愛のしるし
俺が言うのもなんだが、カナは結構な美人だ。顔も整っていてスタイルも良い。誰が見ても「美人」という部類に入ると思う。
だが、それが故に面倒くさいことになることがある。
休日の待ち合わせ場所に向かうと、遠目からでもすぐにカナの姿が目に入った。……だが、カナの前に見知らぬ男が立ち、何か話しかけているのが見えた。
(ん? 誰だ……?)
カナの表情を見ると、顔をほころばせてニコニコしながら男と話している。
少し胸がざわつきながら足早に近づくと、俺の姿に気づいたカナがパッと表情を明るくし、嬉しそうな顔を向けた。
男の方も俺に気づいたが、目を逸らすと、スタスタとどこかへ去っていった。
「誰? 知り合い?」
男の背中を目で追いながら尋ねる。
「ううん。知らない人。声かけられて」
「は? ナンパかよ」
「うん、そうみたい」
あっけらかんと言い放つカナを見て、俺の胸の奥にフツフツとイラつきが込み上げてきた。
カナはおそらくナンパ馴れしているはずだ。今まで何度も声をかけられてきただろうし、それらを上手くいなして生きてきたはずだ。「今日声をかけられちゃってさ」という世間話なら今までにも聞いたことがあったが、それはあくまで言葉として聞いていただけの話。いざ目の前で見ると、猛烈にイラついてくる。
「で?」
俺は腕を組み、低く冷たい声で先を促した。
「ん? 何もないよ」
何事もなかったかのようにあっけらかんと答えるカナの態度が、余計に火に油を注ぐ。俺の胸の奥で、嫉妬と独占欲がドロリと渦を巻いた。
「……なんで、ニコニコして話してるんだよ」
感情を抑えきれず、つい攻撃的なトーンが混じる。
「ニコニコしてた?」
カナは心底不思議そうに首をかしげ、無防備な瞳で俺を見つめ返してきた。その「悪気のない表情」すらも、今の俺には他の男に向けた笑顔と重なって見えてしまい、苛立ちが加速する。
俺はトゲのある声を隠そうともしなかった。
「してたよ。……嬉しいのか?」
「そんなわけないでしょ」
俺のあからさまな言い掛かりと冷ややかな視線に、カナの瞳からもようやく余裕が消えた。不快感を隠さずに眉をひそめ、強い眼差しで俺を睨み返してくる。
「軽そうに見えるから声かけられるんだろ」
「は? 失礼なこと言わないでよ」
カチンときたカナの表情が一気に険しくなる。だが、一度口をついたイライラは止まらなかった。
「ナンパされて喜んでるほうもどうかと思うけどな」
「喜んでないでしょ!? なんなの?」
言い合いになり、俺は思わず本音とは真逆の捨てゼリフを吐き捨ててしまった。
「……さっきのやつについていってもいいんだぞ?」
「信じられない」
吐き捨てるように言ったカナだったが、俺の表情があまりにも本気で、目が笑っていないことに気づいた瞬間、その口元がわずかに固まった。 俺から放たれるピリピリとした重い空気を感じ取り、一歩引くようにゴクリと唾を呑み込む。
冷たい静寂が二人の間に流れる。
「……気をつけろよ」
「……うん、わかってる」
さっきまでの反抗的な態度は影を潜め、カナは小さく頷いてうつむいた。
お店に入り、注文した料理を口に運んでいても、頭の中ではさっきの光景が何度もリフレインしていた。
目の前でご飯を食べ始めたカナを見る。 ……やっぱり、さっきの光景が頭から離れない。
「……よく声をかけられるのか?」
耐えきれずに問いかけると、カナは噛んでいたものをゴクンと飲み込み、少し首をかしげた。
「うーん、たまに、かな」
「で、何かあったことはある?」
俺はトーンを落とした低い声で尋ねながら、カナの顔をジロリと強く睨みつけた。
「は? あるわけないでしょ!?」
俺からの強い視線に圧されて、カナは慌てて手を振る。
「ほんとにないって!」
必死に否定するカナの顔を見ながら、俺は一口お水を飲んだ。
カナもバカじゃない。俺がさっきからなんでこんなに不機嫌なのか、なんでこんなしつこい質問をしてくるのか、その理由には気づいているはずだ。
要するに、俺がヤキモチを焼いているのだ。
自分がそれだけ愛されているという事実に。
いつもなら「なにー? 嫉妬してんの?」なんて冗談を叩き込んできそうな場面だ。
だが、さっき待ち合わせ場所で見せた俺の「本気のイラつき」を思い出しているのだろう。ここでふざけたらマジでヤバいと、しっかりと空気を読んでいる。
カナは箸を置くと、真剣な眼差しで俺の目を見つめてきた。
「……心配しないでよ。大丈夫だから。絶対にないから」
まっすぐで、少し不安そうに俺の顔色を窺うような声。
「……あぁ、信じてる」
俺がそう呟くと、カナはほっと胸を撫で下ろすように、小さく微笑んだ。そのまま、カナが真剣な顔で不意に呟く。
「ずっと一緒にいるよ。愛してる」
店内の雑音をかき消すような、まっすぐで突然の言葉。 不意を突かれた俺は胸の奥がドクンと跳ね、照れくささが急激にこみ上げてきた。
「……あぁ」
照れ隠しに視線を逸らし、何事もなかったかのように箸を伸ばして刺身を取ろうとした。
「ちょっと!」
カナの少しとがった声に引き止められる。
「ん?」
顔を上げると、カナは少し首をかしげ、じっと俺の目を見つめながら「ん?」と促すような顔をしていた。
……察した。「俺も愛してる」という言葉を待っているのだ。 俺はあえてその視線を気にせず、そのまま刺身を口に運んだ。
その時、テーブルの下で俺の足が偶然、カナの足に当たった。
俺は足を引かず、そのまま触れ合わせたままにしておく。
カナは足元に伝わった感触に気づくと、ゆっくりと視線を落とした。そして、俺が足を離さない意味——それが口に出せない俺なりの「返事」なのだと受け取ったようだった。
「……ふふ」
カナは嬉しそうに小さく漏らすと、顔を上げて俺の目をじっと見つめ、小さく頷いた。
「まったく、もう……」
言葉にはしなくても、テーブルの下で触れ合う小さな靴の感触だけで、さっきまでの嫉妬もイラつきも綺麗に溶けて消えていく。
二人の間には、ただ優しく温かい空気だけが流れていた




