第60話 門前の二つの王都
馬車が止まったのは、街道に丸太の柵が渡された関の前だった。
六日目の朝から、これで三つ目の関だ。リンドホルムを出たころ、街道の関は無人の小屋ばかりだった。王都が近づくにつれ関には人が立つようになり、いまは槍を持った衛兵が二人、柵の前で荷を改めている。
「通行の用は」
衛兵がニスに問う。ニスは手綱を握ったまま、淡々と答えた。
「リンドホルム公爵家の補給官と、その随行。王都補給局へ、書類を届けに」
衛兵の目が、幌の中のレンへ移った。それから、革筒へ。
レンは、革袋から領主家の革筒を出し、封の蝋に押された印を衛兵に見えるよう向けた。リンドホルム公爵家の印だ。
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衛兵は、印をしばらく見ていた。
「公爵家の印か。だが、王都の門は、これだけでは通れん。門前で、王都補給局の受け入れ印をもらえ。それがなければ、荷も書類も、門の内へは入れられん」
「印の上に、また印を」
「そういう決まりだ。王都の印が、いちばん上に来る」
レンは、その決まりを覚えておいた。
領主家の印では、王都の門は開かない。王都の印が、その上にもう一枚要る。印にも序列がある。地方の印は、王都の印の下に置かれてはじめて、門の内で意味を持つ。
数の流れと、同じだ。どこの数を先に通すかは、印の重ね順が決めている。
「通ってよし。次の関は、門のすぐ手前だ」
柵が上がり、馬車はまた動き出した。
しばらく進んでから、ニスが手綱の先で、過ぎてきた関を小さく示した。
「ここから先は、目が増えます。関を通るたび、荷を覚えられると思っていてください。リンドホルムの補給官が、王都へ何を運んできたか。それを、もう誰かが数え始めています」
レンは頷いた。
数えているのは、こちらだけではない。あの革筒が王都へ近づくほど、向こうもこちらの荷を一つずつ数に変えている。ニスの声が低いのは、その目を御者台から先に拾っているからだ。
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関を抜けると、街道は急に混み始めた。
王都へ向かう荷馬車が、列をなしている。穀物の袋を山と積んだ馬車、布を巻いた反物の荷、生きた鶏を籠で運ぶ荷。どれも、中身が詰まっている。王都へ入る荷は、重い。
その列の脇を、逆向きに進む馬車も、ちらほらある。レンは、そちらに目を留めた。
逆向きの馬車は、軽い。荷台が、空に近い。
「あれは」
「地方から来て、売るものを売って、帰る行商でしょう」
ユリウスが、幌の中から言った。
「いや。あの荷の軽さは、売り切れた軽さではありません。最初から、積むものが少なかった軽さです。王都で仕入れて地方へ持ち帰るはずの荷が、仕入れられずに、空のまま帰っている」
レンは、二つの列を交互に見た。
王都へ入る列は、重い。王都から出る列は、軽い。物は王都へ流れ込み、地方へは戻っていかない。
街道沿いの一軒でひと月薬を待っていた女の顔が、ふと頭をかすめた。あの家に薬が届かなかったのは、薬がこの世になかったからではない。流れる向きが王都へ片寄っていたからだ。
逆向きの列の一台が、馬車の脇でしばし並んだ。御者台の老人が、ニスに水場の場所を尋ねる。答えをもらうと、ついでのようにこぼした。
「王都は、もう薬を出し渋っとる。銭を積んでも、北へ回す分はないと突き返された。これで三度目だ」
老人は、空に近い荷台を顎で示して、また北へ去っていった。
銭はある。荷台もある。足りないのは、王都から北へ向かう荷の流れだけだ。
その流れを決めているのが、さっき見た印の序列なのだとレンは思った。王都の印が、いちばん上に来る。だから物も、王都へいちばん先に集まる。
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列が一度、大きく詰まった。
前の馬車が動かない。レンが幌から首を出すと、ずっと先のほうで、人と荷がもつれている。その列の、さらに脇。
布で顔を隠した一人が、徒歩で列の隙間を縫って先へ進んでいくのが見えた。
あの連れだ。カルロスが、先に道を検めさせたという。
レンは、目で追った。
王都の門が近い。人の目が、いちばん多い場所だ。顔を隠して歩けば、かえって目立つ。検問でも、まず止められる。なのに、あの連れは、布を取らない。
危ういから顔を隠す、とカルロスは言った。けれど、いちばん危ういはずのこの門前で、隠したまま歩くのは、筋が逆だ。
その一点が、やはり通らない。レンは、それを解かないまま、先へ送った。答えは、王都の内にあるのだろう。
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街道が、ゆるく曲がった。
曲がりきった先で、それは視界に入った。
王都の壁だ。灰白の石を高く積み上げた壁が、地平を区切って左右へ延びている。壁の上には、いくつもの塔。門は、人と馬車を吸い込んで、途切れる気配がない。
壁の内から、人いきれと煮炊きの匂いと物の気配が、ここまで届いてくる。豊かさの匂いだった。ここまでの街道で、嗅いだことのない匂い。
レンは、しばらくその壁を見ていた。
リンドホルムを出てから、六日。辺境の倉庫で荷札を数えていた日々が、ずいぶん遠く感じられた。関所で家名と向き合い、街道で薬を待つ顔を見て、宿場で灰色の目の男と卓を挟んだ。そのすべてが、この壁の手前で起きたことだ。壁の内では、まだ何も始まっていない。
同じ国の中に、二つの王都がある気がした。
ひとつは、この壁の内。物が集まり、匂いが満ち、印がいちばん上に来る王都。
もうひとつは、壁の外。空荷で帰る馬車と、棚の奥で薬を待つ家が並ぶ、届かないほうの王都。
壁は、その二つをきっぱりと分けていた。
レンが届けに来たのは、その壁を越えて、外のほうへ物を流し直すための一枚の紙だった。
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馬車は、門前の列の最後尾についた。
崩壊まで、残り二十一日。王都まで、あと一日――いや、もう半日もない。日が暮れる前に、この門をくぐる。
レンは、胸の革袋の上から革筒の固さを確かめた。
明日、この紙が王都の帳簿に触れる。領主家の印の上に王都の印が重なったとき、止まっていた数が動くのか、それとも、もう一枚別の印に阻まれるのか。
壁の内に、カルロスがいる。「その名と向き合うことになる」と言い残した男が。
レンは、列が一つ前へ進むのに合わせて馬車を進めさせた。
門は、もうすぐそこにあった。




