶ。
恭介は返事の代わりに、着替えたばかりのカナの服の上から胸をガシッと鷲掴みにし、そのままもう片方の手でお尻を強く揉み込んだ。
「え、ちょっと……っ!?」
驚くカナの隙を逃さず、恭介は無防備な首筋に深く唇を押し当て、そのまま強引に服の裾を捲り上げた。
躊躇なくブラジャーがずらされ、白い肌と、形の良い胸が露わにされる。
「ひゃ……っ」
急に冷たい空気に触れ、そして恭介の熱い視線と掌に直接晒されたことで、カナの呼吸が瞬く間に乱れ始める。
「い、行かなくちゃいけないから……っ」
口ではそう言いながらも、カナの身体は力なく恭介に預けられていく。
「いいだろ、少しくらい」
耳元で低く囁かれ、カナの瞳がとろりと熱を帯びていく。すっかり火がついてしまったカナは、恭介を求めるようにその首に手を回すと、焦れたように恭介のズボンのジッパーへ手を伸ばし――
「――うん、いってらっしゃい!」
ジッパーに指が触れた瞬間、恭介はパッとカナの身体から離れた。
「……は?」
放り出された格好のカナが、ポカンとした顔でフリーズする。
「ほら、遅れるぞ!」
爽やかな笑顔でパンパンと手を叩く恭介に、ハッと我に返ったカナの顔が一気に真っ赤に染まった。
「もう! なによ……っ!」
「はは、気をつけてな」
弄ばれたカナはプリプリと怒りながら服の乱れを整え、玄関の姿見の前で身なりをチェックする。
鏡に映る自分の顔は、すっかり上気してほんのりと赤くなっていた。カナは照れ隠しと悔しさが混ざったような表情で恭介を一度キッと睨みつけると、ドアノブを掴んだ。
「……いってきます!」
バタンと勢いよくドアが閉まり、恭介は「よし」と一人満足そうに笑うのだった。




