↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたは帰る場所を知らない  作者: KYSK


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
44/108

形成逆転

数日後、俺は無事に退院した。


両手はまだギプスで覆われていて自由とはいかないが、固定が少し軽くなり、指先ならある程度動かせるようになった。事故でバキバキに砕けたスマホも新調し、ようやく下界との連絡手段を取り戻したところだ。


「ずっとベッドで寝っぱなしだったから足腰が弱ってるよ。手は絶対安静だけど、体力を戻すために毎日少しは散歩でもしたほうがいいよ」


主治医にそう言われた俺は、退院早々、リハビリがてら歩いてカナの部屋に向かう。ちょうどいい距離だ。


インターホンを鳴らすと、すぐにドアが開いた。


「恭介さん……! 入って!」


出迎えたカナの顔には、隠しきれない喜びが満ちていた。


「手、少し動くようになったんでしょ? でもダメだよ、無理しちゃ」


そう言ってカナが夕飯に用意してくれたのは、温かいカレーライスだった。


「いや、もう指は動くから自分で食べられるって」


俺がスプーンを受け取ろうとすると、カナはそれを軽やかにかわし、カレーをすくって俺の口元へ突き出してきた。


「いいの。安静にしてないとダメなんだから。はい、あーん」


「……お前なぁ」


呆れつつも、差し出されたスプーンを口に含んだ。スパイスの香りと野菜の甘みが口の中に広がる。


「美味い」


カナは満足そうに微笑むと、今度は脇に置かれたグラスを俺の手元へ寄せた。ガラスのグラスには、わざわざストローが挿してある。両手が不自由な俺がグラスを落としたり倒したりしないようにという、カナなりの優しさであり、配慮なのだろう。


カナがスプーンですくったカレーを、恭介の口元へ優しく運んでくる。両手が不自由な恭介は、言われるがままおとなしく口を開けるしかなかった。


そんな食事の途中、恭介が不器用に腕の位置を変えようとした拍子に、重々しいギプスの先端がカナの胸元にちょんと当たった。


「ん……?」


カナは一瞬手を止め、胸元に視線を落としたが、狭いソファで密着してご飯を食べさせているのだから仕方ないと、特に気にする風もなく次のスプーンを差し出してきた。


「はい、もう一口」


しゃく、とカレーを飲み込み、恭介は再び腕を動かす。 そのギプスが、またしても寸分違わぬ場所――カナの胸の膨らみに、しっかりと当たった。


「ねえ。わざと当ててる?」


カナはスプーンを止めて、じっと恭介の顔を覗き込んできた。


「は? 何が?」


恭介は至極当然のような顔で、白々しくトボけてみせる。


「ううん、なんでもない」


カナは疑わしそうな目を向けつつも、思い過ごしかと自分に言い聞かせるように作業に戻った。


だが、その直後。 一口食べた恭介が不自然に体を乗り出させ、三度目となるギプスの衝撃が、はっきりとカナの胸を押し潰した。


「……やっぱりわざと当ててるよね? 何してんの?」


カナの視線がジト目になり、逃げ場のないツッコミが飛んでくる。


「……」


さすがに三度目は言い逃れができない。恭介はふいっと視線を泳がせ、気まずそうな顔を浮かべた。


それを見た瞬間、カナの胸の中に甘く深い満たされ感がこみ上げてきた。


いつもなら余裕たっぷりで、自分を揺さぶり、後回しにしてきた恭介。 けれど今は、両手を不自由にした恭介が、自分の一言にタジタジになりながら、子供のように意地悪な視線を送ってきている。


手が出せず、自分に頼るしかない恭介。 その不自由な彼に対して、「愛を与える側」になり、「理性をコントロールする側」に回ること。


いつも追いかけては切ない寂しさに苛まれていた自分が、今はこの関係の完璧な主導権を握っている。お姉さんのように彼を受け入れ、いなしてあげる立場に立つことで、事故の知らせを聞いた時の不安や、病院の廊下で感じたあの惨めさが、綺麗に上書きされていくようだった。


(ふふ、かわいい……)


恭介を支配し、甘やかし、焦らす権利を持っているという実感が、カナに「自分は女として彼に求められ、価値があるんだ」という確信を与えてくれる。


カナは呆れたフリをしながら、口元に浮かんできそうな笑みを必死に噛み殺した。 そして何を思ったのか、逃げようとする恭介のギプスを逃がさないように、自ら胸でぐいっと強く押し当てたまま固定した。


カナは少し顔を赤らめ、口を尖らせながら、「まったく、仕方ないなぁ」と言いたげな、甘く誇らしげな表情で恭介を見つめた。


密着した胸の柔らかさが、ギプス越しでも伝わってくる。手が出せない恭介をこうやって生殺しにし、自分から焦らしてやる。この歪で愛おしい空間の全てを自分が動かしている快感が、カナの胸をじわじわと満たしていく。


「はい、おしまい」


恭介が息をのんだ瞬間、カナはふっと満足そうに優越感を込めた笑みを浮かべると、ぐっと押し当てていたギプスをそっと解放した。


「あとは、ちゃんと治ってからね」


カナは自ら理性のブレーキを踏み、あえて一線を越えさせないことで完全に主導権を握り続けた。そして残りのカレーをスプーンですくい、何事もなかったかのように「はい、あーん」と恭介の口元へ突き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。