第24話 商会の二枚帳簿
ユリウスが持ってきた帳簿は、見た目にはただの取引記録だった。
塩。
燃料。
薬瓶。
飼葉。
どれも整った文字で記されている。入荷数、出荷数、残数。数字はきれいに並び、帳尻も合っていた。
だからこそ、レンには違和感があった。
現場の帳簿は、もっと汚い。
遅れ、破損、積み替え、湿気、返品、半端な数。
物資が実際に動けば、数字には必ず傷がつく。
「これは表の帳簿ですね」
レンが言うと、ユリウスは目を細めた。
「ええ。そしてこちらが裏です」
彼は薄い帳面をもう一冊出した。
表の帳簿より紙質が悪い。だが、書かれている数字は生々しかった。
共同倉庫から旧酒蔵へ移した塩と燃料。
市場に出さずに押さえた木炭。
治療院へ向かうはずだった薬瓶。
馬車組合へ渡るはずだった飼葉。
そして、王都本店への転送予定。
セリアの顔が硬くなる。
「薬瓶まで」
「市場で高く売るためではありません」
ユリウスは言った。
「王都本店への横流しです。リンドホルムで不足が出れば、王都から高値の救援物資を売り込める」
ガルドが机を叩いた。
「街を干上がらせて、救援で儲ける気だったのか」
ユリウスは唇を結んだ。
「私も、すべてを知っていたわけではありません」
ミナがじろりと見る。
「でも、ちょっとは知ってたんでしょ」
「……はい」
ユリウスは逃げなかった。
レンはその顔を見た。
商人の顔だ。
損得を考え、逃げ道を探し、同時に自分の立つ場所を失いかけている人間の顔でもある。
「なぜ持ってきたんですか」
「信用を買い戻せと言ったのは、あなたです」
ユリウスはレンを見る。
「私は商人です。街に嫌われた商会に未来はない。なら、切るべきものを切る」
「本店を敵に回します」
「ええ」
「商会からも切られるかもしれません」
「でしょうね」
ユリウスは少しだけ笑った。
「ですが、沈む船で帳簿を守っても意味がない」
彼は一拍だけ目を伏せた。
「それに……王都本店は、すでに私を切る前提で動き始めています。支店長の処分が決まれば、次に消されるのは私です。帳簿ごと」
セリアの表情が硬くなった。
「王都本店が、ここまで」
「リンドホルム支店の不正は、本店の指示でした。けれど、痕跡は支店だけに残るよう書かれている。私が黙っていても、商会は私を生かしません」
ユリウスの声には、商人の余裕より、追い詰められた人間の冷たさがあった。
セリアは帳簿を閉じた。
「これは正式に預かります。ユリウス、あなたには証言してもらいます」
「承知しています」
「ただし、流通は止めません」
セリアの言葉に、ユリウスがわずかに目を見開く。
「ヴェルナー大商会リンドホルム支店の業務は監督下で継続。必要物資は公定価格と上限価格で放出。帳簿は領主家と共同倉庫が確認します」
ガルドが不満げに唸った。
「甘くないですか、セリア様」
「甘くはありません」
セリアは静かに言った。
「支店長と関係者は処分します。王都本店にも抗議します。けれど、倉庫を閉じて荷を止めれば、困るのは街の人です」
レンは頷いた。
「完全に止めると、街が困ります」
悪事を暴いた後も、荷は動かさなければならない。
罰と流通は、同時に考えなければならない。
ユリウスは深く頭を下げた。
「私に、何をさせますか」
「商会の在庫表を作ってください」
レンが言う。
「塩、燃料、薬瓶、飼葉、保存食、荷馬、空箱。場所別に。表と裏を分けずに」
「時間がかかります」
「かけてください。でも最初の概算は今日中に」
ユリウスは苦笑した。
「容赦がない」
「必要なので」
「では、私からも条件を」
ガルドの眉が上がる。
「この状況で条件だと?」
「責任者を切るなら、現場の荷扱い人まで一律に罰しないでください。命令に従った者も多い。彼らを失えば、支店の在庫は動かせません」
レンはセリアを見た。
セリアは少し考え、頷いた。
「罪と仕事を分けます。証言し、在庫放出に協力する者は保護します」
ユリウスは、初めて商人の笑みではない表情を見せた。
「感謝します」
その夜、ヴェルナー大商会リンドホルム支店の倉庫には領主家の封印が貼られた。
だが扉は閉じられなかった。
監督下で、荷は出続けた。
塩は神殿へ。
燃料は乾燥炉へ。
薬瓶は治療院へ。
飼葉は馬車組合へ。
荷を出すたび、ユリウスは記録に署名した。
その署名は、自分が関わった不正を認める印でもあった。
ミナが小声で言う。
「あの人、悪い人なの?」
レンは少し考えた。
「悪いことをしました」
「悪い人とは違うの?」
「違うこともあります」
ミナは難しそうな顔をした。
「大人って面倒」
「はい」
「レンも大人?」
「たぶん」
「面倒だもんね」
ガルドが横で吹き出した。
街は少しずつ息を吹き返し始めていた。
しかし、レンの《棚卸し》にはまだ赤い表示が残っている。
冬越し燃料、不足。
保存食生産、遅延。
魔石灯部品、不足。
街道修理材、不足。
冬は、まだ越えていない。




