第32話「熱」
空間の歪みを越え、迷宮から脱出することに成功する。だがそれでも、衣服に燃え移った火が消えるわけではない。四人の体は、依然として熱に襲われ続けていた。
「くっ……ああああ!」
歯を食いしばりながらも、セイカは神殿を駆け抜けて湖へと飛び込む。手っ取り早く消火するには、この方法しかないと考えていたのだ。
「……ぷはあっ!」
直前まで全力疾走していたこともあり、息が長く続かなかった。セイカはすぐに水面から頭を出し、荒い呼吸で酸素を肺へと送り込む。
「カナタ、大丈夫⁉︎」
その呼びかけに、カナタからの返事はない。一命は取り留めているようだが呼吸がやけに浅く、ひどく衰弱しているようだった。
「ランセ、そっちは⁉︎」
「問題ない。タタラも息はある」
やや遅れて飛び込んだランセにも、大事はなかったらしい。ただ、その口ぶりからしてタタラに関してはカナタと同様、重篤な状態にあるようだった。
「とりあえず上がろう!」
今はまだ水の冷たさが心地良いが、このまま浸かり続けていては体温が下がりすぎてしまう。完全に消火できたことを確認した二人は、カナタとタタラの身を抱えたまま神殿周辺へと戻った。
「くそっ、あいつなんなの……?」
「……只者じゃないことと、アタシらの敵であることは確かだな」
衣服を絞りつつ、ランセが答える。
中にいた『あれ』は姿形こそ人間のそれだが、この迷宮における化物と見て間違いないだろう。そうでなければ、危害を加えてきたことにも先程の炎にも説明がつかない。
「う、ううっ……」
「……! カナタ、気がついた⁉︎」
仰向けに倒れているカナタが、苦しむような声を上げた。セイカはそちらへと意識を戻し、彼女の様子を注意深く確認する。
「あ、熱い……!」
「カナタ、落ち着いて。もう火は消えてるから!」
「熱い、熱い、熱い……!」
身を捩りながら、カナタが熱を訴える。だが、彼女の体にも衣服にも火は残っていない。
「どういうこと……?」
「皮膚の深部に熱が残っている場合は、長時間冷やしていないと痛みを感じる、とよく聞くが……それにしても不可解だな」
妙に落ち着き払った様子のランセから、博識ぶりが披露される。ただ、彼女が抱いたらしい疑問に一人では辿り着けなかったため、セイカは続く言葉を待った。
「アタシも多少の痛みは感じているが……こいつら程じゃない。痛みの捉え方に個人差があると言っても、ここまで差異が出るのは不自然だ」
タタラもまた、カナタ程ではないが苦しんでいるように見受けられる。
同時に攻撃を受けた四人の中で、二人だけがなおも激痛に襲われ続けているという現状は確かに不可解だ。
「何か、別の理由があるってこと?」
「仮説に過ぎないが……恐らくあの炎は、精神に強く作用する類のものだったのだろう」
「精神に……なるほど」
腑に落ちたことで、セイカにも自ら考える余裕が生まれる。
相手の炎に包まれていた時間は、決して短くない。だがその割に、四人が負った火傷は軽度だった。衣服についても多少焦げた程度だ。
普通の炎であれば、こうはならないだろう。
「そうだとしても、個人差については謎が残るがな。単なる精神力の問題とは、どうにも思い難い」
「確かに……」
奇妙な炎の影響を最も強く受けているのは、間違いなくカナタだ。だが、彼女の心が特別弱いということはないだろう。それが、セイカとランセの共通認識だった。
もっとも、今まで気丈に振る舞ってきただけと言われればそれまでだが。
「痛みへの耐性、とかが関係してるのかな。ここまでトントン拍子で進んできたから、カナタもタタラもあんなに強い攻撃くらったことないし……」
「さあな。なんにせよ、それを確かめるにはもう一度『奴』に会うしかない」
そう言って、ランセは神殿の入り口を見据える。今すぐ再挑戦すると言わんばかりの気迫を、その背中から発しながら。
「い、一旦引き返そうよ! 二人の治療を優先しないと……」
「普通の医療行為で治る保障がどこにある。それに、拠点に戻るまでこいつらが耐えていられるとも限らんだろう。確実に治せる方法を力ずくで聞き出すのが、今打つべき最善の一手だ」
「それは……」
ランセの意見が至極真っ当なものであることは、セイカも理解できている。だが、苦しむ仲間を放置して進むことは許容し難かった。
この神殿周辺が安全とは限らないからだ。一行に恨みを持つ者が執念深く追跡している可能性を、捨て去ることはできないだろう。
(どうする……? 早く、決めないと……)
ランセの意志は固そうだ。故に、セイカが取れる選択は二つ。
共に迷宮へ進むか、三人で引き返すか。
すぐに答えを出さなければいけないとわかっていても、決断できずに沈黙が続く。
「……なら、ジブンが」
重苦しい空気の中そう切り出したのは、伏していたはずのタタラだった。
「ジブンが、ここに残って、大先輩を見ておくっス……だいぶ、楽にはなってきましたし」
「で、でもタタラだって重症でしょ? 何かあったらどうすんの!」
「そのときは、発明品でどうにか凌ぐっスよ……もし誰かに襲われたとしても、身を隠すぐらいは、できると思うっス」
息も絶え絶えに答えるタタラ。笑顔を作ってこそいるが、それがただの強がりであろうことはセイカにも容易に察せられた。
「ただ、やっぱり、きついことはきついんで……」
駆け寄って膝立ちになったセイカの衣服が、タタラの手によって弱々しく握られる。
「なるはやで、戻ってきてくださいね」
後ろ髪を引かれる想いが、どうしても消えない。だがセイカはタタラから『熱』を託されたように感じたことで、ようやく覚悟を決めた。
「……うん。任せて」
可愛い後輩が意地を見せたのだ。先輩として、これ以上不甲斐ない姿を見せるわけにはいかない。
タタラを安心させるべく、セイカは微笑みを浮かべながら頷いた。
「あざっス! あ、そうだ……あと、これ」
続け様に、タタラは白い箱を出現させる。能力で収納していた発明品の一つなのだろうが、その用途まではセイカには推測できなかった。
「何これ?」
「ひ、飛行ユニットっス!」
「え、マジ? すごっ!」
これまたロマンを感じさせる響きに、セイカの胸が高鳴る。ただ、そんな場合ではないと即座に思い直したことで彼女はかぶりを振った。
「大先輩用に調整してたんで、途中充電なしのフル稼働だと、数分しか持たないっスけど……これを使えば、さっきの敵ともある程度戦えると思うっス!」
飛行が可能になれば、先の一撃を躱すことができるようになるだろう。また、浮遊する相手への接近も容易になる。制限時間が短いという欠点はあるが、それを補って余りある程の利点だ。
「これ、どうやって使うの?」
「装着して、左肩あたりにあるボタンを押せば、起動して変形するっス。飛行については、奥義と同じで脳波制御っス……」
「装着……あ、こうか」
腕を通せそうな二つの隙間。付近には、件のボタンも確認できる。鞄を背負う要領で、セイカは飛行ユニットを装着した。
「これ、ランセの分もあるの?」
「そ、それ一台だけっス……申し訳ないっス……」
「あ、そうだった。元々はカナタ用に、ってさっき言ってたね。ごめんごめん」
不用意な質問でタタラを傷つけてしまったと自省しつつ、セイカはランセの方へと視線を戻す。一つしかない飛行手段を自分が使ってしまっていいものか、確認しようと考えたのだ。
「……お前が使え。アタシはコピーした能力でなんとかなる」
どうやら、全てお見通しだったらしい。セイカに尋ねられるよりも早く、ランセは端的に答えた。
「話が済んだなら行くぞ」
「う、うん」
早足で歩き出したランセの後を、セイカも慌てて追う。背負った発明品がなかなかに重く、気をつけなければ何もないところで転んでしまいそうだった。
「タタラ、ありがとう! 気をつけてね! カナタのことよろしく!」
「先輩方も、どうかご無事で!」
タタラの言葉を背に受け、二人は再び迷宮へと乗り込む。
未だ謎が多く不安も大きいが、まずはこの戦いに勝たなければ。セイカはそう意気込んで最後の一歩を踏み出すのだった。




