若気の至り
「ねぇ、恭介さんって、昔はどんな子だったの?」
「昔?」
唐突な話題の転換に、俺は少し面食らう。
「そう。子供の頃とか」
「あー……まぁ、普通にちょっとわんぱくで、元気のいい子だったよ。外を走り回ってるようなさ」
「ふーん。じゃあ、20代の頃は?」
じっとこちらを見つめてくるカナの瞳は、純粋な好奇心に満ちている。俺は少し遠い目をしながら、記憶を遡った。
「それなりにヤンチャな感じ、かな。まぁ、男なんてそんなもんだろ」
俺がそう答えると、カナは「あぁ……」と小さく声を漏らし、何かに納得したように一人で深く頷いた。おそらく、俺が普段から付き合っている男友達の面々を思い浮かべ、なんとなく察したのだろう。「類は友を呼ぶ」とはよく言ったもので、あいつらの賑やかさを知っていれば、俺の学生時代が大人しいわけがないことくらい容易に見当がつくはずだ。
「やっぱりね。なんとなく想像はつくわ」
カナは少しだけ意地悪そうに微笑むと、身を乗り出してテーブルに肘をついた。
「ねぇ、昔の写真とかないの? 見せてよ」
その言葉に、俺の心臓が一瞬だけドクンと嫌な跳ね方をした。
「写真? いや、そんなのわざわざ持ち歩いてないって」
「今時、スマホのフォルダの奥に何枚か入ってるでしょ。ちょっとくらい見せてくれたっていいじゃない」
サラリと言ってのけるカナだが、俺は内心で激しく葛藤していた。
今でこそこうしてシャツの襟を正し、それなりにちゃんとした身なりをしているつもりだが、俺の過去――特に20代の写真なんて、今見返せば完全なる黒歴史だ。
地元でちょっと尖り散らかしていた頃の、今とは180度違う髪型や、お世辞にも上品とは言えない服装、そして調子に乗ったポーズ。あいつらと悪ノリで撮った写真なんて、地元の友達同士の間でさえ、酒の席で弄り合う時以外は「お互いに触れない」のが暗黙の了解になっているほどのタブーである。
そして何より、学生時代なんて、目の前にいるこの洗練されたカナとは一ミリも関わりを持っていないし、そもそも住んでいる世界がまるで違っていたはずだ。
もし当時、どこかの街角ですれ違っていたとしても、会話はおろか視界にすら入らなかったに違いない。いや、それどころか、当時の俺が向こうから歩いてきたら、彼女は怪訝な顔をして、まるで社会のゴミを見るような冷ややかな目で一瞥し、すっと距離を置いて避けて通っていただろう。それくらい、彼女が歩んできた綺麗でスマートな世界と、俺が泥臭くヤンチャに過ごしてきた世界には、埋めがたい溝があった。
そんな過去の自分をまざまざと見せつけるような写真をわざわざ開示するのは、自ら進んで致命的な弱みを握らせに行くようなものである。絶対に後々までネタにされて、事あるごとに弄られる未来が目に見えていた。
「いや、本当にろくな写真がないから。人様に見せられるようなもんじゃないんだって」
「えー! やだ、見たい! 見せてよ!」
カナは椅子の背もたれからガバッと身を乗り出し、まるで小さな子供のように露骨に眉をひそめて駄々をこね始めた。テーブルの上に置いた自分の両手で、トントンと軽く幼児みたいに足を踏み鳴らすような仕草までしている。
「ちょっとくらい減るもんじゃないじゃない! ケチ! 恭介さんのケチ!」
「おい、声が大きいって……」
じっと上目遣いで、まっすぐな期待の目を向けてくるカナ。
ここまで真っ直ぐに、プライドを捨てて駄々をこねられては、もう抗いようがなかった。
「……はぁ。分かったよ」
俺は観念して小さくため息をつくと、ポケットからスマホを取り出し、フォルダの最奥に眠る「開かずの間」へとアクセスし始めた。
「頼むから引かないでよ?」
俺が本気で渋りながら念を押すと、カナは「大丈夫よ」と、どこか大人の包容力を感じさせる笑みを浮かべてみせた。
「引かないよ、誰だって若い頃の失敗とかあるじゃない。ちょっと背伸びして髪を染めちゃったとか? 私、そういうの別に気にしないから」
カナの言う「若い頃の失敗」の基準が、いかに生ぬるい世界のものか。
観念してスマホの画面をカナの方へと向けた。
カナは待ってましたとばかりに、フフッと余裕の笑みを浮かべて画面を覗き込む。
――その瞬間、カナが絶句した。
さっきまでの微笑みは一瞬で凍りつき、まるで時が止まったかのように完全に動きを止めている。綺麗な瞳がこれ以上ないほど見開かれ、画面を凝視したまま、言葉が一切出てこない。
画面に写っていたのは、カナが想像していたような「ちょっと背伸びした可愛いヤンチャ」などでは断じてなかった。
そこには、うねるような長い金髪をなびかせ、手には無造作に金属バットを握りしめ、カメラを今にも殴り殺さんばかりの眼光で睨みつけている、殺人鬼さながらの男たちが数人写っていた。
独特の鋭い殺気と狂気。それは映画のアウトローのパロディなどではなく、本気で街の暗がりに生息していた人間たちの、生々しく、禍々しい空気そのものだった。
カナは本気でドン引きしていた。顔から完全に血の気が引き、リアルな恐怖を前にした時のように体が強張っている。
カナは恐る恐る、震える視線をスマホの画面から上げ、目の前に座っている今の俺の顔へと向けた。
シャツを着て、穏やかにコーヒーを飲んでいる目の前の男と、画面の中で金属バットを持って狂気を放っている殺人鬼さながらの男たち。
その2つが、彼女の脳内でどうしても結びつかないらしい。何度も写真と俺の顔を交互に見合わせている。
だが、カナの衝撃はそれだけでは終わらなかった。
「……あ」
写真の隅々まで凝視していたカナが、何か事実に気づいたように、小さく息を呑んだ。
「これ……1番前の人……」
「あぁ。アンカーによくいる、あいつだよ」
俺が淡々と告げると、カナの脳内のパニックが、その表情から痛いほど伝わってきた。いつもアンカーで会えば「よっ、恭介!」なんて穏やかに手を振ってくれるあの男が、画面の中では殺人鬼集団の最前列で、最も凶悪なメンチを切っている。
さらに、彼女の視線はある一点で再び釘付けになった。
写真の端、ひときわ異彩を放つ男が写っていた。
髪の毛は一ミリもなく、綺麗に剃り上げられたスキンヘッド。数人の中で唯一、眉毛が綺麗に一本も無い。その風貌で、金属バットを肩に担ぎながらカメラを冷酷に睨みつけている、まさにガチの『殺人鬼』そのものの男。
カナはその顔を凝視したまま、今度は怯えすら混じった声で、恐る恐る指を震わせた。
「……こ、これって、もしかして……タクヤくん?」
「あぁ、そうだよ」
俺はただ、静かにそう頷いた。それ以上は何も語らず、コーヒーカップに手を伸ばして、カナの反応を黙って見守ることにした。
「嘘……でしょ……?」
カナは両手で口元を覆ったまま、固まっている。
タクヤといえば、「あ、恭介さん! カナさん、いらっしゃいませ!」と、いつも人懐っこい笑顔で迎えてくれる、あの物静かで優しい後輩バーテンダーだ。カナがカクテルの好みを言えば、「かしこまりました」とニコニコしながら話を聞いてくれる、あの癒やし系のタクヤである。
その彼が、画面の中では、どう見ても法律を無視して生きていそうな『眉なしスキンヘッドの狂戦士』として君臨している。
カナの想像力は勝手に膨らみ、目の前の写真の凶悪さと、現在の穏やかな日常との凄まじいギャップに、完全に圧倒されている。
「…………」
カナはついに、完全にキャパシティをオーバーした。
「誰だって若い頃の失敗とかあるじゃない」なんて澄ましていた大人の余裕はどこへやら、カナはスマホの画面と俺の顔を交互に見つめたまま、ただただ言葉を失ってフリーズしてしまっていた。
「引いてる?」
俺が少しだけ気まずさを隠すように声をかけると、カナはハッと我に返ったように小さく首を振った。
「ううん、大丈夫……」
何が大丈夫なのか。視線は泳ぎっぱなしだ。表情を見れば、明らかに本気でドン引きしているのが丸分かりだった。
自分の愛する男と、その仲間たちが、かつてガチの狂気をまとった集団だったという現実。カナはそれを必死に大人の理性で咀嚼しようとしているようだった。
「……ちょっと、もう1度見せて」
現実を受け止めきれないのか、カナは真剣な顔のまま、写真をピンチアウトして、大きく拡大しようとしたのだろう。
――シュッ、と小気味いい音を立てて、フォルダの次の写真がスライドして表示される。
「あ……」
俺が止める間もなかった。
そこに映し出されたのは、金属バットを持った男たちの集団ではなかった。
まだ少し尖った空気を残しながらも、今よりずっと若い俺と――その隣で、俺の腕に嬉しそうに抱きついて、カメラに最高の笑顔を向けている、一人の若い女の姿だった。
誰が見ても一目で分かる。
当時の彼女と、俺が写る写真だ。
「…………」
店内のBGMが、急に遠くなったような気がした。
金髪ロン毛の殺人鬼や、眉なしスキンヘッドの狂戦士を見た時とは、明らかに違う質の沈黙がテーブルの上に流れる。
カナの視線が、画面の中の「当時の彼女」の笑顔に完全に釘付けになった。
「……あ、ごめんなさい」
カナは口ではそう言いながらも、スマホから一切目を離さない。それどころか、画面に吸い込まれるのではないかというほどの生々しい執着で、写真を凝視し続けている。
さっきまで本気で引いて固まっていた彼女の顔から、みるみるうちに感情が削ぎ落とされ、じわじわと、静かな顔へと変わっていく。
だが、画面の中の「若い頃の元カノの顔」をこれでもかと凝視していたカナの顔が、突然、ハッと何かを思い出したように強張った。
冷徹だった表情が、さらに何か恐ろしい事実を発見したような、衝撃に満ちた顔へと変貌する。
カナはゆっくりとスマホの画面を指でトントンと叩き、確認するように、けれど震える声で呟いた。
「ねぇ、恭介さん……。この人って……」
「…………」
俺は喉の奥がカラカラに乾いていくのを感じ、生唾を飲み込んだ。
答えたくなかった。だが、カナのその目は、すでに全ての正解を導き出している目だった。
そうだ。その写真に写っている女は、今でもたまにアンカーにふらりとやってくる、あの大人の女性だった。
今までアンカーで居合わせた時、軽く会釈をするぐらいで、カナは特に挨拶をするわけでもなく、「あぁ、恭介さんの知り合いか常連さんなんだろうな」くらいにしか思っていなかった、あの女。ただの風景の一部だとすら思っていた女が、実は、かつてこの金髪ロン毛男の腕にしがみついて笑っていた元カノだったのだ。
点と点が、カナの脳内で完全に、そして最悪の形で繋がってしまった。
その瞬間、カナの中で何かが大きな音を立てて決壊した。




