終わらない夏
「ねえ、恭介さん、海行こうよ! 海!」
猛暑が続く休日の午後。エアコンの風が直撃するソファでアイスをかじりながら、カナが唐突に言い出した。
恭介は冷たい缶チューハイを喉に流し込み、心底面倒くさそうな顔をカナに向ける。
「……は? 海?」
「そう! 海! この暑さだよ? 冷たい水にドボンって浸かりたいじゃん! 新しい水着も買いたいし!」
「無理無理。おいおい、おじさんとおばさんが2人で海に行くのはどうなんだ?」
「おばさんって言った!? 私まだそんな歳じゃないし! 恭介さんも全然おじさんじゃないでしょ! なんでそういう冷めること言うの!?」
「冷めることじゃなくて事実だろ。この猛暑の中で砂浜行ってみろ、日焼けで肌は焦げるし、砂は足につくし、若者が大騒ぎしてる中に混ざる気力はないぞ」
「……でも夏っぽいことしたいじゃん! 水着着たいじゃん!」
カナはビシッと恭介を指差し、絶対に引かないという強い意志を全身から漂わせている。
(参ったな……一度言い出したら聞かないからな、こいつ)
恭介は頭を抱え、どうにか妥協案を着地点にできないかと必死に脳みさを回転させた。そして、思いつきで適当な提案を口にする。
「……じゃあさ、水着着てお風呂に入ればいいんじゃないか?」
「……」
カナの表情から一瞬で感情が消えた。冷めきった、氷点下のジト目が恭介に突き刺さる。
「……なんの意味があるの?」
「いや、家でエアコン効かせて、水着着て、ぬるま湯に浸かれば日焼けもしないし砂もつかないだろ」
「雰囲気ゼロじゃん。それただの怪しいコスプレ入浴でしょ」
バッサリと切り捨てられ、恭介は「だよな」と苦笑いしながら思案を巡らせた。カナを納得させつつ、自分も快適に過ごせる「夏っぽいこと」はないか。人混みが嫌いで、静かでプライベートな空間で水に浸かれる場所……。
「……あ」
恭介の脳裏に、以前仕事の雑談でクライアントの担当者が話していた内容が急浮上した。
(確か……『プライベートプール付きのホテルに泊まったら最高だった』とか言ってたな)
恭介はスマホを取り出し、検索窓にキーワードを打ち込んだ。「プライベートプール」「ホテル」。
いくつかヒットしたサイトをスワイプしていくと、まさに理想的なプランが見つかった。一棟貸しタイプのヴィラで、部屋の大きなテラスに専用プールがついている。周囲からの視線は完全に遮られており、2人きりで心置きなく泳げる空間だ。
カナが「なになに? 何見てるの?」と不満げに覗き込んできた。
恭介はスマホの画面をカナの目の前に突き出した。
「これ、どうだ? プールがついてるヴィラみたいなホテルがある」
画面に映し出された、綺麗なプールとラグジュアリーな部屋の写真を見た瞬間、カナの目がキラキラと輝き出した。
「えっ……! なにこれ、すごーい! プールがあるの!?」
「ここなら人混みもないし、砂もつかない。周囲の目も気にせず水着になれるだろ」
「行く! 絶対ここ行く! 恭介さんすごい! 天才!」
さっきまでの冷ややかな態度はどこへやら、カナは恭介の首に抱きついてはしゃぎ始めた。恭介は「はいはい、わかったから離れろ、暑い」と言いつつも、即座に空室状況を確認し、予約ボタンをタップした。
画面に表示された確定通知を見せると、カナは「やったー!」と声を上げて飛び跳ねた。
そのホテルは、超高級リゾートというほど驚くような値段ではないものの、ビジネスホテルや普通の温泉宿に比べれば当然それなりに張る。食事もついておらず、夕食や朝食は自分たちで買い込んで持ち込むスタイルのヴィラだった。
「よし、当日贅沢する分、今週は少し節約だな」
そう決めてからの数週間、二人は外食を控え、スーパーの割引商品を狙うような少し質素な生活を送りながら、その日に向けてテンションを高めていった。
◇
そして、旅行を数日後に控えたある日の夜。
リビングのソファでPCを開いて作業していた恭介の横で、カナがスマホを睨みつけながらうーんと唸っていた。通販サイトの水着ページを延々とスワイプしているらしい。
「ねえ恭介さん。水着、どれにしようかずっと悩んでるんだけど……どういうのがいいと思う?」
画面をチラリとも見ずに、恭介はキーボードを叩きながら適当に返す。
「なんでもいいよ」
「ちょっと! 真剣に考えてよ!」
ポカッと腕を叩かれ、恭介は溜め息をついてPCから目を離した。
「自分がいいと思うものにすればいいじゃん? 着るのはカナなんだし」
「違うの! 恭介さんに見て欲しいの!」
カナはスマホを胸に抱え、真剣な目で恭介を見つめてくる。恭介は少し眉をひそめた。
「俺のために水着を着るのか?」
「そうだよ。恭介さんに『可愛い』って思ってもらいたいから選んでるんじゃん」
「え、そうなの? じゃあ、着なくていいんじゃないか?」
「……え?」
カナの動きがピタリと止まり、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
「プライベートのプールなんだし。誰も見てないだろ」
「いや、それは違うでしょ! 水着は着るの! 雰囲気が大事なの!」
思惑と違う方向に会話が転がり、カナは慌てて画面を恭介に見せつけてきた。
「もうっ、変なこと言わないでよ! えーっと、大人っぽいワンピースかなー、それとも思い切ってビキニにしちゃう……?」
キャッキャと画面を見比べるカナの横で、恭介は「着ても着なくてもどっちでもいいだろ……」と心の中で呟きつつ、冷えた麦茶を口に運んだ。
◇
旅行当日。
空は雲ひとつない快晴で、車の外気温計は余裕で35度を超えていた。
車内のエアコンを強めにつけ、酷暑の国道を海沿いの街に向けて車を走らせる。ギラギラと照りつける太陽と、どこまでも青い空。エアコンの効いた快適な車内から眺める夏景色は、悪くない。
助手席のカナは、出発したときからずっとご機嫌だった。
「ねえ恭介さん、今日私がどんな水着買ったか、気になるでしょー?」
ニヤニヤしながら、足元に置いた大きなショップバッグをポンポンと叩く。
「別に。お楽しみなんだろ?」
「もうっ! 見た瞬間、可愛すぎて腰抜かしても知らないからね!」
そんなやり取りをしながら車を走らせること1時間ちょっと。潮の香りが混ざり始めた頃、目的のヴィラに到着した。
一棟貸しタイプのその建物は、周囲を高い木々と壁に囲まれ、完全にプライベートが保たれた隠れ家のような佇まいだった。駐車場に車を止め、鍵を受け取って中に入る。
「わあ……! すごい!」
玄関をくぐった瞬間、カナが歓声を上げた。
木の温もりを感じる洗練されたリビング。その奥にある大きな引き戸の窓を開けると、目の前に青々とした水面をたたえたプライベートプールが広がっていた。
プールサイドには専用のBBQコンロ、そして日光浴ができるデッキチェアが並んでいる。
「すごーい! 本当にプライベートプールだ! しかもBBQもできるようになってる!」
カナは靴を脱ぎ捨てる勢いでテラスへ駆け出し、プールの水面に手を浸して「冷たくて気持ちいいー!」とはしゃいでいる。
「これなら人目も気にならないし、日陰もあるからな」
荷物をリビングに運び入れながら、恭介も満足そうに頷いた。普段より少し奮発し、節約生活を続けてきた甲斐があったというものだ。
「あ、そうだ。プールに入る前に、まずは買い出し行かないと」
「えー! 今すぐプール入りたいのに!」
「BBQの食材がないだろ。近くにスーパーがあるってナビに出てたから、さっさと買いに行くぞ。何より冷えた酒がない」
「そうだね!お酒は大事だもんね」
カナはしぶしぶ足を止め、二人で再び車に乗り込んだ。
車で数分の場所にある地元の大型スーパーへ向かう。店内に入ると、酷暑の外気とは打って変わってヒンヤリとした冷気が心地よい。
「わあ、見て恭介さん! お肉いっぱいある!」
精肉コーナーへ着くやいなや、カナのテンションが再び跳ね上がった。
「今日のために質素な生活してきたんだからな。肉はいいヤツ買おうぜ」
「賛成! じゃあこの厚切りの牛タンと、黒毛和牛のカルビ!」
恭介は豪快にパックをカゴに放り込んでいく。さらに鮮魚コーナーへ移動すると、地元の漁港で上がったばかりの新鮮なサザエやホタテ、立派な有頭エビが並んでいた。
「お、サザエあるじゃん。網焼きにしたら絶対美味いぞ」
「えびー! エビも買って! あと、焼き野菜用にトウモロコシとエリンギも!」
カゴの中はあっという間に肉と海鮮、野菜で一杯になっていく。最後に酒類コーナーで冷えた缶ビールとチューハイ、ワインなどをたっぷりと買い込み、二人は大満足でスーパーを後にした。
ヴィラに戻ると、早速二人で買ってきた食材を冷蔵庫と冷凍庫へ収めていく。
「よし、肉と魚は冷やしたし、ビールも冷え冷えだ」
「ねえ恭介さん! 食材も買ったし、もういいよね!?」
恭介が冷蔵庫のドアを閉めた瞬間、すでに待ちきれない様子のカナがショップバッグを抱えて鼻息荒く立ち塞がった。
「着替えてくる! 恭介さんはプールサイドで待っててね! 先に見たら怒るから!」
「はいはい、分かったよ」
恭介が苦笑いしながらテラスの引き戸を開けると、カナは脱衣所へと猛ダッシュで駆け込んでいった。
恭介もTシャツを脱ぎ、持ってきていた膝丈の長めの短パンに着替えた。
リビングを抜けてテラスに出ると、カンカンと照りつける太陽の下、プールから立ち上る水の匂いが心地よく漂っている。プールサイドの縁にどっかと腰を下ろし、冷えた缶ビールを傾けながら、両足をポチャンと水に浸した。
「……うわ、気持ちいいな」
ひんやりとした水の感覚が足先から全身に広がり、酷暑の熱気がすーっと引いていく。冷たいビールを喉に流し込んでいると、ガラガラとテラスの引き戸が開く音がした。
「じゃーーん!」
効果音とともに弾けた声が聞こえ、恭介が振り返る。
そこに立っていたのは、少し恥ずかしそうに、けれど誇らしげに胸を張るカナの姿だった。
選んだのは、シンプルなデザインの真っ白なビキニだった。派手すぎない色合いが、日頃からそれなりに身なりを気にしているカナの引き締まったウエストと、綺麗なボディラインを際立たせている。
「……どう? 似合ってる?」
上目遣いに尋ねてくるカナに、恭介は素直に「お、いいじゃん。よく似合ってるよ」と頷いた。
「ほんと!? やったー!」
褒められて即座に上機嫌になったカナは、パタパタとプールサイドへ駆け寄ってきた。そのまま勢いよく飛び込もうとした瞬間、「あ、そうだ」と足を止める。
「日焼け止め塗るの忘れてた! 塗らないと大変なことになっちゃう」
足元に置いたバッグから日焼け止めクリームのチューブを取り出すと、カナは恭介の目の前に背中を向けてチョコンとしゃがみ込んだ。
「背中のほうお願いします」
「はいはい」
恭介は缶ビールを床に置き、カナから渡されたクリームを手に取る。手のひらで少し伸ばしてから、カナの滑らかな背中にそっと手を滑らせた。
首筋から肩甲骨、そしてビキニのギリギリまで、恭介は丁寧かつ手際よくクリームを広げていく。そのままの流れで、恭介の手はスッと下へ滑り、お尻のふくらみにも迷いなくクリームを塗り込んでやった。
「……ちょっとー!」
不意打ちにお尻を撫でまわされたカナが、顔を真っ赤にして勢いよく振り向いた。
「いや、全部塗らないとダメだろ。水着の境目とか日焼けするだろ」
恭介が平然とした顔で言うと、カナは不満げに口を尖らせた。
「もう……まぁ、そうだけどさ……」
「よし、できたぞ。これでカンペキだ」
恭介が手を払って立ち上がると、カナは「ありがと」と照れくさそうに呟き、再びプールサイドへ向かった。
プールの縁にしゃがみ込み、小さな手でパシャパシャと水面を叩いて温度を確かめる。
「ん、ちょうどいい冷たさ!」
そして、プールサイドの手すりをしっかりと握りながら、脚からゆっくりと、チャポン……と静かに水の中へ入っていった。
「くーーーー、最高だよ!!」
プール全体にカナの歓声が響きわたる。
頭まで一度浸かってからパシャリと顔を出したカナは、ゆらゆらと水面に身を任せ、ぷかぷかと浮かび始めた。
青空の下、透明度の高いプールで端から端へとすいすい泳ぎ、完全にこのプライベート空間を堪能している。両手を大きく広げ、水面に浮かびながら「極楽〜!」と幸せそうに目を細めていた。
「恭介さんも入りなよ! めっちゃ気持ちいいよ!」
水の中から恭介を見上げ、手招きしてくる。
「うん、後でな。俺はここで冷えたビール飲んでるほうが快適なんだよ」
恭介はプールサイドの縁に座ったまま、足をパシャパシャと揺らし、缶ビールを一口あおった。日陰で冷たい酒を飲み、楽しそうに泳ぐカナを眺める。これ以上ない贅沢な休日の過ごし方だった。
だが、そんな穏やかな時間は長くは続かなかった。
「ちぇ、つれないなぁ」
カナはニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべると、キラキラと太陽の光を跳ね返す水面を力強く掻き分け、恭介の足元へとスイスイ寄ってきた。
「一人で入っても楽しくないじゃん。一緒に入ろうよ」
「だから後でって……」
恭介が答え終わるより早く、カナの手が水面からすっと伸びた。
次の瞬間、プールサイドから投げ出されていた恭介の両足首を、カナが思い切り力任せに引っ張った。
「ちょ、やめろよ!?」」
突然の浮遊感。ビールを持ったまま踏ん張りを効かせる隙もなく、恭介の巨体がプールサイドからずり落ちる。
ザパーン!!!
豪快な水柱が上がり、大量の水しぶきが夏空に舞った。
「ゴボッ……ゲホッ! 」
頭まで水に浸かり、濡れ鼠になって勢いよく顔を上げた恭介の目の前で、カナが「あはははは! 」とお腹を抱えて大爆笑していた。
「ほら、入ったほうが気持ちいいでしょ?」
「……まあな」
観念した恭介は、そのまま力を抜いて背浮きの体勢をとった。
耳元まで水に浸かると、周囲の雑音がすっと消え、水が揺れる心地よい音と自分の鼓動だけが響く。頭上に広がるのは、雲ひとつない真夏の青空と、ガゼボの木漏れ日だけだ。
カナも恭介の隣で、同じように手足を広げてぷかぷかと水面に浮かんだ。
「……最高だな」
「うん、最高だね」
ゆらゆらと揺れる水流に身を任せているうちに、ふわふわと二人の体が近づいていく。
ふと、水の中で恭介の右手に、カナの小さな手が触れた。
指先がかすかに当たった瞬間、カナは逃げることなく、水中で恭介の手を優しく包み込むようにギュッと握りしめてきた。
恭介も何も言わず、その温かい手を握り返す。
カンカンと照りつける太陽の下、冷たいプールの中で手を繋いだまま、二人はただ静かに水面へと浮かんでいた。
しばらく静かに浮かんでいた恭介だったが、ふと湧き上がってきたテンションに任せてプールサイドへ上がった。
足元をしっかり固め、水面に向かって豪快にダイブする。
ザッパーン!
「次は私!」
それを見たカナもすぐにプールから上がり、恭介と同じように勢いよく飛び込んできた。大きな水しぶきが上がり、テラスの床を濡らす。すっかり二人とも童心に返っていた。
「よし、次はこれだ」
恭介はプールサイドに立つと、若い頃に海や川でよくやったように、空中できゅっと一回転しながらプールへ飛び込んだ。
水中で体を翻し、顔を出す。
「すごーい! 私もやる!」
カナも負けじとプールサイドに立ち、恭介の真似をして思い切り踏み切った。だが、空中での回転が不十分で妙な体勢のまま水面へ激突する。
ベシャッ!
「なにやってんだよ(笑)」
恭介が爆笑する中、水面から「ぷはーーー!」とカナが顔を出した。水気を払うように顔を拭い、「あははは! 」と大笑いしている。
だが、勢いよく水面に叩きつけられた拍子に、ビキニのトップが大きくズレていた。カナの胸が露出している。
恭介が思わず動きを止め、そこをじっと見つめる。
「……ん?」
恭介の視線に気づいたカナが不思議そうに首を傾げ、ふと自分の胸元に視線を落とした。
「……っ!? え、やだ!!」
顔を一瞬で真っ赤にしたカナは、慌てて背を向けながら水着の胸元をキュッと直した。
「ちょっと! 見えてるならすぐ言ってよ!」
「いや、今気づいたんだよ。それにここプライベートプールだし、誰もいないんだから別に見えててもいいだろ」
「そういう問題じゃないの! 恥ずかしいじゃん!」
照れくささを誤魔化すようにカナは再びバシャバシャと笑いながらプールを泳ぎ始めた。
夕方が近づき、酷暑のピークが少し和らいだ頃、プールで散々暴れた二人の胃袋はすっかり空っぽになっていた。
「あー、お腹空いた! 恭介さん、もう限界!」
「よし、そろそろBBQ始めるか」
恭介はテラスに設置されたBBQコンロの火を起こし、買ってきた食材を次々と出していく。火が安定してきたところで、まずは豪快に厚切りの牛タン、黒毛和牛のカルビ、そしてトウモロコシやエリンギなどの野菜を網の上にドカンと並べた。
ジュウジュウと肉の脂が落ち、煙とともに香ばしい匂いが立ち上る。
「私、アヒージョ作る! 材料もさっき買ってるから!」
カナはキッチンからスキレットを持ってくると、オリーブオイルにニンニクと唐辛子を効かせ、エビやマッシュルーム、プチトマトを放り込んで網の端っこに置いた。オイルがフツフツと泡立ち、食欲をそそるニンニクの香りが広がっていく。
「完璧! じゃあお酒開けるよ!」
キンキンに冷やしておいた白ワインのボトルとグラスをテーブルに並べ、トクトクと注ぎ込む。
「今日もお疲れ様。乾杯!」
「乾杯!」
グラスをカチンと鳴らし、冷えた白ワインを喉に流し込む。フルーティーな酸味が、火照った身体にスッと染み渡っていく。
「くぅ〜っ! 効く!」
「これ、めっちゃ冷えてて美味しい!」
恭介は網の上でいい色に焼けたトウモロコシとエリンギをトングで摘み、カナの皿に取り分けた。自分もタレを少しつけて口へ運ぶ。
「……ん。外で食べるとなんかうまいな」
「そうだね! 美味しい!」
ただの焼き野菜のはずなのに、プール上がりの身体と、炭火の香ばしさ、そして夕暮れ時の開放感が加わって特別なご馳走に思えた。カナは熱々のトウモロコシをハフハフと言いながら美味しそうに頬張り、目を細めて微笑んでいた。
「よし、肉もいい感じだぞ」
網の上でじわじわと肉汁を滲ませていた黒毛和牛のカルビが香ばしい焼き色を纏い、恭介はトングで手際よくカナの皿へ盛り付けた。
「おいしー! おいしすぎるよ!」
グツグツと音を立てるアヒージョにバゲットを浸し、焼きたての肉を頬張りながら、二人の宴は最高潮に達した。質素な節約生活を続けてきた甲斐もあり、目の前のご馳走と冷えたお酒の味わいは格別だった。
やがて一通りの食材を平らげ、お腹も心もすっかり満たされた頃。火照った身体に心地よい風が吹き抜ける。
「ふぅ……食った食った」
恭介はグラスを置くと、そのままプールサイドへ歩き出し、再びプールへ豪快に飛び込んだ。
ザッパーン!
「あ! 私も!」
すかさずカナも肉の皿を置いて駆け寄り、後を追うようにドボンと水へ跳び込んだ。
ゆらゆらと波打つ水面の中、恭介が背中を向けて浮かんでいると、カナがすいすいと泳ぎ寄ってきて、後ろから恭介の首に腕を回して背中にしがみついた。
「……重いな」
「嘘つけー! プールの中なんだから重くないでしょ!」
カナは恭介の背中でキャッキャと嬉しそうにはしゃぎ、そのまま滑るようにぐるりと前に回り込んできた。そして、恭介の首にしっかりと両腕を回し、正面からぎゅっと抱きついてしがみついてくる。
水の浮力と、目の前にある柔らかい温もりに、恭介は自然とカナの体を支えるようにお尻に手を回した。水着越しに伝わる柔らかい感触を、少し強めに揉みほぐすように力を込める。
「ん……もう……」
カナは少し頬を赤らめて小さく呟いたものの、嫌がる様子もなく恭介の首にしっかりと腕を回したまま体を預けている。
夕暮れ時の静かなプール。水中で密着したままゆらゆらと揺れているうち、カナがふと、密着した下腹部に伝わる直感的な熱量と変化に気づいた。
「……え」
カナの動きがピタリと止まる。
密着した身体越しに伝わるあからさまな主張に、カナの顔が一瞬で真っ赤に染まった。水辺の涼しさなど吹き飛ぶほどの熱が、彼女の耳の裏まで一気に駆け上がる。
「ちょっと……なんでよ……」
恭介の肩に顔を埋めるようにして、カナは恥ずかしそうに消え入るような声で呟いた。
「仕方ないだろ! 俺も男なんだから!」
恭介は開き直ったように声を張り上げた。水の中で密着されたら、健康な男ならどうにもならないのは当然の理屈である。
「まぁ、そうだけどさぁ……今? このタイミング!?」
「制御できないんだよ! こればっかりは本能なんだからしょうがねぇだろ!」
照れ隠しに大真面目な顔で言い返す恭介に、カナは恥ずかしさと可笑しさが混ざったような顔になり、「まったく……」とプールサイドへ逃げ出した。
「ほら、またお腹空いてきた! BBQの続きするよ!」
真っ赤になった顔を誤魔化すように、カナが網の上のトングを握り直す。恭介も苦笑いしながらプールから上がり、タオルで身体を拭いて再びガゼボの席へと戻った。
火種が残っていたコンロに炭を追加し、残っていた食材を焼いていく。
香ばしく焼き上がったイカや締めの焼きおにぎりを突き、冷えたハイボールを傾けながら、二人は先ほどの恥ずかしさを笑い話に変えて穏やかな時間を過ごした。
食後、しっかりと片付けを済ませた二人は、ヴィラに備え付けの大きな浴槽に温かいお湯を張り、プールで冷えた身体をじっくりと温めた。
お風呂から上がると、火照った身体に心地よい夜風が吹き抜ける。
二人は再びテラスへ出ると、並べられたデッキチェアに深々と腰掛けた。サイドテーブルには、氷を浮かべたウィスキーのグラスと、買い込んでおいたおつまみ。
「うわぁ……すごい。星がめちゃくちゃ綺麗……」
プールサイドの照明を少し落とすと、頭上には街中では見られない満天の星空が広がっていた。波の音が遠くからかすかに聞こえてくる。
「クーラーの効いた部屋もいいけど、やっぱり来てよかったな」
「うん……ほんとにそうだね」
波の音と、虫の鳴き声だけが静かに響くテラス。グラスの氷が溶けていく音を聞きながら、二人はしばらくの間、無言で夜空を眺めていた。
「……ゆっくり時間が流れるな」
「うん……なんか、すごく贅沢だね」
静かな時間が心地よく二人を包み込む。ウィスキーのグラスを空にした恭介が、ゆっくりと立ち上がりながら大きく息を吐いた。
「さて、風呂入って寝るかー」
「そうだね。今日はプールでいっぱい遊んだから、ちょっと眠くなってきたかも」
カナもグラスを片付けて立ち上がり、二人はテラスの灯りを消してお風呂へと向かった。
大きなキングサイズのベッドに、二人で並んで入る。周囲に余計な明かりはなく、カーテンの隙間からかすかな月明かりが差し込むだけの真っ暗な空間。昼間の猛暑やプールの喧騒が嘘のように、静寂が部屋を満たしていた。
薄掛けのシーツ越しに、カナの体の熱が伝わってくる。
「……ねえ、恭介さん」
闇の中から、カナの少し悪戯っぽい声が聞こえた。
「ん?」
「プールの中で、興奮してたね」
嬉しそうに、クスクスと含み笑いを漏らすカナ。恭介は天井を仰ぎ見たまま、ぶっきらぼうに返す。
「……仕方ないだろ。誰だってそうなる」
「ふふっ。……今からまた興奮すると思うよ」
闇の中でも、カナがニヤニヤと意地悪な笑顔を浮かべているのが気配で分かった。恭介は横を向き、カナの気配に向けてフッと鼻で笑った。
「カナのほうがな」
暗闇の中、カナは恭介の胸の上に優しく身を委ねるように覆いかぶさってきた。
肌の火照りと、お風呂上がりの甘い香りがふわりと漂う。水着越しではなく、ダイレクトに伝わる柔らかい体温とトクトクと刻まれる小さな鼓動が、恭介の肌に心地よく重なった。
カナの指先が首筋から胸元へと滑っていく。プールで散々暴れて疲れているはずなのに、二人の間に漂う熱気は静かに、しかし確実に高まっていった。
遠くからかすかに届く波の音と、静寂に包まれたプライベートな空間。
恭介もゆっくりと手を伸ばし、背中に回した腕でカナの体を優しく引き寄せた。昼間の賑やかな夏の思い出を溶かし込むように、二人だけの夜がしっとりと深まっていった。




