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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第58話 棚の奥の一包み

 馬車が速度を落としたのは、街道沿いに一軒だけ建つ家の前だった。


 ニスが手綱を引いた。軒先の井戸端を、顎で示す。


「水を、一度足しておきます。先は宿場まで、水場がありません」


 レンは荷台を降りた。四日目の朝の空気は、昨日より乾いている。

 井戸の縁に、飼い葉の食い残しが落ちていた。まだ乾ききっていない。馬が一頭、ここで水を飲んでいる。

 ニスがそれに目を留めて、低く言った。


「先の馬です。半日前。ここで水を足して、また北へ」



 家の戸口に、女が一人、立っていた。


 三十ばかり。前掛けの裾を握ったまま馬車を見ている。客を待つ顔ではない。誰かが来るのをずっと待ちくたびれた顔だった。


「薬売りさんでは、ないんですね」


 女は、レンの荷を見てそう言った。期待が、声の途中でしぼんでいく。


「薬売りを、待っているんですか」


「ひと月、待っています。父が熱を出して。いつもの薬売りが回ってこないんです。王都から薬が届かず、北の村まで回す分がないと、隣の宿場で言われました」


 王都から、薬が届かない。

 カルロスの返書にあった、ハーレンの薬倉。帳簿では満ちているのに、棚は半分も埋まっていない倉。その空白が、こんな街道沿いの一軒にまでひと月かけて届いている。

 数字の乖離は、紙の上では静かだ。けれどその先には、ひと月も戸口で薬売りを待つ顔がある。



「お父上を、見せてもらえますか」


 レンは、女の顔を見て言った。


「薬は、持っていません。これから王都へ行く荷で、勝手に減らせない薬です。けれど、家にあるものなら、見られます」


 女は、迷う顔をした。

 見知らぬ旅の者を、病人の枕元に通すかどうか。当然の迷いだった。

 それでも女は、戸を大きく開けた。ひと月、誰も入ってこなかった家に、ようやく誰かを通すように。


 奥の寝床に、痩せた老人が横たわっていた。息は浅いが、規則正しい。熱はあるが、まだ持ちこたえている。

 レンは、土間に積まれた家財に目をやった。

 目を閉じて、《棚卸し》を一度だけ回す。



 家の中の物が、頭の奥でひとつずつ数になっていく。


 塩、半袋。干した芋、ひと籠。古い鍋、二つ。布、数反。

 その奥に、油紙の包みが、ひとつ。


 レンは目を開けた。こめかみの奥が、鈍く痛む。今日の分の負荷だ。深くは回さない。要るところだけ、見た。


「棚の、奥のほうです」


 レンは、土間の隅の棚を指した。


「ほかの乾物と一緒に、油紙の包みが押し込まれています。たぶん、薬草です。ずいぶん前に、しまったきりの」


 女は、棚の奥へ手を伸ばした。乾物の束の裏から、埃をかぶった油紙の包みが出てくる。開くと、乾いた葉と、削った木の皮のようなものが入っていた。


「これ……去年、薬売りさんが置いていったものです。熱冷ましだから、いざというとき煎じろと。すっかり忘れていました」


 女は、包みの葉に鼻を近づけた。乾いた草の匂いを確かめて、はじめて、それが本物だと信じた顔になる。


「あの人が来なくなって、もう薬はないものと思い込んでいました。家の中を、探しもせずに」


「あったものが、棚の奥で忘れられていただけです」


 レンは、寝床の老人に、もう一度目をやった。

 浅い息が、さっきと同じ間で続いている。間に合う。煎じて飲ませれば、この熱は越えられる。越えられる病だと分かるだけで、女の背の強張りが、少し解けた。



 レンは、煎じ方を女に短く教えた。


 葉と皮を、どれくらいの湯でどれくらい煮出すか。一度に飲ませる量と、間を置く刻。難しいことは何もない。ただその家には、それを知る者がもういなかっただけだ。


「薬は、本当はもう、この家にあったんです」


 レンは、立ち上がりながら言った。


「ない、と思い込んでいただけで。届いていたものが、棚の奥で、待っていた」


 女は、油紙の包みを両手で握った。

 握った手が、少し震えていた。礼の言葉より先に、震えのほうが出ていた。


 レンは、それ以上は言わなかった。

 届けるべき薬は、王都へ運ぶ荷の中にある。この家の父一人に、その薬は割けない。割けないかわりに、もう届いていたものを、見つけた。

 それでも、と思う。次の村にも、その次の家にも、棚の奥を見てやれる者はいない。一軒で足を止めれば、王都はそれだけ遠くなる。

 助けられる順を間違えないこと。それだけが、補給を預かる者の変えられない筋だった。



 馬車に戻ると、ユリウスが幌の中から声をかけてきた。


「お優しいことです」


 含みのある言い方ではなかった。むしろ、案じる響きが混じっていた。


「ですが、レン殿。ああして一軒ずつ足を止めていては、王都には着けません。あなたが王都で帳簿の空白を埋めれば、ああいう家が、いくつも一度に救われます。番頭代理として、そう申し上げておきます」


「分かっています」


 レンは、御者台の脇に腰を下ろした。


「だから、薬は割きませんでした。あの家で割けば、王都で空く棚が一つ増えます。ただ」


「ただ?」


「自分が何を運んでいるのか、ときどき顔で確かめておかないと。数字だけ見ていると、王都に着くころには何のために運んでいたか忘れます」


 ユリウスは、しばらく黙った。

 それから、帳面に何か書きつけた。商人の符牒ではない、ふつうの字のようだった。



 馬車が動き出してすぐ、後ろから伝令の小僧が追いついてきた。


 リンドホルムから、二度目の伝令札。フェンの筆だった。

 倉庫の一棚分の差は、まだ動いていない。誰も棚に手をつけていない。数え直しも、毎朝続けている。札の末尾に、こうあった。

 「動くまで、待ちます」


「動くまで、待つ、か」


 レンは、札の文字を指でなぞった。

 差が出たまま、誰も手をつけない。それは、手をつける機会を、向こうがまだ窺っているということかもしれない。フェンは、それを分かったうえで、動くまで待つと書いている。

 留守を任せた目が、こちらの思うよりずっと先を見ている。



「ニス」


 レンは、御者台の隣に声をかけた。


「明日の宿場で、カルロス殿と落ち合います。荷を表に置く場所と、人目につかない裏の出入りを、先に見ておきたい。あなたが、宿場の造りを見て、決めてくれますか」


 ニスの手が、手綱の上でわずかに止まった。


「私が、決めて」


「あなたは、こういう道筋の宿場を、いくつも通っている。どこに目があって、どこに目がないか、俺より早く分かるはずです」


 疑ったまま、任せる。

 昨日まで、レンはニスに道を聞き、跡を読ませた。今日はその先だ。合流の段取りの一部を、ニスの判断に預ける。

 預けながら、胸の奥では、まだ問いが消えていない。これほど宿場の裏表を知る男が、本当に何も背負っていないのか。その問いは、今日は言葉にしない。言葉にしないまま、任せる範囲を、一段だけ広げる。


「……承知しました」


 ニスは、前を向いたまま、短く答えた。

 その横顔に、いつもの境目はなかった。任された者の顔が、ただ一つ、そこにあった。



 日が傾くころ、街道の先でニスが手綱を引いた。


「跡が、消えました」


「先の馬が」


「ここまでまっすぐ北へ来ていた蹄跡が、この分かれ道で西へ逸れています。西は――明日の宿場と同じ方向です」


 レンは、分かれ道の先を見た。

 半日先を、淡々と北へ進んでいた誰かが、明日の合流地点と同じ方を向いた。

 崩壊まで、残り二十三日。王都まで、あと三日。

 明日、その宿場で、カルロスが待っている。

 そして、もう一人。顔を布で隠した誰かも、同じ方へ、半日先を歩いている。

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