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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第36話 荷札を読めない宿場

 南宿場の朝は、いつもと同じ時刻に始まった。


 ただし、いつもとは少し違って、今朝は平台の脇にミナが立っている。札を首から下げ、両手は空にしている。


 馬車が来るたびに、御者が札を一度見て、姿勢を直す。

 昨日とは違うリズムで、荷下ろし場はわずかになめらかに動いていた。


 その隅で、少年たちが荷を運んでいる。



「ノル、それ違うって!」


 怒鳴ったのは、トビではない。十二歳のピップだ。痩せて素早く、目のよく動く子。


 ノルは十三歳。背はトビと同じくらい。けれど肩に妙な力が入っていて、何かを庇うような姿勢で立っていた。


 ピップが取り上げたのは、ノルが運ぼうとしていた、塩樽用の白札がついた包みだ。


「これ、塩じゃなくて、薬瓶だよ。札の縁の線、黒い方がついてるじゃん」


「……黒い方」


「うん。塩は線なし、薬は黒い縁。何回言われた?」


 ノルは黙って、包みをピップの手からまた受け取った。


 受け取って、もう一度札を見る。


 札の縁を指でなぞった。


 長くなぞる。



 ミナは平台の脇から、その様子を見ていた。


 札の指図が一段落したとき、ミナは三人の少年に近寄る。


「ねえ」


「あ、お姉ちゃん」


 トビが先に振り向いた。

 ピップは少し怪訝な顔で、ノルは目を伏せている。


 ミナは外套の内ポケットから、何かを取り出した。

 小さな木片だ。炭で、赤い線が一本引かれている。


「これ、何の札の色か、分かる人」


「赤線札!」


 ピップが手を挙げた。


「うん、当たり」


「俺、赤と青と、三本線、読めるよ」


「すごいじゃん。三つ分かるの?」


「うん、父さんが教えてくれた」


 ノルは何も言わない。

 ミナはノルの方を見て、笑顔を作らなかった。

 笑顔を作る代わりに、もう一枚、木片をノルの手の中に置く。


 その木片には何も書かれていない。


「これは、何札だと思う?」


「……分かんない」


「うん。誰でも分からない。だって、なんにも書いてないから」


「お姉ちゃん」


「うん?」


「ふつうの札も、俺、書いてないように見えるときがある」


 ミナは少し息を吸った。


「そっか」


「色は、なんとなく分かる。でも、赤と緑のちがいが、よく分かんないときがある」


「いつから?」


「ずっと、たぶん。父さんに、何回も怒られた」


 ノルはそれを言いながら、自分の手のひらの中の白い木片を、両手で包み込んでいた。


 包み込む、というより、隠している。



 その時間、宿の奥の小部屋で、レンとユリウスはヤン・コルテスと向き合っていた。


 卓の上には、古い帳面が一冊開かれている。

 ページの隅は、湿気と煤で黒く縁取られていた。


「荷役の名簿、と申しましたかな」


「ええ」


「お見せはしますが──都市補給官代理様、これを見て、何かが変わるとは思わんでくださいよ」


「拝見します」


 ヤンは指でページをめくる。

 名前と、年齢と、勤続年数。

 欄の右端に、小さな記号が並んでいた。〇、△、×。


「この記号は」


 ユリウスが低い声で聞いた。


「字が読めるかどうかだ。〇は、読み書き両方。△は、色札と簡単な数字。×は、色だけ」


「×が、何人」


「十一人中、七人」


 ユリウスはしばらくページを見ている。


「ヤン様、この帳面の×の者たちは、どの荷を担当しておりますか」


「奥棚と、下棚だ」


「奥と、下」


「読まれにくい場所だ。前棚と上棚は、〇の三人で回している」


 レンは卓に肘をついて、両手をゆっくり組んだ。


「ヤン様」


「ああ」


「読めない者を、奥に置くと、何が起きますか」


 ヤンは片耳に手を当てた。


「事故は、奥で起きる。だが、奥は、客の目に入らんからな。事故は、起きていないことになる」


 レンは組んだ手をゆっくり離した。



 ヤンの返事のあと、しばらく誰も口を開かない。


 ユリウスが、地図ではなく、自分の湯呑みの縁を指で一度撫でた。


「ヤン様。これは、宿場の責任ではありません」


「商人らしいことを言いなさるな」


「ですが、本店の私の上司も、これと同じ構造で帳簿を組んでおりました。読めない者を奥へ。読める者を表へ。理由は、表側の数字を綺麗に見せるためです」


「綺麗にね」


「綺麗な数字の裏で、誰が怪我をしているかは、書類に出ません」


 ヤンは立ち上がろうとして、また座り直す。


「俺は、トビの親父のことも知らんかった。十年いて、知らんかった。あの親父は、字が読めなかった。それも、知らんかった」


「ヤン様」


「言わんでくれ。今は、まだ、聞きたくない」


 ヤンは片耳から手を離した。


 離した手の指先がわずかに震えている。



 昼を過ぎた頃、ミナが宿の小部屋に駆け込んできた。


 息を切らしている。

 外套の裾に、湿った木のかけらがひとつ付いていた。


「ねえ、レン」


「うん」


「奥の倉庫のね、いちばん下の段、壁の板が、外れた」


「外れた?」


「ノルが触ったの。間違えて、寄りかかったみたいで」


 ミナはもう一度息を吸って、続けた。


「壁の奥に、隠し棚が、ある。小さい棚。中に、薬箱がひとつ。湿ってる」



 奥倉庫の壁際に、四人が立っている。


 レン、ミナ、ユリウス、そしてトビ。

 ヤンは戸口にいた。中までは入ろうとしない。


 ノルとピップは、宿の外、井戸の方へ、ミナが「水汲んできて」と頼んで、行かせていた。


 壁の板は確かに外れている。

 外れた板の奥に、人ひとり分の深さの隠し棚があった。

 棚の上に、薬箱がひとつ置かれている。


 湿っていた。


 追放される前の遠征で見た、あの薬箱とよく似た湿り方だ。

 手前に立つだけで、レンの胸の奥に、雨に濡れた木と、琥珀色の水の匂いが、ひとつ、戻ってきた。


 箱の側面に、荷札がひとつ、紐で結ばれている。

 紙の札だ。木札ではない。


 レンはその紙札の裏を、指でそっと見た。


 北東街道の検査印。

 その上から、別の印が上書きされている。

 検査が二度押されていた。一度押されたあと、誰かが上から潰したのだ。


 ユリウスが低い声で言った。


「これは──ゴーシュの筆跡です」


「ゴーシュ」


「ヤン様の証言の、王都中央倉庫の下級荷役。私もかつて、一度だけ書類で見たことがあります」



 トビが、薬箱の蓋に手をかけた。


 子供の小さな指が、湿った木の縁に触れる。


 ミナが口を開いた。


「待って」


「うん」


 トビは手を止めた。

 止めて、レンの方を見上げる。


 レンはしばらく、薬箱を見ていた。

 それから首をゆっくり横に振る。


「──開けてください。トビが」


 トビはふたつ息を吸って、ひとつゆっくり吐いた。


 蓋に手をかけ直そうとした、その瞬間。


 戸口の方から、声がした。



 井戸の方から戻ってきた、ノルの声だった。


「お姉ちゃん」


 ミナが振り向いた。


「うん」


「あの。さっきの白い木片、まだ、持ってていい?」


「いいよ」


「あれ、字、書いてもらえる?」


「字」


「うん。俺の名前。ノル、って」


 ミナは外套の内ポケットから、炭をひとつ取り出した。

 ノルに炭を手渡す。


「自分で、書いてみる?」


「俺、読めない」


 ノルは、はじめて、自分の口でその三文字を言った。


「読めない、けど、書いてみる」


 炭を握る指先が震えていた。

 震えながら、ノルは白い木片の上に、何かを書き始める。


 薬箱の蓋は、まだ開いていなかった。

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