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あなたは帰る場所を知らない  作者: KYSK


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プライバシー

恭介は早足で急いで自宅に戻っていた。エレベーターの遅さに苛立つ。尿意が限界に達しようとしている。これはヤバいぞ…


急いで玄関を開けて一直線にトイレに向かう。トイレのドアを勢いよく開け放つと、そこには目のやり場に困る惨状が広がっていた。


「ちょっと! 閉めてよ!」


真っ赤になったカナが叫ぶと同時に、恭介は素早くドアを叩きつけた。


「ごめんごめん!」


パニックになりながらも、下腹部の強烈な圧迫感に恭介は脂汗を流す。


「は、早くしてくれよ! もうヤバいよ!」


「ちょっと待ちなさいよ! 今、服整えてるんだから……っ!」


中からバタバタと衣擦れの音が聞こえた後、ドアが開き、怒髪天を突く勢いでカナが飛び出してきた。


「ちょっと! ノックとか配慮ってものが——」


「後で、後でな!」


言い終わるよりも早く、恭介はカナを横から押し退けるようにしてトイレへ滑り込み、バタンと勢いよくドアを閉めた。


「ちょっとーーー!!」


ドア越しにカナの悲鳴のような怒号が響くが、間一髪で危機を脱した恭介には、もはやそれを聞き入れる余裕すらなかった。


「ふぅーーーー、間に合ったー……」


心底ホッとした深いため息をつきながら恭介がトイレから出てくると、廊下には腕組みをしたカナが仁王立ちで待ち構えていた。


「ちょっと! 普通ノックくらいするでしょ!!」


「いや、マジでそれどころじゃなかったんだよ……本当に限界だったんだって」


恭介は平謝りしつつも、自分の危機的状況をアピールしようと頭をかく。しかし、一番見られたくない姿を見られたカナの怒りは全く収まらない。


「限界だろうが何だろうが関係ない! 勝手に開けられて、私……!」


思い出すだけでも恥ずかしいのか、カナの顔がみるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていく。


「いや、俺だって見たくて見たわけじゃないし! 開けた瞬間にうわっと思ってすぐ閉めただろ!」


「『見たくて見たわけじゃない』って何よそれ! 失礼すぎない!?」


「言い方の問題だろ! そもそも、なんで鍵かけてなかったんだよ!」


「1人だったんだからかける必要ないでしょ! 」


「もうそんな仲じゃないだろ? ちょっと見られたくらい、いいじゃないか」


恭介が開き直ったように言うと、カナは目を見開いて「よくないよ!」と叫んだ。


「俺はカナにだったら見られても全然平気だけどな。それが愛ってもんだろ」


「なっ……! 私に愛がないみたいに言わないでよ!」


「だってそうだろ? ただ座ってただけじゃないか。別に減るもんでもなし」


「減るとか減らないの問題じゃないでしょ! 女心ってものを少しは理解しなさいよ!」


言葉に詰まったカナは、真っ赤な顔で胸を上下させながら、悔しそうに恭介を指さした。


「……分かった。じゃあ、今度から私も容赦なく開けるからね!」


「おう、全然大丈夫」


恭介が鼻で笑いながらあっさり答えると、カナの怒りは頂点に達した。


自分の恥ずかしさを力技で塗り替えようと、必死に不条理な宣戦布告をするカナ。


数時間後。


少し喉が渇いた恭介は、トイレに入った。


その直後だった。


ガチャッ


「あ」


容赦なくドアが開いた。そこに立っていたのは、さっきまでの怒り顔とは一転して、どこか意地悪な笑みを浮かべたカナだった。


「なんだよ?」


恭介が眉をひそめて見上げると、カナは逃げるどころか、ドアの枠に手をかけてじーっと中を覗き込んできた。便座に座る恭介の姿を、上から下までマジマジと観察している。


「……なんでじっと見てんだよ。普通すぐ閉めるだろ」


「別にー」


カナは胸を張って、ニヤニヤしながら一歩も動かない。


「閉めろよ」


「ねぇ、出てる? 今おしっこ出てるの?」


無駄に好奇心旺盛な目で覗き込んでくるカナに、恭介は呆れと焦りが混ざった顔で片手で顔を覆った。


「あぁ、出てるから閉めろよ。プライバシーだろ」


「さっき見られても平気って言ってたじゃない?」


「もう見ただろ」


恭介は座ったまま手を伸ばし、ドアの取っ手を掴むと、力任せにバタンッと引っ張って閉めた。


カチャンッ


今度は内側から確実にロックをかける音が静かな廊下に響く。


「ちょっと! 途中で閉めないでよ!」


ドアの向こうからカナの不満そうな声と、トントンとドアを叩く音が聞こえてくる。


ドア越しに捨て台詞を吐いて、パタパタと走り去っていくカナの足音。


トイレに取り残された恭介は、流すボタンを押し、「ジャーーー」という水音を聞きながらポツリと呟いた。


「……あいつ、マジで容赦ねぇな」


さっきまでの威勢はどこへやら、完全に一本取られた恭介は、次からは絶対に鍵をかけると心に誓うのだった。


「なぁ、カナ」


後日、リビングでくつろいでいる時に、恭介はふと気になっていたことを切り出した。


「トイレとか脱衣所のドア開けられた時、マジで本気で怒るだろ。わざと開けたわけじゃないのにさ」


ソファで雑誌をめくっていたカナの手がピタッと止まる。


「普通にいやでしょ!?」


カナは目を三角にして、心底信じられないという顔で言い放った。


「そうか? 俺たちはもう、そういうのを超越した仲だと思ってたんだけどな」


「それとこれとは別よ!! 超越とかそういう問題じゃないの!」


膝の上のクッションを抱え直し、プイッと明後日の方向を向くカナ。そんな彼女の頑ななリアクションを見ているうちに、恭介の頭の中にふと妙な疑問が浮かんできた。


「……なぁ。まさか、変なポーズとかしてるんじゃないよな? 俺に見られたくないような」


「は? どんなポーズよ、それ」


カナが心底呆れたように眉をひそめると、恭介はニヤニヤしながら身を乗り出した。


「いや、ほら。人に見せられないような奇妙な体勢で踏ん張ってるとかさ。脱衣所で誰も見てないと思って変なダンス踊ってるとか」


「そんなわけないでしょ! 普通にしてるだけよ!」


「じゃあ見られたっていいじゃん」


「だから! それとこれとは別だって言ってるでしょ!! 乙女のプライバシー!!」


「あぁ、はいはい。あれだな。こっそり誰かに連絡してるんだな。男かよ。ちっ」


「はぁ? 何わけのわからないこと言ってるの?」


「隠れてコソコソと……はぁー、信じてたのになぁ」


恭介がわざとらしく大きな溜め息をつきながら天を仰ぐと、カナは口をあんぐりと開けて固まった。


「ちょっと! なんでトイレのドア閉める話から、男の影の話になってるのよ! 飛躍しすぎでしょ!?」


「怪しいと思ってたんだよなぁ」


「どこが?」


「やっぱ、カナって可愛いじゃん?」


「え……そ、そう?」


不意打ちの褒め言葉に、さっきまでプンプン怒っていたカナの勢いがピタッと止まる。分かりやすく動揺して、目が泳ぎ始めた。


「男にも困らないんだろうな、と思って」


「え、い、いや、そんなことないけど……」


急に素直になった恭介の雰囲気に飲まれ、カナは頬を真っ赤に染めながら照れくさそうにモジモジし始める。


「やっぱりこれだけ可愛いと、男の1人や2人いて当然だと俺は思ってる」


「え……そ、そんなことないけどね」


「だって、男がほっとかないだろ?」


「う、うーん、どうだろね……」


自分を持ち上げられすぎて、怒るに怒れずニヤニヤが止まらないカナ。照れ隠しで目を泳がせながら、必死に控えめなトーンを装っている


「うん、やっぱり改めて見ても可愛いな」


「え、あ、ありがとう……」


恭介に真顔でじっと見つめられ、カナの耳の先端まで一瞬で朱に染まった。さっきまでの威勢はどこへやら、視線をあちこちに泳がせながら、手持ち無沙汰に自分の服の裾をギュッと握りしめている。


「肌もめちゃくちゃ綺麗だしさ。いつも近くで見れる俺、相当ラッキーだよな」


「ちょっと……! 急に何言い出してるのよ、恥ずかしいでしょ……っ!」


「本当のこと言っただけだろ。顔も可愛くて、スタイルも良くて、性格までこんなに素直で可愛いとか、正直言って反則レベルだと思うんだよな」


「〜〜〜っっ! もうやめてよ!!」


怒涛の褒め殺しに耐えきれなくなったカナは、両手で顔を覆って叫んだ。しかし、指の隙間から覗く目元も口元も、デレデレのニヤけ顔を隠しきれていない。


「おまけに、照れて顔真っ赤にしてる姿まで完璧だしな。こんなの、俺以外の男に見せたら一発で持っていかれるわ」


「持って、いかれない……っ! 持っていかれないから!!」


カナは顔を真っ赤に染め上げたまま、必死に恭介の胸にしがみついて訴えた。そのあまりの必死さと可愛さに、恭介は満足げに笑みを浮かべる。


「はいはい、さて…俺風呂入ってくるわ」


恭介が体を離そうとした瞬間、カナはスッと顔を上げ、潤んだ瞳で強く言い放った。


「私も一緒に入るっ!」


「なんでだよ」


「いいじゃないの! 綺麗に洗ってあげるから!」


さっきまでの羞恥心はどこへやら、今のカナは完全にリミッターが外れていた。勢いよく立ち上がり、恭介の手をガシッと掴んで引っ張ろうとする。


「いや……さっきまでプライバシーがどうとか、脱衣所のドアがどうとか言ってた奴はどこのどいつだよ」


「そんなのもうどうでもいいの! 早く行くよ!」


強引に浴室へと引っ張っていくカナの圧倒的な勢いに、恭介は呆れながらも苦笑いを浮かべるのだった。

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