未知との遭遇
土曜の朝。
重い体をベッドから起こし、残った眠気を吹き飛ばすためにシャワーへ向かった。温かい湯を浴びながらボーッと頭を整理していると、ドアがすんなりと開き、湯気の中にカナが当たり前のような顔で入ってきた。
「なんで入ってくるんだよ!」
「いいじゃん」
あの日以来、カナのイチャイチャモードはメーターを振り切ったままだ。断られた反動なのか、一度解禁された甘えん坊スイッチが最大火力で押し寄せてくる。
「 後にしろよ!」という抵抗も虚しく、狭いお風呂で散々イチャつかれ、脱衣所に出る頃にはすっかり体力を削られていた。
風呂上がり、濡れた髪をドライヤーでしっかり乾かしたカナが、完璧な「戦闘モード」でリビングへ戻ってきた。
そのままソファーに座る恭介に狙いを定めると、躊躇なくその太ももの上に跨ってくる。
「ちょっと待ってくれよ……」
「いいじゃない。ねー……」
スルーされ続けた鬱憤を晴らすかのように、甘い声ですり寄ってくるカナ。首筋に触れる息は熱く、上目遣いの瞳には隠す気もない情熱が宿っている。
「買い物に行くんだろ?」
「あ!そうだよ!買い物行かなくちゃ!」
カナは現実に戻り、さっさと支度を始める。恭介にも早く用意して、と急かしてくる。
食材の買い出しで、恭介とカナは二人でスーパーの店内を歩いていた。
「ねえ恭介さん、今日の晩ごはん何にするー?」
カナは恭介の右腕をギュッと両手で抱え込み、ブルブルと振っている。
「歩きづらいだろ。カート押してんだから」
「えーいいじゃん。」
ニヤニヤしながらさらに腕を引き寄せてイチャイチャしていた、まさにその時だった。
「――カナ?」
すぐ後ろから、どこか聞き覚えのある明るい声が響いた。
カナの動きがピタリと止まる。
振り向いたカナの顔から一瞬で余裕が消え、恭介の腕を咄嗟にパッと放すと、あたふたと手持ち無沙汰に泳がせる。
「あ、あ……マ、ママ……!?」
そこには、買い出し用のバッグを手に持ち、ニヤニヤと楽しそうな眼差しで二人を見つめるカナの母親の姿があった。
「買い物中に何してるのよー、人前でベタベタして」
「ち、ちがっ! これは、そのっ……!」
顔を真っ赤にして恥ずかしそうに縮こまるカナの隣で、恭介の背筋がピンと伸びた。心臓がドクンと嫌な跳ね方をする。
瞬時に頭の中で「馴れ馴れしい態度はNG」「丁寧な敬語」「第一印象が命」と注意点が駆け巡る。恭介は手にしていたショッピングカートのグリップをそっと握り直し、深呼吸をひとつ挟んでから、カナの母親に向き直って深く頭を下げた。
「……はじめまして、恭介と申します。いつもカナさんには大変お世話になっております」
背筋をしっかりと伸ばし、落ち着いたトーンで丁寧な挨拶を述べる。
カナの母親は、恭介の姿勢の正しさと誠実そうな態度を受け取ると、嫌な顔ひとつせず、むしろ興味津々に目を輝かせた。
「カナの母です。よろしくお願いしますね。 こんなスーパーの野菜売り場で遭遇するとは思わなかったわ。それにしてもカナ、あんた家じゃ全然見せないような顔して抱きついてたじゃない」
「なっ……! ママ、余計なこと言わないでよ!!」
顔を真っ赤にして抗議するカナを、お母さんは「はいはい」と軽くあしらいながら、恭介に向かって気さくに笑いかける。
「ごめんなさいね急に。でも本当に仲良さそうね! ほら恭介さん、うちの娘、ズボラで大変でしょう? 」
「あ、いえ! カナさんにはいつも助けてもらってます。」
恭介が緊張気味に答えると、お母さんはパンッと手を叩いた。
「あら、なに?晩御飯のお買い物?今日の晩ごはん、私も混ぜてもらっちゃおうかしら?」
「ママ、やめてよ! 突然すぎるでしょ!」
カナが顔を真っ赤にして、本気で焦りながら母親の袖を引っ張った。
「えー、いいじゃない? 恭介さんも別に嫌じゃないでしょ? ねぇ、恭介さん」
母親がニヤニヤしながら振ってくると、恭介は顔に貼り付けたような笑顔を浮かべつつ、内心で冷や汗をかいた。
「は、はは……はい……」
(冗談じゃないぞ、突然すぎるだろ……! こっちは心の準備も何もできてないんだから!)
慌てる恭介の空気を感じ取ったのか、カナがピシッと母親を遮る。
「いいから! 今度ちゃんと事前に連絡して、改めるから! 今日は絶対ダメ!」
「はいはい、分かったわよ。そんなに怒んなくてもいいじゃない。でもカナ、ちゃんと片付けもしなさいよ? 」
「わかったから! もう買い物行ってよ!」
シーシーと母親を追い払おうとするカナの姿に、お母さんは楽しそうに笑うと、恭介に向き直って表情を少し柔らかくした。
「すいませんね、恭介さん。いきなり驚かせちゃって。うちの娘が色々迷惑かけるかもしれませんが、よろしくお願いしますね」
雑な扱いを受けつつも、娘を温かく見守る母親の言葉に、恭介は姿勢をしっかりと正して深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそご挨拶が遅くなり申し訳ありませんでした。本日は突然で失礼いたしました。また改めて、きちんとお伺いさせていただきます」
「まあ、ご丁寧にありがとうございます。じゃあね、二人とも仲良くね!」
最後までフランクに手を振りながら、お母さんは奥の惣菜コーナーへと消えていった。
「まったく……! なんで会うかなぁ……」
お母さんの姿が奥へ消えていくと、カナは顔を真っ赤にしたまま、恥ずかしそうにプンプンと怒っていた。
「ごめんね、恭介さん……変なお母さんで。急に馴々しく話しかけてくるし、変なこと言おうとするし……」
頭を抱えてガックリと肩を落とすカナを見て、恭介は胸をなでおろし、ようやく緊張の糸を緩めた。
「いや、いいお母さんだよ。明るくてフランクだし」
(カナが歳をとると、あんな感じになるのかなぁ)
賑やかで、愛嬌があって、どこか憎めない雰囲気。そんなことを心の中で思いながら、恭介は止まっていたカートを再びゆっくりと押し始めた。
部屋に戻り寛いでいると恭介が何かを思い出した。
「あ!そうだ!」
部屋から箱を持って戻ってきた。
「恭介さーん、それ何?」
会社のビンゴ大会で景品として持ち帰った箱を開けていると、カナが興味津々で覗き込んできた。
「マッサージガン。飲み会の景品で当たったんだよ」
「へぇ、今流行ってるやつじゃん! ちょっと使わせて!」
ソファーに座ったカナが、キャミソール姿のまま背中を向けてくる。恭介はスイッチを入れ、首筋から肩、そして腰にかけて先端のヘッドを滑らせた。ダダダダダッという高速の振動が肌を揺らす。
「あー……うわ、すごい。腰めっちゃ気持ちいい……そこ、効く……」
あまりの気持ちよさに、カナがうっとりと目を細める。
モデルのように引き締まったウエストから、きれいに伸びる背中のライン。どこに当てても無駄な肉がなく、筋肉のコリにダイレクトに響いているのがわかる。
調子に乗った恭介は、そのままアタッチメントを腕や太ももなど、あちこちに当てて遊ばせ始めた。
「ちょっと、くすぐったいって!」
笑うカナを見ながら、ふと恭介の視線が、そのメリハリのある体型の一番目立つ部分――豊満なバストに落ちた。
(……これ、ここに当てたらどうなるんだ?)
好奇心に抗えず、恭介はマッサージガンをカナの胸の脇あたりに軽く押し当ててみた。
ダダダダダッ!
「……ッ!?」
高速の振動が伝わった瞬間、豊かな胸が豪快に揺れた。
面白くなった恭介は、本体のダイヤルを回して強度を「強」に引き上げてみた。激しさを増す振動に比例して、さらにタプタプとダイナミックに揺れ動く胸。
(うわ、すご……)
CGでも見ているかのような揺れ具合に夢中になり、強度をもう一段階上げようとした、その時だった。
ふと視線を感じてカナの顔を見ると、そこには一切の笑いがない、北極の氷壁のような冷ややかな目があった。
ピタッと動きを止める恭介。
「……何してるの……」
恭介は吸い寄せられるように視線を明後日の方向へと移し、静かにマッサージガンを己の肩へと滑らせた。
ダダダダダッ。
リビングに響く、虚しい機械音。右肩に伝わる強い振動に任せて、恭介はさも「最初から自分の肩をほぐすつもりでした」という顔で、虚空の一点を見つめ続けた。
「……」
カナは黙ったまま、じとーっと冷たい視線を送り続けている。
自分の肩を意味もなくほぐし続ける恭介の横で、カナがすっと身を起こした。
「楽しかった? もう1回当ててみる?」
そう言いながら、カナは胸の下に両手を添え、グッと持ち上げて見せた。引き締まったウエストとの対比で、豊満なバストラインがさらに強調される。
思わずマッサージガンを握り直し、目を輝かせた恭介だったが――
「いいわけないでしょ。まったく。そういう変態みたいなことやめてよ」
呆れ顔で小突いてくるカナに、恭介は開き直った。
「いや、どうなるか見てみたいだろ? 肌の揺れ具合とか。これはスケベ心じゃなくて、純粋な好奇心だよ!」
「はいはい、好奇心ね」
全く相手にしない様子のカナに、恭介はなおも熱弁を振るう。
「どんなふうに揺れたか見た? マジで見てほしい! すごいから。な!」
「なんでよー」
「いいからいいから!」
嫌がるカナの腕を引っ張り、恭介は彼女を洗面台の前まで連れて行った。
「ちょっと、いいから!」
「ほんと見てみろよ」
「もう……」
恭介は大きな鏡の前にカナを立たせると、彼女の背後からマッサージガンのスイッチを入れた。ダダダダダッ、と高速の振動音が狭い洗面所に響き渡る。
「いくぞ」
「ちょっと待っ……」
制止する間もなく、恭介はカナの胸の脇にマッサージガンをそっと押し当てた。
次の瞬間、鏡の中でカナの豊かな胸が、ぶるぶると波打つように激しく揺れ動く。
「な、すごいだろ!」
鏡越しにドヤ顔を決める恭介。
しかし、当のカナは自分の胸が鏡の前で豪快に揺れている映像を直視させられ、一瞬で耳まで真っ赤になった。
「わかったから、わかったから! 見たから! もういいでしょ!」
カナは両手で顔を覆うようにしながら、バタバタと手を取り払おうとする。
「カナの胸ってすごい揺れるんだな」
洗面台の前で感心したように呟く恭介に、カナは真っ赤になって叫んだ。
「もういいから! わかったから!」
「いや、マジで感動したんだって」
「感動しなくていいの! 早くそれ消して!」
ダダダダダッという機械音を止めると、カナは深々とため息をつき、まだ赤みが残る顔で恭介を睨みつけた。
(ほんと、バカなんだから……)
大人ぶってカッコつけるくせに、こういうくだらないことには小学生みたいに目を輝かせて夢中になる。胸が揺れただけで「すごいだろ!」と無邪気に喜ぶ姿は、呆れるのを通り越して、なんだか可笑しくてたまらない。
ぷいっと横を向きながらも、口元からこぼれそうになるニヤニヤを隠せない。
そんな恭介の子供っぽくて単純なところが、たまらなく愛おしくて可愛らしいと思ってしまう自分にも、カナは小さく苦笑するのだった。




