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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第39話 並走するもの

 馬車の幌が、風を受けて、ひとつ鳴った。


 南宿場を出てから、もう半刻が過ぎている。

 車輪の音と、馬の蹄が土を踏む規則的な響き。その他には、街道のどこからも人の声はしない。


 幌の隙間から、ミナが空を見上げていた。


「ねえ、ユリウスのおじさん」


「はい」


「鳥が、北東に逃げてる」


「鳥が」


「うん。さっきから、群れがふたつ。みんな、北東のほうに飛んでる」


 ユリウスは、地図の上に置いていた指を、一度上げて、また下ろした。


「鳥は、人より早く、地の音を聞きます」


「地の音?」


「街道で何かが動くと、地面が震えます。鳥はそれを、足の裏で聞く」


「えっ、足の裏で?」


「私の祖父が、そう言っておりました。本当かどうかは、分かりません」


 ミナはもう一度、空を見上げる。

 北東の空に、点が三つ、ゆっくり流れていた。



 ユリウスは膝の上に、青い蝋封のついた紙を置いている。


 紙の縁の蝋には、まだ白い粉が薄く付着している。


 レンはその粉を、拭わないままにしてある理由を聞かなかった。

 聞かなくても分かる。


 粉は、誰かが触った証拠。

 拭えば、その証拠も消えてしまう。


「レン様」


「はい」


「私は、商人として、ここで死ぬかもしれません」


 ユリウスはそれを、笑みなしで言った。


 地図を指でなぞる仕草も、いつもより少し止まりがちになっている。


「商人としての、死、というのは」


「組織の名を、口にすることです。本店の上に座っている人物の名を、もし私が口にすれば、私は商会から、商人として、いなくなります」


「それでも、口にされるのですか」


「まだ、決めていません。ただ、覚悟はしておきます」


 レンは、頷いた。

 それ以上は、聞かなかった。



 昼前、街道の上で、一頭の早馬と擦れ違った。


 南から、北へ。

 馬の足は速いが、汗の匂いはほとんどしない。

 今朝、どこかから新しく出された馬だ。


 御者は頭巾を深く被って、顔を見せない。


 レンが馬車の幌の縁から、その早馬の蹄を目で追った。


 蹄の跡が、ぬかるみの上に見覚えのある形を残す。

 南宿場の前を素通りした、あの早馬と同じ、王宮厩舎印の蹄鉄。


 ミナが、ぽつりと言った。


「さっきの蹄、また見た」


「うん」


「ふたつ目、だね」


 ユリウスが、地図の上に、指で軽い印を打った。


 印を打った場所は、リンドホルム方面ではなかった。

 北方街道のもっと先、北東方面に分岐する道の、ちょうど分かれ目だった。



 午後、街道の脇で、ひとりの徒歩の旅人と擦れ違った。


 灰色の外套を着ている。

 南宿場の鐘の下にいた男の外套と、同じ色。


 別人だ、とレンの目はすぐに判断する。

 背丈が違う。歩幅も違う。


 ただ、外套の襟元の留め金が同じだった。

 王宮厩舎で使われる、銀の小さなもの。


 旅人は、頭を下げずに、馬車の脇をゆっくり通り過ぎていく。


 通り過ぎる足音を、レンは耳で追った。


 砂利を踏む拍子が、奇妙に揃っている。

 南宿場の鐘の下にいた男の、立ち姿の静けさと、半拍ずれてよく似ていた。

 ふつうの旅人は、こんなに均された足音では歩かない。


 通り過ぎた後、レンは振り返らなかった。

 ミナも振り返らない。


 ふと、ミナが、もう一度、空を見上げた。


「鳥が、今度は、南西に逃げた」


 ユリウスの指が、地図の上で、止まった。

 止まった指は、しばらく動かなかった。

 動かないまま、地図の上に、もうひとつ、印を打った。


 二つ目の印は、最初の印のすぐ隣、しかし方向だけが、わずかに違っていた。


「二点」


 ユリウスは、独り言のように呟いた。



 夕方の鐘ひとつ前に、次の中継宿に到着した。


 宿の主人は五十歳ぐらいの、痩せた男。

 頬骨が高く、片目がわずかに濁っている。


「お疲れさんで」


 主人は、レンたちが土間に入った瞬間に、まず、こう聞いてきた。


「お客さん方、急ぎなさるか」


 その問いは、こちらが何かを尋ねる前に、先に出てきた。


 レンは、わずかに、考えた。


「急いでおります」


「左様ですか」


 主人は、それ以上を言わずに、湯呑みを四つ、卓に並べた。

 並べる手の動きが、いつもの宿屋の主人より、ほんの少し、慣れすぎていた。


「ご亭主、ひとつ伺ってもよろしいですか」


「どうぞ」


「今日、青い封蝋のついた書状を持った客が、こちらに寄りませんでしたか」


 主人はしばらく考えている。

 考えるふりではなく、本当に思い出している顔だ。


 ただ、片目の濁った方の視線が、ほんの一瞬、土間の隅へと流れた。

 流れて、すぐに戻ってくる。


「半刻ほど前に、お一人、お通りに」


「半刻」


「お休みは取らんかった。湯だけ一杯。書状は持っておられた。封蝋の色までは、見ておりませんがな」


「外套の色は」


「灰色でしたな」


 ユリウスは、卓の縁に、指を置いた。


 卓の縁には、白いごく薄い粉がわずかに残っている。

 拭き残しというには、丁寧すぎる粉の薄さ。


 ユリウスはその粉を、指で軽く撫でた。

 粉の感触は、青蝋封のついた紙に付いていた白粉と、同じ。



 その時、護衛のひとりが、主人に近寄った。


「ご亭主、馬の世話を頼みたい」


「ああ、北の厩でお預かりしますよ」


「あそこの厩番、まだヘイルさんかい」


 主人が、わずかに顔を上げた。


「お客さん、ヘイルをご存じで?」


「昔、王都の厩舎で、ともに馬を見ていた仲だ」


「そりゃあ、奇遇で。あいつもここに来て、もう五年になりますがな」


 主人は、護衛の顔を、もう一度見直した。

 その目には、客を見る目とは違う、知った顔を確かめるような、わずかな揺れがあった。


 見直したあと、主人は何も言わずに、奥へ歩いていった。


 護衛の方も、それ以上は口を開かなかった。


 ミナが、レンの袖を、軽く引いた。


「あの人」


「うん」


「ここに、前に来てたんだ。たぶん」


 レンは、頷いた。

 頷いて、護衛の顔を、改めて視界に入れた。

 顔そのものに、特に印象はなかった。

 ただ、口数がいつもより、ほんの少し少なかった。


 この護衛は、リンドホルム公爵家の兵だ。セリアが直々に選んで付けた者だ。

 その兵が、なぜ、王都の厩舎で働く人物の名を即座に呼べるのか。

 その答えは、まだレンの胸の中でひとつも形になっていない。


 護衛が湯呑みを取る手の動きを、レンは視界の端で追った。


 湯呑みを手に取る前に、護衛の手のひらは、まず湯呑みの底の高さを指で確かめている。

 ふつうの旅人は、そんな確かめ方をしない。

 厩舎で何年も、馬具の重心を測ってきた手の動きだ。


 護衛は、湯呑みの茶を半分だけ飲んで、卓に戻した。

 戻した位置は、最初に置かれた場所からほんの指一本ぶんだけ、ずれている。



 主人がレンを見送る前に、ぽつりと付け足した。


「最近、北東街道のほうで、行方知れずになる荷が、増えとります」


「ご亭主、それは」


「うちには関係ない話ですがな。お通りなさる方々のうち、何人かが、そう仰っとります」


「どのくらいの数」


「数までは、聞いとりませんわ」


 主人はそれだけ言って、奥へ戻った。


 戻り際の足音が、土間の石を規則正しく踏んでいく。



 日が暮れる頃、馬車二台は、街道脇の野営地に止まった。


 次の中継宿までは、あと一刻半。

 馬を一度休ませて、夜の街道に出るかどうかを、ユリウスとレンが相談した。


 結論は、夜のうちに出る、だった。

 残り二日のうち、一晩を寝てしまえば、もう、間に合わない。


 馬の水を替えるあいだに、レンは街道脇の道標の前に立っていた。


 道標は古い石の柱。

 苔と、雨で削れた数字。


 石の側面に、小さな新しい刻みが入っている。


 小刀で誰かが、つい最近彫った印だった。

 矢印の形。

 矢印は、リンドホルム方向ではなく、北東街道の分岐の方向を指している。


 レンはしばらく、その矢印を見ていた。


 道標の足元では、苔が夕方の風でわずかに揺れている。

 揺れた苔のあいだから、もう一筋、古い印が薄く覗いていた。

 半年か、一年か、もっと前に誰かが彫った印だ。


 今日の矢印は、その古い印のちょうど隣に、揃えて彫られている。


 レンは、それを誰にも見せずに、馬車に戻った。



 馬車が動き出してから、レンは胸の奥で、《棚卸し》を、短く回した。


 北東街道、合流地点。

 二点が、一点になっている。

 その一点は、北東街道の分岐からリンドホルム方向へと、向きを変えていた。


 表示はすぐ消えた。


 合流地点の手前には、レン一行が明日の夜に泊まる予定の、次の中継宿がある。


 先に着くのは、どちらか。


 まだ、誰にも分からない。


 夜の街道は、月明かりの下で青く沈んでいる。

 ミナが、首から下げた札の紐を無意識に指でいじっていた。

 札の紐は、いつのまにか端のほうがわずかにほつれ始めている。

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