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あなたは帰る場所を知らない  作者: KYSK


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荒れ狂う狂気

先ほどまで必死に保っていた「大人の余裕」も、「嫉妬しない物分かりの良い彼女」のプライドも、すべてが一瞬で木端微塵に吹き飛んだ。

自分の知らない昔の世界で愛し合っていただけでなく、今この瞬間も、自分のすぐ身近なテリトリーにその女が平然と存在していたという事実。


カナの感情は、生ぬるいステップを全て飛び越えて、一気に沸点へと達した。


その瞳の奥に灯ったのは、『浮気の境界線』の時のような可愛いヤキモチなんかじゃない。すべてを焼き尽くすような、本物の、得体の知れない「狂気」の炎だった。

今から確実に恐ろしい「粛清」が始まるという、怒りと執着が限界まで圧縮された凄まじい圧力が、彼女の全身からビシバシと漂ってくる。


(これはマズいぞ……。本当に、取り返しのつかないラインを超えている……)


俺の直感が、全力で命の危険を告げるサイレンを鳴らし始めた。


ゆっくりと顔を上げた彼女の目は、完全に据わっている。これっぽっちも笑っていない。大人のポーズを取る余裕すら失ったカナは、激しい感情を隠そうともせず、俺を真っ直ぐに睨みつけてきた。


「……あの人だったんだ」


カナの感情は、完全に沸点へと達していた。文字通り、頭から湯気が立ち上りそうなくらいに怒りと嫉妬で脳内が沸騰しているのが、見ているこちらにまで伝わってくる。


「恭介さん」


「……あ、いや、本当に昔の話でさ」


俺が冷や汗をかきながら言い訳をしようとすると、それを遮るように、カナは信じられない言葉を口にした。


「ホテルに行こう」


「……え?」


あまりにも唐突で、文脈を無視したその言葉に、俺は完全にきょとんとしてしまった。何を言われたのか一瞬理解できず、マヌケに口を開けたまま固まる。

だが、カナの目は本気だった。

彼女はテーブルの上で拳をきつく握り締め、周囲の客に聞こえないよう、けれど今にも張り裂けそうな声を喉の奥から絞り出した。


「私……今、ここで大声出しそうで、我慢できないかも」


「…………っ」


その言葉に、俺の背筋にゾクリと冷たいものが走った。


「ここで大声を出して、恭介さんを問い詰めて、めちゃくちゃにしてしまいそう」という、彼女の理性と狂気の境界線。それが今、このお洒落なカフェの片隅で、今にも千切れそうなほどギリギリに張り詰めている。

これ以上ここにいたら、プライドの高い彼女が自分を制御できなくなる。

それほどまでに、俺の過去の女の存在は、カナを激しく狂わせてしまっていた。


ホテルに行こう。それは甘い誘いなどでは断じてない。

二人きりの密室で、逃げ場のない状態で、俺の過去のすべてを根掘り葉掘り、骨の髄まで暴き立ててやるという、彼女からの恐ろしい宣告だった。


一気に沸点に達し、怒りと独占欲で目をギラつかせながら、必死に理性のブレーキを踏み込んでいるカナ。


カフェで伝票を掴んでからの記憶は、酷く曖昧だった。


会計を済ませて店を出てから、近くのホテルに入り、フロントを通り過ぎてエレベーターに乗り込むまで、カナは一言も喋らなかった。ただの一言も、だ。


完全に無言のまま、俺の少し前を早足で歩くカナ。その背中からは、近づくものすべてを叩き斬るような、凄まじい拒絶のオーラが漂っている。

エレベーターの狭い密室の中でも、彼女は俺と目を合わせようとはせず、ただチクタクと進む階数表示をじっと睨みつけていた。


カチャリ、と部屋のドアが閉まり、オートロックが降りる静かな音が響く。


その瞬間が、限界の合図だった。


「――おかしいじゃないッ!!」


静寂を切り裂くような大声が、ホテルの部屋に響き渡った。

振り返ったカナの顔は、まさに『鬼の形相』そのものだった。

涙の一滴すらそこにはない。ただただ怒りと嫉妬で頭が沸騰し、怨念すら感じさせるほどの凄まじい目付きで、俺を殺さんばかりに睨みつけている。


「おかしいでしょ、そんなの! 何が『昔の話』よ!私をバカにしてるの!?」


カナは両拳をきつく握りしめ、青筋を立てんばかりの形相で、狂おしいほどの怒りを俺にぶつけてくる。

その叫び声は完全に理性を失っており、発狂じみた鋭さを含んでいた。



「アンカーで……! 私が恭介さんと一緒にいる場所に、あの人が普通にいるのよ!? 私は何も知らなくて、ただの常連さんなんだろうな、恭介さんの知り合いなんだろうなって、そんな風にのんきに思ってたのに! なんで、なんであの人が元カノなのよ!!」


知らない事実。自分のあずかり知らぬところで、日常のすぐ傍に潜んでいた爆弾。

誰よりもプライドが高く、俺に対する独占欲の塊であるカナにとって、それはこれ以上ないほどの屈辱であり、到底許せるものではなかった。


「昔の話だろ? 消せない過去じゃないか」


俺がそう言って少しでも事態をなだめようとすると、カナはさらに顔を険しくし、掴みかからんばかりの勢いで一歩詰め寄ってきた。


「そうやって開き直るのが信じられない!! 昔のことだろうが何だろうが、私に隠して、裏で騙すようなことをしてたのが許せないのよ! ずっと私を騙してたんでしょ!」


「騙してないだろ。わざわざ言う必要がないと思っただけだ。それに、付き合ってたのはカナと出会うずっと前の話なんだから」


「うるさいっ!! 言い訳よっ!!」


弁明しようとした俺の言葉は、怒声にかき消された。カナの追及はさらに激しさを増していき、今度はその怒りの矛先がスマホの画面へと向けられた。


「そもそも、いまだにそんな写真を持ってること自体がおかしいんじゃないの!? 過去を消せないのは百歩譲って分かったとしても、なんでそんな昔の女の写真を大事に保存してるわけ!? おかしいでしょ! 異常だよっ!!」


「それはたまたま消してなかっただけで、深い意味なんてないって……」


「たまたま!? たまたま消し忘れてたなんて言い訳が通じると思ってるの!? ふざけないでよ!!」


俺が必死に弁明すればするほど、カナの脳内にある『最悪のシナリオ』を補強する材料になっていくようだった。


「マジであの女最悪だっ!!!!」

ついに、カナの口から出た言葉は『あの女』だった。

さっきまでアンカーで見かける「大人の女性」だったはずの存在が、カナの中で一瞬にして、この世で最も憎むべき敵へと格下げされた瞬間だった。


「絶対、裏で私のこと笑ってる……。何も知らないで恭介さんの隣にいる私を見て、『あの子、何も知らないんだ。ウケる』って、絶対あいつ裏で笑ってる!! 私がどんな気持ちか考えたことあるのっ!?」


「そんなわけないだろ。あの時だってただ居合わせただけで――」


「笑ってるに決まってるでしょっ!!!!」


ホテルの壁が震えるほどの怒声が、俺の言葉を強引に圧殺する。


今のカナには、どんな正論も言い訳も通じない。完全にブチギレていて、般若のような恐ろしい顔のまま、その視線だけで俺を細切れにせんと睨み据えている。


「今すぐ電話して!! 電話してよっ!!」


カナは俺の胸ぐらへ掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ると、狂おしい叫びをホテルの部屋に響かせた。


「番号なんて知らないよ」


俺が呆れと困惑の混じった声で、できるだけ冷静に事実を告げると、カナの動きがピタリと止まった。


「は?」


「だから、携帯の番号なんて知らないって。あいつとはもう何年も前に終わって、連絡先もとっくに消してる。アンカーでたまに顔を合わせるだけで、プライベートで連絡を取る手段なんて、俺は持ってない」


「嘘よっ!! 写真は残してるくせに、連絡先は知らないなんて、そんな都合のいい話あるわけないじゃないッ!!」


「本当だよ。フォルダに残ってたのは、さっきも言った通りただの消し忘れだよ」


「信じられるわけないでしょ!!!!」


今まで一度だって見たことのない、カナの本当のブチギレ。

普段の大人びたポーズも、可愛らしいヤキモチの範疇もすべてが吹き飛んでいる。


「今の彼女はカナなんだから、それでいいだろ?」


俺がそう絞り出すように言うと、カナの顔が一瞬、ひどく歪んだ。


「そういう問題じゃないの……! なんでわからないの!?」


頭から湯気が出そうなほど沸騰したカナの怒声が、再び部屋を震わせる。


「どうするの!?」


カナは完全に据わった目で、俺の逃げ道を塞ぐように問いかけてきた。


「どうするのって……どうしようもできないだろ?」


「なんであの女がアンカーに来るの!? 恭介さんに会いにきてるの!?」


「そんなわけないだろ。あいつだってただの客として来てるだけなんだから」


何を言っても平行線で、この狂気の暴走を止める先が見えない。これ以上正論で返しても、彼女の沸点を上げ続けるだけだ。一度は好きになった女を庇いたくなる男のプライドなんて、今のカナを前にすれば消し飛ぶほどの些事だった。元カノには申し訳ないが、ここは完全にカナの言葉に同意し、味方である姿勢を示すしかない。


「でも、正直に言うと、俺も困るよ。あいつがアンカーに来るの、俺だって嫌なんだよ」


その言葉を聞いた瞬間、カナの激しい息遣いがわずかに止まった。


「今の俺は、ただカナと一緒にいたいだけなんだよ。だから、そんな大切な場所に、あいつが平然とやってくるのは、俺だって本当はすごく嫌な気持ちになる。」


俺の口から出た、完全に「カナの味方」として元カノを拒絶した言葉。最低としか言いようがない。

だが、カナの瞳が、驚いたように微かに揺れる。


「そうだよね?」


カナの声のトーンが、確認するような低さに変わる。


「だからさ、カナはもっと余裕を持って、どっしり構えてればいいんだよ。今の俺の彼女はカナなんだから。大人なんだから、そのくらいのことはわかるよな?」


俺はここぞとばかりに、勢いで押し切るように言った。

冷静に考えれば、何ひとつ根本的な解決になっていない、意味のわからない謎の理論だ。


だが、「大人の余裕」という言葉が、プライドの高いカナの心の琴線に、妙な角度からパチンと触れたようだった。俺が元カノを完全に「嫌な存在」と切り捨て、自分を最上位に置いたことで、沸騰していた彼女の脳内が徐々ににクールダウンしていく。


「……まぁ、確かに……私がそんなに感情的になる必要もないのかもね」


なんとなく、本当に何となくではあるが、カナが納得しているような空気へと変わっていく。


「でも」


カナがふと、伏せられたままの俺のスマホに冷ややかな視線を落とした。

その瞳は少しも和らいでおらず、むしろ、ここからが本番だと言わんばかりの冷酷な光を宿している。


「まだスマホにあの写真残ってるけど? 私が言わなきゃ、ずっと持ってたんでしょ」


「消すよ。ほら、今ここで完全に消すから」


俺は必死さを隠せないままスマホを拾い上げ、カナの目の前で画面を操作した。問題の写真をゴミ箱に入れ、『完全に削除』のボタンをタップする。画面から女の姿が消える。


しかし、カナの表情は微塵も緩まない。それどころか、あざ笑うかのように口元を歪めた。


「他にもあるんじゃないの? 一枚だけなわけないよね。あれだけギラギラ遊んでたんだから、他にも隠してるはずでしょ」


「あるわけないだろ! 本当に今のがたまたま残ってただけだって!」


「じゃあ見せて」


カナは容赦なく右手を差し出してきた。

「見せて」という言葉のトーンは低く、拒絶は一切許さないという絶対的な命令だった。


「ほら、早く。出せない理由でもあるの?」


(……あれ? 待てよ……本当にないか……!?)


言葉を発しようとした瞬間、脳裏を最悪の恐怖がよぎった。

本当にあの一枚だけだったか? 昔のフォルダなんて、それこそ何年もまともに見返していない。さっきの「消し忘れ」があったということは、その前後の日付や、別のイベントのフォルダに、別の写真が紛れ込んでいる可能性だって十分にあり得る。


もし、ここでカナが画面をスクロールしている最中にもう一枚でも女の影が見つかったら、さっきの謎理論もクソもなく、今度こそ本物の破滅(あるいはそれ以上の惨劇)が待っている。


ドクン、と心臓が跳ね上がり、全身の血の気が一気に引いていくのが分かった。

心臓がバクバクと嫌な音を立てて警報を鳴らす。しかし、ここでスマホを引っ込めたり、躊躇したりすれば、その時点で「黒」だと確定してしまう。もう逃げ隠れはできない。


「あるわけないだろ。ほら、見てみろよ」


俺は喉の渇きを堪え、心の中で神に祈るような、生きた心地のしない気持ちで、写真アプリの『一覧画面』を開いてカナに手渡した。

カナは奪い取るようにスマホを掴むと、獲物を解体するような鋭い目で画面をじっと見つめ、容赦なく指を動かしてスクロールし始めた。

俺は生きた心地がせず、カナの横から、祈祷師さながらの必死さで画面を凝視する。頼む、何も出てくるな。神様、本当にお願いします――。


高速で流れていく画面。写っているのは、地元の風景、仕事関連のスクショ、美味かった飯の画像、そして最近のカナの写真ばかり。


……ない。

心臓が止まりそうな秒数が流れた後、女と写っている写真は、他には一枚もないことが確認された。


「……ふーん」


画面を隅々まで執念深く確認したカナが、ようやく不満そうにスマホをベッドの上に放り出した。

九死に一生を得たとはまさにこのことだ。俺は心の底から安堵し、危うくその場にへたり込みそうになるのを、必死に理性を保ってこらえるのだった。


「これからも、アンカーであの人と偶然会うことがあるよね?」


「…そうかもしれないね」


俺が慎重に言葉を選びながら返すと、カナは吐き捨てるように言った。


「すごく嫌なんだけど」


「わかるよ。わかるけど……店で出くわす以上、それは仕方ないだろ。あいつが客として来てるんだから、挨拶くらいはするだろ」


「挨拶するんだ? びっくりなんだけど?」


カナは思いきり冷ややかな声を出し、わざとらしく目を見開いた。完全に嫌みだ。再びチリチリとした攻撃性を帯び始める。


ここで怯んだり、言い訳を重ねたりしたらまたさっきの発狂状態に逆戻りだ。俺はあえて毅然とした態度を崩さず、彼女のプライドを刺激するあのフレーズを再び投入した。


「今までそうしてたのに、急に無視するとか逆におかしいだろ? 大人ならわかるよな?」


『大人なら』


そのワードが、再びカナの張り詰めた心の琴線にパチンと触れた。負けず嫌いで、子供っぽい嫉妬に狂う自分を他人に、特に元カノに見せつけたくないというプライドが微かに作動する。


「……まぁ、そうだけど」


カナは不満げに口を尖らせながらも、わずかにトーンを落とした。そこへ俺は一気に畳みかける。


「だから、カナはどんと構えてればいいんだよ。そんなことでいちいちピキピキしてたら、それこそ向こうに対して、自分の方が余裕がないみたいに見えるじゃないか? カナの方がずっと上なんだから、別に今後気にする必要もないと思うけど」


俺がそう言うと、カナはフンと鼻で笑い、髪をかき揚げて俺をジロリと睨み据えた。


「別に私、今後も気にするつもりなんてないけどね?」


声音こそ冷ややかだが、それは明らかな強がりだった。

「気にするほうが余裕がない」と言われた手前、もう引き下がれなくなったのだ。本当は狂うほど嫌だし気になって仕方がないくせに、自分のプライドを守るために、必死で「余裕のある大人の女」を演じようとしている。


部屋を包んでいた刺すような空気は徐々に和らいでいった。

地獄の底のような修羅場をどうにか通り過ぎ、一段落したカナは、少しずついつもの落ち着きを取り戻していった。何事もなかったかのようにスマホを触り、相槌を打つ彼女の姿を見て、俺は心の底から安堵のため息を漏らす。


俺の胸の奥には、冷めやらぬ戦慄がしっかりと刻み込まれていた。

あの綺麗な顔の裏には、誰も知らない真っ黒な狂気が潜んでいる。ひとたびその地雷を踏み抜けば、すべての理性が一瞬で吹き飛び、手が付けられないほどの怪物へと変貌してしまうのだ。


周囲の人間は誰も知らないだろう。アンカーの洗練された美しい彼女が、密室であんな風に発狂じみたブチギレ方をするなんて、夢にも思っていないはずだ。


平穏を取り戻したカナの横顔を盗み見ながら、俺は二度とあの狂気を目覚めさせてはならないと、深く心に誓うのだった。


張り詰めていた緊張が一気に解けたせいか、急激な疲労感が押し寄せてくる。胃のあたりがズキズキと痛み、まぶたが重い。


「カナ……ちょっとだけ、寝ようか」


ホテルのベッドに腰掛けたまま、俺は疲れ切った声で提案した。少し身体を横にして、この混乱した頭をリセットしたかった。


「うん、そうだね。たくさんお話しして疲れちゃったもんね」


カナはふにゃりと眉を下げて、いつもの優しい、包み込むような笑顔で答えてくれた。そのトビキリ可愛い声に、俺は心底ほっとして、促されるままベッドに仰向けに横たわった。


――よかった。これで本当に、ひとまずの平穏は守られたんだ。


そう思い、ゆっくりと目を閉じようとした、その時だった。

カサリ、とシーツが擦れる音がして、ベッドの傍らに立っていたはずのカナの気配が、不自然に俺の真上に移動した。


「ん?」


驚いて目を開けた瞬間、俺の胸にカナの小さな両手が置かれ、ぐっと体重をかけて押された。華奢な身体からは想像もつかない、迷いのない強引さ。

見上げたカナの顔からは、さっきまで俺を労ってくれていた「優しい彼女」の表情が、完全に消え去っていた。窓からの光を背負ったカナの瞳は、光が完全に消え、冷徹で美しい「支配者」のそれに変わっている。


カナの冷たい指先が、俺のシャツのボタンを一つ、また一つと、冷酷なほど的確な手つきで外し始めた。


「恭介さんは私のものだよね?」


低く、鼓膜にピタりと張り付くような静かな声。


「そうだよ……?どうした?」


俺が必死に冗談めかそうとした瞬間、カナは自分の首に巻いていたシルクのスカーフをするりと外した。

え、と思う間もなく、そのスカーフが俺の目の上に乗せられ、視界を完全に遮るように後ろできつく縛り上げられた。

視界が、真っ暗闇に落ちる。


「何やってんの?なんだよ」


動揺して身をよじろうとする俺の耳元に、カナの冷たくて、どこか楽しげな吐息がかかった。


「あの人とも、こういうことした?」


二度と目覚めさせてはならないと誓ったはずの狂気は、俺の想像もしない角度から、突如として牙を剥いたのだ。

彼女にとってこれは怒りでも復讐でもなく、ただ純粋な愛の形なのかもしれない。それが何よりも恐ろしかった。


何も見えない暗闇の中で、俺の背筋にゾクリと激しい戦慄が走った。俺はもう、この女から逃げられないのかもしれない。

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