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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第34話 一番近い宿場が一番遠い

 南宿場の朝は、馬の鼻息で始まった。


 レンが宿の二階の窓を開けると、白い息が街道に立ちのぼっている。荷下ろし場の前に、すでに馬車が四台、縦に並んで止まっていた。御者は手綱を持ったまま動かず、馬は前足で土を掻いて、また止める。


 時刻は、朝の鐘ひとつ目より少し前。


 レンは指先で窓枠を撫でた。

 窓枠は冷たい。

 朝の冷気のせいだろう、と思う程度の冷たさだ。


 ふと、昨夜の神官の言葉が頭をよぎる。

 迷信、と返した自分の答えが、今朝はわずかに頼りなく聞こえた。



 ミナはまだ眠っていた。


 レンは外套を羽織って、宿の階段を下りた。一階の土間で、ユリウスがすでに地図を広げている。


「お早いですね」


「馬車列の様子を、上から見ました」


「ええ。御者が動かないので、私も先ほどから見ています」


 ユリウスは地図の上で、宿場の見取り図を指でなぞった。


「荷下ろし場は、ひとつ。その先で街道が二股になっています。北方街道の本線と、東中継所へ向かう枝道」


「呼び鐘は」


「ないようです。あるいは、誰も鳴らさない」


 レンは外へ出た。



 荷下ろし場は、宿場の中央広場の一角にある。石を組んだ平台がひとつ、その手前に馬車を停められる枠が線で引かれている。

 枠の線は、長い時間で半ば消えかけていた。


 レンは平台の手前に立って、しばらく動かない。


 馬車四台のうち、先頭の一台は荷を下ろしている。

 二台目は、空の荷台のまま、なぜか平台の真横に停まっていた。

 三台目と四台目は、荷を積んだまま、二台目の後ろで待っている。


 平台の前の土には、轍が浅く残っている。朝霜の白が、轍の上に乗っていた。

 踏み割られていない。今朝、最初の一台が来てから、誰も並びを直していない。


「ねえ、なんで待ってるの?」


 ミナの声が後ろから聞こえてくる。

 外套の襟を立てて、目をこすっていた。


「あの空の荷台が、邪魔をしている」


「動かせばいいじゃん」


「動かす人がいない。御者は自分の番が来るまで馬を離せない。宿場の係はいない。誰かが順番を呼ぶ役を、決めていない」


「決めればいいじゃん」


「決めれば、いい」


 レンはそれきり、しばらく黙った。


 ミナは札を懐から一度出して、手のひらに乗せる。

 白木の上に、墨で書かれた文字。


 街道伝令見習い ミナ。


 ミナは札を、自分の前に掲げてみた。

 三台目の御者が、その仕草を視界の端で捉える。

 御者はわずかに姿勢を直した。


 札一枚で、わずかに姿勢が変わる。

 それをミナは自分の目で見た。



 宿場主のヤン・コルテスは、午後の鐘の前に、ようやくレンの前に座った。


 五十代の、痩せて背の高い男。片耳に手を添えるくせがある。聞こえにくいらしい。前掛けには、塩と油と墨の染みが、層になって重なっている。


「都市補給官代理様、ご苦労さんで」


「ヤン様、伺いたいことがあります」


「あれな。馬車の並びだろう」


「ええ。それと、南方の塩のことも」


「南の塩? ありゃもう、三月入っとらん。アヴェルスの方で、何かあったらしい。詳しくは聞いとらんが、入ってこんもんは入ってこん」


「三月、ですか」


「三月だ。それも、昔からこうだ」


 ヤンは、片耳に手を当てた。


「ありゃ、馬車の並びの方も、昔からああだ」


 ヤンは、湯呑みに目を落とした。


「昔から、平台がひとつでね。誰かが順番を見るって話は、二十年前にも出た。出たが、決まらん。決まらんから、ああだ」


「順番を呼ぶ係を、今日だけ、置けますか」


「今日だけ、ならな」


「今日だけ、で」


 ヤンはレンを見た。

 それから自分の前掛けの染みを、指で一度撫でる。

 古い塩の白が、指の腹に薄く付いて、すぐ落ちた。


「都市補給官代理様。あんた、悪い人じゃないのは分かる」


「はい」


「だが、係を置くのは、上に通さんといかん。リンドホルムの公爵様に通すならまだしも、王都に通したら、二年は返事が来ない」


「二年」


「俺は、それを二度やった」


 ヤンは片耳から、手を離した。


 レンは口を開きかけた。

 「届かせれば、助かります」という言葉が、喉の真ん中まで来ている。

 そこで止めた。


 止めて、別の言葉に変える。


「では、今日の係は、私の連れの娘で。札を持っていますので」


「……ああ。それなら、宿場の決まりに触らん」


 ヤンの顔が、わずかに緩む。

 それは笑みではない。

 ただ、肩の力の半分だけが抜けていた。



 午後の荷下ろし場で、ミナは札を首に掛けて、平台の脇に立った。


 空荷の二台目を、別の場所へ動かすよう、御者に伝える。

 三台目を、平台の正面へ呼ぶ。

 四台目に、戻り便の出発時刻を、ミナが口頭で伝える。


 ミナの声は小さい。けれど、御者たちは札を一度見てから、頷いた。


 レンはユリウスと並んで、それを見ていた。


「四台で、半刻短縮ですね」


「ええ」


「明日からは、これを誰がやるか」


「ヤン様の言う通り、上に通さねば、続かない」


「続かないものを、今日、ひとつだけ、置きました」


「置きました」


 ユリウスは地図に印を入れた。

 南宿場、暫定整理、一日のみ。


 書いて、線で囲って、保留にする。



 夕方近く、ユリウスが宿場主と裏の小部屋で長く話していた。


 戻ってきたユリウスの上着の襟元で、銀の留め具が宿場の蝋燭の光を一度受ける。


「ヤン様が、保留印の話を、ひとつだけ聞かせてくれました」


「内容は」


「南宿場の倉庫の奥に、王都印の空箱がある。長く触っていないが、たまに数だけ数えに来る人間がいる」


「数えに来る」


「年に一度、王都補給局の下級荷役。中身を確認はしない。蓋を開けないで、数だけ書き写して帰る」


「中身は」


「ヤン様も、見ていない」



 宿場主の許可を取って、レンとミナとユリウスは、宿場の奥の倉庫へと入った。


 扉は鍵がかかっていない。鍵穴はあるが、鍵そのものが、ない。

 ヤンは「あそこは、見ても面白くねえ」と一度だけ言って、付いてはこなかった。


 止められたから、見にいく。


 倉庫の中は、湿った木の匂いがする。追放される前の遠征で嗅いだ、あの薬箱の湿りに、似ていなくもない。


 奥の壁際に、王都印の入った木箱が二十ほど積まれている。


 大きさは、塩樽より一回り大きい。素材は針葉樹。蓋には、王都中央倉庫の印。

 印は、撫でるとわずかに薄かった。何度も別の墨で打ち直された跡だ。


 レンは、一番上の箱に、手を伸ばした。


 持ち上げる。


 軽かった。


 予想していたより、ずっと、軽かった。


 次の一箱。

 次の一箱。


 すべて、同じ重さだった。


「全部、空、ですか」


 ミナの声が、いつもよりひそやかだ。


 レンは胸の奥で、《棚卸し》を控えめに回した。

 これ以上、深くは回さない。


 胸の奥で、表示がひとつだけ返ってくる。


 南宿場、奥倉庫、王都印木箱二十、中身、未定義。


 「なし」ではない。

 「未定義」だ。


 それは、《棚卸し》が読めなかった、ということではない。

 最初から、何も入れずに帳簿に乗った箱、ということだった。



 倉庫の床に、レンは膝をついた。


 箱の底に近い、土の上を指先でなぞる。

 白い指先に、赤い土が薄く付く。


 北方街道の土ではない。

 北東方面の、鉄分の多い赤い土だ。


「ミナ」


「うん」


「この赤い土、覚えておいて」


「うん」


 ミナは札をもう一度、両手で持ち直す。

 札の文字を指でなぞって、外套のいちばん内側にしまった。



 倉庫を出ると、ヤン・コルテスが戸口の脇で待っていた。


 彼は何も聞かない。何も言わない。

 ただ、レンの顔を一度だけ見た。


 その顔が今朝より、少しだけ白い。


「都市補給官代理様」


「はい」


「うちの宿場の下働きに、十四になる子がいる。名前は、トビ」


「はい」


「あの子が、今日、おたくの連れの娘さんに、聞いたそうで。あの札みたいなの、自分も貰えるかって」


「字は」


「読めん。色は分かる」


 ヤンは、片耳に手を当てた。


「あの子の親父は、一年前、北東街道で、行方知れずになった」


 レンは、ヤンの目を、見返した。


 ヤンも、レンの目を、見返した。


 何かを共有する目だった。


「リンドホルムに、倉庫学校というのがある、と聞きました」


「はい」


「来年、トビを、一度、行かせてもらえまいか」


「行けます」


「俺は、上に通せん。だが、子供をひとり、街道に出すぐらいなら、俺の決めごとだ」


「はい」



 宿の二階の部屋に戻って、レンは机に板書を広げた。


 南宿場、平台ひとつ、係不在、半刻短縮可。

 南宿場、奥倉庫、王都印木箱二十、中身未定義。

 箱底、北東方面の赤土。

 宿場下働き、トビ、十四歳、倉庫学校志願。

 宿場主の息子、北東街道で一年前から行方不明。


 書いてから、別の余白に、もう二行を、書いた。


 崩壊まで、あと三十七日。

 届かせれば助かる、と今日は言わなかった。


 ペンを置いて、レンは窓の外を、しばらく見ていた。


 宿場の夜は静かで、井戸の方角からも、もう、音はしなかった。


 窓の外、宿場の鐘が、誰にも鳴らされないまま、夜気の中に、ただ、立っていた。

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