表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/55

第40話 半刻、先

 夜の街道は、月明かりの下で青く沈んでいる。


 馬車二台が規則正しい蹄の音だけを残して、北へ進んでいる。

 御者の合図はない。

 馬は道を覚えていて、合図を待たずに歩いていく。


 幌の中で、ミナがほつれかけた札の紐に目を落としていた。

 しばらく指でいじっていたが、ふと結び直しを始める。


 子供の細い指が紐の端を引き寄せた。

 一度ほどき、ふたつに分けて結び直す。


 結び目は、最初のものよりわずかに小さい。

 けれど、ほつれた端はもう、外へ出ていない。


「自分で結べたんだ」


「うん」


「うまいじゃん」


「ふつう」


 ミナはそれだけ言って、札を、首に戻した。



 夜の街道では、護衛二人もほとんど口を開かない。


 一人は馬車の前を、もう一人は後ろを、それぞれ歩く。

 二人の馬の手綱の握り方は、暗がりの中でもよく似ていた。

 左手で軽く支え、右手は手綱の中ほど。間隔まで同じ。


 たまたまとは思えない揃い方だ。


 レンは幌の隙間から、その後ろ姿をしばらく見ている。


 頭の中で、考えがひとつまとまりかけて、止まった。

 まとめるには、まだ材料が足りない。



 夜が明け始めたのは、街道脇の楓の枝が、輪郭を取り戻す頃。


 その輪郭の向こうに、中継宿の屋根が見えてきた。


 払暁の鐘は鳴っていない。

 まだ宿場の朝が始まる前の時刻だ。


 馬車が宿の門前に止まった。

 御者の合図で馬がふたつ息を吐く。

 白い息が薄い夜気の中をゆっくり昇っていった。


 宿の戸口に、主人が立っていた。

 五十がらみの、髭の薄い男。


「お早いお着きで」


「ご亭主、ひとつだけ伺います」


 ユリウスが、馬車から降りずに、幌の縁から声をかけた。


「昨日から今朝にかけて、青い封蝋の書状を持った客が、こちらに寄りませんでしたか」


 主人は、わずかに、思い出す顔をした。


「お一人、ありましたな」


「いつ」


「半刻前にお発ちで」


 半刻。


 その一語だけで、馬車の中の空気が、ひとつ落ちた。


 ミナが、レンの顔を、見上げた。

 ユリウスは、地図に視線を落として、何も言わなかった。



 馬車を一度降りて、レンは宿の裏厩に回った。

 ユリウスと、前を歩いていた方の護衛がついてくる。

 後ろを歩いていた方の護衛は、馬車の前で、馬の口元を押さえている。


 裏厩には、まだ夜の冷えが残っていた。

 藁の匂いと、馬糞の匂いと、湿った木の匂いが、ぼんやりと混ざる。


 厩の隅、馬の繋ぎ場の脇に、ひとつ物が置かれている。


 蹄鉄の片割れ。

 馬蹄に打つ前の、半月形の鉄。


 その表面に、王都厩舎の印が打たれていたはずの場所が、削り取られかけている。

 完全に消えてはいない。

 半分だけ消した跡。


 削り跡の縞は、左斜め下から右上へと細かく刻まれていた。

 慣れた手つきの工具運びだ。

 急いで隠したのではなく、見せるために半分残した、と読める削り方。


 その蹄鉄の半月の、ちょうど中心軸の上に、もうひとつ別のものが揃えて置かれている。


 青い小石。

 拳の半分ほどの大きさで、川で磨かれたような滑らかな形。


 道標に彫られていたあの矢印と、同じ色の青。


 小石は、蹄鉄の中心線の真上に、わずかな狂いもなく座っている。

 偶然落ちたとは思えない。

 誰かの指が、息を止めてゆっくり置いた。


 レンはそれを拾わなかった。


 拾えば、こちらが触ったことが相手に伝わる。

 今は、見るだけにとどめる。



 その時、前を歩いていた護衛が、レンに会釈をして、厩の奥へと一度消えた。


 奥には、厩番の影が動いている。

 顔は見えない。


 ふたりの会話は、二言か三言ほど。

 声の輪郭だけが、外の空気まで届く。

 言葉そのものは聞こえなかった。


 戻ってきた護衛は、何も言わずにレンの隣に立った。


 その口元は、いつもよりほんの少しだけ、強く結ばれている。

 報告しない、と決めた口元。


 レンはそれ以上を聞かなかった。

 聞いても、今は答えが返ってこないことが分かっていた。



 ユリウスは蹄鉄の片割れに顔を近づけた。

 削り跡の鉄粉を、指の腹で軽く拭った。


 拭った指を鼻先まで持ち上げ、しばらく止めた。


「……この匂い」


「ユリウス様」


「失礼。少し、本店の調合台を思い出しまして」


「調合台、というのは」


「印を消すときに使う薬品の匂いです。古い印影を薄く削って、新しい印に書き換える時に」


「本店で、使われていたのですか」


「私が見たのは、一度だけです」


 ユリウスはそこで、しばらく目を伏せた。


「夜更けの、薄暗い部屋でした。蝋燭が二本だけ、調合台に立っている。その向こうに、私の上司の背中がありました」


「上司」


「名は申し上げません。今夜は、まだ。けれど、その背中が、この匂いと一緒に、十年経った今でも、はっきり浮かびます」


 ユリウスは、もう一度、指先を鼻に近づけた。


「忘れる匂いではありません。一度嗅いだら、調合台の角の傷まで思い出せる、そういう種類の匂いです」


 ユリウスは、それ以上は語らなかった。


 頬の色が、いつもよりほんの少し薄い。

 商人として死ぬかもしれない、と昨日口にした人の顔色だ。



 払暁の鐘が、ようやく、宿の裏で、ひとつ鳴った。


 主人が「お茶でも」と言ったが、ユリウスは首を横に振った。


「すぐに、発ちます」


「半刻、休まれては」


「半刻、もう、こちらにはありません」


 主人は、それ以上は引き止めなかった。


 馬の水と飼葉を急いで替えるあいだに、レンは宿の門前の道標を見た。


 道標は、苔の生えた古い石柱。

 昨日まで覚えていた古い印の隣に、新しい矢印がもうひとつ、揃えて彫られている。


 古い印と、今日の印。

 彫りの深さは、二つともほぼ同じ。

 使われた小刀の刃も、ほぼ同じ幅。


 今日の矢印は、リンドホルム方向を指している。

 ただし、ほんの少しだけ角度がずれていた。

 リンドホルムよりも、その先、王都への街道のほうへと、わずかに向いている。


 二本の矢印が並んだ石柱は、まるで誰かが手帳に二度書き込みをした帳簿のようだ。

 一度目は、半年か一年前。

 二度目は、今朝。


 同じ手が、同じ刃で、同じ場所に、ふたつ目の合図を刻んだ。

 その合図は、レンたちの目に確実に届くように、揃えて置かれている。



 馬車が動き出したとき、空はもう、灰色の青に変わっている。


 幌の中で、レンは胸の奥で《棚卸し》を短く回した。


 北東街道、合流地点を通過。

 一点、リンドホルム方向に、先行。

 距離、半日。


 表示はそれだけで消えた。


 半日。


 追う側になった。


 昨日まで「先に着くのはどちらか」と問うていた立場が、今日からは半日遅れで追いかける立場に、ひっくり返っている。


 レンは幌の中で、幌の縁を無意識に一度握り直した。

 握り直してから、自分の手が動いたことに、ようやく気づく。


 隣のミナが、また首から下げた札の紐に、指先を触れさせている。

 朝に自分で結び直した結び目を、もう一度確かめるように撫でていた。

 その小さな仕草が、レンの胸の中で、なぜかわずかに支えになる。


 目を閉じても、青い小石の置かれ方が、瞼の裏に残る。


 あれは、敵意ではない。

 もっと別の何かだ。


 こちらを認識した、というサイン。

 あなたが、ここに来ることを、知っていた──という、無言の挨拶。


 馬車の幌が朝の風を受けて、ひとつ鳴った。


 その音が、昨日の朝、南宿場で聞いた音とよく似ている。

 けれど、温度だけがわずかに違っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ