第37話「雨の迷宮:最深部」
(……時間が、殺す?)
相手の言葉を、脳内で繰り返す。女からそれ以上語られる気配がなかったため、セイカは自力での推測を余儀なくされた。
(要するに、時間をかけたらまずいってことだよね。考えられるとしたら……)
セイカは自身の手元へと視線を落とす。上着の袖が変色していたが、体にはこれといった異常は見受けられなかった。
(遅効性の毒でも混じってるの? それとも、雨は関係ない……?)
考えれば考える程、深みにはまっていく。だが、それが相手の思う壺だとしても思考を止めるわけにはいかない。
碌に戦えない今、セイカが他にできることなどないのだから。
「セイカさん」
その声に、セイカは意識を引き戻される。
どうやら、耳元で囁かれたようだ。振り向くと、カナタの端正な顔立ちが目と鼻の先まで迫っているのがわかった。
「私に、考えがあります」
「……言ってみて」
相手に聞かれることを嫌ったのだろう。セイカが催促すると、カナタは声量を更に絞ってから続けた。
「私たちの後ろに、扉があります。恐らくは、先程までいた場所に繋がっているのでしょう」
相手に察されないよう、セイカも後方を一瞥する。そこには、水色の淡い輝きに包まれた扉が確かに存在した。
「一旦退いて、態勢を立て直すってこと?」
「いえ、違います」
即答を受け、セイカは首を傾げる。自身の予想が、そこまで見当違いのものとは思えなかったのだ。
一時撤退以外で、出入り口を気にする理由。そんなものがあるのかと訝しみながらも、カナタの言葉を待った。
「私がこの場に残るので、セイカさんは一度ここから脱出してください」
「なっ……⁉︎」
思いもよらない提案に、セイカはつい絶句させられる。だが、仲間を身代わりにするかのような作戦を許容するわけにはいかないため、即座に食ってかかった。
「できるわけないでしょそんなこと!」
「落ち着いてください、セイカさん……!」
しーっ、と人差し指を立てられたことでセイカは咄嗟に口を押さえる。それから、ゆっくりと相手の方に視線を向けた。
(……余裕そうだな)
この大雨の中でも作戦会議に勤しんでいることは確認できるはずだが、女が動きを見せることはない。変わらず不気味な笑みを浮かべているのみだ。
時間稼ぎに徹するだけで勝てるのだから、危険を冒してまで干渉する必要はないだろう、とでも言わんばかりだった。
「とにかく、ウチは反対だからね」
「は、話を最後まで聞いてください!」
眉を八の字にしながら、カナタがしがみついてくる。それを強引に振り払うことはできず、セイカは渋々続きを聞くことにした。
「十秒です。十秒経ったら、またここに戻ってきてください」
「……十秒経ったら、何かあるの?」
「ただの目安です。秒数自体に深い意味はありません」
ますます意味がわからない。相手と二人きりになった僅かな時間で、いったい何をしようというのか。何故、その機会が必要なのか。
だが、それよりも先に確認すべきことがある。
「……逃げたとしても、また呼び寄せられるだけじゃない?」
そもそも、二人は自らの意思で最深部に立ち入ったわけではない。相手の能力で強制的に転移させられただけなのだ。
それが、一度しかできないとは限らない。カナタの想定どおりに事が運ぶとは、思えなかった。
「タタラさんとランセさんの姿が見えない以上、範囲は限定されているはずです。セイカさんには、なんとかその外まで逃げていただければと」
「んな無茶な……」
「駄目だったなら、そのときはそのときです」
カナタが、一歩前へと踏み出す。
何を言われても、引く気はないようだ。彼女の佇まいを見てそう判断したセイカは、背を向けて走り出した。
「死なないでよ、カナタ!」
「当然です」
セイカは振り返らず、外に続くであろう扉へ一目散に向かう。点在する水溜まりに足を取られないよう、充分に気をつけながら。
「あら、仲間を見捨てるなんて酷いわねぇ」
大雨の中でも、女の声は嫌に響いて聞こえた。
だが、わかりきった挑発にセイカが乗ることはない。そのまま駆け抜けて扉の前まで辿り着くと、彼女は勢い良くそれを開け放った。
(一、二、三……)
数えると同時に、思考も巡らせる。
どこもかしこも似たような内装のため断言はできないが、合流直後に見かけた扉と今くぐったそれは同一のものと見て良さそうだった。
ならば、罠を踏む可能性が少しでも低くなる方へと進むべきだろう。そう判断したセイカはL字の足場を形成し、一度通った経路の逆行を開始する。
(四、五……)
これで、ちょうど半分。引き返すには程良い頃合いだ。
この角を曲がったら戻ろう────そんな考えを実行に移した、直後。見慣れた二つの人影が、セイカの前に現れる。
一人は目が合うよりも早く攻撃を仕掛けようとしてきたが、寸前でその手は止まった。
「……なんだお前か、紛らわしい」
「せ、先輩! 無事だったんスね!」
「ランセ、タタラ!」
予想外の合流に、セイカは胸を躍らせる。
だが、喜びを分かち合っている暇はない。足場を一旦消滅させた後、すぐさま二人の手を取って能力の行使を再開した。
「な、なんスかいきなり⁉︎」
「話は後! ちゃんと捕まってて!」
急がなければ、約束の十秒を過ぎてしまう。セイカは一心不乱に足場の形成を続けた。
そして、最深部へと帰還する。
「カナタ!」
開口一番、仲間の名を叫んだ。そんなセイカの目に映ったのは、膝をつくカナタの姿と、もう一つ。
倒れ伏す、女の姿だった。
「カナタ、大丈夫⁉︎」
セイカは咄嗟に駆け寄り、カナタの様子を確認する。全身に負った軽い火傷跡のようなものが気になったが、幸い意識ははっきりしているようだった。
「問題ありません……少し、読みが甘かったようですが」
「いったい何があったの? あいつは、どうして……」
あれだけ強く降り注いでいた雨も、いつの間にか上がっている。水溜まりは依然として残っているが。
なんにしても、遠くで倒れている女が無関係とは思い難かった。
「私の能力を……電気を放ったんです。あの雨に伝わせる要領で」
「あ……」
何故相手と二人きりになりたがったのか。何故相手が負傷しているのか。抱いていたそれらの疑問が、同時に解消される。
ただ、まだ不可解な点は残っていた。
「でもそんなことしたら、カナタまで危険な目に……」
実際、カナタの体にも電撃によるものと思われる傷がある。仲間を思いやる気持ちがありながら自傷覚悟の作戦を決行したことは、セイカにとって喜ばしいことではなかった。
「私、自分の電気は効かないんです……正確には、効きづらいだけだったようですが」
読みが甘かったとはそういうことか、とセイカは一人納得する。同時に、自己犠牲精神が育っているわけではないと確認できたことで安堵した。
「……ふふっ」
相手の方から聞こえてきた、短い笑い声。それが、セイカの背筋を凍らせた。
「まだ、まだ……終わってないわよ」
絞り出すような声の直後に現れたのは、大量の人間。少なく見積もっても三十は優に超えているだろう。
うち半分は女を守護するかのように留まり、もう半分は四人に狙いをつけて襲いかかった。
(こんなもん……!)
雨が止んでいる今、耐久性の心配は不要だ。セイカは大鎌を形成し、向かってくる敵に切りかかろうとした。
だが。
「いいのかしら? それ、れっきとした人間よ」
アタシと違ってね、と付け加えられる。
セイカは咄嗟に大鎌を握り直し、柄の部分で相手を殴り飛ばすに留めた。
「アタシの雨を浴びた人間は、いずれ忠実な僕となる……貴方たちも、いつまで持つかしらね」
(……さっき襲われたのは、そういうことか)
早く決着をつけなければ、次は自分たちがそうなってしまう。
雨が止んでから最深部に到着したタタラとランセについては、問題ないかもしれない。だが、もし水溜まりに触れるだけで条件が満たされるとしたら。
いずれにせよ、確かめることはできない。結局、迅速に勝利するための方法を考えるしかなかった。
「おい、何が、どうなってる……!」
敵の攻撃を弾きながら、ランセが尋ねる。反撃を必要最低限に留めているあたり多少は理解できているのだろうが、彼女の表情は困惑に満ちていた。
それでも、悠長に説明してはいられない。
「ランセ、今は飛べる?」
「……ああ、いつでもいける」
その返事を聞いた直後、セイカは足下から能力を行使した。相手方面に向けて、新たな床を形成していく。
(この辺、でしょ!)
ある程度まで広げると、セイカは一部分だけを勢い良く隆起させた。それにより、数人の体が空中へと持ち上がる。
「ランセ、あいつ! あの、一番目立ってる女! あいつを倒して!」
「了解」
言葉足らずにも思えたが、無事に伝わったらしい。ランセは『風』の能力で飛行すると、一気に相手との距離を詰めて自慢の刀を振りかざした。
「い、嫌っ……! 貴方たち、アタシを守りなさ……」
「遅い」
一閃。それが、対象だけを見事に切り裂いた。
(……止まった?)
女を倒せたためだろう。洗脳が解けたかのように、人々が活動を停止して次々と倒れていく。それとほぼ同時に、恒例の揺れも発生していた。
「せ、セイカさん、まずいです!」
そう声を上げたのは、カナタだ。無事勝利できたにもかかわらず、彼女は切羽詰まったような表情を浮かべている。
「これだけの人数を連れての脱出は、間に合いません!」
「……ああああっ⁉︎」
完全に失念していた。不測の事態に陥ったことで、セイカは頭を抱える。
だが、彼女には頼れる仲間がいた。
「お、お任せくださいっス!」
胸を張って叫びながら、タタラが発明品と思しき球体をいくつか放り投げる。そこから広がった輝きに、辺り一帯が包み込まれた。
「出血大サービスっス! 全員で外まで転移するっスよ!」
「……ありがとタタラぁ!」
涙目になりながら、セイカはタタラに抱きつく。
後輩に助けられてばかりの、頼りない先輩。その姿を隠すように、光は強まっていくのだった。




