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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第44話 動くもの

 馬車二台は、北方第三関所の門前で、ぴたりと止まった。


 石壁は、見上げると首の角度が変わるほど高い。鉄の留め金は三段。木の門扉は、長い使用で表面が黒く擦れている。

 誰も出てこない。


 御者が、馬の鼻先を石壁から少し離した。

 馬は、立ち止まったまま、首だけを左右に振っている。馬も気配を読む生き物だった。


 ユリウスが幌の縁から、低く言った。


「呼びかけてみるべきでしょうか」


「呼びかけます」


 レンは馬車から降り、門扉の前まで歩いた。

 石畳に靴底が鳴る音が、思ったより大きく石壁に跳ね返った。誰もいない場所では、自分の足音だけが、無遠慮に大きく響く。


「都市補給官代理、レン・アスター。リンドホルム公爵家命にて、確認のため参上いたしました」


 声は石壁にぶつかり、こちらに返ってきた。

 返ってきた音の奥に、人の気配はなかった。


 二度、呼びかけた。三度目はしなかった。三度目を出して同じ答えなら、もう要らない種類の答えになる。



 レンは門扉から五歩退いて、胸元の革袋に指を当てた。

 古い荷札と、ミナの新しい札。二枚の角の感触を、確かめる。


 息を、ひとつ深く吸う。

 石壁の冷えが、襟元から首筋に上がってくる。


 《棚卸し》。


 外れスキルと呼ばれるその名を、レンは胸の中で短く唱えた。

 唱えるたびに、いつも、頭の奥の薄い膜のようなものが、ひとつだけ剥がれる感覚がある。

 剥がれた膜の向こうに、いつもの図が広がる。


 頭の奥で、地図とは別の図が、ゆっくり開いた。

 北方第三関所、内部。

 兵舎。厩。倉庫。執務室。櫓上部。


 図は、白い線で輪郭だけが浮かぶ。

 部屋ごとに、白い数字が並ぶ。

 数字は揺れない。数字が揺れたら、それは在庫が動いている合図。今、この関所の中で、動いている荷はない。


 数字が、ひとつずつ並ぶ。


 兵糧米 四十二袋(通常常備量の二割)。

 保存肉 樽三つ(同、一割五分)。

 矢羽根 束十二(同、一割)。

 矢柄 束二十(同、二割)。

 燃料用薪 束三十(同、三割)。

 馬の飼葉 俵五つ(同、一割)。

 灯油 甕一つ(同、五分)。

 水樽 五(同、満載)。


 数字を読みながら、レンは口の中で、ひとつだけ声に出した。


「水だけ、満ちている」


 ユリウスが、馬車から降りて、レンの隣に立った。

 手帳の余白に、レンが今口にした数字を、書き取りはじめた。書き取る手の指先が、紙の上で一度だけ止まった。


「兵糧二割、矢一割、薪三割、飼葉一割。水だけ満載」


「撤退準備、というには、燃料が残りすぎています」


「燃料は重い。最後に運び出されるか、置いていかれます」


「置いていかれた、ということですか」


「兵糧と矢と飼葉は、軽い。これらは、運ばれた」


 ユリウスは、手帳の隅に「水のみ満」と書いた。

 書き終えたあと、その四文字を、しばらく指で押さえた。


 関所から、人と兵糧と矢が、ほぼ運び出されている。

 燃料と水だけが残っている。

 誰かを呼び込むなら、水だけは要る、ということだった。

 呼ばれているのが、誰なのか。

 答えは、頭の中の図にはまだ表示されない。


 《棚卸し》の図が、ゆっくり閉じた。

 胸の奥に、ひと呼吸ぶんの軽い疲労が残った。

 残ったが、立っていられないほどではない。今日はまだ、もう一度くらい使える。



 馬車に戻ったレンを、ヘイルと同期だった方の護衛が、馬の手綱越しに見ていた。


「正門は、開きませんね」


「開きません」


 護衛は、馬の鼻面を撫でてから、低く続けた。


「裏門が、あります」


 言葉は短かった。

 短いから、含意が伝わった。


「ご存じだったのですか」


「十年前、王都厩舎の馬丁が、北方裏道経由でこの関所を通るとき、正門を使わずに済ませるために、裏門を使っておりました」


「正規の通行記録には」


「残っておりません」


「使ってよろしいのですか」


「使うかどうかは、レン様のご判断です。私の口から申し上げられるのは、ある、という事実までです」


 レンは、護衛の顔を、改めて視界に入れた。

 顔そのものに、特別な印象はない。ただ、馬の手綱を握る指の節が、いつもより硬く曲がっている。

 話したくないことを話した者の指だった。


「ありがとうございます」


「礼は、関所を出てからにしてください」


 護衛は、それだけ言うと、馬の腹に手を当てた。馬の鼓動を、自分の掌で確かめる仕草だった。

 馬は、人より早く、何かに気付く。気付いた馬が、暴れずに立っている、ということは、まだ「動くべき時」ではない、ということだった。


 ユリウスが、地図の関所部分の余白に、「裏門」と一文字書いた。

 書いた文字の脇に、小さな丸を打つ。丸は、地図上の正規記号ではない。商家の符牒で「正規にない経路」を示す印だった。



 裏門は、関所の北東角、石壁が一度内側に折れた死角にあった。


 馬車は通れない。徒歩で一人ずつ抜けられるだけの幅。

 木戸はあるが、外側からの錠は粗末で、長く誰も触れていないらしく、留め金の鉄に薄い錆が浮いていた。


 御者と護衛のひとりは、馬車の番として、関所手前の街道に残った。

 ヘイル繋がりの護衛、ユリウス、ミナ、レンの四人が、裏門から内部に入る。

 ミナを連れていくか、レンは一瞬迷った。けれど、外に残しても安全とは限らない地点だった。


「あたし、行く」


 ミナは、レンが迷いを口にする前に、自分で答えを出していた。

 札の紐を、首から外して、胸の前で短く結び直す。結び直す手付きは、初めて雪山へ入る朝に支度をする人の手付きだった。


「離れないで」


「はい」


 ヘイル繋がりの護衛が先頭、続いてレン、ミナ、ユリウスの順で、四人は裏門を抜けた。

 木戸の錆が、抜けるときに、肩の布地に小さな赤い粉を残した。


 裏門の内側は、石壁と兵舎裏手の細い通路だった。

 通路の幅は、人ひとり分。石畳は古く、苔の生えた継ぎ目が、靴底の下で柔らかく沈んだ。

 通路の奥に、人ひとり分の足跡が、まだ残っている。最近の足跡だった。土の付き方からして、関所側から外へ出ていった足跡。逆方向に入ってきた跡はない。


 護衛は、その足跡をしばらく見てから、低くひとこと言った。


「最近、ここから出た者がいる」


「戻っていない、ということですか」


「戻った跡が、ない、ということです」


 ミナが、足跡の脇に、自分の靴を一度だけ並べた。並べてから、すぐに引っ込めた。


「あたしの足、半分くらい」


「大人の男ですね」


「うん」


 通路は、兵舎の裏側に沿って曲がり、中庭の北東角に出た。



 関所内部は、思ったより広かった。


 石畳の中庭。

 左に兵舎の長屋、右に厩の二棟、奥に倉庫の二階建て、その先に関所長執務室の小さな別棟。櫓は中庭から見上げる位置にあった。


 誰もいない。


 兵舎の戸は、半分開いたまま。中の寝台に、毛布が三枚、畳まれずに重なっていた。たたみ忘れではなく、急いで出ていった畳み方だった。

 寝台の足元に、革のサンダルが片方だけ落ちている。もう片方は、見当たらない。

 壁掛けの鎧立てから、鉄兜がふたつ、外されたままになっていた。鉄兜の代わりに、鎧立ての釘に、薄い布だけが引っ掛かっている。誰かが急いで兜を取り、布を引きずって出ていった、と読める痕跡だった。


 厩の馬房は空。床に新しい糞は残っていない。三日以上、馬は入っていない。

 飼葉桶の底に、乾いた藁が一掴みだけ残っていた。指で触れると、藁は乾ききって、すぐに粉になる。


 倉庫の扉は閉まっている。

 関所長執務室の扉も閉まっている。

 執務室の窓には、内側から白い布が貼られていた。誰かが中を覗かれたくない、と判断した跡だった。


 ヘイル繋がりの護衛が、手で動きを止めた。


「中庭の真ん中は、避けます」


「櫓から見える、ということですか」


「櫓上に人がいなくても、矢狭間からは見えます」


 四人は石壁に沿って、左の兵舎側を進んだ。

 兵舎の中を、ユリウスが手帳片手に覗いた。


「机の上に、書類が一枚も残っておりません」


「持ち出されたか、燃やされたか」


「燃やされた跡もありません」


「では、持ち出された」


 兵舎の奥の棚に、空の薬瓶が三本、転がっていた。

 栓の蝋の色を、レンは目で確かめた。

 濃い青。リンドホルム公爵家の本物の封蝋に近い色だが、よく見ると、青がわずかに深い。


 ユリウスが、薬瓶を一本だけ革袋に入れた。


「現物、ひとつ確保」


 薬瓶の蝋の色を、護衛がもう一度確かめた。

 確かめた表情に、感情はなかった。ただ、頷きが一段深かった。


「南宿場の二重底と、同じ色合いですね」


「同じです」


「同じ作り手、と申し上げてよろしいかと」


 レンは、その判断を、頭の中の板書に書き留めた。

 南宿場の偽蝋封。関所兵舎の偽蝋封。二つの場所で、同じ手が動いている。動いている手の輪郭は、まだ見えない。けれど、手が二箇所で同じ動きをしている、という事実だけで、輪郭は次第に絞られていく。



 倉庫の前で、四人は足を止めた。


 扉は閉まっているが、留め金は外れている。閉まっているのは、誰かが閉めた、というより、風が押し戻した、という閉まり方だった。


 ヘイル繋がりの護衛が、扉に指を当てた。

 指の腹で、扉の表面の温度を読んでいる。


「中、温度差があります」


「温度差」


「外気より、内部の方が、少しだけ温かい。生き物がいるか、最近まで火があったかです」


 レンは胸元の革袋に、もう一度指を当てた。

 古い荷札と、ミナの新しい札。二枚の角は、まだ肌の同じ場所を押している。


 扉の隙間から、薄い空気が漏れている。

 空気には、麻と油と、わずかな汗の匂いが混じっていた。汗の匂いは、最近のものではないが、消えるほど古くもない。

 二日か、三日。その範囲の汗だった。


「開けます」


「私が先に」


 護衛はそう言って、刃の柄に手を添えた。抜く構えではなく、抜くべき時にすぐ抜ける位置に置く、という構え方だった。


 ミナは、レンの上着の裾を、もう少しだけ強く握った。

 握った指の関節が、白い。けれど、足は動かない。動かない足は、怖がっていない足ではなく、怖くても動かないと決めた足だった。


 ユリウスが、扉の脇の壁に背を寄せた。

 もしも扉の奥から何かが飛び出してきたとき、ユリウスの位置からなら、すぐにミナを通路の角へ押し戻せる、という距離だった。


「開けます」


 護衛が扉に手をかけた。

 扉が、軋まずに開いた。長く整備されていた扉だった。


 倉庫の中は薄暗かった。

 高い天窓から、午後の光が一本だけ斜めに落ちている。

 光の中に、矢羽根の束が崩れて床に散らばっていた。


 束の山の向こうで、ひとつだけ、何かが動いていた。


 風ではない。

 風で動くには、その動きは、規則正しすぎた。

 動きは、息の周期に近い。


 誰かが、矢羽根の山の向こうで、息をしていた。


 レンは胸元の革袋を、もう一度確かめた。

 ミナの指が、レンの上着の裾を、軽く握った。


 ヘイル繋がりの護衛が、刃の柄に手を添えた。

 ただし抜かなかった。抜けば、向こうも抜く。抜かずに距離を測れる間は、まだ会話の余地が残っている。


 ユリウスは、半歩後ろに下がった。下がった足の踵が、床板の上で小さく鳴る。

 その音で、矢羽根の山の向こうの息が、一度だけ止まった。


 止まったあと、息はまた始まる。

 始まり方が、わずかに違う。気付かれた、と知った者の息だった。


「都市補給官代理、レン・アスター」


 レンは、矢羽根の山の向こうに、声を投げた。

 声は、関所内部の静けさを、初めて押し開いた。


 返事は、すぐには返ってこない。


 光の中の埃が、ゆっくり、こちらに流れてくる。

 埃の流れの中に、向こうの息の温度が、微かに混じっていた。

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