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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第43話 揚がらない旗

 関所まで一刻、という地点で、レンは馬車を一度止めさせた。


 街道は北へまっすぐ伸び、左右は枯れ草の野。北方第三関所の石壁は、地平線の上に低く横たわっている。

 旗竿は、見える。旗は、ない。


 御者が馬の口元を緩めた。ユリウスは膝の地図を畳み、革表紙の手帳を開いた。手帳の頁の余白に、関所までの距離が一行書き留められる。


 ミナは幌の縁に手を置き、首だけを伸ばして石壁の方を見ていた。

 風は北から来ていた。北から来る風は石壁を越えてから、こちらへ届いている。風そのものは冷たいだけで何の匂いも運ばない。


「ここで、一度、話を整えます」


 レンの声に、護衛二人が馬を寄せた。ユリウスは手帳を裏返して、白紙の頁を上に向けた。

 話を整えるための紙だった。



「現状を、三点」


 レンは手帳の余白に、指で三本の線を引いた。

 線は紙に残らない。残らないが、頭の中の板書には、確かに引かれている。


「一、関所の旗が揚がっていない。閉鎖命令か兵が引き上げたか、誰も上がっていないかのいずれか」

「二、カルロスの私信にマゼル殿の背後の人物の存在。リンドホルム公爵家の家名が関所のどこかで呼ばれる可能性」

「三、我々の手の中にあるのは、青蝋封の現物・南宿場のヤン氏の証言・ミナの札・王都帳簿の写し・ここまでの旅程記録」


 ヘイルと同期だった方の護衛が、馬の口元から手を離さずに、低くひとこと挟んだ。


「カードは揃っとります」


 ユリウスが、その言葉に静かに頷いた。


「揃っている、と申し上げてよろしいかと。ただし、関所の向こうで、これらのカードのうち、どれが通用するかは、まだ未知です」


「通用しないカードが、ひとつでも混じっていれば」


「混じっていれば、その場で、我々の側のすべてのカードが、相手の前に並んだ状態になります」


 レンは、一度だけ、頷いた。

 手帳の白紙の頁に、ユリウスが「未知」と一文字書いた。


「最初に出すカードは、絞ります」


「絞り方は」


「青蝋封の本物と偽物の差異。これは関所側が、まず否定しがたい物理的事実です」


「次に、塩樽二十四樽の通過記録と、その日の北方街道の積雪。これも、否定しがたい」


「家名は」


「最後まで、出しません」


 ユリウスは手帳に二行、追記した。

 追記する文字の最後の一画が、紙の上で少し長く伸びた。長く伸びた線は、ユリウスの中で、まだ迷いがある、という意味だった。


 レンは、その線を、見なかったふりをした。

 迷いがあると分かっていることと、その迷いを今この場で詰めることは、別の話だった。



「最悪の場合、撤退手段を、ひとつ持っておきたい」


 レンの言葉に、ユリウスは膝の地図を一度開き、すぐに閉じた。

 閉じた地図の表紙を、指で軽く撫でた。


「商家には、小規模の転移魔法を備えとして持つ習慣がございます」


「転移魔法」


「ええ。ただしご期待には添えません」


 ユリウスは、襟元の革袋から、小さな赤い魔石をひとつ取り出した。

 爪の先ほどの大きさ。表面には、銀の細い線が一本だけ走っている。


「これが小魔石一個。転移一回の発動に必要な数は、距離と人数で変わります」


「馬車で二日ほどの距離、人数一人で、何個」


「十個から、十五個」


「二人だと」


「同じ距離で、二十個から三十個」


「三人」


「三人を一度に運ぶには、商家の常備量を超えます。私が今、革袋に持っているのは、十二個」


 ユリウスは魔石を、もう一度袋に戻した。


「つまり最悪の場合に私の魔石で逃げられるのは、私とレン様のお二人。それも距離は馬車二日ほどが限度。リンドホルムへは届きません。届く先は街道の南側、せいぜい南宿場の手前まで」


「ミナと、護衛は」


「残ります」


 答えは短かった。

 短いから、含意が、はっきり伝わった。


 ミナが、幌の縁から、レンの顔を見た。

 目は、怖がっていなかった。怖がっていない目だけが、レンの胸の奥に、別の重さで届いた。


「ユリウス様」


「はい」


「その案は、使いません」


「左様に存じます」


 ユリウスは魔石袋の口を、紐できつく結び直した。

 結び直す手付きは、最初から、使う気のない者の手付きだった。


「ただ選択肢として、地図の隅には置いておきます。最悪の場合のために私が南宿場の手前でひとり生き残って報告する役、というのはご了承いただきたい」


「了承します」


 レンは答えた。

 答えたあとで、護衛のふたりに、目で礼をした。礼を受けた護衛は、黙って馬の手綱を整え直した。


 ヘイルと同期だった方の護衛が、馬の口元を撫でながら、低くひとこと言った。


「俺たちの分の心配は、結構です」


「いえ」


「公爵家の兵が、関所で残るかどうかを商人に判断されるのは、本筋ではありません」


 声に、含みはなかった。

 ただ、護衛の手が手綱の革をひと巻き、いつもより固く巻き直したのを、レンは見ていた。


 もう一人の護衛は、何も言わずに、関所の方角の地面を見ていた。

 地面には、馬車の轍が、まだ濡れて残っている。轍の縁の凍り方が、北へ行くほど深い、とレンには見えた。



「もうひとつ、地図の隅に置く話を」


 ユリウスが、改めて地図を広げた。

 今度は、北方街道ではなく、地図の西の端を指でなぞった。

 指先は、海岸線の小さな点で止まった。


「アヴェルス港」


「アヴェルス」


「西の海岸の交易港です。リンドホルムから陸路で四、五日。アヴェルスから北方領までは、海路で二、三日」


「海路、ですか」


「ヴェルナー大商会の独自船舶が、月に二便、出ております。荷を載せられる量は、陸路の半分ですが、関所を通らずに済みます」


「関所を通らない経路が、別にある、ということですか」


「別にある、と申し上げるのは、語弊がございます。ある、と申し上げて、誰が使っているかまでは、私の口からは出ません」


 レンは、地図の海岸線を、目だけで追った。

 アヴェルスの点から、北の海上に、薄い線が一本、走っている。海図ではなく、商家の往復記録から引かれた線らしかった。


「今日、使う案ではない、ということですね」


「今日は、使いません。ただ、関所が完全に閉ざされ、王都へも戻れぬとなった場合、最後の経路として、このアヴェルスが残ります」


「覚えておきます」


 レンは頭の中の地図に、アヴェルスの一点を淡く印した。

 淡くて構わなかった。今日点ければ、明日まで残る。


 ミナが、幌の中で、ふと首を傾けた。


「アヴェルスって、海のあるところ?」


「ええ」


「海、見たことない」


 ユリウスは、地図のアヴェルスの点を、もう一度指で軽く撫でた。


「海は、棚に並ばない品ばかりが運ばれる場所です。塩樽は、その例外のひとつですが」


「塩樽」


「塩は、海から来て、棚に並ぶ品です。アヴェルスは、塩の最初の棚があるところ、と申し上げてもよろしいかと」


 ミナは、その言葉をしばらく口の中で繰り返していた。

 繰り返したあと、首から下げた札の紐を、軽く握った。

 札の表に、塩、と書かれた一文字が、革袋の中で、今、ふたりの会話と重なった気がした。



「では、前進、で」


 ユリウスが地図を閉じた。

 護衛のひとりが、馬の鼻先を関所の方向に向けた。御者は手綱を一度握り直し、馬車二台は再び、北へ動き出した。


 石壁は、近づくにつれて、輪郭がはっきりした。

 高さは、人の背の三倍ほど。石は灰色がかった青で、長い風雨に削られている。門は厚い木造、鉄の留め金が三段。櫓は左右に二基、屋根は雪の重みに耐える急勾配。


 旗竿は、左右の櫓の屋根に、それぞれ一本ずつ立っている。


 左の旗竿は、何も揚がっていない。

 右の旗竿には──


 ミナが、先に声を出した。


「旗、一本だけ揚がってる」


「右ですね」


 ユリウスが、目を細めた。


「色は、灰青ではありません」


「灰青、というのは」


「北方第三関所の通常旗です。開閉と関係なく、関所の所属を示す旗が、灰青で揚がっているのが本来の姿です」


「では、今、揚がっているのは」


「赤と、黒の、二色旗です。私の知る限り、北方第三関所の正規旗ではありません」


 馬車は石壁の手前、矢の届かない距離で再び止まった。

 御者が馬の口元を撫でて、声を落とした。


「もし、ご無理されるなら、ここで一度、戻られても」


「戻りません」


 レンは答えた。

 答えたあと、胸元の革袋を一度だけ確かめた。古い荷札と、ミナの新しい札が並んで入っている。

 二枚の札の角が、布越しに肌に当たっていた。


 関所の門は、閉まっている。

 門前には、誰もいない。

 櫓の上にも、人の姿は、見えない。


 風だけが、石壁の上を北から南へ抜けていた。

 風が抜けるたびに、右の櫓の旗竿で赤と黒の旗が一度、ゆっくり翻った。


 通常、関所の門前には、通行人を捌く下級兵が二名、出入り台帳を抱えて立っている。

 台帳の机も、出ていない。

 机の脚に、霜が降りている様子もない。最近、誰かがここで作業をした痕跡そのものが、見当たらない。


 ユリウスが、低く言った。


「人がいないのではなく、いた痕跡が消されている、と読むべきかもしれません」


「消されている」


「兵を引き上げただけなら、机や腰掛けがそのまま残るのが普通です。それらまで撤収しているのは、関所の所属を一時的に消す、という意図かと」


「所属を消す」


「ここは王国の関所ではない、と、向こうが宣言している状態です。短時間でも」



 旗の翻る音が、距離を越えて、薄く届いた。

 馬車の中でミナが自分の札の紐を指で握った。札の紐の端のほつれが、また少し伸びた気がした。


 ユリウスが、地図の上の北方第三関所の名前を、指で軽く撫でた。

 撫でた指の腹が、紙の上でわずかに止まる。止まったまま、ユリウスはレンに、低く言った。


「赤と黒の二色旗は、商家の記録の中で、ひとつだけ、私の見覚えがあります」


「どこで」


「北方の小さな町で、棚の端に空の樽を置く作法を持つ、その町の、神殿の屋根です」


 レンは、その言葉を、頭の中の地図に置いた。

 空の樽を置く町。消えた荷を、こちらから場所を指定して置く町。

 その町の神殿と同じ色の旗が、王国の関所に、揚がっている。


 関所までは、もう、馬車の足で半刻もない。

 猶予は切れている。退路は、ない。


 レンは御者に、合図を出した。


「前へ」


 馬車は、再び動き出した。

 石壁が、近づくほど高くなる。

 石の継ぎ目に、苔と古い剥がれ痕。長く使われた壁の表面だった。長く使われた壁が、今日だけ、所属を脱がされている。


 ミナが幌の中で、首から下げた札を、両手で軽く包んだ。

 包んだ手の中で、新しい白木の角がわずかに鳴った。


 ユリウスは魔石袋の口を、もう一度、紐の結び目で確かめた。

 使わないと決めた袋を、それでも確かめる手付きが、そこにあった。


 護衛のふたりは、馬の歩みに合わせて、刃の柄の位置を一度ずつ整えた。


 レンは胸元の革袋に、もう一度、指を当てた。

 古い荷札と、ミナの新しい札。

 二枚の角は、馬車の揺れの中で、肌の同じ場所を、規則正しく押してくる。


 北方第三関所の石壁の影が、ゆっくり、こちら側に倒れてくる。

 倒れてくる影の中に、赤と黒の旗の輪郭だけが、午後の光の前で揺れずに立っていた。


 その旗の下で、関所の門の鉄の留め金が、午後の光に冷たく光っている。

 光は、近づくほど、こちら側の目を細めさせた。

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