第36話「雨の迷宮」
逃げ続けること、数十分。既に周辺から追手の気配は消え失せていた。だがそれでも、セイカは苦い顔を浮かべている。
「どこなのここ……」
進めど進めど、一向に誰とも合流できない。視界に入る情報も全く変わり映えしないため、本当に進めているのかすら怪しく思えていた。
「……みんな、大丈夫かな」
進捗が芳しくないと、どうしても思考は悪い方へと向かってしまう。セイカは抱いた不安を散らすようにかぶりを振ると、今日何度目かもわからない分かれ道を右へと曲がった。
その、直後のこと。
「せ、セイカさん?」
不意に声をかけられ、セイカの反応が一瞬遅れる。衝突しないよう慌てて急停止した彼女に、声の主は続けて話しかけてきた。
「良かった、合流できて……セイカさん、お怪我はありませんか?」
「あ、うん……カナタこそ、大丈夫だった?」
「ええ。ご覧のとおりです」
カナタはくるりと回って、嘘偽りがないことを証明する。
衣服が多少汚れているだけで、彼女に目立った外傷は存在しない。喜ぶべきことのはずだが、セイカはとある点が気になってそれどころではなかった。
「なら良かったけど……これって……」
言いながら、セイカは指し示す。
そこには、水色の淡い輝きを放つ扉が存在した。
「恐らく、最深部に続くものでしょう。全員集合できてからの方が良いと思ったので、確認はしていませんが……」
「カナタは、いつ頃ここに?」
「正確に数えてはいないのですが……十分程前、だったと思います」
説明を受けてもなお、セイカは腑に落ちない。
カナタは紛れもない方向音痴だ。そんな彼女が、どの迷宮よりも迷宮らしいこのピラミッド内で目的地に一番乗りできるとは思えなかった。
だが、彼女がこうして目の前に立っているのは事実。夢でも幻覚でもない。迷宮や能力由来の偽物、という可能性も低いだろう。
「……まさか」
考え抜いた末にセイカが辿り着いた、一つの結論。それは、あまりに不名誉なものだった。
「マイナスとマイナスが掛け合わさって、プラスになったってこと……⁉︎」
「……セイカさん?」
そこに至るまでの流れがわからなくとも、自身を貶されていることは察せたのだろう。カナタは物言いたげな目でセイカを見つめた。
時折発される妙な威圧感はなかったため、ただただ可愛らしいだけだったが。
「あ、ごめんごめん。なんでもないよ」
両手を振りつつ、セイカは笑って誤魔化す。そもそもそんなことを気にしている場合ではないと思い直し、咳払いをしてから本題に入った。
「この感じだと、他の二人にはまだ会えてないんだよね?」
「ええ。一足先に突入している可能性も考えられるでしょうが……」
「……あの二人がそうするとは思えないね」
人一倍怖がりなタタラ。そして、政府直属の攻略部隊で活動していたランセ。彼女らであれば、単独行動の危険性は充分に理解しているはずだ。
「まあ、強制的に最深部まで飛ばされてたら話は別だけど」
「……それは、どの迷宮でも起こり得るものなのですか?」
以前攻略した『火山の迷宮』が脳裏をよぎったのだろう。恐る恐る、と言った様子でカナタがそう尋ねてきた。
「うーん……すごく珍しいってわけじゃないけど、そんなにしょっちゅう出くわすもんでもないよ。ウチも、実際に経験したのはあのときが初めてだし」
「そう、ですよね」
「そうそう」
不安をかき消すように、二人の大袈裟な笑い声が重なる。
それがまずかったのだろうか。最深部へ続くと思われる扉は、唐突にその輝きを増し始めた。
「せ、セイカさん!」
「嘘おっ⁉︎」
驚愕するセイカとカナタ。突然の出来事に襲われた二人は、ただ瞼を閉じることしかできなかった。
「────収まっ、た?」
光が弱まるのを感じ、セイカはゆっくりと目を開ける。やはりと言うべきか、その瞳に飛び込んできたのは先程までとは異なる景色だった。
(ここが、最深部……)
青い石材で構成されてこそいるが、その部屋はピラミッドの内部に存在するとは思えない程の広さを有している。恐らくは、前回の迷宮と同様に空間が歪んでいるのだろう。
「セイカさん。あれは……」
カナタが指差した先。そこには、またしても人間の姿を模した化物が浮遊していた。前回との違いは、性別ぐらいだ。
「アタシの迷宮へようこそ。歓迎するわ、お嬢さん方?」
そう言って、女は怪しい笑みを浮かべる。二人をこの場に呼び寄せたのは彼女と見て間違いないだろうが、即座に仕掛けてくる気配はなさそうだった。
「……あんたも、『宇宙の意思』に従う者、ってやつ?」
「ええ、そうよ」
女は動揺することなく肯定する。まるで、その情報をセイカが有していると予め知っていたかのように。
「戦う前に教えていただきたいのですが……その『宇宙の意思』とは、いったいなんなのですか?」
「質問に答えてあげる義理はないのだけれど……いいわ。貴方はそれなりに美しいようだから、その容姿に免じて少しだけ教えてあげる」
女の言い回しにセイカは不快感を覚えたが、口には出さない。少しでも新たな情報を仕入れたい今、相手の機嫌を損ねかねないことはするべきでないと判断した。
(あとでぶっ飛ばしてやる……)
怒りを顔に出さないよう努めながらも、心の中指を立てる。そんなセイカの苦労を知ってか知らずか、女は機嫌良さげに言葉を続けた。
「読んで字の如く、よ。実体を持たない上位存在……とでも言うべきかしらね。まあ、依代を用意して顕現することは可能なようだけれど」
「……その上位存在は、どうして地球を滅ぼそうとするわけ?」
セイカが口を挟むと、蔑むかのような冷たい視線が女から送られる。だがそれは一瞬のことで、すぐに妖艶な雰囲気をはらむそれへと戻った。
「直接聞いてみたらいいんじゃないかしら。いずれ、貴方たちも会えるでしょうし」
意味深な発言をしつつ、女は指を鳴らす。
直後、屋内だというのにもかかわらず雨が降り注ぎ始めた。十中八九、彼女によって引き起こされた現象だろう。
「やっぱこうなるか」
「やるしかないようですね」
戦いに備え、セイカとカナタは武器を構える。
二人の表情は真剣そのものだ。だが、それを見て女は何故かくすりと笑った。
「……何かおかしい?」
「あら、ごめんなさいね。ただ、一つ忠告させてもらうけれど……武器を使うのはおすすめしないわ」
女は人差し指を立ててから、更に続ける。
「恵みの雨とは限らないもの……たとえそこが、砂漠であってもね」
「何を言って……」
「セイカさん、大変です!」
相手の迂遠な言い回しに翻弄されることなく、異変を察知したらしい。カナタは銃口を向けないようにしながら、セイカの方へと自身の武器を差し出した。
「うわっ、何これ」
一目見て、セイカも気づく。
カナタの拳銃が、変色していることに。
いや、それだけではない。
「ってかこっちも⁉︎」
セイカの握る大鎌もまた、同様に変色していた。その惨状は、風雨に晒されて錆びてしまった金属を彷彿とさせる。
「ふふっ、素敵でしょう? アタシの雨は、浸透した物体の耐久性を著しく低下させるの。その武器だと……使えて一、二回ってところかしら」
「ふんっ!」
相手からの説明を受けた直後、セイカは大鎌を床に叩きつける。
もちろん、ただの八つ当たりではない。明確な意図があっての行動だ。
「……ハッタリじゃないみたいだね」
大鎌は粉々に砕け散ってしまった。本来なら、この程度の衝撃で壊れることはない。
女の言葉は真実だと、認めざるを得なかった。
(どうする……? これじゃウチ役立たずだよ)
浮遊する相手にセイカが接近するには、能力で足場を形成する必要がある。だが耐久性を低下させる雨が降っている間は、その手段を使うことはできない。
移動中、あるいは待機中に、崩落してしまう恐れがあるためだ。
「たくさん考えなさい。考えて、考えて、考えて……」
女の口角が、卑しく吊り上がる。
「勝利を得るためにかけたその時間が、貴方たちを殺すから」




