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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第46話 灰青を揚げる

 午後の光が一段落ち、関所の石壁の影が長く伸び始めた。


 第一倉庫の壁の前で、四人と一人――レン、ユリウス、護衛のニスとフェン、書記補佐ヤール――が、ひとつの小さな円を作っていた。


 ニスはヘイルの同期だった護衛。

 フェンはもう一人の若い方。今日の朝、リンドホルムの石畳の上で馬の手綱を握り直したのは、こちらのフェンだった。


 ユリウスが地図を畳んで、円の中央に置いた。


「三刻、と申し上げた時間が、もう、二刻半ほどに減っております」


 ヤールの肩がわずかに揺れた。

 揺れたが、声は出さない。彼はもう、出さないと自分で決めている顔だった。



「三案、もう一度」


 レンは指で順に示した。


「一、関所の門を閉じ、こちらは裏門から退いて、街道の南で迎撃か通報を選ぶ」

「二、関所の門を開け、迎え入れる側のふりをして、相手の正体を確かめる」

「三、関所そのものを我々の側に書き換える。旗を降ろし、台帳を押さえ、相手が来たときには関所が王国の側に戻っている、と示す」


「私は、三、と申し上げます」


 ユリウスが先に言った。


「一は、退いた後に相手が王国の所属を装って関所を抜けます。我々が街道南で迎撃しても、彼らはすでに王国旗の下を通った後になる。それは、後で覆すには重い既成事実です」

「二は、私たちの素性を相手に渡すことになります。迎え入れる側のふりをするには、関所の事務作法を全員が完璧に演じる必要がある。一箇所の綻びで、すべてが見抜かれます」

「三は、形式的には、関所が我々の側に戻っている、という状態を作れます。彼らが赤黒旗を期待して来たときに、灰青の旗を見せられる。それが彼らをどう動かすかは、未知ですが、こちらは王国の所属を回復した状態で相手と会えます」


「ニス殿は」


「三、です」


 ニスは短く答えた。


「私の同期のヘイルから、王都厩舎時代に何度か聞いた話ですが、北方の祭具を持って関所を抜けようとする者には、入口の旗を見せるだけで一度、足が止まるそうです。足の止まる一拍が、こちらに考える時間を与える」


「フェン殿は」


「私は、二の半分、三の半分でも、と思いました。ですが、ニス様が三で迷いがないのなら、三に同意します」


 フェンは若い声で、しかし、迷いをそのまま口にしていた。

 迷いをそのまま口にできる若さが、レンにはむしろ頼もしかった。


「ヤール殿は」


「私は、ご判断に従います。ただ、書記補佐として、関所の台帳をどこから出すか、印章をどこに置いてあるかは、私が一番、ここで分かっております」


「では、三で」


 レンはそれだけ言った。

 三、と決まった瞬間、五人の体重が一斉に一段沈んだ気がした。

 決断は重い。けれど重い決断が一度下されると、次の動きは早くなる。


「ひとつ、確認させてください」


 ヤールが、自分の足元を見たまま続けた。


「三、を選んだ場合、関所がもう一度、王国の所属に戻る、という記録が残ります。残った記録は、後から消すのが難しい記録です」


「消えない方が、よろしいかと」


 ユリウスが答えた。


「消えない記録があれば、私たちは後で『この日、関所は王国の所属に戻っていた』と申し開きができます。消える記録の上では、何度でも書き換えられます」


「了解しました」


 ヤールは頷いて、初めて自分から、机の方へ立ち上がった。

 立ち上がる足の運びに、まだ怯えはあった。けれど、その怯えに、職務という骨が一本通った。



「役割を、配ります」


 レンは指で、空中に短い線を引いた。


「ニス殿、厩と兵舎裏。関所の馬は今、出払っていますが、馬具と飼葉の配置を、王国の関所らしく戻してください。馬丁の手仕事は、見る者が見れば、すぐに気付きます」

「フェン殿、櫓上の旗。赤黒の旗を降ろし、灰青の旗を揚げる。揚げ方の作法は、ヤール殿に確認してからにしてください」

「ユリウス様、関所長執務室。台帳を表に出し、印章を所定の位置に戻す。関所長代行の体裁で、相手の最初の問いに答えられるように」

「ヤール殿、ユリウス様の補佐。台帳と印章の位置、書記の手順、それから――関所長の癖。一番細かい部分まで、ユリウス様に渡してください」

「ミナは、私の隣。札と記録を持って、入り口の動きをすべて見る」

「俺は、入り口と櫓を行き来する」


 誰も、頷きで返事をしなかった。

 代わりに、それぞれの手が、それぞれの道具に伸びた。手の動きで返事は十分だった。



 夕暮れ手前の光が、関所の石壁の上で、灰青に近い色に変わっていた。


 フェンが櫓に登る。

 赤黒の旗が、櫓の竿からゆっくり降ろされる。降ろされた旗は、フェンの腕の中で一度たたまれ、櫓下の床に置かれた。

 たたまれた旗の表に、赤と黒の色が、夕方の光を吸い込んで濃く沈んでいた。


 ヤールが、櫓下から指で示した。


「灰青旗は、兵舎の奥の棚、上から二段目です。三本、束ねて置かれているはずです」


 ニスが兵舎へ走った。

 走るというより、長い歩幅で歩く、という動きだった。馬を扱う者の歩き方だった。


 兵舎から戻ったニスの腕には、灰青の旗が三本、束ねられていた。

 布は厚い。長く揚げられて、また下ろされて、を繰り返してきた布の重みがある。

 ニスは旗を櫓下に置く前に、一本だけ広げて埃を払った。払った埃の中に、古い汗の匂いが、わずかに混じっていた。長く誰かが揚げ続けてきた旗の匂いだった。


 フェンが旗を受け取り、櫓の上で結び直す。

 結び目はひとつだけ。きつく結ぶと相手側が「急いで揚げた」と気付く。緩く結ぶと風で外れる。その中間を、フェンは自分の指の感覚で測っていた。

 測りながら、フェンの口がほんの少しだけ動いた。声には出さない祈りに似た動きだった。


 ロープを引く音が、櫓の頂で軽く鳴った。

 灰青の旗が、夕方の風を一度はらんだ。

 はらんだ旗は、すぐには下がらない。風に押されたまま、しばらく、北方街道の方角を向いて翻り続けた。


 関所の石壁の上に、王国の所属が戻った。


 もう一本の旗竿、左側の竿には、灰青の旗をもう一本、フェンが続けて揚げた。

 二本揃って揚がる旗が、関所本来の姿だった。

 二本目が揚がった瞬間、ニスが下から短くひとこと言った。


「これで、関所は、王国です」


 短い宣言だった。

 短いから、誰の耳にも届いた。



 執務室では、ユリウスとヤールが台帳を広げていた。


 関所長の机の上に、書類が一冊、二冊と並ぶ。

 ヤールが指で「これは表に」「これは奥に」と振り分け、ユリウスがその順番通りに机を整える。


「印章は、机の右の引き出しの奥、二段目」


 ヤールが小声で言うと、ユリウスは引き出しを丁寧に開けた。

 奥に、革袋にくるまれた印章が、ひとつ。袋から出すと、黒檀の柄に、関所長の名が彫られていた。


「これを、表に置きます」


 ユリウスは印章を机の手前、紙差しの脇に置いた。

 置くときの手の角度まで、ヤールが小さく頷いて確かめた。


「関所長は、印章を、必ず紙差しの右に置きます。左ではなく、右」


「ありがとうございます」


「もうひとつ、よろしいですか」


「はい」


「関所長は、書類を読んでいるあいだ、右手で印章を握ったまま、左手で頁をめくる癖があります。来た者がそれを知っている可能性は、わずかですが、あります」


 ユリウスは頷いて、印章を一度、自分の右手の中に握ってみた。

 握り具合を指の腹で確かめる。確かめるユリウスの指は、商家の支店長代理だった頃の指の動きを、わずかに思い出している顔だった。


 ヤールが台帳の表紙を、机の表に並べる。

 通行記録、出納記録、関所長の業務日誌。三冊の表紙が、ヤールの手の中で順に整えられる。


「業務日誌は、最後の頁を開いたままにしておきます」


「理由は」


「関所長は、毎晩、最後の頁を開いた状態で執務室を出る癖がありました。閉じておくと、来た者が『今日、関所長はまだ仕事の途中だ』とは思いません」


「分かりました」


 ユリウスは業務日誌を引き寄せて、最後の頁を開いた。

 頁の最後の一行は、昨日の日付。文字は、関所長らしい癖のある書きぶり。最後の一行の途中で、筆が止まっていた。

 止まった筆の跡を、ユリウスは指でわずかに撫でた。撫でたあと、すぐに手を離した。

 筆跡を、その場で真似ようとはしなかった。真似て、見破られる方が怖い、と知っている指の動きだった。



 入り口の門の脇で、レンはミナと並んで立っていた。


 ミナは札を首から下げ直し、もう片方の手に細い炭の棒を持っていた。

 炭は、今日の動きを札の裏に書き留めるためのものだった。


「ミナ」


「うん」


「相手が来たら、お前は、俺の斜め後ろに半歩下がっていろ。俺が動いたら、お前も動く。俺が止まったら、お前も止まる」


「うん」


「もしも、俺が、お前を執務室の方に下がれと指で示したら、振り返らずに下がってくれ」


「振り返らずに、下がる」


「そうだ」


 ミナは、それを口の中で一度繰り返した。繰り返したあとで、札の紐を首の後ろで一度きつく結び直した。


 厩の方から、馬具を整え直す金物の音が、ひとつ届いた。

 ニスが馬具の金具をいくつか、定位置に戻している音だった。

 ニスは厩に馬がいなくても、馬具と飼葉と水桶の配置だけは、王国関所のそれに戻していく。空の厩でも、整え方を見れば、誰が回していたかは伝わる。

 ニスの整え方は、王都厩舎時代に身体に染み込んだ手順だった。


 関所の中庭の石畳の上に、灰青の旗の影が長く倒れている。

 その影の中を、ニスの長い歩幅が、もう一度厩へ向かって過ぎていった。



 ユリウスが、執務室の窓辺から、空を見上げた。


 残る時間を、口に出して測った。


「およそ二刻」


「二刻」


「もう少し縮むかもしれません」


 北方街道の方角で、何かが小さく鳴った。

 馬の蹄ではない。馬の蹄なら、もっと規則正しい。

 風が一度、北の樹々を揺らした音だった。

 風の音だが、その奥に、人の声らしい鬨が、薄く混じっていた気もした。


 レンは、櫓の上に登る階段を見上げた。

 灰青の旗が、夕方の光の中で、ひとつだけ揺れている。

 旗の影が、関所の中庭の石畳の上に、長く倒れていた。


 階段を半分だけ登ったところで、レンは一度足を止めた。

 胸元の革袋に、指を添える。古い荷札の角の感触。

 今日はもう、これ以上、確かめる時間はない。


 残りの階段を、レンは一気に登った。


 櫓の上から見る北方街道の彼方に、夕方の靄を貫いて、隊列の輪郭が見え始めていた。

 二十騎の馬の頭が、街道の上で揃って動いている。

 先頭の旗は、赤と黒の二色。


 灰青の旗は、もう揚がっている。

 残るは、相手が灰青を見て、足を止めるかどうか。


 隊列の中ほど、ひとつだけ違う色の馬がいた。

 黒い馬。他より一回り大きく、鞍の銀の縁取りが、夕方の靄を貫いて、ひとつだけ光って見えた。

 その馬の主が、おそらく先頭を率いる者だった。


 二刻、と聞いた時間は、もうおそらく一刻半ほどに縮んでいる。


 レンは櫓の上から、ゆっくり下を見下ろした。

 中庭の石畳の上で、ユリウスが執務室から出てきて、入り口の方角を指で示している。

 ヤールがその脇に控え、ミナがこちらを見上げていた。


 準備は、半分終わった。

 あとの半分は、相手が灰青の旗を見たあと、どう動くかで決まる。


 夕方の風が、もう一度、北方街道の方から吹いた。

 風の中に、馬の蹄の音が、初めてはっきり混じり始めた。

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