小さな押し付けと、聖夜の攻防
正式に「付き合っている」という形になってからの俺たちは、驚くほど仲良く盛り上がっていた。
それまでは薄暗いレストランのカウンターで、お互いに牽制し合いながら大人の駆け引きを楽しんでいたわけだが、一線を越えて恋人というポジションに収まった途端、これまで見えなかったカナの細かいディテールが、心地いいスピードで俺の中に流れ込んでくるようになった。
ただ店で酒を飲むだけではない。
お互いの私生活のニュアンスや、ちょっとした好みを「知っていく」作業が、妙に新鮮で楽しかったのだ。
たとえば、カナの極端な健康志向。
付き合い始めてすぐに分かったのだが、彼女はとにかく健康食品やサプリメントの類が大好きだった。
カナはとにかく「身体に悪いもの」が嫌いだった。
だから、夜型の生活で見るからに不健康な俺のことが気になって仕方がないらしい。会うたびに、彼女のバッグからは見たこともないサプリやオーガニックの栄養剤が次々と飛び出してきた。
「ほら、恭介さん。これビタミンとミネラル。ちゃんと今飲んで」
「おいおい、俺をサイボーグにでもする気かよ。こんな怪しい色の粒、一気に飲めるかよ」
「怪しくないってば! 恭介さん、いつも不摂生んだから、私が管理してあげないとすぐ体壊しちゃうでしょ?」
有無を言わさず手のひらにサプリを握らされ、水で流し込むのを目の前でじっと監視される。その少し押し付けがましいくせに、俺の身体を本気で心配している真っ直ぐな瞳に見つめられると、無下に断ることもできなかった。
逆に、俺は昔から身体に悪いジャンクなものや、夜中に食べる濃い味のラーメンといった類が大好きだった。カナと会っている時に俺がそういうものを美味そうに食べていると、彼女はあからさまに眉をひそめて、少し膨れっ面をしながら文句を言ってくる。
「もう……恭介さん、またそんな身体に悪そうなもの食べてる。それ、添加物まみれだよ?」
「これが美味いんだよ。身体に悪いものほど美味いって、法律で決まってんの」
「そんな法律ない! 本当にダメ、おじさんなんだから少しは控えなさい」
「おじさん」呼ばわりされながらも、そうやって私生活の深い部分にカナが当たり前のように踏み込んでくる感覚は、不思議と嫌じゃなかった。
そうして季節が移り変わり、12月に入ると、街は一気にあの忌々しい浮足立った空気に包まれ始めた。クリスマスがやってくるのだ。
俺は昔から、そういう世間のイベントごとがとにかく得意じゃない。街中で手を繋いでいそいそと歩いているカップルを冷めた目で見つめながら、「どうせ数ヶ月後には別れてるだろ」などと心の中で毒を吐くような、ひねくれたタイプだった。
だが、カナはそういうロマンチックなイベントごとが、いかにも大好きなタイプだった。
お互いに家庭がある身だ。クリスマス当日を一緒に過ごせるわけがない。それが大人の暗黙の了解だろ、と俺は勝手に思い込んでいた。だからある日、何気ない会話の中で俺は言った。
「クリスマスが過ぎたって、どうせ週末にまたいつも通り会えばいいでしょ?」
しかし、カナの反応は俺の予想とは違っていた。彼女は少し寂しそうな、それでいて譲らない目を俺に向けて言った。
「クリスマスに会わないと意味がないの」
「ただの12月の25日目ってだけでしょ?なんの意味があるんだよ」
呆れる俺に、カナはちょっと口を尖らせて、可愛く嫌味なトーンでこう畳みかけてきた。
「あー、そっか!クリスマスは、他の人と予定があるから? だから会えないのかー」
その言い方に、俺は内心で(めんどくせえな)とため息をついた。
だが、そうやって少し拗ねながらも、俺とクリスマスを過ごしたいとストレートに要求してくる彼女の熱量を、完全に無視することはできなかった。
結局、俺は文句を言いながらも、なんとか時間を工面して彼女としっかりクリスマスイブに会う約束を取り付ける羽目になった。口ではめんどくさがりながらも、そこまで言われて突っぱねないのが、俺の甘さでありチャラさでもある。
クリスマスイブ
俺は昔から女性にプレゼントを選ぶのが大の苦手だった。だから、失敗して気まずくなるのを避けるために、あらかじめカナに欲しいものを数点聞いておいた。その中から選んだ、上質なストールを綺麗にラッピングしてもらい、バッグに忍ばせて約束の場所へと向かう。
一方で、カナはサプライズが好きなタイプらしく、俺へのプレゼントが何なのかは当日まで頑なに教えてくれなかった。
待ち合わせ場所に現れたカナを見た瞬間、俺は一瞬、息を呑んだ。
いつもより明らかに気合の入ったお洒落をしていて、普段のカジュアルな雰囲気とは違う、圧倒的な「大人の女性」の艶やかさを纏っていたのだ。
人妻に対して「大人の女性」なんて表現をするのも変な話だが、なんと言うか、普段の『俺の言うことに振り回されている可愛いカナ』ではなく、一人の自立した、高嶺の花のような色気があった。その完成された美しさに、俺の背筋に少しだけ、ゾクっとするような緊張感が走った。
店を予約するのは、いつもカナの役目だった。
俺はどこに行くのかも知らされないまま、彼女の少し後ろを楽しげについていく。
連れて行かれたのは、静かで小洒落たレストランだった。
クリスマスの特別な灯りの中で、俺たちはプレゼントの入った袋を交換した。俺が渡したストールを、カナは「大好きな色!嬉しい!」と本当に少女のような笑顔を咲かせて喜んでくれた。
そして、カナから俺へのプレゼントは、洗練されたお洒落なシャツだった。
俺の好みをしっかりと考え抜いて選んでくれたことが伝わってきて、胸の奥がじんわりと熱くなる。
テーブルの上には、普段の俺ならまず頼まないようなワインが運ばれてきた。カナのチョイスだ。
当然のように、彼女のこだわりであるオーガニックなものだった。
「恭介さん、これなら身体に優しいから、いくら飲んでも大丈夫だよ」
(アルコールだろ!いくら飲んでも大丈夫なわけねーだろ!)と思いながら、微笑む彼女とグラスを合わせ、慣れないワインを口に含む。ひとしきり、他愛のない話やプレゼントのことで盛り上がり、二人の特別な時間はあっという間に過ぎていった。
店を出る頃には、夜もすっかり遅くなっていた。お互いに家に帰らなければならない時間だ。
「じゃあ、また週末にね」
名残惜しさを引きずらないように、いつものように短く週末の約束を交わして、その夜は大人しく別れた。
夜道を一人で歩きながら、俺は自分の胸の内に起きている確かな変化を自覚していた。
俺の中で、カナのことを考える時間が、目に見えて大きくなってきている。
最初は「すぐに関係を持てる安い女」だとどこか冷めて見ていたはずだった。だが、今は違う。彼女は決して安い女なんかじゃない。お互いがお互いのために、時間を工面し、プレゼントを考え、ディテールを共有し、いろんなことを積み重ねている。
チャラい大人のスタンスで、適当な距離を保って遊んでいるつもりだったのに。
気がつけば俺は、自覚している以上に、カナという底なしの沼にどんどんのめり込んでいっていた。




