プライド
「ねぇ、恭介さん、もうなくなるよ……?」
ソファーに座ってスマホをいじっていた恭介の横で、カナが声をひそめて話しかけてきた。
「ん? なに?」
「あれが……」
カナは上目遣いでチラッと恭介の顔を見てから、テレビ台の引き出しのほうへ視線を走らせる。そのあからさまな「目で合図」に、恭介もすぐに察知した。
「あー……。ドラッグストアで買えばいいじゃん」
「え? 私が?」
「よく行くだろ? その時についでに買えばいいだろ。前も俺が買ってきたじゃん」
事も無げに言いのける恭介に、カナはパッと顔を赤くして身を乗り出した。
「なんでよ! 恥ずかしいじゃん!」
「は? 今更何が恥ずかしいんだよ。おばさん」
「おばさんでも恥ずかしいでしょ! いや、おばさんだからこそ恥ずかしいでしょ!」
「意味わかんねぇよ。年齢関係ねぇだろ」
恭介は呆れたように肩をすくめ、スマホに目を戻す。
「そもそもさ、日用品だろ? トイレットペーパーとか洗剤買うのと一緒じゃん。レジの人だって毎日何十人も相手にしてんだから、お前の買った物なんていちいち覚えてねぇよ」
「覚えるかもしれないでしょ! レジがバイトの若い男の子だったらどうするのよ!? 『あ、この人今日これから……』とか思われたら死んじゃう!」
「自意識過剰なんだよ。誰もお前の夜の予定なんて興味ねぇって」
「興味あるなしの問題じゃないの! 乙女の尊厳の問題!」
憤慨してポカポカと腕を叩いてくるカナに、恭介はめんどくさそうに溜め息をついた。
「じゃあ、俺が買ってくれば満足なのか?」
「当たり前でしょ! 男の人が買う方が自然じゃない!」
「はあ? 俺だって近所の薬局で買うのは普通に気まずいわ。知り合いに会ったらどうすんだよ」
「じゃあネットで買いなよ!」
「箱で届いて『日用品』って書いてあっても、配達員に見られるのが嫌だとか言ってたのどこのどいつだよ」
お互いに譲らないくだらないプライドのぶつかり合いに、部屋の空気は変な熱を帯び始めていた。
「わざわざそれを買いにドラッグストアに行くのか?」
恭介は呆れたように片眉を上げ、ソファの背もたれに深く体重を預けた。
「そうよ。他に何か買えばいいじゃない」
カナは胸の前で腕を組み、当然と言わんばかりに鼻を鳴らす。
「いやいや、カナはいつも行ってるんだから、その箱をカゴに入れるだけだろ」
「レジの人に私がすごいエッチな女みたいな目で見られてもいいの!?」
カナは目を三角にし、クッションをぎゅっと抱え直して身を乗り出した。その迫力に、恭介はわずかに引き気味のリアクションを見せる。
「今時、そんなやついないだろ……」
「いるよ! 『この人、今晩、これ使うんだ? うふふふ』みたいに思われるよ!」
カナは両手を顔の横でヒラヒラと動かし、嫌味たっぷりにレジ係の真似をしてみせた。
「思われてもいいだろ。『はい、使いますけど?』って顔しとけば」
恭介はどこ吹く風といった様子で、あっけらかんと事も無げに言い放つ。
「はぁ!?」
開いた口が塞がらないといった顔で、カナはあんぐりと口を開けた。
「みんなやってることだろ。何を今更」
恭介はスマホに目線を戻し、画面を適当にスワイプしながら冷ややかに追い打ちをかける。
「全然わかってない!!」
あまりの無神経さに怒りメーターが頂点に達したカナは、抱えていたクッションを恭介の膝の上に叩きつけた。
「俺が嫌なのは、それを買いにわざわざ行くとこが面倒なんだよ」
恭介は膝の上のクッションを退けながら、心底うんざりした顔で吐き捨てた。
「行けばいいでしょ」
「カナだったらいつも行くから、その流れで買えるだろ?」
「いつも行くから買えないの!」
カナは顔の前で大きくバツ印を作り、必死に主張する。いつも行く店だからこそ、顔を覚えられているリスクが高いのだと言わんばかりだ。
「気にしすぎなんだよ」
「あ、この人薄いのが好きなんだ!?とか思われるじゃん!」
思わず口を滑らせたカナに、恭介はぴくっと眉を動かした。
「薄いのが好きなのか……?」
「い、いや、それは、なんでもいいけど……!」
墓穴を掘ったことに気づいたカナは、一気に顔を熱くして目を泳がせる。その様子を面白がるように一瞥してから、恭介は軽く息を吐いた。
「じゃあ、一緒に行く?」
「行くわけないでしょ! おかしいでしょ! 2人で行くと最悪でしょ!」
カップル揃ってレジに並ぶ画策を想像したのか、カナは悲鳴に近い声を上げて全力で首を振った。
「そもそも必要なのか?」
「え……う、うん、ま、まぁ…必要でしょ?」
カナが顔を赤くして答える。
「無くても大丈夫だろ、そんな時もあるじゃん」
「えー……でも、一応……」
カナはモジモジしながら照れくさそうに恭介を見た。
「何、エロいこと考えてるんだよ!」
「ちょっ……!」
急に突き放されたカナが目を開いて信じられないという顔をする。
「わかったよ……俺が行けばいいんだろ」
観念したように恭介が立ち上がると、カナの表情が一変した。パッと花が咲いたような笑顔になり、恭介の腕に抱きつく。
「え、優しい! すごい! そういうとこが大好き!」
「調子いいな」
手のひらを返したような持ち上げ方に、恭介は呆れ顔で視線を落とす。
「キスしてあげるから。ね!」
カナはご機嫌で爪先立ちになり、顔を近づけてアピールした。
「いや、いいです」
「は? は?」
恭介にあっさりと手で顔を押し返され、カナは拍子抜けした声を上げる。
「近所は恥ずかしいから、どこかでゲットしてくるわ」
「うん。お願いしまーす」
上機嫌で手を振るカナを背に、恭介は鍵と財布をポケットに突っ込んで、くだらないミッションのために玄関へと向かうのだった。
「ほら」
恭介は玄関から戻ってくるなり、ソファに座っていたカナの膝元へコンビニのレジ袋をポンと投げ置いた。
袋の中身を覗き込んだカナの顔が、一瞬でパッと明るくなる。
「さすがっ! どこに行ったの?」
「ちょっと先のとこまで」
「これからもお願いしまーす」
カナは上機嫌でペコりと頭を下げた。自分の嫌な役目を完璧に押し付けられた満足感からか、鼻歌でも歌い出しそうな調子だ。
そんな調子のいいカナの姿を見て、恭介の意地悪心に火がついた。
「レジの人妻っぽい人に、『これいいですよ』って言われたわ」
「え……? うそでしょ?」
「『私もたまに買います』って」
「そんな人いるー? はいはい」
カナはまだ余裕の表情を崩さず、恭介のいつもの適当な冗談だと高くくって流そうとした。
「んで、電話番号渡されたわ」
カナの動きがピタリと止まった。余裕の笑みが消え、真顔で恭介を凝視する。
「は? 冗談でしょ?」
「いや、マジで」
「なんで、そういうのもらうの!?」
「それが嫌なら自分で買いに行けばいいだろ」
「『妻がいるんで』って断ればいいでしょ!」
「妻はいないし」
「私がいるでしょうが! 私が妻でいいでしょ! で、それからどうしたの!?」
「まぁ、一応、電話して俺の番号残しといた」
「はぁぁぁぁぁ!? 頭おかしいの!?」
カナの声が裏返り、立ち上がって恭介の胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄ってきた。
「いや、せっかくもらったから……」
「ちょっと! ちょっと! ほんとにヤバいって!」
「ん? なにが?」
シレッとした顔で首をかしげる恭介に、カナはパニックと怒りで顔を真っ赤にし叫んだ。
「どうして!? 私がいるのに!? 堂々と浮気宣言!?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
恭介は相変わらず真顔のまま、どこ吹く風で手をひらひらと振る。
「そういうわけでしょ! 私、出ていくよ!? いいの!?」
本気で焦りきったカナは、目角を立てて今にも部屋を飛び出しそうな勢いで叫んだ。
「……なんてな! 冗談だよ! えへ」
恭介がペロッと舌を出してニヤけた瞬間――
ドカッ!!
「いったぁぁぁ!?」
カナの容赦のない重い右拳が、恭介の鳩尾にクリーンヒットした。恭介はその場にうずくまり、腹を押さえて悶絶する。
「笑い事じゃないでしょ!! バカ! 」
「……マジで殴るやつがあるか……ぐふっ」
「当たり前でしょ! 浮気ネタでからかっていい限界を超えてんの! 罰だよ罰!」
ぷんぷんと肩で息をしながら怒り狂うカナだったが、恭介が本気で痛がっているのを見ると、少しだけバツの悪そうな顔をして隣にしゃがみ込んだ。
「……もう、ほんとに意地悪」
小さく呟くカナの頭を、恭介は腹を押さえたまま「ごめんごめん……」と弱々しく撫でるのだった。




