第28話 セリアの任命
リンドホルムの領主館は、王都の貴族屋敷ほど華やかではなかった。
石造りで、廊下は狭く、壁には古い地図が多い。
レンが呼ばれたのは、朝の共同倉庫作業を終えた直後だった。
執務室には、セリア、ガルド、ユリウス、神殿の代表、馬車組合の代表、職人街の親方たちが集まっていた。
レンは思わず足を止める。
「何か問題が」
ガルドが呆れた顔をした。
「問題がないと呼ばれないと思ってるのか」
「だいたいそうなので」
セリアが小さく笑った。
彼女の机の上には、一枚の任命書が置かれていた。
「レン・アスター」
「はい」
「あなたを、リンドホルム都市補給官代理に任命します」
部屋が静かになった。
レンは言葉を失った。
「都市補給官」
「正式な制度としては、まだありません」
セリアは言った。
「だから代理です。ですが、今のリンドホルムには、倉庫、街道、神殿、治療院、職人、商会を横断して物資を見る役が必要です」
その言葉に、部屋の何人かが小さく身じろぎした。
横断して物資を見る。
聞こえはいい。
だが実際には、既存の権限に踏み込むということだ。
倉庫組合には倉庫組合の規則がある。馬車組合には馬車組合の事情がある。商会には商会の帳簿がある。神殿には寄進と奉仕の慣習がある。
そこに、都市補給官という新しい役を置く。
反発が出ないはずがない。
ユリウスが頷く。
「商会としても、窓口が一つある方が助かります」
馬車組合の代表も言った。
「馬を無限に出せと言われるより、休養まで見てくれる方がいい」
神殿の代表が微笑む。
「炊き出しと古着も、記録が残るようになりました」
職人親方が腕を組む。
「面倒だが、材料がいつ来るかわかるのは悪くない」
だが、全員が賛成していたわけではない。
倉庫組合の年長役員が、重い咳払いをした。
「セリア様。都市補給官などという役を置けば、倉庫組合の権限はどうなります」
部屋の空気が少し硬くなる。
「これまで倉庫は組合が守ってきました。外れスキルを持つ若者一人に、街の物資を横断して見せるなど」
ガルドが眉を吊り上げた。
「言い方に気をつけろ」
役員は怯まなかった。
「ガルド、お前もだ。倉庫長が外の者に鍵を渡すなど、前例がない」
レンは任命書を見る。
反発は当然だ。
権限のある場所に新しい線を引けば、必ず誰かの足元が揺れる。
セリアは静かに答えた。
「倉庫組合の権限を奪うためではありません。倉庫だけでは見えない流れを見るためです」
「言葉では何とでも」
レンは一歩前に出た。
「分類棚の記録は、倉庫組合にも残します」
役員がこちらを見る。
「都市補給官代理の判断で動かした荷は、組合記録、領主記録、配送記録の三つに残す。鍵も俺だけが持つ形にはしません。ガルドさんと記録係が確認できるようにします」
「それで組合の面子が立つと?」
「面子ではなく、後で検証できます」
役員は口を閉じた。
セリアが続ける。
「異議は記録します。三十日後に制度を見直します。それまでは代理制度として運用します」
年長役員は不満げだったが、完全には退けなかった。
「三十日後、必ず見直しを」
「約束します」
部屋を出る前、役員はレンの横を通り過ぎながら低く言った。
「外から来た者に鍵を渡せば、いつか倉庫の中身が外に流れる。そうならぬよう祈ります」
レンは答えなかった。
答えても、納得はさせられない。
ガルドが横でぼそりと言う。
「あれは、収まったわけじゃないぞ」
「はい」
「三十日後、見直しの席で、あの爺さんは必ず仕掛けてくる」
「わかっています」
任命は、拍手で決まったわけではなかった。
反発と条件と記録の上に、どうにか置かれた。
だからこそ、制度らしかった。
レンは全員を見る。
自分を追放した場所には、居場所がなかった。
だが、この街では、面倒だと言いながらも必要だと言う人たちがいる。
「俺は、全部は見られません」
レンは言った。
「見える範囲にも限界があります。判断を間違えることもあります」
セリアは頷いた。
「だから、あなた一人の役職にはしません」
「え」
「都市補給官代理の下に、記録係、倉庫係、回収班、馬車連絡、商会連絡を置きます。ガルドには倉庫学校を。ミナには市内軽配送の見習い頭を」
レンはミナがいないことに気づく。
いたら、きっと飛び跳ねただろう。
セリアは任命書を差し出した。
「あなたに求めるのは、全部を一人で見ることではありません。見えるものを、皆で扱える形にすることです」
その言葉に、レンは胸の奥を突かれた。
自分がいなければ、また届かない。
ずっとそう思ってきた。
でも、この街は違う方向へ進もうとしている。
「受けます」
レンは任命書を受け取った。
紙は軽い。
けれど、そこに結ばれているものは重かった。
倉庫の鍵。
回収班の荷札。
馬車組合の休養表。
神殿の古着記録。
治療院の空瓶。
商会の在庫表。
それらが、一本の細い紐で結ばれようとしている。
その紐を握るのが、自分一人であってはいけない。
「一つ、条件があります」
セリアが頷く。
「聞きます」
「都市補給官代理の記録は、俺以外も読める形にしてください。俺がいないとわからない記録にはしない」
ガルドが短く笑った。
「自分がいなくても回す気か」
「そうでなければ、また届かなくなります」
セリアは静かに答えた。
「認めます」
ガルドが満足そうに頷く。
セリアは静かに言った。
「では、最初の仕事です」
「はい」
「王都から召喚状が来ました」
空気が変わった。
セリアは封書を見せる。
王都官僚の印。
北方遠征隊撤退とリンドホルムの物資統制について、説明を求める。
レンの《棚卸し》が、視界の端で不穏に揺れた。
リンドホルムだけでは、終わらない。




