鉄壁のガード
「……は? なんで俺がそんなところに行かなきゃいけないんだよ」
恭介は心底嫌そうな声を上げた。眉間に深い皺を寄せる。
「いいじゃん、減るもんじゃないし! パートナー同伴OKのパーティなんだよ? みんな彼氏や旦那さんと来るんだよ?」
カナはソファの上で膝を抱え、チラチラと恭介の顔色を伺いながら、芝居がかったトーンで言葉を重ねた。
「私一人でポツンといるの? こんなに可愛い子が一人で? いいの? それでいいの? 恥ずかしいなー。『あの子、彼氏いないのかな』『誘ったのに断られたのかな』って思われちゃうなー。すごい寂しい子だなー。あーあ、次の日から職場でちゃんと働けるかなー」
あからさますぎる誘導と、自分で「こんなに可愛い子」と言い切る図々しさ。 カナらしい。
「 一緒に来てくれないならメンタル崩壊して明日から会社休むかもしれないわー」
腕を組んでプイッと横を向くカナ。 恭介にとって、カナの職場関係の集まりなど苦痛でしかない。男なら誰だって、知り合いが誰もいない女社会の端っこに置かれるような空間は避けたいはずだ。 だが、こうしてなりふり構わず自分を頼って(?)、必死に引きずり込もうとしてくるカナのペースには、結局のところ勝てなかった。
「……チッ」
舌打ちをひとつ。それが恭介の「折れた」合図だった。
「服装はどうすんだよ。普段の格好で行ったら浮くだろ」
「本当!? 行ってくれるの!?」
さっきまでの芝居がかった重苦しい顔はどこへやら、パッと顔を輝かせたカナがソファから飛び起きて恭介に抱きついてくる。香水とシャンプーの混ざった甘い匂いが鼻をくすぐる。
「服装はスーツでお願いします! 綺麗な格好してくれればそれで完璧!」
「……面倒くさ」
恭介は吐き捨てるように呟き、冷めたお茶を喉に流し込んだ。
◇
「遅いな……まさかバックレたんじゃ……」
不安になってスマホを取り出そうとしたその時、人ごみを割って歩いてくる一人の男の姿が目に飛び込んできた。
カナの息が、思わず止まる。
そこにいたのは、仕立ての良いダークネイビーのスーツを身に纏った恭介だった。 普段はTシャツやシンプルな古着ばかり着ている恭介だが、ビシッと体に沿ったスーツを着ると、その背の高さと肩幅の広さが格段に引き立つ。少し長めの黒髪を雑になでつけ、首元をわずかに緩めたネクタイ。無駄な飾りのない無骨な佇まいと、大人の余裕を感じさせる落ち着いた雰囲気が、洗練されたスーツ姿と相まって恐ろしいほどの色気を醸し出していた。
「……悪い、待った?」
恭介がカナの前で立ち止まり、少し気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「道が思ってたより混んでてさ。……どう? 変じゃない? めったに着ないから、ちょっと落ち着かないんだけど」
謙虚に自分の姿を気にしながら、申し訳なさそうに眉を下げる恭介。
「う、ううん……! 変じゃない! 全然変じゃない! めっちゃかっこいい……!」
「そうか? ならよかった」
カナの直球な褒め言葉に、恭介は照れたように小さく微笑んだ。その優しげな目元とギャップに、カナの心臓はドックンドックンとうるさいくらいに脈打っていた。 (なになに、聞いてない……! 今日のビジュアルヤバすぎるんだけど……!?)
「あの人、見て……?」 「かっこよくない……? 」
周囲にいる美容部員やゲストの女性たちから、ボソボソとしたひそひそ話が聞こえてくる。 恭介本人は周りの視線にまったく気づいていない様子で、どこか申し訳なさそうにカナの顔を覗き込んだ。
「……じゃあ、行こうか。」
「あ、うん! こっち!」
優しく促され、カナは誇らしげに恭介の隣に並んで歩き出した。周りからの羨望の視線を感じ、カナの優越感は最高潮に達していた。
会場内は熱気に包まれていた。 ラグジュアリーなパーティースペースには色とりどりの料理とグラスが並び、華やかな女性たちの歓声と笑い声が響き渡っている。
「恭介さん、ごめんね! 主役のところと、あっちの店舗の席にも顔出してくるから。何か飲んで待ってて?」
「うん、気にせず楽しんで」
恭介は優しく頷き、送り出した。とはいえ、華やかな女社会の輪の中に自分から飛び込む度胸も興味もない。恭介は会場の端にある静かな壁際に移動し、ウイスキーのロックグラスを片手に静かに佇むことにした。
グラスに入った氷をカランと鳴らし、壁にそっと背をもたせかける。 ごちゃごちゃした会場の中で、ビシッとスーツを着こなした背の高い恭介が一人で静かに酒を飲んでいる姿は、本人が気配を消そうとすればするほど目立っていた。チラチラと向けられる視線の中には、明らかに「声をかけたい」と言いたげなものも混ざっている。
「ねえ、一人ですかー?」
不意に、少し高めの華やかな声が横からかかった。
振り向くと、そこには鮮やかな赤のワンピースを着た女性が立っていた。しっかりめのメイクに大ぶりのピアスを揺らし、慣れた様子で恭介に微笑みかけている。
「……あ、はい。連れがちょっと席を外してて」
恭介は、ごく控えめに、けれど一線を引くような落ち着いた声で返した。
「私も知り合い少なくて暇だったんだよね〜。スーツ、めっちゃお似合いですね! お仕事何されてるんですか?」
女性は恭介の引いた一線を気にする風もなく、ごく自然な動作で一歩距離を詰めてきた。甘い香水の匂いが漂う。
「いえ、普通の仕事ですよ。……もうすぐ連れも戻ってくると思うので」
恭介は困ったように苦笑いを浮かべ、謙虚にかわそうとする。だが、その「冷たく突き放さないけれど、絶対になびかない大人の余裕」が、かえってその女性の狩猟本能に火をつけてしまったらしい。女性は楽しそうに目を輝かせ、さらにグイッと距離を縮めてきた。
「えー、堅いこと言わないでちょっとくらいおしゃべりしましょうよ! 乾杯しましょ!」
女性はそう言うと、持っていたグラスを恭介のロックグラスに軽くカチンと打ち鳴らしてきた。
「……あ、どうも」
ごく自然な愛想笑いを浮かべて軽くグラスを傾ける。決して調子に乗るわけでも、困り果てるわけでもない。ただ大人としてその場の空気を壊さず、サラッと受け流しているだけの余裕。
だが、その無駄な力が入っていない佇まいこそが、相手の女をさらに惹きつけているようだった。女性は距離を詰めたまま、熱っぽい視線で恭介の顔を覗き込んでいる。
「――恭介さん?」
人ごみを押し分けるようにして、カナがすっと二人の間に滑り込んできた。
カナは恭介のすぐ隣に立つと、派手な女性に対して完璧なビジネスマイルを向けながら軽く会釈をした。そして、顔だけを恭介の方へ向け、横目で無言の合図を送る。
(……ん? 誰?)
カナの目が、そう問いかけていた。 恭介は愛想笑いの温度をすっと下げ、特に感情を込めずに目線だけで返す。
(……ん? 知らない)
恭介のその淡々とした反応と、派手な女が恭介に向ける隠しきれない視線。 カナはその瞬間に直感した。この女はただの暇つぶしでも社交辞令でもない。スーツ姿の恭介が放つ色気に目をつけ、本気で恭介を口説き落としにかかっているのだと。
胸の奥で、カッと熱い火が熾った。
「ねーお兄さん、今度ご飯行きませんか? 私、良いお店知ってるんだ〜」
カナが隣に滑り込んできたことなどまるで気にも留めず、派手な女性は恭介に向かって軽やかに、けれど明確に誘い文句を投げかけてきた。
目の前で堂々と彼氏を口説かれ、カナの顔が一瞬、隠しきれない本気の嫌そうな表情に歪んだ。完璧に作っていたはずの営業スマイルがピキと固まる。
(は……? なんなのこの女、正気……!?)
脳内で猛烈に計算が駆け巡る。こういう女に下手な牽制をしても交わされるだけだ。 ならば、私が彼女、いや、妻でもいい、その絶対的な立場を見せつけてやるしかない。
カナはスッと恭介の腕に両手を回し、自分の胸に引き寄せるようにぎゅっと強く抱きしめた。 そして恭介の顔を見上げ、周囲にもその女にもはっきり届くような、どこか落ち着いた甘いトーンで話しかけた。
「ねえ恭介さん、今日の晩御飯どうする? 何か食べたいものある? それとも、うちで出前でも取る?」
あえての「うちで」というワード。長年寄り添ったパートナーのような空気感を意図的に演出し、同棲あるいはそれ以上の深い関係にあることを猛烈に主張する。抱きしめる腕の力には「絶対に渡さない」という執念がこもっていた。
恭介はカナの露骨なアピールに一瞬面食らったが、すぐにカナの嫉妬と覚悟を察した。大人しくカナのペースに合わせてやり、派手な女性にはもう視線すら向けない。
「……別に何でもいいよ。」
「ほんと? じゃあ、帰ってから決めよっか」
カナが余裕を装った笑みで派手な女性を見つめ返すと、二人の間に漂う他人が入れない空気感に、女性はつまらなさそうに小さく肩をすくめた。 だが、最後まで自分のペースを崩すような女ではなかった。クスッと楽しそうに笑うと、カナの視線をあえて受け流し、恭介の顔を覗き込むようにしてパチンと華やかにウィンクしてみせた。
「――じゃ、今度絶対行きましょうね」
捨て台詞を残した派手な女性に対し、大人のマナーとしてぬるりと完璧な作り笑顔を返した。
女性は満足そうにクスッと笑うと、ピンヒールを鳴らして軽やかに人ごみの中へと消えていく。
「……なに? 行くつもり?」
女の背中が見えなくなった瞬間、カナの爪が恭介の腕に食い込む勢いで締め上げられた。声のトーンが露骨に低い。
「なんで愛想振りまいてるの!?」
「振りまいてないだろ。ただの挨拶だろ」
「なになに、『今度絶対行きましょうね!』だって!」
カナは語気を強め、わざとらしく胸を張ってさっきの女のポーズと声をオーバーに真似してみせる。あまりの必死さに、恭介は呆れつつも思わず鼻で笑ってしまった。
「行くわけないだろ」
自分のアピールで完全に女を撃退したのだと実感し、満足気な勝ち誇った顔を浮かべる。
「ふふん、よろしい! もう、帰ろっか」
カナはご機嫌で恭介の手を力強く引っ張り、人ごみをかき分けて会場の出口へと向かい始めた。
入り口近くのカウンター付近ですれ違いざま、別の席にいた落ち着いた雰囲気の綺麗な女性が、一瞬恭介の顔を見て、ごく自然な笑顔で小さく軽く会釈を投げてくる。
恭介も、ごく自然に小さく頭を下げて会釈を返した。
――その瞬間。
繋いでいたカナの手の力が、ギュッと目に見えて強くなった。 会場のドアの手前でピタリと足を止め、カナが鬼の首を取ったような顔で振り返る。
「ちょっと」
「なんだよ」
「愛想振り撒かなくていいから!!」
あまりにも理不尽なヤキモチだが、こうしてなりふり構わず自分を独占しようとしてくるカナの姿が、恭介には可愛く思えた。
心の中で小さく笑いながら、恭介は繋いだ手にギュッと力を込めた。
会場を出てすぐに拾ったタクシーのリアシート。 カナは恭介の腕に両手を回したままぴたりと体を寄せて離れず、そのまま二人は静かに部屋へと戻ってきた。
玄関の鍵を閉め、部屋の明かりをつける。 恭介は首元を締め付けていたネクタイを結び目から緩め、ジャケットを脱ごうと肩から滑らせかけた。
「――あ、待って」
カナが慌ててその手を制した。
「ん? なんだよ」
「脱がないで。そのままでいてよ」
恭介が首をかしげる間もなく、カナはそのまま恭介の胸元に勢いよく飛び込み、その腰にギュッと力いっぱい腕をまわして抱きついてきた。 ジャケットの上からでも伝わってくる、カナの体温と鼓動。
「――はー、満足! はい、いいよ」
急にスッと身体を離したカナは、満足そうにひとつ息を吐くと、恭介のジャケットを肩からスルリと滑り落とさせ、手際よくスーツを脱がせ始めた。さっきまでのしがみつきぶりが嘘のような切り替えの早さに、恭介は苦笑するしかない。
ネクタイを外し、ハンガーにジャケットをかけると、カナはくるりと恭介に背中を向けた。
「私も、降ろしてくれない?」
ドレスの背中を指差し、振り返りざまに上目遣いでねだってくる。
「うん」
恭介は短く返し、カナの華奢な肩口に手を添えながら、ドレスの背中にあるジッパーをつまんだ。 ジィ……と静かな音を立てて、ジッパーをゆっくりと下に降ろしていく。
開かれていく生地の隙間から、吸い付くように滑らかで綺麗な、真っ白な背中が露わになっていく。
さらにゆっくりとジッパーを下に降ろしていくと、白皙の肌に鮮烈に映える、黒いレースのブラジャーが目に入った。ドレスの華やかさとはまた違う、艶めかしく色っぽい光景に、恭介の呼吸がわずかに深く、重くなる。
恭介は吸い寄せられるように指先を伸ばし、迷いなくブラのホックに手をかけて、カチリと外した。
「ちょっと!?」
背中に伝わるホックの解放感に、カナは慌ててドレスの胸元を両手で押さえ、バッと振り返った。
「ドレス降ろしてって言っただけじゃん! なんでブラまで外すの!?」
「降ろせって言われたから、ついでに」
恭介は悪びれもせず、どこか意地悪く口元を緩めた。
文句を言いながらも、カナの頬はほんのりと熱を帯び、潤んだ瞳で恭介を見上げていた。どこか甘い期待をにじませたその表情は、言葉とは裏腹に、むしろ続きを促すような妖艶さを纏っている。
パーティ会場で意地になって妻アピールをし、他人の視線一つに本気でヤキモチを焼いて見せたカナ。そんな彼女の生意気で可愛らしい独占欲が、恭介の胸の奥を心地よく満たしている。
少しの沈黙。恭介はトロンとした顔のカナからすっと身体を離すと、ポケットからスマホを取り出した。
「さ、出前何にするか決めよう」
「……は?ちょっとーー!?」
すっかりその気になっていた雰囲気を一瞬で壊され、カナがドレスを押さえたまま抗議の声を上げる。 真っ赤な顔でジタバタと怒るカナの姿がたまらなく愛おしく、恭介は満足そうに笑いながらリビングのソファへと向かった。




