第42話「ティータイム」
ある日の午後、カナタ邸の一室にて。
「セイカお嬢様、お茶が入りました」
「うむ、ご苦労」
窓辺から差し込む陽光を浴びていたセイカの前に、そっと紅茶が置かれた。仰々しい返事の後、彼女はカップを手に取って自身の顔へと近づける。
ただ、すぐには飲まない。まず、湯気と共に鼻腔をくすぐる香りから楽しもうとしていた。
「うーん、上品な香り……これはダージリンだね?」
「セイロンです」
即答を受け、セイカの肩とともに水面が揺れる。そこから伝播したかのように、彼女の頬を同じ色が染めていった。
「た、試したんだよ。いやー、よく勉強してるねえ!」
「恐縮でございます」
一礼を視界の端に捉えながら、セイカは紅茶を一口飲む。
美味ではあった。だが彼女の舌は繊細ではなかったため、自販機で買えるようなものとは味が違うという程度の感想しか抱けない。
「うん、美味しい。さすがはセ、セイ……」
「セイロンです」
「そうそれ!」
行儀など知ったことかと言わんばかりに指を差す。
たった四文字でも、聞き馴染みがなければ一回では覚えられないだろう。そのはずだと、セイカは心の中で自らに言い聞かせた。
「セイカ様。お茶菓子をご用意しておりますので、よろしければこちらも是非」
「わあ、ありがとう!」
最初に取り繕った威厳が見る影もない程に、瞳を輝かせる。普段迷宮の攻略に奔走しているセイカもまた、甘味に心を奪われる年頃の少女に過ぎなかったということだ。
「では早速」
三つの段で構成されたスタンド。セイカはその上段に飾られたクッキーを手に取り、口の中に放り入れた。
「……うっま!」
渋みのある紅茶を飲んだ後だからか、あるいは同様に値が張るものだからか。たった一枚で、極上の甘さがセイカの口内に広がった。
それでいて、くどさは全く感じられない。彼女は続けて二枚目を手に取ろうとした。
その、直後のこと。
「邪魔するぞ」
ノックもなしに、部屋の扉が開かれる。セイカは一旦手を止めたが、来訪者の姿を確認した後すぐに動きを再開した。
「どうしたの、ランセ?」
突然の来訪者は、ランセだ。気心知れた仲であるため、セイカは肩肘を張らずに振る舞うことができていた。
「……いや、それはこちらの台詞だ」
ランセの目は何かに驚いたかのように見開かれている。彼女の言葉と反応の意味を察することができず、セイカは首を傾げた。
「お前たち、何をしているんだ……? 特に、カナタ」
どうやら、『彼女』を見て困惑していたらしい。
ランセの言葉どおり、この部屋にはセイカだけでなくカナタもいた。
より正確に言うならば、その二人しかいない。メイド長もその他の使用人もいないのだ。
つまり、今の今までカナタがセイカの給仕に徹していたということ。なんの前情報もなくその場面に遭遇すれば、理解が追いつかなくなっても無理はない。
「いや……ほら、最近暇じゃん?」
「……ああ。迷宮による被害がぱたりとなくなったからな」
あの日、空に出現した迷宮の攻略に成功した後、世界各地の迷宮が一斉に消滅したのだ。そして後続が現れることもないまま、既に一ヶ月近くが経過しようとしている。
(これで終わり、とは思えないんだけどな……)
思い起こされるのは、先日倒した男児の言葉。曰く、『より恐ろしい脅威』なるものが地球を襲うとのことだ。
その情報は早々に他三人にも共有した。結果、しばらくは日本に留まって様子を見守るべきだという話に落ち着き、現在へと至る。
ただ、一行が観測している限りではそれらしき存在は未だに現れていなかった。
「……まあ、だから主従ごっこしようって話になって」
「だからとはなんだ、だからとは……」
「だって、ランセはすぐ目を盗んでどっか行っちゃうし、タタラも最近なんか籠りがちだし」
ランセとタタラが何をしているのか、おおよその見当はつく。故に、セイカは彼女らの邪魔にならないようカナタと二人で時間を潰していた。
「二人でやれることってのも、意外と少なくて。辛うじて思いついたのがこれ、って感じ」
「……もう少し相手を選べ。メイド長に見つかったら殺されるぞ」
ランセの指摘はもっともだ。カナタへの忠誠心が高いメイド長にこの現場を見られたら、セイカは首をはねられかねないだろう。
だが、想像に難くないその光景が現実のものとならぬよう、二人は言い訳をしっかりと用意していた。
「心配なさらずとも大丈夫ですよ、ランセさん。提案したのは私の方ですし」
カナタが一歩踏み出し、胸に手を当てて答える。
彼女は今、この家の使用人が着用しているものと同じメイド服を身に纏っていた。それでも高貴な印象が打ち消されていないあたり、生粋のお嬢様と言える。
「ってか、ランセも他人のこと言えないんじゃない? 何度もこっそり出かけちゃってさ。いったいどこに行ってるのかなぁ?」
「パチだ」
「少しは誤魔化せよ……」
悪びれもせず堂々と答えるランセを横目で見ながら、セイカは再びカップを傾けた。心なしか、一口目より渋みが強まったように感じられる。
「メイド長からも再三言われていると思いますが……まだ追われているかもしれませんし、不要不急の外出は控えてくださいね?」
「善処する」
「カスギャンブラーめ……それよりランセ、何か用があったんじゃないの?」
脱線に次ぐ脱線で用件を聞けていなかったことに、セイカはようやく気がついた。優雅なティータイムをこれ以上邪魔されたくはなかったため、手早く済ませられるよう真剣に耳を傾けることにする。
「ああ、実は先程大負けしてしまってな。金を恵んでほしいんだ」
「カスギャンブラー!」
今度ははっきり聞こえるよう、大きな声で罵倒した。そこには、真面目に聞くべきではなかったという後悔も多分に含まれている。
「タダより高いもんはない、ってね。どうしても金が欲しいってんなら、ウチの執事として肩の一つでも揉んでもらおうか!」
「……かしこまりました、せーかさま」
棒読みでそう返すランセ。激情を堪えているのか、それとも単に演技力が低いだけか。
いずれにせよやる気があるなら問題ないかと、セイカは椅子に踏ん反り返る。そんな彼女の肩が、二つの手によって力強く掴まれた。
「いだだだだ! 痛い! 痛い痛い痛い⁉︎」
のたうち回ることすらできず、セイカはひたすら叫び続ける。幸か不幸か、部屋の壁は厚いため騒ぎを聞きつけられることはない。
「ちょ、そこコリじゃない! 骨、骨が軋んでるからあっ! ギブギブギブギブギブ!」
白旗を振っているにもかかわらず、力が緩められる気配はなかった。
軽い絶望を覚えながら、セイカは悶え苦しむ。そんな彼女を救ったのは、なんの気なしにつけていたテレビから聞こえてきた速報だった。
(チャンス……!)
聞き逃してはいけないと思わせられたのだろう。ランセによる拘束が緩んだ一瞬の隙を突いて、セイカはカナタの近くへと避難した。
直後、件の速報が彼女の耳に届く。
『速報です。突如観測された大量の小惑星のようなものが、地球に飛来していることが判明したと、専門機関から発表されました』
「……は?」
間の抜けた声を漏らしたのはセイカだが、他二人も理解が追いついてはいないらしい。続く説明を聞いても、それは変わらないようだった。
「失礼します」
ノックの後、返事を待たずに扉が開かれる。
二人目の来訪者はメイド長だった。彼女らしくない行動だが、それ故に、普段とは違う『何か』が起こっているのだとセイカは強く認識させられる。
「カナタ様。お客様がお見えになりました。『至急お会いしたい』とのことです」
主の身に起こっている異変を、見逃すはずはないだろう。ただ、メイド長がそれを指摘することはなかった。
そのような暇はなかった、と表現した方が正しいか。平静を装っているようだが、彼女の表情には焦りの色が見受けられた。
比較的最近知り合ったばかりのセイカでも、わかる程に。
「そのような予定はなかったはずですが……いったい、どなたですか?」
恐らくはカナタの家業に関することだろう。さすがに、自身の知った名は出てこないはずだ────セイカが抱いたそんな予想は、大きく外れることとなる。
「……政府直属の攻略部隊。その代表です」




