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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第54話 父代の一枚

 翌朝、領主館の執務室には、昨日の品が同じ位置に戻されていた。


 絹布の包みと、王宮厩舎印の蹄鉄。机に並んだ七つの物の真ん中に、今朝は新しく、薄い紙束がひとつ置かれていた。


 表紙には「父代・私的覚書」とだけ書かれている。

 紙の縁は、長い保管で角が少し丸くなっていた。



「中身を、お見せいたします」


 セリアは表紙をめくった。

 束はそれほど厚くない。十枚ほどの薄い紙が、革紐で軽く綴じられている。

 ほとんどの紙は、先代公爵の細かい字で書かれた覚書だった。

 その一番下、別の手で書かれた紙が一枚だけ、挟まれていた。


 その一枚を、セリアはレンの目の前に滑らせた。


 紙は黄ばんでいるが、文字は崩れていない。

 上段に二つの署名と二つの印。

 ひとつは先代公爵グランヴェル。もうひとつは、当時の王都補給局長。

 印の朱は、三十年を経ても、まだ少し艶を残している。


「三十年前のものです」


「先代公爵が」


「ええ。王国全土を、五年続きの凶作が襲った年です。当時の王都補給局は、首都の備蓄米を出し尽くしておりました。父代は、グランヴェル家の私財で、不足分の米と塩を、王都補給局に貸しました」


「貸した、という形ですか」


「形は『貸付』です。ただし、返済の方法を、父代は通常の銀での返済ではなく、別の形で受け取りました」



「この紙が、その返済の形です」


 セリアは指で、紙の中段の一行をなぞった。


「『将来一度、グランヴェル家の請求により、王都補給局倉庫より、相当分の物資を引き出すことを認める』」


 レンは紙の中段を、もう一度ゆっくり読み直した。


「一回限り、ですか」


「一回限りです。発動の条件は、二つだけ。グランヴェル家現当主の署名と、王都補給局長への直接の手渡し」


「補給局長への、直接」


「書記課を経由しません。マゼル殿のもとを通さず、この紙を、補給局長ご本人の手にお渡しする経路です」


 ユリウスが、机の脇から、静かに息を吐いた。

 商家の番頭代理として、この紙の重さを彼は理解していた。

 三十年前の貸付は王国の首都を救った大金。その返済請求が三十年保留されたまま、いまの補給局上層には知られていない可能性が、彼の頭をよぎった。



「現在の補給局長は」


「父代の代の局長と、別の方です。十年前に交代されました」


「先代公爵をご存じない可能性は」


「あります。ただし、補給局には『未請求の貸付台帳』があります。三十年前の記録は、その台帳に必ず残っているはず。現在の局長が台帳を読んでいれば、グランヴェル家の請求権の存在は、ご認識のはず」


「お読みでなければ」


「請求権そのものは、紙が本物なら、否定はされません。否定すれば、王都補給局の貸付制度全体の信用が崩れます」


 セリアは、紙束を、もう一度元の革紐で軽く閉じた。


「ただし、ひとつ、注意があります」


「どうぞ」


「この紙の存在を、マゼル殿の系統に知られると、補給局長の机に届く前に握り潰される可能性があります。三十年保留されていた、ということは、三十年のあいだに何度か、知る機会があった人物が、知らせずに伏せてきた、ということでもあります」


「伏せていた者が、補給局の中にいる」


「断定はできませんが、可能性は高いと、私は読んでおります」



「では」


 レンは、紙の中段の一行を、もう一度指で確かめた。


「この紙を、王都補給局長へ、書記課を通さずに届ける。届けたあと、銀の鈴一対を含む相当分の物資の引き出し請求を、グランヴェル家現当主の名で行う」


「その流れです」


「現当主は、セリア様」


「ええ。請求書には、本日の朝、私の名と印で署名いたします」


「お父様の名で、ではなく」


「父はもうこの世にはおりません。家督は私が継いでおります。請求権の継承は家督に伴いますので、現当主の名で出します」


 セリアの口調は、家督という語の上で、ほんのわずか沈んだ。

 父代の判断のひとつひとつが、今の自分の机の上に積み重なっていく。その重さもまた、負債のうちだった。


 レンは、そこに踏み込まなかった。

 家名は呼ばせないと確認したばかりだった。ここから先は、領主代行の判断を見守る位置でいたかった。


 セリアは机の脇から、領主代行の印章を取り出した。

 黒檀の柄、銀の縁取り。代々の領主が継いできた、グランヴェル家の正式な印だった。


 彼女は印を、紙の脇に、静かに添えて置いた。


「請求書は、レン殿が王都へ向かわれる際にお渡しします。発動の最終署名は、補給局長ご本人の前で、現地で行います」


「承知しました」



「王都行きの段取り、相談させてください」


 レンは胸元の革袋から、地図を取り出し、机の上に広げた。


 リンドホルムから王都までは、馬車で急いで七日、ふつうに進めば十日。

 崩壊まで、推定で残り二十七日。

 現地で動ける時間を考えると、出発は明日、というのが妥当だった。


「明日の朝、出立。馬車一台、馬替えあり。同行者は、私、ユリウス様、ヤール殿、護衛二人」


「ミナは」


「リンドホルムに残ります」


 セリアは頷いた。


「ミナ殿には、共同倉庫の記録と、ガルド殿の数字突き合わせを、こちらでお願いします」


「俺が留守のあいだに、共同倉庫が動く形を整えておいてもらいたい」


「分かりました」


 ミナの返事は、聞こえなかった。けれど、執務室の扉の外、廊下で、ミナが札の紐を強く握り直す音は、聞こえた気がした。



「カルロス・ヴェイン殿とのご合流は」


 ユリウスが、机の脇から確認した。


「王都に入る前に、街道の中継地で。ヴェルナー大商会王都支店経由で、密信を一通、すでに今朝、送らせていただきました」


「お早い」


「商家の手で、補給局長への取次ぎは難しい。ですが、補給局・書記官のおひとりであるカルロス殿に渡すのは、別の経路です。私の本店時代の伝手を、今回ばかりは使わせていただきました」


「ありがとうございます」


「礼は、私が商人として無事に王都から戻れたあとで。今回の動きは、本店に対して、いくつかの説明が必要になります」


 ユリウスの口調は、いつも通り静かだった。

 静かだが、商家の番頭代理として一線を越える覚悟が、その静けさに混じっていた。



「ヤール殿、お父様の書簡の引き取りは」


「本日の午後に、私の家へ伺います」


「ご家族は」


「父が身を移したあと、母は、母の実家へ戻っております。家は、いま、私と父の名義のままです」


「お一人で、伺われますか」


「いえ。フェン殿が同行を申し出てくださいました」


 ヤールが言うと、執務室の入口の脇で、フェンが頷いた。

 北方第三関所には、約束どおり書記課の残り一名が戻り、公爵家からの後詰めと共に関所長代理を引き継いだ。それを見届けて、ニスとフェンはリンドホルムへ戻っている。戻った護衛二人のうち、フェンはこのまま領内に留まる。昼の引き取りに付き添ったあとは、ミナと共同倉庫まわりの守りに就く役を、自ら申し出ていた。

 迷いを素直に口にできる若者の、ひとつの選択だった。


「お父様の知人で、いま王都におられる方は」


「同じ書記課に、父と長年同席されていた書記がおひとり。父が身を移したあと、その方も連絡が取れなくなっていますが、ご家族はまだ王都の同じ家にお住まいのはず」


「その家を、ヴェルナー大商会の手から、一度だけ訪ねさせてもらいます」


 ユリウスが、商家の符牒で地図に丸を打った。


「直接ヤール殿のお父様を探すのではなく、まず父と長年同席された方の家を訪ねる。父が連絡を取りたかった先がそちらにあるなら、家の中の誰かが、何か残してくれている可能性があります」


「お願いします」



 夕暮れ前、レンは共同倉庫の前に立っていた。


 ガルドが、扉の脇で、煙草の煙をひとつ吐いた。


「明日、出るのか」


「出ます」


「数字の突き合わせは」


「ミナに任せます。俺が王都に行っているあいだに、共同倉庫の流量と王都帳簿の写しの差異を、もう一度、出してもらいます」


「ミナひとりで足りるか」


「足りなければ、ヤール殿の補佐を、こちらでも一日ぐらいは借りられます」


「分かった。任せろ」


 ガルドはそれだけ言って、煙草を石畳に落として踏み消した。

 踏み消す靴の動きは、出立の朝にレンを送り出したときと、同じ動きだった。


 倉庫の扉の脇では、ミナが札を首から外して、両手の中で包み直していた。

 札の表には、これから二週間ほどレンが留守にするあいだの、共同倉庫の流量予測が、ミナの細い字で書き込まれはじめている。

 書き込みは、まだ途中だった。今夜のうちに、ガルドと相談しながら仕上げるつもりらしかった。


「あたし、ここで数える」


 ミナはレンに、それだけ言った。


「頼む」


「王都の数字も、戻ってきたら、突き合わせる」


「ああ」


 短いやり取りだった。

 短いから、互いの仕事の分担が、もう完全に分かれていることも、はっきり伝わった。

 ただし、踏み消したあとで、ガルドはもうひとこと加えた。


「あんたの数字を信じる人間は、ここに増えてる。倉庫だけじゃない。市門の衛兵も、領主館の若いのも、宿場のヤンも、南宿場の厩番も、関所のヤールも」


「気が、引き締まります」


「引き締めとけ。背中を任せられる人間が増えるってのは、軽くなる話じゃない」



 領主館の窓辺で、セリアは三十年前の紙を、もう一度、机の引き出しの奥にしまった。

 しまう前に、彼女は紙の上段の二つの印を、指で軽く撫でた。

 先代公爵の印と、当時の王都補給局長の印。

 三十年前、ふたつの印が並んで押されたあの日のことを、セリアは直接知らない。けれど、その紙の重みは、彼女の指先に確かに伝わっていた。


 明日の朝、レンの一行は王都へ発つ。

 崩壊まで、推定で残り二十七日。

 銀の鈴を、王都の倉庫の奥から、ひとつの紙の重みで取り出す。


 領主館の窓の外、リンドホルムの空は、夕暮れの色が一段深くなっていた。

 灰青の屋根瓦の上を、北からの風が、長く長く流れていった。

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