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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第61話 ふたつの印

 門をくぐったのは、日が沈みきる直前だった。


 厚い木の扉の下を、馬車がゆっくりと抜ける。土の道が、磨かれた石畳に変わり、車輪の音が高くなった。リンドホルムの石畳とは、石の目がちがう。ここの石は隙間なく敷き詰められ、どこにも荷車の轍がない。


 壁の内は、暮れかけてもなお明るい。軒の下に吊られた灯が、通りの両側に続く。煮炊きの匂い、人いきれ、酒と油の匂い。壁の外の街道には、なかった。


 それでいて、空気は冷たい。冬の冷えが石壁の底に溜まり、足元から這い上がってくる。匂いは豊かで、石は冷たい。レンは、その二つを同時に吸い込んだ。


 幌の中はレンとユリウス。御者台にニスと、もう一人の衛兵。荷は、革筒ひとつぶんだけ重い。



 門の内側、すぐの広場に、列ができていた。


 馬車の列ではない。人の列だ。壁づたいに長く伸びて、先が見えない。並んでいるのは身なりの良くない者ばかりだった。布を厚く巻いた老人、子を負ぶった女、咳をしている男。いちばん前の老人は、空の薬瓶を一本、手の中で何度も裏返していた。


「あれは」


「受け取りの列でしょう」


 ユリウスが幌の隙間から目をやって、すぐに言い直した。


「いえ。薬の配りを待つ列です。あの細い瓶の木箱、あれは治療院の配給箱。リンドホルムの治療院の前にも、似た列ができておりました」


 レンは、その列をしばらく見ていた。


 壁の外で見た、ひと月薬を待つ女の家が、ふと浮かぶ。壁の内に入れば、その手の列は消えるものだと、どこかで思っていた。物が集まる側に来たのだから、と。


 列は、壁の内にもあった。物がいちばん集まる場所の、その足元に。



 門番に言われたとおり、馬車は門のすぐ脇の小屋に寄せた。王都補給局の、受け入れ窓口。門を入る荷に、王都の印を押す場所だ。


 小屋の中は、机がいくつも並んでいた。書役が机ごとに一人ずつ。誰も顔を上げない。筆の音と、印を押す音だけが低く続いている。


 レンは革筒を出し、領主家の照会状を机の上に置いた。


「リンドホルム公爵家、補給官の随行。王都補給局へ、書類を届けに参りました」


 書役は照会状をちらと見た。それから封の蝋の印を見て、台帳の頁をめくる。


「リンドホルム……公爵家、と」


「はい」


「受け入れ印を押す。これがないと、門の内で荷は動かせん」


 書役の声に、力はなかった。咎める色も、迎える色もない。ただ決まりを読み上げる声だ。


 レンは、その声のほうが関所の旗より重いと思った。関所には、揚げる者と降ろす者がいた。ここには誰もいない。決まりだけが、机の上で回っている。


 書役が、印を一つ取った。領主家の印の、すぐ上に、もう一つ。木の柄の、王都補給局の印。朱を含ませて、照会状の余白に、ぐ、と押しつける。


 鈍い音がした。


 その音と同じ拍子で、レンの胸の奥で、何かが一つ消えた。


 《棚卸し》は、門をくぐってからずっと薄く開いたまま。王都の荷の流れを、端だけでも見ておこうとして。その表示の中に、いま机に置いた照会状ぶんの荷が、細い線として灯っていた。リンドホルムから運んできた、革筒の中の、請求の荷だ。


 印が押された、その瞬間。線が、表示から消えた。


 レンは、机の上の照会状を見た。紙は、そこにある。朱の印も、乾きかけて、そこにある。荷が消えたわけではない。ただ《棚卸し》の上で、それはもう「数える荷」ではなくなっていた。王都の印が押された荷は、王都が管理する荷だ。もう、レンの数える範囲の外にある。正しく受け取られたから、見えなくなった。


 ふたつの印を、レンはもう一度見た。


 下の、領主家の印。これは、この荷が確かにある、と証す印だ。リンドホルムから、ここまで運ばれてきた、と。


 上の、王都の印。これは、この荷は王都のものだ、と囲う印だ。


 同じ紙の、同じ荷について、二つの印が逆を言っている。一枚は、ここにある、と指している。もう一枚は、これはお前の見るものではない、と蓋をしている。


 レンは、それを口に出さなかった。届かせれば、と言いかけて、呑んだ。まだ何も届けていない。印を一つ、もらっただけだ。



 小屋を出てから、ユリウスが低く言った。


「商家でも、似たことをいたします。預かり証を切ると、その荷は『預かり』の欄に移って、在庫の欄から消える。物は倉にあるのに、帳簿の上では別の場所にいる」


「ここは、それを国の大きさでやっている」


「ええ。印を一つ重ねるたびに、荷は『ある』場所から『管理される』場所へ移ります。動かしやすくするための印が、いつのまにか、動かさないための印になる」


 ユリウスは、そこで言葉を切った。


「――と、申し上げるには、まだ早い。今日は、印を一つもらっただけです」


 留保する言い方だった。けれど、目だけは留保していなかった。



 宿へ向かう途中、王都補給局の倉庫の前を通った。


 高い石造りの倉庫が、いくつも並んでいる。その前庭に、箱が積まれていた。規格の揃った木箱だ。同じ寸法、同じ焼印。リンドホルムの倉庫学校で作らせている規格札の、もとになったような、整然とした積み方。きれいに数えられた、見るからに正しい山。


 レンは、その山に薄く《棚卸し》を向けた。


 箱の数と、表示の数が合わなかった。外から見える箱は、隙なく積まれている。けれど表示の上では、中身の入っている箱と、そうでない箱が混じっていた。揃っているのは、箱の形だけだ。


 南宿場の、空箱を思い出した。中身を入れず、箱だけ宿場のあいだを回して、帳簿の上で荷が動いたことにする手口。あれは、辺境の宿場の話だった。


 目の前の山は、王都の倉庫の、表庭だ。


 レンは、表示をそっと閉じた。深くは見なかった。見れば、こめかみの奥が痛む。それに、今日見たところでどうにもできない。板書の余白に、小さく書いた。


 箱は揃う。中身は数えられていない。


 書いて、線で囲って、保留にした。今日は、追わない。



 宿は、補給局から通りを二本隔てた、目立たない構えの一軒だった。ニスが選んだ。


「大通りの宿は、誰が泊まったか、朝には人の口に乗ります。ここは出入りが裏からも取れます」


 ニスは部屋に入るとまず窓の外を確かめた。武人の手が、ひとりでに窓の桟の高さを測っている。


「ここから先は、目が増えます」


 御者台で言ったのと、同じ言葉だった。


「関を通るたび荷を覚えられる、と申しました。門の内は、その目がもっと細かい。明日、補給局へ請求書を持って行けば、リンドホルムの補給官が何を出したか、その日のうちに、知るべき者へ伝わります」


「向こうは、もう待っているか」


「待っていると思って、動いてください」


 レンは頷いた。


 明日、補給局の窓口に、革筒の中の請求書を出す。父代の貸付証文だ。三十年前の紙が、王都の帳簿に触れる。領主家の印の上に、王都の印が重なったとき、止まっていた数が動くのか。それとも、今日見たように、印が増えるほど、荷は遠くへ消えていくのか。


 カルロスは、壁の内にいるはずだった。別の道から、先に王都へ入ったと言っていた。けれど、どこにいるかは知らない。会う段取りも、まだない。「その名と向き合うことになる」とだけ言い残して、灰色の目の男は人混みの先へ消えた。



 日が暮れて、王都に灯が入った。


 壁の内の灯は、数えきれない。窓のひとつひとつに明かりがある。リンドホルムの夜より、ずっと多い。その灯の数だけ、どこかの机で、今も印が押されているのだろうとレンは思った。筆の音と、印の音。眠らない帳簿の音だ。


 ふと、通りの下に目が留まった。


 布で顔を隠した一人が、宿の前の通りをゆっくりと横切っていく。あの連れだ。門前で、布を取らずに人混みへ消えた、カルロスの連れ。


 連れは、宿のほうへは来なかった。レンたちの宿を一度も見上げず、通りを北へ――補給局の方角へ、まっすぐ歩いていく。布を、取らないまま。


 明日、レンが向かう先と、同じ方角だった。


 レンは、胸の革袋の上から、革筒の固さを確かめた。


 ふたつの印を、明日もらう。その紙を持って、レンは、あの連れの消えた方角へ歩く。


 壁の内に入ったはずだった。


 なのに、届けに来た荷は、近づくどころか、一枚印を押されるたびに、遠ざかっていく気がした。

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