不意打ち
一度は解けかけた結び目が、前よりも固く結ばれ直したかのように、二人の間の空気はどこまでも柔らかかった。
この数ヶ月のすれ違いが嘘のように、二人の距離は以前よりもずっと近くなっていた。言葉を交わさずともお互いの温度を感じ合い、くだらないことで笑い合える。絆が深まったことで生まれたその確かな安心感は、二人にとって何よりも心地よいものだった。
休日の昼下がり。
ベッドの上でゲームの画面に没頭している恭介の背後で、カナが何やらゴソゴソと動き回っていた。
「じゃーん」
弾んだ声に恭介がちらりと振り返ると、そこには透け感のあるセクシーなランジェリーを身に纏ったカナが立っていた。
「これも可愛いでしょ?」
「うん」
画面から目を離さず、素っ気なく生返事をする恭介。
「ちょっと、ちゃんと見た?」
「うん、見たよ」
相変わらずスマホに視線を落としたままの恭介に、カナは痺れを切らして「ねぇねぇねぇー」と背中に体をすり寄せてきた。
「はいはい、わかったから……」
その時、部屋に無機質な電子音が響き渡った。
『ピンポーン』
「え? 誰? 宅急便?」
「恭介さん見てきて」
「うん」
ベッドを抜け出し、インターホンのモニターを確認した恭介は、画面に映る人物を見て思わず口元を緩めた。カナの母親だ。
(……カナには黙っとこ)
恭介は悪戯っぽく微笑むと、寝室に声をかけた。
「なんだった? 宅急便?」
「宅急便かな。俺が受け取っとくよ」
「うん。私こんな可愛い格好だしね♡」
何も知らないカナは、エロい格好のままベッドでゴロゴロと体を転がしている。恭介はそっと服を直し、髪を整えて玄関へと向かった。
「はーい」
ガチャリと扉が開く音が聞こえた。
「恭介さん、ごめんなさいね」
(ええええええ! ママっ!? うそでしょ!?)
聞き覚えがありすぎる声に、カナの血の気が一気に引いた。パニックになりながらベッドの周りの服を狂ったように探す。ランジェリーの上から急いでTシャツを頭から被り、デニムのパンツを力任せにはく。
「あれ? カナはいる?」
「あ、いますよ」
「カナー?」
ドアのすぐ向こうから聞こえるママの声。カナは乱れた髪を大急ぎで手ぐしで整え、一瞬だけ姿見で全身をチェックした。
「はいはい……」
すまし顔でリビングへ出ていく。
「なに? いま起きたの?」
「ううん……掃除してたんだよ……」
隣で必死に笑いを堪えている恭介を、カナは殺意のこもった目で見つめた。
「はい、これ果物持ってきたわよ」
「あ、ありがとう」
「いいとこね。初めてこの部屋に来たわ」
「ありがとうございます。コーヒーでも飲みますか?」
「じゃあ、せっかくなんでいただきますね」
恭介が淹れたてのコーヒーをテーブルに並べる。お母さんがソファに腰掛け、カナは落ち着かない様子で床に直座りした。
「この辺はいいとこね」
「そうだね」
あそこのケーキ屋が美味しいとか、近くのスーパーが安いとか、女同士のたわいもない世間話が続く。カナが胸を撫でおろしかけた、その時だった。
ふと、カナの腰の後ろから少しだけ覗いているレースの紐のようなものに、お母さんの視線がピタリと止まった。
「カナ、あなたどんな下着履いてるのよ…? なにそれ……」
「え!? ち、違うから。た、たまたまよ!」
一瞬で顔を真っ赤にするカナ。
「違うってあなたが履いてるんでしょ。たまたまって……ねぇ、恭介さん。何か言ってやってよ」
「ははは、はい……」
肩を震わせて爆笑をこらえる恭介の横で、カナは穴があったら入りたい一心で小さくなっていた。
「ほんとカナは派手好きね」
「そ、そんなことないでしょ!」
「若い頃はそんなことなかったと思ったけど」
お母さんの冷ややかな追及に、カナの顔はどんどん茹で上がっていく。
「いいでしょ! 自由でしょ!」
開き直るように言い返すのが精一杯だった。そんな娘の様子にくすりと笑い、お母さんはコーヒーカップを置いた。
「じゃあ、そろそろ帰るわね」
「うん、ありがとね」
「ありがとうございました。またいつでも寄ってください」
恭介が礼儀正しく頭を下げる。
「はい、ありがとうございました。また来るわね」
「下まで送ってくるね」
そう言って、カナはお母さんと共に玄関へと向かった。
数分後、ガチャリとドアが開く音が響いた。
入ってきたカナは、まさに烈火のごとく激怒していた。床をドシドシと鳴らしながらリビングへ戻ってくる。
「ちょっと! ママなら言ってよ!」
「宅急便かと思ったんだよ」
恭介はすました顔でしらばっくれてみせる。
「そんなわけないでしょっ! 恥ずかしいでしょ!」
「親子なんだからいいだろ」
「嫌だよっ!」
頭から湯気を立てて真っ赤な顔で抗議するカナ。その必死な姿と、先ほど腰から覗いていた紐パンツのギャップに、ついに恭介の耐限界が訪れた。
「ふっ……くくっ……あはははは!」
堪えきれなくなった恭介の大爆笑が、リビングいっぱいに響き渡った。
「焦ったのか?」
「焦るよ! もうほんとにこういうのやめてよ!」
足を踏み鳴らして大マジで怒るカナの姿に、恭介の腹筋は崩壊寸前だった。
「わかったわかった。あははは!」
涙目になりながら爆笑する恭介に、カナは枕を引っ掴むと「笑い事じゃない!」と力任せに投げつけた。
◇
カナのクローゼットの引き出しには、色とりどりの下着が隙間なく並んでいる。
シンプルで使い勝手のいいものから、今日のように恭介を驚かせるため(あるいは自分の気分を跳ね上げるため)のデザイン性の高いセクシーなものまで、およそ一人の人間が持つ量としてはかなりのコレクションだと思う。
あの引き出しの充実ぶりを見る限り、彼女にとって下着選びは完全に自分を高めるための大切なライフワークなのだろう。
「そんなにいっぱい下着持っててどうするんだよ? 実際着用するのなんて、お気に入りか楽なやつの4〜5枚くらいだろ」
「全然わかってないわ……これだから男は……」
呆れ顔で引き出しを整えながら、カナは教え込むように指を立てた。
「あのね、服によって透けない色とか形を選ぶのは当然でしょ? それに、その日の気分や体調でつけ心地も変えたいの。気合いを入れたい日もあれば、とことん楽したい日もあるの!」
「ふーん……」
「それにね、誰に見せるわけじゃなくても、お気に入りの可愛い下着を身につけてるだけでテンションが上がるの。女の子にとっては鎧であり、最高のお守りなのよ」
よくわからない理論を聞かされる。
「でも、着けるのなんて夜か朝なわけだろ? 今日履いてる下着とか覚えてるのか?」
「ま、まぁ……たまに忘れる時もあるけど……」
一瞬言葉を詰まらせたカナに、恭介はニヤリと意地悪く追い打ちをかけた。
「じゃあ『お気に入りでテンション上がる』なんて、着ける瞬間だけじゃねぇか」
「なっ……! 違うもん!」
カナは真っ赤になって反論を試みるも、図星を突かれたのか視線が泳いでいる。
「じゃあ、憂鬱な時用のパンツとかあるのかよ」
半ば呆れたように尋ねると、カナはドヤ顔で引き出しの奥から一枚のシンプルな綿のパンツを取り出してみせた。
「あるに決まってんじゃん。これがまさに『生理中・体調不良・やる気ゼロ』の三拍子揃った日用の、超快適・無敵パンツ!」
「名前が重すぎるだろ」
「いいの! 憂鬱な日は、締め付けない・肌触り最高・お腹まで温かい、これが正義なの。テンションを上げるんじゃなくて『これ以上下げない』ための盾!」
「鎧の次は盾かよ」
「そうよ。戦闘モードの時は勝負下着だし、傷ついてる時はこの防具。気分で選ぶってのはそういうこと!」
真顔で力説するカナの熱量に、恭介は笑いを噛み殺していた。
「じゃあ、もし、憂鬱パンツの日に何かあったらどうするんだよ? 男と出会ってそういうことになったら、憂鬱じゃなくなるだろ」
「はぁ? その日に? あるわけないでしょ?」
「もし、だよ、もし!」
恭介が身を乗り出してしつこく食い下がると、カナは「ほんとバカね」と呆れたように鼻で笑った。
「あのねぇ、こっちが体調悪かったり気分が落ち込んでる日に、わざわざ新しい男と出会ってそんな雰囲気になるわけないでしょ。どんな奇跡の確率よ」
「だから『もし』の話をしてんだよ。人生何が起こるか分かんないだろ」
「はいはい。もし万が一、億万が一そんな奇跡が起きたら……」
カナは引き出しの『憂鬱パンツ』を指でつまみ上げた。
「相手の男の人に『ごめんね、今日は防御の日なんだ☆』って笑顔でカミングアウトして、諦めてもらうわ」
「諦めさせるのかよ!諦めたら、もうその超絶イケメンと出会えないかもしれないじゃん」
恭介がニヤニヤしながら意地悪く畳みかけると、カナは「超絶イケメンねぇ……」と顎に手を当てて、少しだけ考える素振りを見せた。
「うーん……じゃあ、その超絶イケメンが『どんなパンツ履いてても、今のカナちゃんが一番可愛いよ』って言って抱きしめてくれたら、考えてあげてもいいかなぁ?」
「『考えてあげてもいい』? だと? なんで上から目線なんだよ。超絶イケメンだぞ?」
恭介が呆れ果ててツッコミを入れると、カナは「あー……」と少しだけウインクしながら天井を見上げた。
「えー、うーん……あ! さっさとお風呂に入って裸で出てくればいいじゃない!最終的に裸になるんだし」
どこまでも破天荒なカナの理屈に、部屋は再び温かな笑い声で満たされた。
「じゃあ、カナのパンツを見て今日の気分を察すればいいのか? お、今日はご機嫌だな!とか、今日は体調不良か、とか」
「大正解! 恭介さん、飲み込みが早くて助かるわー」
カナは満足そうに何度も頷くと、ニヤリと小悪魔みたいな笑みを浮かべた。
「朝、私が着替えてる時にちらっと見て、『あ、今日のカナちゃんはテンション高めだな』とか『あ、今日は優しくしてあげよう』とか察してくれたら、100点満点の彼氏ね!」
「言葉にしなくても下着で会話できるなんて、最高に絆が深まってる証拠でしょ?」
胸を張るカナのあまりに堂々とした理屈。
「まぁ、100歩譲って下はそうだとしよう。上はどうなんだよ?」
恭介が半ば諦め顔で尋ねると、カナは待ってましたと言わんばかりに胸を張った。
「上!? 上こそ女子の生き様が詰まってるんだからね! 下どころじゃないわよ!」
「生き様って……大袈裟だな」
「大袈裟じゃないの! 上はね、服のシルエットをどう綺麗に見せるか、肩出しなのか、胸元の空き具合はどうなのか……ぜーんぶ計算して決めてるの!」
カナは引き出しからレースのブラやノースリーブ用のブラトップを並べ始めた。
「Tシャツの日にレースの凹凸が出たらダサいからシームレスだし、背中が空く服なら魅せるバッククロス! おうちでリラックスする日はノンワイヤー! ほら、全部理由があるでしょ?」
「へいへい。じゃあ上下セットで着てる日は何なんだよ」
「上下セットなんて普通だよ。上下違うのだったら変でしょ?靴下でも左右が違うとおかしいじゃない?上下お揃いでテンションMAXよ。もし脱ぐことがあったら恥ずかしいでしょ?」
「脱ぐこと?脱ぐことなんてあるのか?」
カナは一瞬止まった。恭介は少し険しい顔をしている。
「脱ぐことがあるのか、って聞いてんだけど?」
「な、ないよ!あるわけないでしょ!」
「誰に見せてんだよ。最悪だな」
「見せるわけないでしょ!誰にも見せないよ!」
胸を張って堂々と宣言するカナに呆れ返りながらも、その徹底したこだわりに思わず吹き出してしまった。
「でも、それ朝から着てるんだろ? 仕事から帰ってきたら下着も匂ってるだろ」
「は? 匂ってないわ!」
カナはカッとなって即座に言い返した。
「じゃあ、今度仕事終わりに匂ってやるな」
「うわー……キモ…変態……」
カナは心底嫌そうな顔をしてみせるが、耳の先端がうっすらと赤い。
「上下お揃いで、テンションMAXなんだろ? 朝からそれ着て夜までテンションMAXなのかよ?」
「そ、そうよ!」
「可愛く見られたい日なんだろ? 朝からそれを着けて仕事中に誰に可愛く見られるんだよ。なんの仕事してんだか」
「なっ……!」
恭介の容赦ないツッコミに、カナはぐぬぬと息を詰まらせた。
「夜、帰ってきたら彼氏に見せるためでしょうが! 」
「じゃあ、帰ってから綺麗な下着をつけたほうがいいに決まってるだろ。何かと理由を無理やり付けすぎなんだよ」
恭介が正論を突きつけると、カナは口をぽかんと開けたあと、今度こそ完全に言葉に詰まった。
「ぐっ……! それは……それはそうだけど……!」
胸元を押さえてワタワタと視線を泳がせるカナ。完全に論破された顔だ。
「帰ってから付け直すなんて面倒くさいでしょ! 朝から着ていくストーリーが大事なの! 女ごころってものを全然わかってない!」
「はいはい。負け惜しみお疲れ様」
頭をポカポカ叩いてくるカナを軽くあしらいながら、恭介はクスクスと笑った。
「なにが『今日のテンションをあげるため』だよ。朝から晩まで服で隠してるじゃないか。そのまま歩けよ」
「はぁ?そんなことできるわけないでしょ」
「服で隠しながら『今日はあの下着を付けてるから気分がいい』とか考えてるのか? とんだエロ野郎だな」
恭介が追い打ちをかけると、カナは「なっ……!」と絶句し、一瞬で顔を真っ赤に染めた。
「エ、エロ野郎って言わないでよ! 違うわよ!」
「違わないだろ。服の下のことを一人でニヤニヤ妄想してんだから、立派な変態だ」
「会議で嫌な上司に小言言われてもね、『ふんっ、私はいま上下お揃いの超可愛い高級レース着てますけど? あんたの冴えないスーツの下とは格が違いますけど?』って心の中でマウント取れるの!」
「どんなマウントだよ」
斜め上すぎる自己肯定感の高め方に、恭介はついに耐えきれなくなって抱腹絶倒した。
「俺も考えようかな。『今日、あの子テンション高い。さては上下お揃いだな!』とか。それと一緒だろ」
「全然違います。なんか殺意が湧いてくるんだけど」
食い気味に冷たく言い放つカナの目には、本気のジト目が宿っていた。
「あれ? カナ、今日はテンション高いな。さては、服の下はお揃いかな?むふふ、だろ」
「ま、まぁ……それはいいけどね」
カナは急にモジモジし始め、さっきまでの威勢はどこへやら、照れくさそうに視線を手元に落とした。
「いいのかよ! 他人の妄想は殺意湧くのに、カナの妄想は許されるのか?」
「恭介さんが私の下着のこと考えてニヤニヤしてるなら……それは、別に嫌じゃないっていうか……むしろ歓迎というか……」
恭介は、カナのショートパンツのウエストに指をかけ、ぐっと押し下げる。
「きゃっ」
カナが小さく声を上げるが、構わずその隙間から下着を覗き込んだ。
「あぁ、なんだ。今日は憂鬱の日か」
「は? どこがよ! これよ!?」
カナは抗議の声を上げながら、ショートパンツの端をくいっと少し引き下げて、中の生地を主張するように見せてきた。
「匂ってくるからやめろよ」
「はぁ!?」
次の瞬間、ドスッと恭介の腹にカナの容赦ないパンチが炸裂した。




